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プロローグ

「こらぁ、修也。何時だと思ってるの?早く起きなさい。」


修也は一階から聞こえてくる母親の怒鳴り声で、最悪の目覚めを喫した。


しかもこれは毎日の日課ともいえるところがまた悲しい。


「うわ、まだ八時じゃん。夏休みくらいぐっすり寝させてくれよ・・・。」


すでに育ち盛りとはいえない年齢に達しているが、何もない朝はゆっくり寝ていたいものだ。


しかしこうなった以上、起き上がって活動しない限り、母親が発する目覚めの呪文は消えることはないということを修也は知っている。


「いつもなら十時くらいまで寝かせてくれるのになぁ。」


要するに、いつもは十時まで寝ているということだ。


早く起こされる場合、大体理由は決まっている。


母親が一人で朝食を食べるのが寂しいと感じたとき、修也は母親の欲求を満たすために叩き起こされるのだ。


朝食に限らず、食事を作ってもらえるありがたさを知っている修也には、それに逆らう気がおきないので母親のいい餌食となっている。


ぶつぶつと文句を言いながらも、修也は二階にある自分の部屋からリビングへと向かった。


「あぁ、そういえば、今日は三一日か。」


八月三一日。


この日はヤマトの誕生日だ。


三杉家の家族としてヤマトがやってきてから、今日でちょうど十年になる。


ヤマトは修也が八歳の時にやってきた。


それから今日という日まで、修也とヤマトは兄弟のように育ってきたのだ。


「ヤマトも、もう十歳か。早いもんだなあ。」


ヤマトは猫だ。


修也の母親である裕子が、古くからの知人から貰ってきた猫がヤマトだった。


その一件を要約すると


「家で飼っていた猫が子供を産んでしまった。とてもじゃないけれど全てを育てることは家ではできない。お願いだから一匹貰ってくれないだろうか?」


と、いう訳だ。


何処ででもよく聞く話ではある。


もともと裕子は猫好きで、以前から猫を飼いたいと思っていたため、喜んでこの話に飛びついた。


もうあれから十年もの月日が経った。


そう考えると、確かに早い。





「そういえば、昔は猫は十年生きたら猫又になるって言われてたらしいねえ。」


リビングに着いた修也を迎えてくれたのは、「おはよう」という挨拶ではなく、一瞬「は?」と聞き返したくなるような裕子の一言だった。


既に朝食の準備を終えおり、部屋に広がるいい匂いが寝ぼけた頭をハッキリとさせてくれる。


父親の朝は早く、すでに仕事に出かけた後のようだ。


裕子はいつも父親の朝食を先に作り、自分と修也の分は、父親が朝食を食べている間につくるのだった。


とりあえず、修也は裕子の先ほどの発言は聞き流すことにして「おはよう。」とだけ答えた。


(なんて言ってたっけ。猫又?)


―十年以上生きた猫は、尻尾が二つに裂ける。そうなった猫は人語を解し、様々な能力を持つ妖怪と化す。これを猫又という。―


おそらく多くの人が知っているであろう、猫又についての知識。


修也もそれくらいのことは知っているが、それが何だというのだろう。


(そりゃあ確かにヤマトは今日で十歳になるけど、だからって安直だろ。)


現代に生きる修也としては、そう思うのも当然だ。


何せ今の時代、十年以上生きる猫なんて珍しくもなんともないのだから。


もちろん今まで猫又などは見たことも聞いたこともない。


裕子にしてもなんとなく思い出した話をなんとなく呟いてみただけで、特に思うところもないし会話として成立させる気もなかった。


「そういえば、ヤマト見なかった?せっかくの誕生日なのに朝から見てないんだけど。」


裕子に言われて、そういえばと思う。


「そういや、俺も見てないな。まだベッドで寝てるのかな。」


ヤマトの寝床は修也のベッドと決まっている。


裕子に急かされて起きてきたため、ヤマトがいるかどうか確認していなかった。





トントントン。


小気味の良い、軽い足音が階段から聞こえてきた。


この足跡はヤマトだろう。


「やっぱり二階にいたみたいだね。」


「寝坊だけど、誕生日くらいは許してあげようかな。」


どうやらヤマトは寝坊という罪から許されたようが、果たして猫の寝坊が罪になるのかどうか、甚だ疑問である。


きぃ。


もともと軽く開いているドアを体で押し広げながら、ヤマトがやってきた。


「ヤマトおはよう。十歳の誕生日おめでとう。」


「おはようヤマト。」


母と子が、それぞれ愛猫に対して挨拶する。


「おはよー。」


突然聞きなれない声がリビングに響いた。


修也も裕子も思わずあたりを見回す。


しかし、当然といえば当然だが、部屋の中には誰もいない。


今現在部屋の中にいるのは修也と裕子、そして今日めでたく十歳の誕生日を迎えたおかげで、冤罪になったヤマトだけだ。


(気のせいか。)


