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運び屋

作者: S-ro箒

 山と空とあわいの不鮮明なままに、白鼠色はどこまでも遠くへ続いていく。ひとけのない雪山はその白に飲み込まれないよう、鮮明な蛍光色で辺りを囲まれている。斜面には幾本もの車輪の跡が刻まれていた。

 ギシ、ギシ、と新雪を踏み固める音が次第に大きくなる。コンクリートを踏んだ硬い音が、屋根つきの停留場へ響いた。その音の主は靴に付いた雪を落とすように、足を踏み鳴らしてから外しておいた板を再び装着する。

 それが誰であるか私はすぐに理解したが、機械を止めることなく作業を続けた。

「もう直にオープンだよ」

 私はその声に返事をするように緑のランプを点灯させる。聞こえ始めた苦しげな稼働音は徐々に末端へと伝わり、2人乗りの鉄椅子を動かした。彼と私は動き始めたリフトにタイミングを合わせる。


 彼は一息ついてから、おもむろに口を開いた。

「僕が入社して以来だから……20年ってところかな。世話になったよ」

 敢えて30年だとは訂正しなかったが、彼はおぼろげな表情で、あくまで微笑みながら彼自身の昔を振り返った。


 彼――松下さんは登茅スノーパークで整備士として私と共に働いている。私より遅れて入社したにも関わらず、その能力はとどまることを知らず、出世、出世を続けた。現在では会社経営に携わるほどの役職に就いているらしい。らしい、と言うのも、私には関係のない話で関心がなかったため詳細を知ることはなかった。私はあくまでこの仕事を追求することだけであって、他のことには興味さえ抱かなかった。

 いや、憧れても無意味、と言った方が正しいか。


 松下さんは、眼下に広がる雪化粧したスキー場をぼんやりと眺めている。早朝からの好天により、雪は表面が解け鉱物のように美しくきらめいていた。肌に当たる冷たい風は刺すようであるが、雲からうっすらと見せる太陽の暖かさをどこかに感じる。

 松下さんはそのゲレンデに視線を向けながらこう言った。

「僕のこの庭は素晴らしいものだった。――当然、素晴らしいキャリアも力になりましたよ、あなたのね」

「なんて、年を重ねてもちっとも洒落はうまくなりませんね」

 私は突然の称賛に驚きながらも、松下さんに感謝の意を伝えた。


 往復路数分の旅路で、興味深い話を聞いた。普段の松下さんの口数は決して多くなく、物腰穏やかであるが、今日という晴れの日は不思議と言葉に楽しげな感情が乗っている。

 なんたって、今シーズンの締めくくりの1日なのだ。夏場、従業員は山を下りるのが一般的で、松下さんもまたその例外に漏れず、私と離れ事務作業を行っているのだそうだ。

 今日が特別なのはそれだけではない。

「皆が僕の退職祝いをしてくれるそうだよ。ははは、愉快なものだ。定年なんて、いつか来るものなのにね」

 松下さんの笑顔は私たちを微笑ませるのに十分すぎた。

「あなたの還暦は来年だね。お疲れさま」

 私はつなぎ目の駆動音にかき消されないように、お疲れさまでした、と言おうとした。

 その時リフトは山頂に到着し、車輪に沿ってぐるり半回転した。降りることなくそのままリフトは下りとなる。通常下る人はいないが、高い位置からゲレンデを見渡せるのだと、松下さんには少しの興奮が見られた。

 珍しくものを語った松下さんの声がいつの間にか消えていく。気付けば、解けた雪面をコーティングするのにちょうど良い粉雪が振りだしてきた。薄雲からの日光でスキーウェアに積もった白も、小さなゲレンデも、木々に積もった雪が散る様子も、空で耀う雪の結晶も、全て、何もかもが一斉に煌めいていた。私たちの脳内には、これまでの記憶が一つ残らず蘇った。停留場へ着くまで、松下さんは静かに涙を零していた。


「社長! 松下社長が居ないと最終日オープン出来ません。早く入場口へ行きますよ」

 停留場へ到着するや否や、待ち構えていたベテラン従業員の女性がただならない形相で出迎えた。はっとして時計を見ると、開場まで残り30分を切っている。忙しないその女性は早口で何を言っているのかあまり理解は出来なかったが、彼を探し回っていたとか、そんなところだろう。

「また、いつか、来るからね。あなたには夏も今まで以上に働いてもらうことに決まったのですから」

「これだから機械屋は困るんですよ。独り言はやめてください!」

 松下さんは半ば連れ去られるような格好で停留場を後にした。私と松下さんの別れは30年を積み重ねたにしては、あまりにもあっけないものであった。

 ただ、しおらしい別れなど向いていないのかもしれない。私は彼の言葉を刻み今日も懸命に働くだけなのだ。


    *


 時は流れ2年後の8月のこと。平地ではアスファルトからの熱にも負けず、サラリーマン達は汗を流す。室内では環境問題などお構いなしに、クーラーを効かせた部屋で小学生はせっせとゲームに勤しんでいる。

 そんな彼らをよそに、夏山の私は装いも新たに避暑地や観光地としての営業の最盛期にきていた。登茅市では夏季オープンのスキー場は珍しいらしく、花園を見物しに多くの観光客を集めていた。60年働き続けたことから、新しいスキー場の形を引き出したのは昨年のことだった。リフトの下に広がる斜面には無数の花々が色とりどりに咲き誇っている。

 何もかも松下さんのおかげである。私に通年に渡って働く価値を見出してくれた。

 1つここで追記をしておくなら、今後とも松下さんが私に話しかけに来てくれることは無かった。しかし、私が彼に最も近い位置に常に居られる、ということは確信していた。冬は白銀に染まる雪山と、夏は多種多様な花と緑で溢れる青山と、壊れるまで私は共にある。

『あなたは素晴らしいcarrier〈運び屋〉――』

一度書いてみたかった「小説でよくある表現」で書くことが出来て良かったです。

お読みくださいまして、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 白銀に染まる雪山、そして優しく降り注ぐ雪の結晶の様子が文字だけでありありと伝わってくる素晴らしい情景描写でした。普段ゲレンデとは縁遠い関西に住んでいる私にも目を閉じれば素敵なゲレンデが浮か…
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