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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

予言するハーブティー

「こちらが手に入れたハーブよ」

カジャム伯爵家の令嬢、ナタージャは自室の丸いテーブルにハーブが入った小瓶を三つ置いた。


部屋の中には他に女性が二人。プルニア侯爵家のアグネスとライネル伯爵家のシェイラ。三人は共に十六歳で、同じ派閥の家の末っ子同士。気の置けない関係であった。侍女にはベルを鳴らす迄は室内に入ってこないように伝えてある。お茶の用意は自分たちでするから、と。


「これが街で評判のハーブティーなの?」

アグネスが好奇心に満ちた眼差しでナタージャを見る。頷いたナタージャの表情は硬い。

「なぜそんなに緊張しているの? 何かあったの?」


「ええ。『自己責任で』って」

重暗い表情のナタージャを見て、他の二人は黙った。

「例の夢が見られるハーブはちゃんと入っているのだけれど、均等に混ざってはいないそうなの。何種類かのハーブが入っていて、その混ざり具合で見られる夢が変わるのですって。当たり外れがあるのでご了承くださいとも言われたわ」


「私は未来の恋人の姿を見ることができるって聞いていたのだけれど、それも見られないかもしれないということ? 例えば他にどんな夢を見るの?」

「私もそう聞いてはいたのだけれど、このハーブを届けてくれた人は教えてくれなかったわ。詳しく聞こうにもその人は男性で、二人きりになるわけにはいかなかったから話を聞くのは難しかったの」


「そう。残念だわ。一緒にいただけで不貞を疑われるってやつね。疑わしいことはしない方がいいものね」

「ということは、良い夢ばかりではないということかしら。悪夢も見るの? 誰にも話せないような内容の夢とか?」

「分からないわ。詳しいことは何も聞けなかったの。ねえ、どうする? それでもこのハーブティーを飲む?」


「ええ。私は飲むわ。試してみたいもの。こう言っては何だけど、夢を見るだけでしょう? 賭けに勝ったらいい夢、負けたら話せないような夢。面白いわ。ええっと、飲んだ後すぐに眠った方が良いのよね? 夢が見たいわけだから」

「そうね。となると、今飲まないで家で試してみるのが良いかもしれないわね。もし誰かに話せるような夢を見ることができたら報告し合うというのはどう?」


「いいわね! そうしましょう!」

「賛成! じゃあ、どの瓶がいいか、せーので指をさしましょう」

「いいわね。同じになったらやり直しましょう」

「分かったわ。じゃあいくわよ? せーの!」

三者は別々の瓶を指差した。

「あら、ちょうど良いわね。自分で選んだ瓶ですもの。どんな夢を見ても恨みっこなしね」

「「ええ」」


アグネスとシェイラは自分が選んだハーブの瓶を持ってそれぞれ帰宅した。期待と不安が入り混じる。夕食の時は気もそぞろで、両親が自分たちを見る目がいつもと違うことに全く気付いていなかった。


三人とも、寝る前にハーブティーを飲んで、いつも通りベッドに入った。





◇◇◇◇◇




〜ナタージャの場合〜




木々の間に僅かに見える道を必死に走っている。普段着ているようなドレスではなく、簡素な洋服。平民の間で流行っているというワンピース。眠る時に着た服はこれだっただろうか。


思い出せない。


そんなことよりも誰かに追われていることの方が問題だった。あの男に捕まったらいけないと本能的に知っている。


木々がまばらになり、少し開けた場所に出た。月明かりがナタージャを照らす。追手が来ないか何度も振り返る。広い所に出ることができた安堵感。反面、どこからでも誰かが来るかもしれず、全ての方向が気になる。ちょっとした物陰が気になり、見えない物も見えるような気がする。


あちらの木陰には何者かが隠れているかもしれない。

今ベンチに誰か座っていなかった? 

