表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

追放された公爵令嬢は、森で幸せな農園を築く〜隣国の王子は後悔で頭を抱える〜

作者: W732

 第一章:地味令嬢の屈辱と辺境への追放

 王都の中心にそびえる、きらびやかな王宮は、今日も華やかな社交界の喧騒に包まれていた。公爵令嬢セシリア・アストリアは、その片隅でひっそりと紅茶を啜っていた。アストリア公爵家という名門の出身でありながら、彼女は社交界では常に「地味」「華やかさがない」と影で囁かれる存在だった。派手なドレスを身にまとうこともなく、流行のゴシップにも興味を示さない。政治的な駆け引きには疎く、舞踏会で目立つことよりも、読書や庭の手入れを好んだ。


 特に、婚約者である第一王子エドワードからは、その控えめな性格と、王族として必要な「華」や「社交性」に欠ける姿勢を露骨に見下されていた。エドワードは、銀色の髪に端正な顔立ち、そして常に自信に満ちた笑みを浮かべる、絵に描いたような王子だった。しかし、その内面は傲慢で、自分の意に沿わないものには容赦なかった。


 ある麗らかな午後、セシリアは王宮の中庭に呼び出された。そこで彼女を待っていたのは、エドワード王子と、彼の隣に立つ一人の伯爵令嬢、リリアン・ヴェルヌだった。リリアンは、燃えるような赤毛と、媚びるような大きな瞳を持つ、社交界で最も人気の高い女性の一人だった。彼女はセシリアを見るなり、勝ち誇ったように微笑んだ。


「セシリア。君に伝えたいことがある」

 エドワードは、何の感情も込めない声で言った。彼の声は、まるで事務的な通達でも読み上げるかのようだった。

「この度、私はリリアン嬢と婚約することになった。よって、君との婚約は、本日をもって破棄する」

 セシリアの心臓が、ドクンと大きく鳴った。まさか、と、夢であってほしいと願うような現実が目の前で繰り広げられている。

「…殿下?」

 絞り出すような声で問うセシリアに、エドワードは冷酷な言葉を浴びせた。

「君のような地味な女では、王妃としては相応しくない。王妃には、華やかさ、社交性、そして何よりも、この国の象徴として輝く存在が求められる。残念ながら、君にはそれが欠けている」

 リリアンは、エドワードの腕にそっと手を添え、セシリアを嘲るように見つめた。その瞳には、「私の勝ちよ」と明確に書かれているようだった。


 セシリアは、その場で膝から崩れ落ちそうになった。屈辱。恥辱。そして、これまでの努力が、全て無駄だったかのような絶望感。彼女は必死に顔を上げ、エドワードの目を見つめた。

「…私は、王妃に相応しくないかもしれません。ですが、私は、殿下の隣に立つ者として、この国の民のために、私にできる限りのことを…」

「もうよい!」

 エドワードは、セシリアの言葉を遮った。

「言い訳は聞きたくない。君は、明日にも王都を出て、辺境にある『忘れられた領地』へ向かえ。そこがお前の新しい住処となる」

「忘れられた領地」―その名は、王国民であれば誰もが知る、かつて謀反を起こした貴族の領地だった。そこは長年手入れされず、荒れ果てた森に囲まれ、村一つない、まさに「忘れられた」場所だった。それは、セシリアに対する、最大限の屈辱と見せしめだった。


 翌朝、セシリアは、長年アストリア家に仕えてきた老執事のアルフレッドと、数人の忠実な従者と共に、王都を後にする馬車に乗っていた。豪華な王都の門をくぐる時、彼女の耳には、遠くから聞こえる人々の嘲笑の声が届いた気がした。

「あの地味な公爵令嬢が追放されたらしいぞ!」

「あんな地味じゃ、王子も愛想を尽かすわよね!」

 胸が締め付けられるような痛みに、セシリアはそっと瞳を閉じた。彼女の心は、深い傷を負っていた。


 馬車はゴトゴトと揺れ、舗装されていない道を延々と進んでいく。王都の賑やかさとはかけ離れた、荒涼とした風景が窓の外に広がっていた。数日後、彼らは目的地である「忘れられた領地」へとたどり着いた。

