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2012年 3月25日


式部物忘成


新春の候、時下ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。


先日はわたくしのような者を訪ねてくださり、誠にありがとうございました。ろくなおもてなしも出来ぬまま、あなたのご期待に沿うこと能わず、申し訳なく思っております。


ですが、お許しください。わたくしはこの地で静かに過ごしていくのが分相応。もはや形骸ですらありませんが、都のほとりを離れるやはありません。


まして新しき都に移るなどと……彼の地に居場所があるとは思えませぬし、求められているとも思えぬのです。この麗しの雪国の下、我が都と信ずる場所で、永劫たる時を過ごしたいと考えております。


無論、あなたがわたくしを思いやってくださったこと、理解しているつもりです。

そのうおでどうかご寛怒くださいますようお願いしたく、こうして筆を執った次第にございます。


わたくしどもの汚名を晴らす。そう仰っていましたね。頂いた貴方の著書も、拝読させていただきました。


すこし美文調がすぎるのと、過激な言葉が多いように感じますが、ええなかなか、特にうつけ殿のご気性に関する考察は、正鵠を射ていると思います。


あの方は、非常に清廉な御人柄でありました。清すぎて魚が棲めぬ……その通りと存じます。高潔をもって鳴る士の頭領たる定めに順じ、息の仕方も忘れているようなところがございました。


ゆえに大義のなんたるかを常に問い、彼の水に耐えられぬ者らが生じてしまった。、それについては全く然り。あの時分、わたくしどもから見ましても、彼は異端でしかなかったのです。理解の及ばぬ御方であると、そう捉えていたことを否定はしません。


しかし、いえ、だからこそと言うべきでしょうか。


わたくしや兄様、家臣に家族、皆、芯から敬愛しておりました。


それをもって裂士、英傑とあなたは称え、逆賊、反乱分子であると世人は言う。ですがその真実がどうであれ、すでに歴史上の人物と化してしまった今となってはもう、どうでもいいのでございます。


賢しらなことを言ってごめんなさい。あなたの志を軽く見ているわけではありません。この国の未来を背負う若者たちに、正しき過去を学ばせたい。誠、高邁な理想であると存じます。


ですが、どうでしょう。あなたの教え子たちは、明日の食事に困るほど飢えているでしょうか?この寒空の下、粗末な着物一つで凍えているでしょうか?二親どころか家すらなく、孤独に震えているでしょうか?


いいえ、そんなことはないでしょう。生まれや血筋の良し悪しで、差別などされていないと聞いています。盛者必衰や弱肉強食は後の行程であり、誰しも希望を持って生まれてくると。

そうした国になったのだと、他ならなぬあなたが仰ったことなのですから。


それで、わたくしは満足です。


この源香澄、娘の時分に願った夢が叶えられたと知りました。


言ってしまえば、わたくしどもはもう救われているのです。あの御方に率いられ、この世の愛を胸に抱き、それは偏に稚拙な恋心……その一心でございました。


名利を求めたということも否定はしません。ですがそれは、生きるため。歪み者として生まれた己が、せめて人並みの幸せを得るために必要なことだと信じたからです。


ええ、特にあの御方はそうでした。この香澄を愛してくださり……


いえ、やめましょう。老女の惚気など、見苦しいだけですね。


ともかくわたくしが言いたいのは、昔日の我々が求めた世が、今こうしてあるということ。現在を生きているあなたからすれば不満もあるのでしょうけど、それは今の世代が解決すべき問題です。年寄りを担ぎ上げるものではありません。


ただ、こうも思います。

あの輝ける日々、色褪せない情景、わたくしにとって何よりも大切な、黄金の記憶……


それが凄烈で、凄惨で、目を背けるような悲劇を内包していたことも踏まえた上で、やはり振り返ってみれば美しいと……楽しく、幸せで、夢のようなものであったと、わたくしは思うのでございます。


ああ本当に、なんと愛しく誇らしい、わたくしの愛した物語。惚気はしないと言った傍からこのような……どうかお許しください。今、香澄の心は娘の頃に立ち返りつつあるのです。


そう、筆を止めれば聴こえてくる、深々と積もる雪の音。それに既知を覚えるのです。


ええ、輝かしく、二度と届く事のない、共に過ごした物語を読み解くたびに。


この文を読み終えたとき、あなたがどのような感想を持ったか、よければお聞かせ願いたく、これより逸史を紐解いていきたいと思います。


そう、あれは、新春の候。今と同じく、雪の降る都が始まりでした。


我々の出逢い、我々の定め、思えばあの瞬間に、総ては決まっていたのかもしれません。


春が来れば、この雪も消え去るように。


狂い咲く、刹那の向日葵が散りゆくように……


もうお分かりになった方も多いでしょう。しかし伏せておきましょう。答えは文の節々に書きつくられているでしょうから。


ーーーでは、あの御方の名前から、話していきましょうか。

彼の人はーーーーーー

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