不定形な墓石
あの恐るべき影を見てから1年後だったろうか。両親には学業に専念する様にと、夜歩きの趣味を止める様に注意を受けていた時期だ。
そう、私は夜の散歩を未だ辞めるという事をしていなかった。それについては、自分を責めるつもりは無い。既にそれは、探究心や異界に触れるために行う物では無く。恐怖を忘れさるために行う物になっていたからだ。
夜歩きを恐怖を忘れるための方法にするとは、可笑しな事であると思われるかもしれないが、当時の私は廃工場で見たあれを幻覚か何かであると考える様にしていたのである。それゆえ、私が続ける夜の散歩は異質な物を見つけるためでは無く、その様な物が無いという事を確認する作業になっていたのだ。
私が好んで歩いたのは、オカルトじみた噂がある場所であった。その様な場所を歩き、そこに噂される様な物が無い事を知る。馬鹿げた行動であるが、その行動でしか安心を得られない程、あの影を私は恐れていた。
だから、私はあの廃工場に二度と近づいていない。それが私の恐怖を払う唯一の方法であると知りながらである。あの影をもう一度見てしまう事になれば、私はもう逃げる事ができぬと感じていたのだ
しかし、その行為も無駄に終わる事になる。闇の底に生きる者どもは何も、あの影だけでは無いのだから。
あれは、噂を辿り、幾つかの場所を巡ってきた時だろうか。私は実際に足を運ぶ事で、それらの下らない噂が、すべて本当に噂でしか無い事を知り、どこか気を抜いていたのだと思う。その場所に置いても、どうせ何も無い。あの工場が特別なので。いや、あの工場での事もきっと自分が見た幻想に過ぎない。
私がその時、歩いていた場所は墓場であった。夜に何者かが死体を貪り食うなどと、愚にもつかない噂を小学生程度の子どもがする場所であったが、それが嘘である事なのは、物を知る年頃であれば、誰でも知っている。日本で、墓の下にあるのは骨壺のみであり、死体がそのまま安置される事は無い。
子どもとは時たま、すぐに嘘だとわかる噂を流す。例えば、語り手が死んでしまう噂などはそのもっともな例である。それは子どもが愚かなのでは無く、物を知らないからなのだろう。
だが、時には大人が予想すらしない場所で、子どもは噂を広げる事がある。それは、やはり子どもが無知だからだろうか。むしろ、多感で常識に囚われないその感性は、大人以上に危険に対して敏感で、自らが近づく事を禁ずるために、おかしな場所についての噂を広めるのかもしれない。
私か歩いていた墓場も、思い返してみればそういった場所の一つだったのかもしれぬ。しかし、その時の私は気の抜けた感情で、そこが危険な場所である事など思いもしなかった。
夜の闇の中で、幾つもの墓石に囲まれ、まるで迷路の様になった道を私は歩く。墓場と言っても、小さな土地であり、近くには街灯で照らされた道路が走っている。大して怖くも無かった。今日の散歩でも、私は怪異とは縁の無い結果に満足する事になるだろう。そう思っていた。
墓場の中は人影が無い。当然だ。夜の墓場に来る者など、私の様な人間以外、誰が居ると言うのだ。私自身も、それ程ここに長居する気も無かった。ここはそれほどに平凡だったのだ。何かが出そうな雰囲気も無い。あの廃工場とは大きな違いである。
だからだろうか、私は、もう少し、変わった物を探す気になったのである。変わった物と言っても、今回の散歩の区切りがあれば良い程度の考えであり、本当に不気味な物には係わりたく無いというのが本音であった。
私は夜の墓場を見渡す。墓場の奥まで来ているが、まだ反対側には街灯の光が見え、そこに道路がある事がわかる。これでは少し台無しだなと、落胆とも安心ともつかない感情が芽生える中、変わった形をした墓石に目が行く。
少し距離があり、ここからでは他の墓石によって所々見えない部分があったが、墓石は他の角張った形をした墓石とは違い、球を三つほど縦に並べた形をしているのがわかった。まるで団子の様な形のそれは、墓石だと言うのにどこかユーモラスな雰囲気を漂わせている。
あれを今回の散歩の区切りにするのも良いかもしれない。私はその墓石に近づいていく。近づくにつれ、他の墓石で隠れていた部分も良く見える様になる。丸い団子の部分は普通の墓における塔に当たる部分であり、下側には丸い部分を支える台座がある。台座自体も変わった形をしており、三角形を複数合わせて、無理矢理、球部分を支えている印象を受ける。三つ球の上には傘があるが、全方向に傘が広がっているのでは無く、なんとも言えない不安定な比率で、あちこちに広がっている部分もあれば、球の天頂あたりまで、縮んでいる部分もある。
何より不思議なのは、その墓石と他の墓石のある土地を遮る柵である。柵と言っても、子どもの足でさえ、一跨ぎできそうな背の低い物であるが、入り口が一つとして無い。正面方向という物が良くわからない墓石なので、歩いて一回りしてみたのだが、柵の開いている場所が存在しなかった。まるで、入ることを禁じている様である。