 そこは、鬱蒼とした森に囲まれた、まさに「忘れられた」場所だった。かつて領主の館だったらしい建物は、屋根が崩れ、壁には蔦が絡まり、完全に廃屋と化していた。村一つないどころか、人の気配すらない。土地は痩せこけ、見るからに荒れ放題だ。

 アルフレッドは、その光景に絶望の表情を浮かべた。

「お嬢様…これは…あまりにも…」

 従者たちも、顔を青ざめさせ、打ちひしがれていた。彼らが想像していた以上に、悲惨な場所だったのだ。


 しかし、セシリアは、ぼんやりと廃屋を見つめていた。その時、彼女の脳裏に、突如として鮮明な映像が蘇った。それは、この世界の記憶ではない。遠い、遠い昔の、「前世」の記憶だった。

 彼女は、前世では日本の平凡なOLだった。だが、実家は代々続く農家で、週末にはよく手伝いをしていた。土を耕し、種を蒔き、作物が育つのを見守る。季節ごとに異なる野菜や果物を収穫し、その恵みを味わう。それは、彼女にとって、都会での忙しい生活の唯一の癒しだった。土壌改良、作物選び、簡易な灌漑システム、病害虫対策…。頭の中に、前世で培った農業の知識が洪水のように流れ込んできた。


 セシリアは、荒れた土地を見つめ、静かに呟いた。

「アルフレッド…」

「はい、お嬢様」

「私たちで、この土地を耕しましょう」

 アルフレッドは目を丸くした。

「しかし、お嬢様…このような荒地を…」

「大丈夫です。私には、できる気がする」

 セシリアの瞳には、かつて王都で嘲笑された「地味さ」とは違う、確固たる決意の光が宿っていた。彼女の心に、かすかな希望が芽生え始めていた。「この知識を使えば、もしかしたら、この荒れた土地でも…」


 その日から、セシリアと従者たちの、地道で過酷な開墾作業が始まった。彼らはまず、廃屋から使えるものを探し出し、最低限の寝床と、雨風をしのげる場所を確保した。そして、森の木々を伐採し、痩せた土壌を掘り起こす。石を取り除き、雑草を抜き、耕していく。

「お嬢様!こんな重い鍬を…!」

 アルフレッドは、ドレス姿で泥まみれになりながら、一心不乱に作業をするセシリアを見て、涙ぐんだ。王都では、指一本動かすこともなかった公爵令嬢が、今や誰よりも泥だらけになって働いている。

 セシリアは、慣れない農作業に戸惑い、手はすぐにマメだらけになり、全身は筋肉痛で悲鳴を上げた。だが、土に触れる感覚、汗を流す充実感、そして何よりも、荒れた土地が少しずつ耕されていく喜びが、彼女の心を深く癒していった。

「見てください、アルフレッド!ここまで耕せました!」

 彼女の顔には、王都では見せることのなかった、泥だらけだが充実した笑顔があった。

 セシリアは、前世の記憶を頼りに、まずは堆肥を作ることから始めた。枯れ葉や落ち葉を集め、馬車の荷台に残っていたわずかな食料の残渣を混ぜて発酵させる。そして、その堆肥を痩せた土壌に混ぜ込んでいく。地道な作業だったが、彼女は諦めなかった。

「土は、嘘をつきませんから。手をかければ、必ず応えてくれる」

 彼女は、前世の祖父の言葉を思い出しながら、黙々と作業を続けた。


 数週間後、小さな畑が完成した。セシリアは、持参したわずかな種子と、森で採取した野草の種子を丁寧に蒔いた。

「どうか、芽が出てくれますように…」

 彼女は、祈るように土を見つめた。

 やがて、小さな緑の芽が、ひょっこりと土から顔を出した時、セシリアは、王都で婚約破棄を告げられた時よりも、ずっと大きな感動に包まれた。

「芽が出たわ…!本当に…!」

 彼女の瞳から、喜びの涙がこぼれ落ちた。それは、絶望の淵から這い上がり、自らの手で未来を切り開く、新たな一歩だった。王都で得られなかった、真の喜びが、この荒れた辺境の地で、彼女の心に芽吹いていた。



 第二章:奇跡の農園、芽吹く幸せ

「見てください、お嬢様!トマトがこんなに大きく!」

「わぁ!ハーブもこんなに良い香りがします!」

 セシリアが辺境の地で開墾を始めてから半年が経った頃、彼女の小さな畑は、見事なまでに成長していた。前世の記憶を頼りに、この地の気候や土壌に合わせた作物を探し、試行錯誤を繰り返した結果だった。


