自殺止めの薬
俺は悩んでいた。
悩んで悩んで苦しさに耐え切れなくなったある日、新しくできた精神科を受診する事にした。
「今日はどうなさいましたか?」
「実は……」
俺は自分が悩む全てをありのままに話した。
「……なるほど。要約すると、会社は人間関係が上手くいかず居づらい。
せっかく苦労して入った給料も全て奥さんにもっていかれてしまう。心の拠り所が何もない。とにかく不幸。
いっそ死にたいけれど、自分にかけられた保険金が奥さんの懐に入るのは悔しい……と、そんなところですか?」
「まあ、そんなところです」
「それは大変苦労していますなぁ。で、どうしたいんです?」
「どうしたいって……」
俺はため息をついて答えた。
「はぁ……せめて、死なずに現状がよくなる薬とかありませんかねぇ?」
どうせそんなものはあるはずない。
「ありますよ」
「え?」
予想の斜め上の答えが帰ってきた。
「君、例の薬を」
「ハイ、先生」
薬を一錠取り出し、小さな袋に入れた。
「えっと……あの、それ何の薬なんです?」
「これは自殺止めの薬です。正式名称、シネナインデスL錠」
「は、はぁ」
とてつもなく胡散臭い。
「これを一錠飲むだけですぐに効果が表れ、状況は改善するでしょう。それではお大事に」
「あ、はい……ありがとうございました」
診察を終え支払を済まし、さっさと病院を後にした。
「自殺止めの薬なんてあるはずない。ましてや、薬局を通さず直接出すなんて怪しいにも程がある」
とはいえ。
せっかく金を払ったものだし、いっそ飲んだ方が楽になるならと、俺は薬を飲む事を決めた。
「おい、帰ったぞ」
「あらあなた、随分早かったのね。夜まで遊んでくると思ってたのに。仕事休んでどこほっつき歩いてたの?」
自宅に帰ると、妻が嫌味を言ってくる。
「身体の調子が悪いから、医者に診て貰ってきたんだ」
「ああそう、それはいいご身分ね。うちは貧乏なのに」
誰のせいでこんな暮らしをしているんだ。
しかし、怒る気力も湧かない。
「私、買い物に行ってくるわね」
「……ああ」
妻が出かけたところで、俺は台所へ行った。
コップに水を汲み、先程もらった薬と一緒に水を飲み干した。
「……?」
初めはモヤモヤとした小さな違和感。
徐々にそれは大きくなり、俺は胸を押さえて床に座り込んだ。
動悸が激しくなり、息が荒くなり、目には涙が溜まる。
今までの人生の後悔や苦しかった記憶が一度に呼び出された。
「……死にたい……死にたい、死にたい、うう、死にたいっ……」
俺の口からは、自然とそんな言葉が出ていた。
怒りも湧いたが、それもすぐ死への願望で打ち消される。
「俺は……死ななければ……」
ふらふらとしながら俺は首を吊るためのロープを探しに物置へ向かった。
だがそこにはロープが無く、代わりに一万円札が大量に入った茶封筒が見つかった。
「俺に隠れてへそくりか……くそ、どうせならこの金で美味い物食って死んでやる」
俺は札束を全て財布に詰め、タクシーでフランス料理の店へ向かった。
昼間からフルコースを注文して腹に詰め込むが、やはり死への願望は一向に止まない。
そんな中、唐突に大きな声が響く。
「お前らそこから動くな! 動いた奴は殺す!」
強盗が店に現れ、叫び声があがった。
俺は気にせず鮭のテリーヌとワインを愉しむ。
すると強盗が拳銃を構えて近づいてきた。
「おいお前、動くなと言ったぞ」
死ぬことは怖くないし、むしろ撃ってくれ。
……しかし、このままされるがままというのも気に食わない。
「やるか?」
酔いも良い具合に回ってきた俺は立ち上がってアクション映画で観たような構えを取る。
「撃ってやる!」
その瞬間。
強盗の拳銃は暴発し、強盗の腕が弾け飛んだ。
ぎゃあ、と叫んだあとに強盗は気絶した。
俺は何故か店から食事券を貰い、俺はぼんやりと店を出た。
今までの人生でここまでここまで感謝されたことはなかったけど、俺は今、死にたいんだ!
「そうだ、飛び降り自殺をしよう」
俺はホテルの最上階の部屋を借り、バルコニーへ行き、飛び降りた。
肉が地面で弾け飛ぶ、はずだった。自殺防止用のネットが張ってあり、死ねなかった。
「そういうこともあるでしょう。とりあえず一杯いかがですか」
「ああ……もらうよ」
ホテルの管理人が、バーで高い酒を奢ってくれた。
隣にはたまたま、ずっとファンだったグラビアアイドルが座っていた。
いくらか話をし、メールアドレスも手に入れた。
しかし、不思議と死にたいという気持ちは変わらないままだった。
この後も俺は何度も死のうとしたが、全て未遂に終わった。
代わりに幸運に恵まれるようなった。
「そうか」
俺は薬の効用の本当の意味を知った。
「この薬は、死ねなくなる薬だったのか!」
END
シネナインデスL錠のLはluckyのLです。