背後に誰かの気配がして咄嗟に振り返った。

誰もいない。

気のせいだったのか、本当は誰かがいたのか……。


鳥の鳴き声がする。聞いたことのない声。どこから聞こえてくるのかも分からない。月が雲に覆われ、辺りが急に暗くなってきた。どちらにしろ戻るわけには行かない。早くあの男のテリトリーから出たい。でもどちらへ行けばいいのか分からない。あちらこちらを警戒しながら進んで行くと、何かに引っ掛かって転んでしまった。


薔薇の香りと鋭い痛み。


ナタージャは薔薇の花畑に飛び込んでしまっていた。薔薇の棘が腕や脚、頬を刺した。痛い。でも逃げなくては。彼に捕まったらきっと嫌なことをされる。また何かの気配を感じて後ろを見た。


人影だ。

手元が月に照らされて光った。

刃物かもしれない。


立ちあがろうとして折れた薔薇の上に手をついてしまった。濡れてしまった手をワンピースに擦り付けながら急いで立ち上がる。今は痛みを意識している暇はない。来る。怖い。


彼が何か言った。言葉を理解する余裕はない。頭の中は真っ白。怖くて何も分からない。手が震える。逃げなくては! 必死に手と足を動かして走る。走って走って。ただ前だけを見て必死に走る。


やった! 逃げ切った! 

後ろには誰もいない。


「はあ、はあ、はあ」


汗。涙。息切れ。ぐちゃぐちゃだ。

生まれて初めてこんなに走った。

逃げ切れた。よかった。

ホッと息を吐いた。







「おかえり、ナタージャ」

「え! いやーっ!」

ナタージャは腕を掴まれた。

「僕からは逃げられないし、助けも来ない。他の娘はもっと早く諦めたけど、君は頑張るね。いいよ。このままもっと僕を楽しませておくれよ」






あの日の朝、ナタージャが寝ていたはずの寝具には無数の薔薇の花弁が人の形に置かれていた。

それ以来ナタージャの消息は不明。




◇◇◇◇◇




〜アグネスの場合〜




夜の植物園。アグネスはベンチにいた。アレは確か竜舌蘭。どうやってここまで来たのか思い出せない。数十年に一度咲くという竜舌蘭の花が咲いたのだと、先日父親が食事の時に寂しそうに言っていたのを思い出した。亡くなった母親と一緒に見ようと言っていたのだそう。


誇り高く咲いた花に見惚れていると、ベンチの空いた席に誰かが座った。


「美しいですね」

「ええ。とても」

隣人は男性だった。

横をチラリと見ると、男性はアグネスを見て微笑んだ。

「あなたも」


アグネスの胸は高鳴った。

「ありがとうございます。でも、あなたこそ」


その男性はとても美しく、整った顔立ちだった。紫色の瞳に銀の長髪。陶器のような肌。


その男性の方が美しいのに何を言っているのだろうと複雑な気持ちになったアグネスは、竜舌蘭に目を移した。


「あなたは逃げないのですね」

「逃げる? 何からですか?」

「僕から」

「なぜ?」

「ふふっ。ああ、ご存知ないのですね。追いかけっこは趣味ではないので助かります」


「え?」

「僕は三人の中だったらあなたが良いなと思ったので希望通りで嬉しいです。当日まで誰が来るのか分からなかったので」

「あ、家に、帰らないと」

その男性がアグネスの手を握ったので、驚いたアグネスは咄嗟にもう片方の手でその男性の手を外そうとした。


しかし男性の手がもう片方の手も握っているのか離すことができない。アグネスの両手はその男性の支配下に落ちた。彼が放してくれない。アグネスは力の限り彼の手を剥がそうとして、ふと自分の手に目が行った。


私の指はどこ?


腕の先をよく見ると、彼の手と自分の手がくっついている。まるで元々一つだったかのように繋ぎ目が滑らかだ。融合?