 セシリアは、徹底した土壌改良を行った。枯れ葉や落ち葉、自生する野草を刈り取り、それらを混ぜ合わせて作った堆肥を、痩せていた土壌に惜しみなく混ぜ込んでいった。また、近くの小川から水を引いて簡易な灌漑システムを構築し、効率的に水やりができるように工夫した。さらに、作物を連作しないよう、輪作を取り入れ、土地の栄養バランスを保った。

 初めて収穫したトマトは、太陽の光をたっぷり浴びて真っ赤に熟し、口に含めば甘く、そして深い旨味が広がった。ミントやバジルといったハーブは、鼻腔をくすぐる爽やかな香りを放ち、料理に彩りを添えた。

「こんなに美味しいトマト、王都でも食べたことがありません!」

 従者たちは、セシリアが作ったトマトを頬張りながら、感動の声を上げた。彼らの士気は、日々高まっていった。彼らは、王都の貴族とは全く異なる、セシリアの真摯でひたむきな姿に、心から尊敬の念を抱いていた。


 セシリアは、収穫したての新鮮な野菜やハーブを使って、素朴だが心温まる料理を作り始めた。採れたてのトマトとバジル、そして村で作られたチーズを使ったシンプルなパスタ、ハーブを効かせた肉のロースト、焼き立てのパン。王都の豪華絢爛な料理とは違うが、素材の味が最大限に引き出されたその料理は、従者たちの心を温め、日々の疲れを癒した。

「お嬢様の料理は、本当に心が安らぎます…」

 アルフレッドは、セシリアの料理を口にするたびに、静かに涙を流した。


 セシリアのひたむきな努力と、彼女が作る美味しい作物や料理の評判は、やがて近隣の村々に届くようになる。

 その頃、周辺の村々は、度重なる旱魃と魔物の襲撃により、深刻な食糧不足に苦しんでいた。飢えに苦しむ流浪の民や、職を失った村人たちが、飢えと疲労で倒れ込みながらも、わずかな希望を抱いてセシリアの元へと集まってきた。

「あそこに、食べ物がたくさんあるって聞いたんだ…」

「本当に、助けてもらえるのだろうか…」

 彼らは、荒れた領地の奥に、緑豊かな畑と、人の住む家があることに驚いた。

 セシリアは、彼らを温かく迎え入れた。

「ようこそいらっしゃいました。ここは、誰でも歓迎する場所です」

 彼女は、飢えた人々に、収穫したばかりの作物を惜しみなく分け与え、温かいスープを振る舞った。人々は、その美味しさと、セシリアの優しさに涙を流した。


 セシリアは、集まってきた人々に農業技術を教え、共に農園を開拓することを提案した。

「皆さんの力を貸していただければ、この農園はもっと豊かになります。そして、皆が、この地で安心して暮らせるようになるでしょう」

 人々は、セシリアの言葉を信じ、共に汗を流すことを決意した。彼らは、セシリアの指導のもと、土地を耕し、種を蒔き、作物を育てた。セシリアは、彼らの個々の能力を見極め、適材適所で役割を与えた。力仕事が得意な者には開墾を、手先が器用な者には加工品の開発を、といった具合に。

 農園は「セシリア農園」として活気に満ち、家族のように、互いを助け合いながら、皆が働いた。


 セシリア農園で働く人々は、皆が穏やかで、そして明るい笑顔を浮かべていた。彼らは、毎日収穫したての新鮮な野菜や果物を使った、素朴だが心温まる料理を囲み、共に食事を楽しんだ。

「今日の夕食は、セシリア様が作ってくださった、特製カボチャシチューですよ!」

「わぁ!やったー!」

 子供たちは、歓声を上げて食卓に集まった。

 農園の生活は、王都の貴族たちの派手な生活とは全く異なる、質素だが満たされたものだった。彼らは、金銭的な豊かさではなく、日々の食卓の恵みと、仲間との絆、そして明日への希望に満ち溢れていた。