この墓石の中に居るのは誰で、いったい誰が作ったのか。そんな疑問に動かされる形で、墓石を見ようとするも、文字が書彫られている部分は見当たらない。これでは誰の墓なのかわからないでは無いか。私はつい、柵を超え、墓石が建っている土地の中へと踏み入れてしまった。
少し、空気が変わった気がする。私はあの廃工場と似た雰囲気を感じ取ってしまったのだ。当然、私はその場を逃げたくなる。しかし、すぐに足を墓場の外へ向けなかったのは、もし、この場で怪異を見ることが無かったのなら、廃工場のアレも幻覚として忘れさってしまえるのでは無いかと考えたからだ。
私はもう少し近くで、墓石を観察する気になった。形は不定形であるが、材質を見た限りでは、他の墓石との違いは無い様である。
だが、どこか違和感があった。何故だろうか、この墓石の形に起因する物である事はわかるのだが。さらに調べてみようと、手を伸ばして墓石に触れようとした瞬間、私の頭の中で嫌な連想が浮かんできた。
最初に見た時、これはこの様な形であっただろうか。そんな思考に囚われたのだ。頭頂部の不可思議な傘も三つの球も支えである複数の三角形も、すべて見た時とは変わらない。
だが、傘が広がる向きはこの方向だっただろうか、球の順番はこれであっているだろうか、三角形の数が増えてはいないのか。そんな考えばかりが私の思考を占領していく。
もう限界であった。もしこの墓石を怪異だと認めてしまえば、私はどうにかなってしまいそうである。
私は振り返り、墓場を出ようとした瞬間、私の思考は完全な混乱状態に陥った。墓石を囲んでいたはずの柵が無くなっているのである。
柵は確かにそこにあったはずだ。しっかりと確認し、わざわざ足を上げて墓石まで近づいたのだから間違えようはずが無い。
私は足早に墓場を出ようとする。少し行けば街灯に照らされた道路が見えるはずだ。きっと、柵も自分が見落としていただけで、開いている部分があったのである。自分が振り返った時に見たのはそれだ。あれは形が可笑しなだけで、他は普通の墓なのだ。そうに違い無い。
私は必死に自分を保つための考えばかりを、そのちっぽけな頭に巡らせながら、必死に墓場の出口を目指す。
その内にようやく、墓場の異変に気がついた。この墓場はそれ程大きくないというのに、何故、出口が見えない?見えなくとも道路の街灯の光はここまで届くはずだ。なのに、あたりはいつのまにか闇に包まれている。
ここはどこだ、自分は小さく平凡な墓場に来たはずだ。辺りを見回す、そこに当然は墓石が並んでいる。だが、その墓石の中には不釣合いな球形が混じっていた。あの不定形な墓石である。あの方向にあっただろうか、自分は何時の間にか帰る方向を間違えてしまったのか。そう思いながら、別の方向を向く。そこには先ほど見た景色と同じように角張った墓石の中に、球形の墓石が“幾つも”存在していた。
私の頭の中の混乱は恐慌へと変わる。これは私が狂っているからだ。墓場が広くなったり、あの墓石が増えたりなどするものか。私は走り出す。もう方向などは考えても居なかった。小さな墓場であるはずだ、どの方向だろうと外に出るのは容易いはずなのだ。
そう考え、走りながらも、私は意識してあの球形が視界に入れない様に動いていたと思う。まるで、墓石から逃げる様にだ。
それが功を奏したのか、墓場の外が見えてきた。これでやっと助かる。そう思った私の頭は絶望に染められる。街灯に照らされているはずの外はただの闇であり、あの墓石を遮っていたはずの柵が、今は墓場と闇の間に存在していた。
柵はまるで私を逃がさない様に、墓石を囲んでいた時よりも高く墓場を囲んでいる。その時の私の感情を説明するのは難しい。ただ、何かわけのわからぬ事を叫びながら、柵へと突進していた。
柵に手を掛け、一気に闇の中へと飛び込んでいく。この恐怖の場と化した墓場以外の場所であるなら、例え闇の中だろうと構わない。恐らくはそういった考えだったのだろう。
気がついた時、私は墓場の外の道路に居た。どうやら柵を跳び越えた時に足を挫いたらしく、ズキズキと痛んでいるが、それよりも光のある場所に出れた事が無性に嬉しかった。墓場を振り返るも、そこにはいつも通りの平凡な墓があるばかりであった。
私は足を引きずりながら、家へと帰る。家では私の破れたズボンを見て、怒鳴りつけてくる母が待っていたが、それすらも日常を感じさせる物であり、私はようやく安心を感じる事が出来たのである。
暫くしてから、あの墓場を見る機会があった。夜に近づくなどは到底できず、当然、日が十分に差している時間帯である。
そこには相変わらず、平凡で小さな墓場があるだけであったが、あの夜見た球形の墓石はどこにも存在していなかった。
私が見落としたのか、それとも打ち壊されたのか。深く考える事はしなかった。ただ、夜になれば、また、あの墓石がこの墓場に立っている様な気もするのだ。
私は墓場を見る度に、あの夜、墓場から逃げようと、必死で柵を越えた時の事を思い出す。あの時、柵に手を掛けた瞬間の事を。その時、手に伝わった感触は、石の無機質なそれで無く、グニャリとした、まるで生物の様な感触であった。