そう思って、二人は何事もなかったかのように、朝食を食べようと箸に手をつけた。


「ああ、眠い眠い。何だって朝はこんなにだるいんだろうねぇ。」


また聞こえた。


声のした方を見ると、やはり誰もいない。


ヤマトがいつものように毛繕いをしているだけだ。


今まで毎朝見てきた風景となんら変わることはない。


そう、ヤマトの胴から伸びている尻尾の数以外は。


「ヤ、ヤマト!?」


思わず修也が声を上げる。


その声は裏返って、聞く方にとっても、発した方にとっても、非常に情けないものとなってしまった。


しかし、それも無理はないのかもしれない。





修也はヤマトと毎日一緒だ。


昨日も同じベッドで寝た。


修也の記憶がボケてないのなら、昨日のヤマトは尻尾が一本だったはずだった。


何故、今どう見ても二本の尻尾があるのだろう。


「ああそうか、俺まだ寝てたんだな。早く起きなきゃ。」


修也は現実逃避することにした。


その隣では、裕子が言葉を発せないままポロリ箸を落として固まっている。


自分の顔をバシバシ叩く修也だったが、なぜか痛い。


一向に夢から覚める様子もなかった。


「おいおい、何の冗談だよ。」


思わず視線はヤマトへ釘付けになる。


「・・・。」


二人と一匹は互いに見詰め合ったまま数秒の空白が訪れた。


その空白を作った原因が一匹の猫なら、壊したのも一匹の猫だった。


「何ジロジロ見てんだにゃ!」


鋭い声を発したのは最早疑うことなくヤマトだった。


ドサリ。


隣からそんな音を聞いた修也が振り向くと、そこには気を失って倒れた裕子の姿があった。


「俺も倒れたいって。」


無意識のうちに修也は呟いた。





ヤマトは黒猫だ。


漆黒といってよいほどの黒毛を全身に生やしていて、黒以外の毛は生えていないといってもよいくらいだ。


この家にやって来たときは既に生後三ヶ月で、ちょうど一番可愛らしい時期だった。


その分、やんちゃ盛りでもあり、まだ小学生だった修也と二人で悪さばかりして、毎日のように裕子を困らせたものだ。


幼かった修也もヤマトを本当の友人のように扱った。


まだ子供だったので、ヤマトにとっては迷惑極まりない扱いを受けることも少なくなかったが、ヤマトも修也を気に入ったようで、一人と一匹はまずまずの親友であるとお互い自負していた。


十年という時間は書くと一言で片付けられるが、もちろん短くはない。


その間に修也も小学生から大学生になったし、当時三七歳であった裕子も、まだ若いと言っていたし、実際そう思っていたのに、認めたくないことに後三年で半世紀も生きたことになってしまう。


ヤマトにとっても子猫から爺猫になるだけの月日が流れた。


生後半年で去勢手術をしたヤマトは、その影響からか、未だにしぐさが子供っぽい。


それが本当に去勢手術の影響かどうかはわからないが、十年を経ても昔と変わらず愛らしいヤマトを見ると修也の顔はほころぶ。


裕子にしても同じだった。


今までヤマトが二人を困らせたことや悩殺させたことはあっても、絶句させたことも、ましてや失神させたこともなかった。





相変わらず時間は止まっているようだった。


少なくとも修也にはそう感じた。


その原因を作ってくれ黒猫は、また毛繕いに夢中になっているようだ。


「夢だ夢だ。夢に決まってる。」


修也は自分にそう言い聞かせてヤマトに近づいた。


「ヤマトは猫だからな。喋るはずがない。きっと疲れてるんだ。」


心の底からそう思いたいが、どう見ても二本の尻尾が優雅に揺れている。


なんとなく勢いに任せて、修也は尻尾の一本をギュッとつかんだ。


いつも通り「ニャッ!!」と、歯切れのいい迷惑そうな鳴き声を出してくれることを期待して。


しかし期待は、あっという間に裏切られてしまったのだった。


「人の毛繕いの邪魔をするにゃあ!」


歯切れの良い声であったことに間違いはないが、飛び出してきたものは鳴き声ではなく一喝だった。


「いつもいってるじゃないか。毛繕いは猫の大事な仕事。まったく、修也はいつまで経っても邪魔したがるんだから。人の邪魔はするもんじゃないよ。」


ふてくされた様子でヤマトはつかまれた方の尻尾を繕い始める。


「ご、ごめん。」


いつも言われているとは全く実感がないのだが、思わず修也の口から謝罪がこぼれた。


しかし、と、修也は思う。


「人の邪魔するなっていったって、毎回勉強中にノートの上に転がって邪魔してるのは何処のどいつだよ。」


むろんそれはヤマトだ。


この状況下でこういう考えが出てくるあたり、修也もなかなかに図太い人間なのかもしれない。


「ヤマト、本当にしゃべれるようになったのか?」


「え?修也僕の言ってることわかるんだ。」


「バッチリわかるよ。出来ればわかりたくなかったけどな。」


修也の後ろでは裕子が気を失っているままだが、起こしてあげるべきなのか、寝ているままでいさせてあげるべきなのか、判断がつかない修也だった。


当の修也といえば、この状況を受け入れるべく腹を括った。


腹を括ったにも関わらず、すぐにでも目が覚めて、やっぱりこれは夢だったんだと思いたくなるのは、ある程度大人といえる人間にはしょうがないことなのだろう。


自然とため息がでる。


この場で大きなため息をついたとしても、修也をとがめる人は誰もいないはずだった。


「ため息つくと、幸せが逃げるよ。」


そんなありきたりな言葉を猫から言われた修也は、本日二度目のため息をついてしまったのだった。


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