 その美味しさと、農園全体の幸せな雰囲気は、旅の商人や行商人の口コミで、辺境の村を超えて徐々に広まり始めた。

「忘れられた領地に、奇跡の農園があるらしいぞ!」

「そこの作物は、どんな病気も治るほどの滋養があるとか!」

「そこの主人が作る料理は、食べた者を涙させるほどだ!」

 噂は尾ひれをつけて広がり、やがて王都の美食家の耳にも届いた。美食家たちは半信半疑ながらも、「辺境の奇跡」の真偽を確かめるべく、こぞってセシリア農園を訪れるようになった。

 彼らは、セシリアの素朴な農園料理を口にして、衝撃を受けた。

「まさか…こんな辺境の地で、これほどの『本物』に出会えるとは…!」

「これこそ、真の美食だ!素材の味が、こんなにも力強く、そして優しい…!」

 美食家たちは、セシリアの料理を絶賛し、その評判はさらに広まった。

 セシリア農園は、もはや辺境の小さな農園ではなく、遠方から人々がわざわざ訪れる、「奇跡の農園」として、その名を轟かせ始めていた。セシリアは、その名声には興味を示さず、ただひたすら、目の前の土と、共に働く人々の笑顔のために、汗を流し続けた。彼女の心は、かつてないほど満たされ、充実していた。



 第三章:豊穣の地と王都の飢餓

 セシリア農園は、公爵令嬢が追放されてから三年後、見事なまでに豊かな楽園へと変貌を遂げていた。かつて荒れ果てていた土地は、深々と根を張った作物が茂り、緑と収穫の黄金色に輝いている。四季折々の作物が豊富に実り、品質は王都の御用達品をも凌駕するほどだった。


 広大な畑では、背丈ほどに育った小麦が風に揺れ、太陽を浴びて真っ赤に熟したトマトがたわわに実っている。土の中には、甘くホクホクとしたジャガイモや、栄養満点のカボチャが埋まっている。セシリアは、前世の知識をフル活用し、その地の土壌や気候に合わせた最適な作物を導入しただけでなく、独自の品種改良にも着手していた。例えば、一般的なものよりも甘みが強く、貯蔵性に優れた「黄金トマト」や、通常の三倍の収量を誇る「豊穣小麦」など、彼女が開発した作物は、すでに農園の特産品として確立されていた。


 さらに、温室では、王都では希少価値の高いハーブや、色とりどりの珍しい果物が栽培されていた。これらは全て、セシリアが自ら種を蒔き、愛情を込めて育てたものだった。彼女は、収穫した作物をただ出荷するだけでなく、加工品の開発にも力を入れていた。甘酸っぱい果実のジャム、香り高いドライハーブ、特製のハーブティー、そして、農園で採れたブドウから作られた、濃厚で芳醇な「太陽のワイン」。これらの加工品は、保存性も高く、遠方まで出荷され、セシリア農園の経済的基盤を確固たるものにしていた。


 農園で働く人々は、以前にも増して活気に満ち溢れていた。かつて飢えと不安に苛まれていた彼らの顔には、今や明るい笑顔と自信が満ち溢れている。子供たちは、収穫を手伝ったり、動物の世話をしたり、時にはセシリアの料理の手伝いをしたりと、皆が生き生きと過ごしていた。彼らの生活水準は、もはや王都の庶民どころか、下級貴族よりも豊かになっていた。

 セシリアは、農園の運営だけでなく、彼らの生活全般に心を配っていた。教育施設を設け、子供たちに読み書きや算数を教え、職人技術を習得させる場も提供した。まさに「独立国家」のような、自立した豊かな共同体が、辺境の森の中に築き上げられていたのだ。セシリアは、かつての公爵令嬢の身分を超え、この共同体の、文字通りの「主」として、人々から心から尊敬されていた。


 その頃、セシリアを追放したエドワード王子が治める王都では、全く異なる状況が繰り広げられていた。

 度重なる旱魃が、王都周辺の農作物に壊滅的な打撃を与えていた。主要な食料源であった小麦や米の収穫は激減し、市場には食料がほとんど並ばなくなった。さらに、王宮の財政は逼迫し、食料の輸入もままならない状態だった。

 原因は、エドワード王子の無能な政治手腕にもあった。彼は、民衆の生活よりも、己の享楽と、隣国のリリアン伯爵令嬢とその一族の贅沢な暮らしに明け暮れていた。リリアンは、王宮の財宝を湯水のように使い、豪華なドレスや宝石、そして毎夜の派手な舞踏会に明け暮れていた。彼女の一族もまた、王子の権威を笠に着て、私腹を肥やすばかりだった。

