いじめに負けない未来のための教育〜伝統と誇りあるある進学校の振る舞い〜
「先日、26日のことですが、我が校の生徒の一人である、久山一樹くんが、校舎から飛び降りて自殺しました」
落ち着いた声だった。全校生徒は早朝、1時限目の前に緊急の全校集会で集められて、校長の言葉を聞いていた。
生徒たちの顔は険しい。朝早くに、自分たちの勉強の時間を奪われて、死んだ人間のためにとことん権利を侵害されている。
ーー死ぬなら一人で勝手に死ね、迷惑なーー
「久山くんは校舎から飛び降りる前に、何度も異常な行動をとっていました。メディアは取り上げていませんが、彼は六カ月前から、担任の先生の勧めで心療内科に通っていました。そうです、彼はいわゆる、メンヘラであったのです」
校長の声は淀みなく、声は詰まることがない。
「自殺の数日前には、生徒指導の池沼先生を非難する、内容証明郵便を学校に送りつけるという嫌がらせをしていました。また、飛び降りる前に、学校と自宅に遺書を書き残していました。もちろん、学校に、そんな遺書は残っておりません。『僕の遺書が見つからなかったとしたら、それは学校側の隠蔽工作である』などと遺書に書いていたようですが、いかに彼が異常であったかが明らかでしょう」
校長が、ピンク色の舌をぬめぬめと唇に這わせて言う。
「彼は遺書に、自殺は野球部員からの嫌がらせであると告発しています。また、池沼先生から、人格攻撃に及ぶ激しい叱責があったと。このように残しています。何一つ、証拠がないにも関わらずです」
校長は、自分の言葉に少し顔をしかめた。自分の言葉に、自分で憤りを感じたかのようだった。
「池沼先生は知っての通りこの学校のOBであり、長年に渡りこの東高校に多額の支援をしてくださっている、人格者であります。彼が教育熱心であることは、この学校の生徒であれば、誰もが認めることでしょう。久山くんは、自分が怠けていることを誤魔化し、心療内科の診断書を葵の御紋のように振りかざして、甘えようとしたのであります。確かに池沼先生の教育熱心が、過ぎることはあり得たでしょう。しかしそれは、彼の自殺の直接の原因とは言えないはずです。野球部にしてもそうです」
再び、言葉を切る。用意されていたペットボトルの水を飲んだ。
「わが東高校は伝統ある公立高校であり、県下トップクラスの進学率を誇ります。数多くの生徒たちを旧帝大に送り込んできた進学校であると同時に、スポーツ推薦で数多くの才能ある生徒たちを集め、文武両道を実現しています。野球部員は、勉強ができないなりに努力し、甲子園にも何度も出場しています。たかが一人、どうでもいい劣等生が自殺した程度のスキャンダルで、この学校は汚されることはありません」
彼は、胸を張った。
「久山くんは、自殺しました。死は敗北であります。臆病者の逃げであります。そして何より、その生を手放したという事実は、彼が自分の未来を捨てたことにほかなりません。では、そんな彼の我儘に我々の、あるいは彼や、遺族たちの言う『加害者』の栄光ある未来が閉ざされていいものでしょうか。我々は、必要最小限の調査で、このスキャンダルを迅速に解決することを、この学校の校長として、教育者として約束いたします」
「早速、顧問の山岡先生が聞き取り調査をしてくれたのですが、確かに、野球部と久山くんとの間で、ちょっとしたトラブルはあったようです。しかしそれは、久山くん側が自分の成績を鼻にかけ、部員たちをバカにしたことによる、自業自得であったことがわかっています。それを、学校を貶めたい彼が、命を賭して、『野球部から集団暴行を受けた』とか『私物を損壊させられた』とか告発したわけであります。しかし私はあえて言いたい。その程度は日常茶飯事であるし、それは命をかけるに値しない、些事であると。ちょっと話し合いをすれば、仲直りできるし、お互い悪ふざけであったとわかりあえる程度のことであります。それを、この伝統ある我が校に対して悪意を振りまき大ごとにしているのは、死んだ久山くん側だと言えるでしょう」
「さて、野球部のキャプテンに登壇してもらいました。彼は久山くんと同じクラスメートだったので、彼に野球部を代表して、その立場を表明してもらいたいと思います」
坊主頭の青年が、ニキビを掻きながらステージに上がった。ピカピカに洗濯した野球部のユニフォームを着ている。
「久山くんが、僕たちを誤解したまま死んでしまったのは、大変悲しく思います。僕らは、勉強ができる彼と、ちょっと仲良くなりたくて、彼が読んでいた本や、教科書を借りたり、ちょっと隠していただけです。久山くんは、いちいち大げさにして、騒ぎ立てて、そして、死んでしまいました。僕は、大事なクラスメイトを失ってしまって悲しく思います。でも、同じくらい、僕たちの大事な仲間である、野球部員を傷つけているのは許せません。校長先生や、東高校、そして、教育委員会の力を借りて、僕は断固として、この誹謗中傷と闘いたいと思います」
「よく言った!」
校長が拍手した。体育館に、さざ波のように拍手が広がっていく。
「今の決意が聞こえたでしょう。学校のために、皆さんにも、協力してほしいと思います。ここで何が起きていたのか、部外者は何も知らないくせに学校を攻撃するでしょう。マスコミや、インターネット、SNSなどもそうです。ですが我々は、彼らと違って暇人ではない」
「進み続けるのです。そうすれば、連中はいずれ忘れます。我々は生きていて、悪意ある久山くんは死んでいます。死者のために割く時間などありません。彼にはもう未来はありませんが、我々にはあるのです。彼らは所詮、ショッキングな出来事に大騒ぎしたいだけの、無責任な野次馬です。口先だけの哀悼で、勝手に怒り狂う、狂犬と言ってもいい。時間が解決してくれます。誰も我々の責任を問うことはできません。我々が、彼を殺したわけではありません。彼の自殺と我々の間には、何の因果関係もないのです。彼一人と、多くの関係者の未来を天秤にかける必要が、どこにあるでしょう。所詮は終わったことです。それでも騒ぐのは、お金が欲しいからです。スキャンダルはお金になるのです。誰も正義感など持ち合わせていないのです。久山くんが何を期待していたとしても、たかだか一人の人間の命は、何かを変えるには到底足りないものであると、知ることになるでしょう。それでは皆さん、最後に2分間の黙祷をして、久山くんに別れを告げることにしましょう」
ーーそして、彼の分まで、しっかり勉強しましょうね!
小学生に対する呼びかけのような冗談に、生徒たちはどっと笑った。校長が目を閉じた。池沼が黙祷、と怒鳴った。山岡は数珠を持って手を合わせる。野球部のキャプテンは、くしゃくしゃになるまで帽子を握ったまま、壇上から部員たちを睨みつけていた。
生徒たちはうつむき、そして、あくびをこらえた。




