第5話 捨てた、とはどういうことだオフィーリア!
「捨てた、とはどういうことだオフィーリア!」
伯爵邸の執務室。アレクシスの怒声が壁に反射した。
「だって、お姉様が残した紙、数字ばっかりで気味が悪いの。呪いの暗号みたいだったから暖炉に入れちゃった」
オフィーリアは新しいリボンの端をくるくる巻きながら、欠片も悪びれていない。
「あれは帳簿の解読表だと言っただろう!」
「解読表って何? 食べるもの?」
アレクシスは頭を抱えた。
ルシアナの書類は「完璧」だった。ただし三年かけて構築した独自の圧縮体系は、解読表なしでは──基礎教養すら怪しいアレクシスはもちろん、この屋敷の誰にも読み解けない。
そしてその鍵は灰になった。
「旦那様!」
セバスチャンが青い顔で駆け込んできた。
「秋の初収穫ですが、各村に保管魔法薬を配布する指示がどこにもありません。このままでは──冬を越す作物の半分が腐ります」
「何だと? そんな薬の手配など、俺は一度も」
「ルシアナ様が毎年、この時期に独自の調合で無料配布しておいででした。三日で終わらせていた作業です」
「呼び戻すなど、ありえん!」
机を叩いた。──自分の無能を突きつけられるのが耐えられない。あの地味な女にできたことが、自分にできないはずがない。
「王都の魔法士ギルドに外注を出せ」
「費用が──」
「俺の言うことが聞けんのか!」
セバスチャンが黙って頭を下げ、退出した。
一人になった執務室で、アレクシスは胃を押さえた。最近、何を食べても味がおかしい。塩が多すぎるか、冷えているか、その両方。ルシアナが厨房に出していた献立指示が消えたことを、彼はまだ知らない。
(あんな女がいなくて困ることなど何もない。すぐにうまくいく──)
◇◇◇
同じ頃、王都。レオンハルトの私邸のテラス。
日が射して、白いテーブルクロスの上に影がちらちらしている。焼き菓子の皿。ハーブを浮かべた紅茶。
温室で育てたハーブの苗がもう根付き始めていた。こっちの土は伯爵領より肥えているから、育ちが早い。新しい配合を試したくて、朝から温室に籠もっていたら、あっという間に午後だった。
「……うん」
向かいでカップを傾けていたレオンハルトが、何か頷いた。
「何がですか?」
「いや。……茶が、旨い」
短い。言葉が短い。でも、カップを持つ手がゆるんでいるのを見ると、本当に美味しいんだろうなと思う。この人の感想は語彙が少ないけど、その分ちょっとだけ信用できる気がする。
自分の頬が温かい。紅茶のせいだ。日差しのせいだ。──他に理由はない。
(勘違いしてはいけない。有能な補佐官への労い。それだけ)
三年かけて学んだことがある。期待しなければ傷つかない。
「恐れ入ります。お口に合うなら何よりです」
無難に微笑もうとした時、執事が血相を変えてテラスに駆け込んできた。
「旦那様! 王家より、第一王女エルザ殿下がお忍びの馬車で──門前にお越しです!」
「姉上が」
レオンハルトが立ち上がった。一瞬、面倒くさそうな──いや、苦い顔をした。
姉上。王女。
慌ててカップをテーブルに置いた。エプロンに薬草の汁がついたままだ。こんな格好で王族にお目にかかれるわけがない。
──なのに、考えるべきはそこではなく。隣国の王女が、なぜこんな場所に来るのか。