 結果として、王都は深刻な食糧危機に陥っていた。民衆は飢え、子供たちは痩せ細り、物価は高騰し、暴動寸前の状態だった。王宮は混乱の極みにあり、兵士たちが民衆の不満を抑え込むのに必死だった。

 しかし、エドワード王子とリリアンは、未だに自分たちの責任を認めず、高慢な態度を崩さない。

「なぜ民衆はこれほど騒ぐのだ!我々は、国民のために最善を尽くしているではないか!」

 エドワードは、現実から目を背け、民衆の不満を「不敬」として片付けようとした。リリアンもまた、

「わたくしたちが贅沢をすることで、国の威厳が保たれるのですわ!愚かな民どもに、わたくしたちの真意がわかるはずもない!」

 と、高笑いするばかりだった。


 食糧調達に奔走する王国の役人たちは、あらゆる手を尽くしたが、どの国も自国の食糧事情が厳しく、援助を求めるのは困難だった。途方に暮れる役人たちが、わずかな可能性を求めて辺境へと向かう中、遠方の商人から奇妙な噂を聞いた。

「なんでも、忘れられた領地に、奇跡のような農園があるらしい。そこでは、どんな旱魃でも影響を受けない、豊かな作物が実るとか…」

「馬鹿な!あの荒れた土地に、そんなものが存在するはずがない!」

 役人たちは最初は信じなかった。しかし、複数の商人から同じ話を聞き、その情報源が共通して「セシリア農園」という名前を挙げていることに気づいた。

「セシリア…まさか、あの公爵令嬢の…?」

 彼らは驚愕した。そして、その驚くべき豊かさと、そこで働く人々の幸福な暮らしぶりを聞き、希望を見出した。


 報告を受けたエドワード王子とリリアンは、その内容に激しく動揺した。

「バカな!あのセシリアが、そんな農園を築き上げたなどと!?あの地味で無能な女が?!」

 エドワードは、信じられないという顔で報告書を叩きつけた。リリアンもまた、顔を青ざめさせていた。

「ありえませんわ!あの女に、そんな才能があるはずがありません!きっと何かの詐欺ですわ!」

 しかし、役人たちの報告は具体的で、詳細だった。そして、王都の食糧不足が深刻化する中で、その「奇跡の農園」が、国の危機を救う唯一の希望であると、彼らに突きつけられた。

「まさか…あのセシリアが…」

 彼らが追放したはずの女が、国の救世主となりうる現実に、深い後悔の念が芽生え始めた。かつて蔑んだ「地味な女」が、自分たちを窮地から救う存在となるかもしれないという屈辱と、自分たちの愚かな選択が、今の王国の惨状を招いたのではないかという、漠然とした不安が、彼らの心を蝕み始めていた。



 第四章:幸福な無関心と甘いざまぁ

 食糧危機が極限に達し、民衆の暴動が頻発する中、ついにエドワード王子は、最後の手段として、セシリア農園に援助を乞うため、リリアンと共に辺境へと向かうことを決意した。彼の心には、プライドの傷と、一縷の希望が混じり合っていた。


 数日間の旅路を経て、彼らがセシリアの農園に到着した時、目の当たりにした光景に、エドワードとリリアンは言葉を失った。そこは、王都の疲弊した景色とは全く異なる、生命力に満ち溢れた楽園だった。豊かな緑に囲まれた広大な畑には、黄金色に輝く小麦が風にそよぎ、真っ赤なトマトがたわわに実っている。色とりどりのハーブが芳醇な香りをあたりに漂わせ、小さな果樹園には瑞々しい果実が実っていた。


 農園では、村人たちが笑顔で活き活きと働いている。子供たちは楽しそうに畑を駆け回り、収穫を手伝っている。彼らの顔には、飢えや不安の影は一切なく、満ち足りた幸福感が満ち溢れていた。そして、その中心に、泥まみれの作業着に身を包みながらも、誰よりも輝いている女性がいた。

