高級レストラン
年に一度、連休には高級レストランに行くことが、中西にとっての贅沢だった。
予約を一月前に予約を入れていた。
その際の確認は、ラフな格好で大丈夫かどうかだ。
背広を着こんで食べる食事は、本当においしいとは感じられない。
普段着より少しおしゃれな恰好で、おいしい食事を誰にも邪魔されずに食べるのが、いいと感じていた。
それも一人でだ。
まあ、一人以外で食べることは、職場の飲み会以外には殆どない。
確かに、金額的に言って、19,440円(税込み)飲み物別という金額は、一人で食べるには贅沢すぎるような気がする。背広を着て来いというレストランが多い中、「雅」というレストランは自由だった。
巷の評判。(ネットのグルメ情報)によれば、どうやらミシュランの星を目指しているらしい。
ダメージ加工されたデニムに裾出しのワイシャツに淡いベージュ色のニット、とりあえずのジャケットスーツ、そして通勤用の革靴といういでたちが、中西の最大限のおしゃれだ。
予算は3万円ほどだ。
お酒を飲むことを考慮し、電車で店へ向かう。
地下鉄から地上に上がった。
既に、辺りは暗くなりかけていた。
ビルの谷間を、夕日が黄金に染め上げる。
空気が乾燥しているせいか、気温が高いにも関わらず、風が爽やかに感じる。
駅から、結構歩くようだ。
店がよくわからず、グーグルマップが頼りだ。
この時間、この町の人通りは多い、比較的外国の人が多く、二人に一人が外国人に思える。
グーグルマップの移動情報を見ながら、店を目指す。
何て正確なんだろう。
昔なら、方向音痴の中西には絶対にたどり着けない場所だ。
暫く緩やかな坂を下り、前方右側にコンクリートの上りの階段がある。
そのてっぺんの左側に、西洋風の建物が、ライトアップされて夕方の薄暮の中で浮かび上がる。
アーチ状屋根を持ったスロープの先に入り口はあった。
入り口の中は、落ち着いた雰囲気を持ったベージュを基調とした絨毯がひかれていて、暖かな照明が豪華さを演出している。
場違いかなと中西は後ずさりしたくなる。
こんな時に、一緒に居てくれる人がいれば、結構それだけで大きな気分になり、入っていけるのだが、どうも内弁慶のようだ。
呼び鈴があり、それを押すと、待ち構えたような速さで、そこの制服に身を包んだ、細身のきれいな女性が現れた。
そして、中西を上から下まで、何かを探るように見た。一瞬、何か彼女の中にひらめいたようだ。
「いらっしゃいませ。」深くお辞儀をし、右手で店の中を案内した。
店の中は20人ほどでいっぱいになるほどの広さで、既に席は殆どいっぱいだった。
中西が案内されたのは、二人席が二つ並んでいる店の真ん中にあった。
さすがに、中西のような服装をした客は一人もいなかった。
おしゃれな恰好をしたアングロサクソンとゲルマンのカップルが奥に、家族連れが4組、意味ありげなカップルが2組、そして中西の隣には、スーツ姿に眼鏡をかけたサラリーマン風の男が一人だった。
BGMはジャズ風の曲が、会話の邪魔にならない程度に流れている。
コースは、既に電話で注文したものだ。
シェフの本日のおすすめコース料理だ。
メニューはテーブルにはおいておらず、アルコールも声をかけなければ出てこないようだ。
「お飲み物はいかがいたしましょうか。」
「手ごろな値段で、おすすめのワインがありましたら。」
ワインを注文するときは本当に緊張する。平静を装いながら高くなりすぎないように気を付けなければならない。
「2013年物でシャトーモンペラルージュなどは手ごろで、美味しいかと存じますが。」
まったくわからない。果たしてワインがどう違うのかすらわからない人間にとって、この選択が本当にきつい。
「ええ、それでお願いします。」
ナプキンを膝にかけ、料理を待つ。
この店は、オーナーシェフが大阪の調理学校を出て、フランスで5年の修業の後に起こしたフランス料理店だ。
ワインが注がれる。
口に含むと、なんとも果実のふくよかさが口の中に広がる。
美味しいワインだ。
家ではワインを飲むといっても、いつもは980円のスーパーで購入するワインだ。
実は、味はよくわからない。
フォアグラのナチュールが配膳される。
ナイフとフォークは外側から使うんだったかな。
映画で見た食事風景を必死に思い起こし、食べ始める。
フォアグラが口に入れるや瞬時に溶ける。
何という美味しさだろう。
この食感は初めてかもしれない。
ほんのりねっとりとした食感の中に甘さが口中に広がる。
隣のサラリーマンも同じメニューを選択しているようだ。
まるで、鏡を見るかのように同じような食べ方をしている。
周りの人々はその美味しさに、嬉しそうにほほ笑む。
そこには、まるで私語を禁止して料理に集中させるかのような強制感があった。
私語をするものなら、周りがその席に冷たい視線を浴びせる。
確かに、その雰囲気を納得させるだけの料理の美味しさだ。
次に来た食材は、子牛のリードヴォーだ。
赤オニオンに包まれた黄金のスープに浸ったそれは、薄明りの中で輝く。
口に含むと、これもまた溶けだす。コクが口の中に広がる。