アグネスは自分の目を疑った。

後天的に人の体が融合するなんて有り得ない。

「何これ、怖い」

恐怖で体が固まり涙が溢れてくる。

その男性はずっと穏やかな笑顔で満足気にアグネスを見ている。

彼のその表情からは何を考えているのか読めない。


近づきたくないのに男性が引っ張るから逃げられない。逆にどんどん近づいてしまう。腕の先を見るともう既に自分の手がない。彼の腕がアグネスの腕を飲み込んでいるようにも見える。離れられない。


「いや。やめて」

泣きながら首を横に振る。

その男性は、美しい笑顔をアグネスに向ける。

「ヒトツニナロウ。イトシイアグネス」


男性が優しく微笑む。

彼の体に触れた箇所から順に彼の体に入っていっている。


融合じゃない。吸収だ!


「だれか、たすけ」


アグネスはそのまま消えた。

その男性は嬉しそうに自分の胸を押さえた。

「アグネス、コレデズットイッショダヨ」




朝になって、侍女がアグネスの部屋に入ると、そこにアグネスの姿はなく、竜舌蘭の花弁が寝具の上に撒かれていた。


この日を境にアグネスは姿を消した。





◇◇◇◇◇




〜シェイラの場合〜




目を覚ましたシェイラは自分が湖の上にいることに気付いた。揺れるボート。オールはない。

「え? いつの間に?」

部屋で眠っていたはずなのにボートの上で眠っていたようだ。爽やかな風。心地良い気温。満天の星空の灯りが水面に反射している。随分ロマンチックな光景だ。


「もしかして、夢の世界? まるで現実のようね。未来の恋人に会えるのかしら」

「ふふっ。夢の中で恋人に会いたかったの?」

誰かがボートの近くの桟橋に座っていた。足は宙に浮いている。どこかで見たことのあるような顔立ち。少し歳が上上の彼は見た目がとても整っている。男性の優しい微笑みにアグネスは心を許した。


「ええ。多分ここは私の夢の中よ。ご存じ? 街で噂のハーブティーを試したの。悪夢を見るかもしれないと言われたけれど、私は多分賭けに勝ったのだと思うわ。ねえ、あなたが私の未来の恋人なの?」


「あはは。僕が?」

「あら。違ったのならごめんなさい。でも、あなたみたいに素敵な人が恋人になってくれたら嬉しいわ。まあ、まずは婚約でしょうけど。あなたも貴族家の方なの?」


「ああ。パノケルキ子爵家の者だよ」

「え。パノ、ケル、キ……」

「ああ。ちゃんと覚えていてくれたみたいだね。妹が君達三人には世話になったみたいで」


動揺が隠せないシェイラは船の中でなんとか逃げようと、その男性から離れようと、震える手で後ろへ下がろうとした。船が揺れる。整った顔の男性は動かない。微笑んだまま。


「妹はね、君たちのせいで負った怪我で」


「知らない! 私は何も分からない!」

「そっか。知らないのか。まあ、どちらでも構わないよ。どんなに大きな声で叫んでも誰も助けには来ない。ここは王家所有の湖なんだ。妹はこの国の王子の婚約者だった。それが君たちの動機だろう?」

シェイラは必死で首を横に振った。


「ハーブティー、飲んでくれたみたいだね。あんな噂を本当に信じるとは思わなかった。あんな卑劣なことをするくせに、随分とロマンチストなんだね」

シェイラの目からは涙が溢れ出た。


「きっと妹も、そうやって泣いただろうね」

シェイラは首を横に振る。

「何か言ったらどう? まあ、今更謝罪はしなくてもいいよ。謝ったからって妹は帰ってこないからね。女同士だからこそ何をされたら一番傷付くのかよく分かっていた、そういうことだろう?」


「だってあの女が悪いのよ! たかが子爵家の地味女のくせに王子様と婚約だなんて! 可憐さのかけらもないくせに! 私の方が相応しいわ! 子爵家の娘よりも伯爵家の方がいいでしょう?」


