第7話 嘘でしょう!? ドレスが買えないなんて
目の前に座る豪奢なドレスの女性が「アルカディアの第一王女エルザ殿下」だと紹介された瞬間、紅茶のカップを取り落としそうになった。
応接室。金色の刺繍が入ったドレスの女性が、扇子越しにこちらを値踏みしている。切れ長の目はレオンハルトにどこか似ているが、こちらはずっと饒舌そうな顔だ。
「堅苦しい挨拶は省くわよ。ルシアナ嬢。──私、今日はあなたに国としての取引を持ちかけに来たの」
「取引……でございますか」
「ええ。レオンから送られてきた小さな軟膏ね。あの野鳥の怪我を治したやつ」
あの夜の薬。レオンハルトはあれを、わざわざアルカディアに送っていた?
「うちの宮廷魔導師連中に鑑定させたの。──結果が出た瞬間、研究部門のじいさんたちが三人がかりで私の執務室に押しかけてきて『殿下、この製作者を国の予算で囲ってください、いやお願いします、頼むから他の国に取られる前に』って。見ものだったわよ、あの禿頭の三人が揃って土下座するの」
殿下、その話し方は王族として──いやそんなことはどうでもいい。
「あなたの作る魔法薬は、騎士団の負傷兵の生存率を劇的に上げる戦略物資になり得るの。国家特許として、相応の金額で買い取りたい」
特許。国家の戦略物資。
もう一度、言葉が頭の中で空回りした。あの雑草を潰して練っただけの薬が、戦略なんとか?
「恐れ入りますが、殿下。私の作ったものは本当にただの──薬草を潰して練った程度のものでして。特許というような大層な」
「ルシアナ様」
壁際にいたレオンハルトが口を開いた。
「その……あなたが作ったものは」
言葉に詰まっている。姉の前だからか、いつもより余計に不器用だ。
「雑草の、絞り汁などでは、ない」
──それだけ? もうちょっと何か言ってくれないと、私にはわからないんだけど。
「あなたの技術は──その」
「はいはい、レオンは相変わらず口下手ね」
エルザ殿下が扇子で弟の発言を遮った。
「要するにね。うちの国の最高峰の魔導師六人がかりでも再現できなかった精度の薬を、あなたは道端で三十秒で作ったの。それが『凡庸』だと思い込まされていたのは、あなたの元夫が無知で傲慢だっただけよ」
言葉が、内臓に直接落ちてきたような感覚だった。
三年間言われ続けた「趣味でしょ」「ただの雑草汁」「そんなくだらないことに時間を使うな」とのアレクシスの声がこびりついている。洗っても洗っても取れない汚れみたいに。その声を、自分でも信じてしまっていた。
──でも。
目の前の王女には嘘をつく理由がない。宮廷魔導師の鑑定結果がある。レオンハルトは口下手なりに、必死に否定しようとしている。
視界がぼやけた。泣くなよ。ここ王族の前だぞ。
「……ありがとうございます。私の……作ったものに、そこまで」
声が震えた。堪えきれなかった。
レオンハルトが一歩近づいて、私の肩に手を置いた。何も言わなかった。ただ、大きな手のずっしりした重みが、肩を通じて「泣いていい」と言っている気がした。
契約書にサインが交わされた。金額を見て、一瞬目が点になった。──生まれて初めて、自分の名前の口座に、自分だけのお金が入った。伯爵邸では持参金も小遣いも全部アレクシスに管理されていて、自由に使えるお金は一銭もなかったのに。
指先が震えた。嬉しいのか怖いのか、区別がつかない。
◇◇◇
「ちょっと! 今月のドレス代はどうなったの!」
伯爵邸。オフィーリアの声に、アレクシスは机を拳で叩いた。
「少しは我慢しろ! 魔法士の外注費で予算が──」
「嫌よ! お姉様がいた頃は何でも買えたじゃない!」
アレクシスは引き出しの奥から羊皮紙を取り出した。以前、ルシアナが「リスクが高すぎる」と反対し封印していた海外貿易の投資案件。今度こそ上手くいく。上手くいかなければならない。見栄と焦りに突き動かされて、契約書にサインを殴り書きした。
◇◇◇
私邸の玄関先。帰り際の馬車に足をかけたエルザ殿下が、ふと振り返った。
「ああ、そうそう。ルシアナ嬢」
「はい」
「ところであなたの元ご主人、うちの国の商会にずいぶん杜撰な投資話を持ちかけてきてるらしいの。──近々、盛大にひっくり返るかもしれないわね」
笑いながら去っていく馬車を見送って、私は長いこと立ち尽くしていた。