「セシリア…」

 エドワードは、その女性の姿を見て、思わず呟いた。

 そこにいたのは、かつて王都で「地味」と蔑んだ公爵令嬢セシリアだった。彼女は、王都にいた頃とは比べ物にならないほど生き生きとして、幸福なオーラを放っていた。太陽の光を浴びた肌は健康的に小麦色に染まり、土に触れてできた手のひらのマメは、彼女の努力の証だった。飾らない笑顔は、何よりも美しく、生命力に満ちていた。

 かつて自分が見下し、追放した「地味な女」が、誰よりも幸福で、満たされた生活を送っていることに、エドワードとリリアンは激しい衝撃と、そして耐え難いほどの後悔を覚えた。


 セシリアは、彼らの存在に気づくと、笑顔で手を止めた。

「これは、エドワード殿下と、リリアン様。ようこそ、セシリア農園へ」

 彼女の声は穏やかで、しかしどこか突き放したような響きがあった。かつてのように怯える様子もなければ、恨み言を言うこともない。ただ、彼らの存在を、客として認識しているだけだった。


 エドワード王子は、かつての傲慢な態度を一変させ、頭を下げてセシリアに食糧援助を懇願した。

「セシリア!どうか、我々に食糧を分けてはくれないか!王国は今、未曽有の危機に瀕しているのだ!」

 リリアンもまた、プライドをかなぐり捨てて懇願する。

「セシリア様…!私たちが間違っていました!どうか、王国をお救いください…!」


 しかし、セシリアは彼らを冷たくあしらうことはせず、ただ淡々と語った。

「エドワード殿下、リリアン様。私の農園は、この地の民のために作られたものです。私を支え、共に汗を流してくれた、この農園の家族のために。貴方方の都合で、この地の恵みを差し出すつもりはありません」

 彼女の言葉には、怒りも憎しみも含まれていなかった。ただ、事実を述べているだけだった。彼女はもはや、エドワードやリリアンに対して、何の感情も抱いていなかった。彼らの存在自体に、微塵も興味を示さない。彼らが何に苦しんでいようと、彼女の関心の外だったのだ。

 彼女の目は、ただ目の前の豊かな土と、そこで働く人々の笑顔だけを見ていた。かつての屈辱は、もはや彼女の心を縛るものではなかった。彼女は、自分自身の幸せを追求することに喜びを見出しており、彼らの没落は彼女の関心の外だったのだ。


 エドワードとリリアンは、セシリアのその「無関心」に、さらなる屈辱と絶望を感じた。彼女が自分たちを恨み、罵倒してくれるならば、まだ救いがあった。しかし、彼らはセシリアの視界にすら入っていないのだ。そのことが、彼らの心を深く抉った。

 彼らは、セシリア農園の門を、何も得ることなく、重い足取りで後にした。王都に戻った彼らを待っていたのは、さらに深刻な食糧危機と、民衆の怒りだった。

 エドワードは、セシリア農園の援助なしでは国が立ち行かないことを悟った。そして、自分の傲慢な選択が、どれほど愚かだったかを痛感する。リリアンもまた、真の価値とは何か、真の豊かさとは何かを思い知らされた。


 彼らは、王都の立て直しのために、自らの地位や財産を犠牲にして、地道な努力を始めることになる。エドワードは、かつての享楽的な生活を捨て、民衆のために奔走する。リリアンもまた、贅沢を慎み、慈善活動に尽力するようになった。彼らは、セシリアのような真の豊かさを手に入れることはできなかったが、少なくとも、人間として成長する機会を得た。


 セシリアは、その後もセシリア農園で穏やかに、そして幸せに暮らした。彼女が手に入れたのは、誰かを貶めるための復讐ではない。自らの手で築き上げた、真の幸福だった。彼女の豊かな生活と、彼女が放つ輝きこそが、かつての相手への最も効果的で、そして甘い「ざまぁ」となったのだ。


 そして、伝説は語り継がれる。

「昔々、王都で地味と嘲笑された公爵令嬢が、辺境の荒地で奇跡の農園を築き上げ、誰よりも幸せになったそうな。一方、彼女を追放した王子と新しい婚約者は、飢饉に苦しみ、その愚かな選択を生涯後悔したという…」

 セシリア農園の物語は、ただの農園の物語ではなく、真の幸福の価値と、無関心がもたらす最高の「ざまぁ」の物語として、人々の心に深く刻まれていくのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