「なるほど、そういう認識? 馬鹿だな。僕たちの父親は将来の侯爵なんだ。祖父が現役だから今は子爵なだけ。どう? 家柄だけでも妹の方が君より相応しいでしょ?」

「そんな……」


「無知の暴走は恐ろしいね」


「終わった?」

「ひぃ! 浮いてる!」

「ああ。浮いてなんていないよ。目の錯覚。桟橋の上だよ。この程度じゃ大した理由も分からなかったんじゃない?」

「ああ。ただの無知だった」

「そう。じゃあ、仕上げか? 他の二人は欲しがってた人に無事渡してきたよ。あとはここだけ。この子は殿下が貰い受けたんだろ?」


シェイラは涙で濡れた顔はそのままで、新たに現れた男性の優しそうな面立ちに希望を見出し、縋るような顔で聞いた。

「他の二人って、ナタージャとアグネスのこと? あの二人に何をしたの?」

「ああ。最期だから教えてあげるね。ナタージャは疑惑のあの薔薇園の家に、アグネスは魔族の贄に」


「薔薇園って、あの嫁いだ人が何人も亡くなった、あの? それに魔族って何? そんなの知らない!」

「流石無知。お父上の判断は貴族として正しかったのかもね。あの薔薇園の彼は、ありがたいことに、問題のある人物を何人も引き取ってくれているんだ。男女問わず。今回はなかなかいない若い女性だから、喜んでもらえたんじゃないだろうか」


「そんな……」

「それに、魔族の存在を知らない貴族なんて、貴族じゃないからね。親が教えなかったのなら将来性がないと見限られたんだろうね。魔族よりも卑劣な事をした君こそ魔物なんじゃないの? 魔族は理不尽に甚振ったりしない」


シェイラは助かる可能性が見出せずに絶望した。三人で虐め抜いたあの女もあの時こんな気持ちだったのだろうか。勝手に死んだあの女。死んでまでも邪魔をするなんて忌々しい。


「そうだわ! ねえ、私は殿下に、って言ったわよね? 殿下はどこ? 早く会いたいわ」

「やっぱり。そう言うと思ったよ。なぜ、自分は助かる前提なんだろうね。もちろん殿下は来ないよ。当たり前だろ? 君になんか時間を割かないよ。皆が愛しているのは僕の妹で、君は誰からも愛されてなんかいない」


その男が蝋燭に火を灯すと辺りが明るくなった。

彼には水底から何か上がって来るのが見えた。そっと後退り、なるべく早く湖から離れる。


桟橋にいた男性二人はいつの間にか岸辺に移動していた。二人と距離が離れたことで不安になったシェイラはボートのヘリをギュッと握った。その時、彼女が乗ったボートの横の水面が盛り上がった。


何かいる!


生き物の気配と突然の痛みに目を見開いたシェイラはボートごとひっくり返った。ザバアッという音と共にそのままシェイラの体は何かに引っ張られて水底に沈んでいく。砕けたボートの破片が水面で激しく揺れた。


「初めて見たけど、凄い迫力だ」

「湖の生き物の贄にするのは殿下のご指定?」


「ああ。ちょうど良いと殿下も嬉しそうだったよ。ここまで後味が悪くないのはなかなかいないからと喜んでおられた。湖の生き物は五年に一度、魔族はニ十年間で一人、ただし彼が気に入った女性のみ。どちらも大変だけど、期間が長いから何とか見つけられるんだそうだよ。どちらも王家の契約とはいえ、毎回人選には苦労していると殿下が仰っていた。でもお陰で妹の復讐が終わったよ。妹は喜ばないとは思うけど、僕は満足した。それにしてもあのハーブティーのききめ目は凄いね。ここに来るまでぐっすりと眠っていたよ」


「家人の協力があるとは言え、騒がれると厄介だからね。特別なブレンドなんだ。眠れなかったらいつでも用意するよ」

「今日は祝杯の気分だからまた今度ぜひ。一緒にどう? お近づきのしるしに」

「おごり?」

「もちろん!」



シェイラがいた寝具の上には水が撒かれていた。

この後、彼女が家に戻ることはなかった。







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