第13話 役目は終わりましたね
「殿下……? 王子、殿下……?」
アレクシスの声が、がらんどうの天井に反響した。膝が折れて、大理石の床に両手をついている。誰も助けない。
「レオンハルト殿下」
国王陛下が、静かに口を開いた。
「我が国の伯爵が、アルカディア殿下の庇護下にある令嬢に無礼を働いたこと、国王として遺憾に思う」
「お気になさらず、陛下。ですが──この場を借りて、明らかにしたいことがあります」
レオンハルトが合図すると、控えていたアルカディアの文官たちが長机を運び込んだ。分厚い書類の束が並ぶ。
「これは、私が内偵の一環としてロードストーン伯爵家に身を置き、アルカディアの査察権限に基づき複写した帳簿と、使用人からの証言録です」
書類が開かれた。
そこに記されていたのは──ルシアナが破綻寸前の領地をどう立て直したか。税収の仕組みをどう一から構築したか。そしてその全てをアレクシスが横取りし、彼女に冷えた食事と六畳の小部屋しか与えなかった三年間の記録。
会場にどよめきが走った。
「お、お待ちください! 彼女は私の妻です! 夫のために妻が働くのは当然でしょう! ルシアナ、お前からも──」
アレクシスが床を這って、私の足に縋りつこうとした。
──不思議なほど、何も感じなかった。
憎しみでもなく、悲しみでもない。哀れみですらない。もう通り過ぎた道だ。
私は彼を見下ろした。
出会った日と同じ。あの執務室と同じ。完璧な微笑みを浮かべた。
「私はただの身代わりにすぎませんでした。離縁の合意書は既に成立しております。私に伯爵家を立て直す義務はございません」
一拍。
「あなたのご健勝を、心よりお祈りしておりますわ」
あの時と同じ台詞。同じカーテシー。──でも意味が、全く違う。
あの日は「諦めたから出ていく」だった。今日は「自分の足で立っているから、もうあなたは要らない」だ。
「ルシアナ……っ!!」
アレクシスの絶叫を、衛兵が引きずっていった。
国王はロードストーン伯爵家の取り潰しと、不正の精査を命じた。アレクシスとオフィーリアがどうなるかは──もう、私の知る話ではない。
◇◇◇
バルコニーに出ると、冷たい夜風が頬に当たった。
王都の灯りが眼下に散らばっている。遠くで犬が吠えた。虫の声がする。
肩が寒い、と思った瞬間──ふわりと、布が掛けられた。
あの夜と同じだ。馬車の中で外套を掛けてくれた時と。日なたに出しっぱなしにした布みたいな、素っ気ない匂い。
「疲れたか」
「少し。いろいろなことが一気に終わりすぎて……」
「よく、頑張った」
この人はいつも短いだ。でも、その言葉の重みが、他の誰よりも重い。
隣に立って、星空を見ていた。しばらく黙っていた。
「ルシアナ様」
「はい」
「俺が王族であることで、また君に……重たいものを背負わせてしまうかもしれない。それが──」
最後まで聞かなかった。
背伸びをして、彼の首に腕を回した。びっくりした顔をしている。目を見開いて、両手が宙に浮いている。──抱きしめ返し方がわからないのか、この人は。
「これは契約じゃありません」
笑った。完璧なカーテシーの笑顔ではなく、ちょっと目が赤くて、鼻の頭も赤くて、多分かなりみっともない顔。
「私が、あなたの隣にいたい。──私の、我が儘です」
彼が、ようやく両腕を下ろした。背中に手が回った。力の加減がまた下手で、ちょっと痛いくらい強い。
「……とんでもない我が儘を、拾った」
声がかすれていた。泣いているのかと思って見上げたら、泣いてはいなかった。でも目が赤い。
額と額が触れた。そのまま──不器用で、角度が合わなくて、鼻がぶつかって、二度目でようやくちゃんと唇が重なった。
冷えた夜風の中で、そこだけが温かかった。
伯爵邸の離れの小部屋で、冷えたスープを一人で啜っていた女は、もういない。
温かい場所を、自分の手でつかんだ。
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