絶品だ。そーっとワインで流し込むと、その美味しさは格別だ。
傍に添えられているソースにからまったホタテも口の中にしゃきしゃきの甘みが広がる。
オマール海老のロースト、魚介ベースのムースソースが口の中で海老の甘さとその酸っぱさが濃厚に絡み合う。ワインの美味しさと本当にマッチする。
スープはフレンチオニオンだ。
コクの深いチーズとかすかなオリーブオイルの匂い、カリカリのチーズの下には、ビーフストックのスープだ。その中の肉は、口の中で、含んだ瞬間にうまさを残して消える。
はす向かいでは、インフォーマルな服装を着た30代の眼鏡をかけた男性が、ブラウスにスカートといった女性と意味ありげな様子で話していた。映画でありがちな光景だ。
店全体を覆う淡い照明、そしてテーブルの中心に置かれた蝋燭の灯り。
映画でこういうケースはよくあることだ。これはまさしく求婚のシンボルだ。
「結婚してくれませんか。」男性はポケットから小さな小箱を取り出して、女性の前に置く。
そのままじゃないか。
男性は少しはにかんで、女性に問う。女性は一瞬間があいて、大きく頷いた。
「はい」っと。
そうそう、カップルの成立だ。
中西は、自分に置き換えたことを想像してみた。
今まさに、目の前に意中の女性が居て、ポケットから例のものを取り出す。
先ほどの男性と同じ言葉を発する。
暫くの沈黙と重苦しい空気。
「ごめんなさい、私、好きな人がいるの。」
その言葉の後の食事は、本当に記憶にないくらい不味く感じ、早くこの場を去りたい一心であった記憶がある。
その例のものは、まだ捨てられずに部屋の小物入れの中に納まっている。
どうぞお二人よお幸せにね、と心に念じつつ、幸せそうなカップルを視界から除去した。
そうして中西は、隣のサラリーマン風の男に視線をやった。
それにしても本当に綺麗に食べるものだ。
まるでおろしたての食器を見るかのように、その上のものを食べつくす。
それを見ながら、自分との違いを見比べる。
これは小さいころからの癖のようだ。
よく親から「綺麗に食べなさい。」と言われるのだが、出来たためしがない。
大人になって友達から言われると、「これはね、天使の分け前なんだ。人間が食事をしてもほんの少しずつ残すだろう。これは遺跡でも出土するものに残っているだろう、何でもその少しずつが大事なんだ。ジュースを飲んでも、必ず残すだろう。これは人間にとって、いや生物にとって必要なことなんだ。」と言い訳をしてしまう。
そのサラリーマンの皿をそんな気で見ていると、ふと目線があった。
鼻で歌を歌うような食べ方は、見ていて気持ちがよかった。
ふと、彼が意味ありげにウィンクしたように思えた。
この状況で、ウィンクは意味が分からない。
さてここで、メインディッシュが運ばれてくる。
運び手は、大きな縁なし帽子の料理人だ。
手慣れた手つきで料理をテーブルに置くと、料理の説明をし始めた。
「牛肉は、国産最高級のA-5の柔らかいフィレ肉をフォン・ド・ヴォーにして、それにトリュフソースで匂い付けをしました。」
シェフは、どうやら中西が食べ、感想を期待しているようだ。
最後のナイフとフォークで、口に含むとトリュフの香りが鼻と口に広がる。
フィレ肉は口の中でとろけていく。
美味しさは格別だ。
「ありがとうございます。本当においしいです。」
シェフは顔中に満面の笑みを浮かべた。
「点数の程、よろしくお願いいたします。」
中西は、シェフが何を言っているのかわからないまま、「これは満点ですね。」と言うのがやっとだった。
シェフは中西の反応に訝りつつも、挨拶を終え厨房へと戻っていった。
最後は、アシェットだ。
トマトのムースをかけたキャラメルコートのパイナップルだ。
自然のそのままの素材を活かした優しいデザートをアールグレイの紅茶で食べる。
唯のそのままの素材ではなく、しっかりと調理師している。
食べ終わると、従業員が一人ひとり挨拶に来た。
なんと客にやさしい店だろう。
皆にこのようにしているのだろうか。
会計を済ませ、店を出ると外は雨が降っていた。
先ほどまでの爽やかな夏の空気とは違い、どちらかというと寒いくらいの大粒の雨が降り注いでいる。
先に出た、サラリーマンの男が店の前で雨を待っていた。
中西を見つけると、声をかけて来た。
「食事、いかがでしたか。」
何か試すような言い方だった。
「本当に美味しかったです。特にメインディッシュが何とも言えず美味しかったです。」
「店員の態度は如何でしたか。」
「イヤーこんなにもてなしていただき本当に恐縮しています。こんなに汚い身なりでもしっかりと対応いただきありがたいとおもいます。さすが最高級の店ですね。」
そのサラリーマンは同じよう納得しているようだった。
暫くこの店の料理に話をしていると、そのサラリーマンに迎えの車が来たようで、それに乗って去っていった。
雨はまだ降り続いている。
どうも止みそうもない。
走るしかないか、と覚悟を決めて駅まで駆け出した。
会社で、中西は休みの日に行った店をネットで調べていた。
どうやら世界料理番付に登録されたようだった。
ふと、あのサラリーマンの姿が目に浮かんだ。




