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ミハエル事変

8年前、神聖国王都セレーヌ内神王宮

「お兄様!」

父である神王デロッサに呼ばれ、神王の間へと向かっているトーラスは、後ろから自分を呼ぶ声を聞き振り返る。後ろからは妹であり王女であるロージアが自分に向かって走ってきていた。

「ロージア。どうしたんだい?」

立ち止まり、ロージアが追いつくと、ロージアはトーラスの袖を握りながら言った。

「お兄様、どこへ行かれるのですか?今日は私と遊んでくれるって約束したではありませんか!」

その顔は年齢相応な、甘えたがりの少女そのものであり、約束を守ってくれなかった兄にふくれっ面で拗ねている子供のようであった。

「ごめんよ、ロージア。実は父上に呼び出されてしまったんだよ。何か重要な話があるらしい。話が終わったら遊んであげるから部屋でもう少し待っていてくれないかい?」

ロージアは不満そうにしながらも父である神王の指示は絶対であるため、頬を膨らませながら不満げに握っていた手を離した。

「絶対ですからね。後で絶対遊びましょうね!」

そう言って、ロージアは自分の部屋へと戻っていった。

父の元へ行く前にロージアに一言かけるべきだったなと反省しながらも、トーラスは神王の間へと向かった。トーラスがロージアへ一言かけることを忘れたのには、それなりの理由があった。普段であれば、妹をとても大事に思っているトーラスであるため、妹への気遣いを忘れることなど決してないが、今日は久しぶりに父から呼び出され、さらにそれがトーラスにしか頼めない重要なことであると言われ、内心喜びの気持ちが抑えられなくなっていたのだった。トーラスが10歳になった頃、トーラスの権能が発現した。だが、その権能は代々ルベリオン家に継承されるはずである「天の力」ではなかった。それがわかった日から、父は表立って態度に出ることはなかったが、トーラスには興味があまりないかのように親子の会話は減り、父は妹であるロージアを可愛がるようになっていると感じていた。数年前、妹が5歳という年齢で権能を発現し、その力が聖典に記されている「星の力」であるとされた時には、父はとても喜び、妹の教育により力を入れるようになっていった。その頃から、父の関心は妹にしかなく、自分の存在は忘れられているのではないかと思うようになっていった。しかし、そんな中で今日は自分が父に呼び出された。呼び出しの知らせを聞いた時は何かの間違いかと思ったが、確かに自分を呼んでいるということだった。それがトーラスの心を躍らせ、ロージアのことを二の次としてしまっていたのだった。

トーラスは、努めて冷静にしようとしながらも、心を躍らせながら早足で神王の間へと向かった。扉の前に来ると、衛兵が声を大にする。

「神聖国王子、トーラス様!」

その呼びかけと同時に大きな扉が開けられる。

神王の間は、奥に立派な玉座があり扉からその玉座に向かって赤い絨毯が敷かれている。玉座の後ろには、金色の刺繍で神聖国のマークが縫われた赤い旗が掲げられている。部屋の側面には綺麗な装飾が施された縦長の窓が均等に並んでいる。そこから差し込む日差しが赤い絨毯を照らしている。窓の間には、小さなランタンが吊るされている。そのランタンにも細かな装飾が施されており高価さが際立つ。トーラスは部屋へ入室すると、真っ直ぐと玉座へ向かって歩みを進めた。玉座には、神王であるデロッサ・ルベリウスが座っている。そしてその周りには、十二芒星神の人たちが数人立っていた。普段は、王都にはいないはずの十二芒星神がそこにいるという事実が、自分が呼ばれた件が重要であるということを物語っており、トーラスに緊張が走る。玉座の目の前まで辿り着くと、片膝をつき、平伏の姿勢を取る。父親といえどもこの国の王の前であるという振る舞いは取らなければならない。

「トーラス、呼びかけに応じ参上いたしました。」

「よく来た。我が息子よ。おもてをあげよ。」

デロッサの声に応じて、顔を上げデロッサの方を見上げる形で見る。

「今日お前を呼んだのはとても重要な指令があったからだ。実は、クラウス山脈の麓らへんに天使の末裔の国があるという報告が入った。事実はまだわからないが、その事実確認と事実であればこれを滅ぼすということをお前に頼みたい。」

トーラスは、デロッサの言葉に驚き、思わず目を見開いた。

「王よ。そのような重要な指令を私に?私でよろしいのでしょうか。」

最近、父は自分に期待していないと思っていた。そんな自分に対してそのように重大な指令を任せてくれるということが信じられなかった。

「お前にこそ頼みたいのだ。次期国王になるお前が自らの力でこの指令をやり遂げてこそ、国民の皆が認める立派な王へとなることができると私は思うのだがな。」

初めて、父の口から自分に向けて次期王という言葉が出てきたことにより、トーラスの心は躍るようであった。

「お任せください!王命に従い、見事指令を果たしてみせます。」

デロッサはその言葉に笑みを浮かべ、続けて言った。

「ただし、最初は少人数で調査へ向かってもらう。まずは天使の国が存在するかどうかの事実確認をするのだ。事実だった場合はすぐに、信号を送り知らせるのだ。十二芒星神のシャドールとモーゼスが武装を整え待機しているから、その力をもって一気に天使の国を攻め滅ぼせ。」

「十二芒星神がお力を貸してくださるのですか。」

トーラスは驚き、横に控えている影の神シャドールと武神モーゼスを見る。

「トーラス様は次期神王となるお方。さすれば我らの力は貴方様の力と言って差し支えございません。存分に我らの力をお使いください。」

シャドールはそう言いながらトーラスへ礼をした。

「では、早速準備を整えて出発せよ。ただし、2人の参加については、他のものには他言無用とする。お前を特別扱いしていると言われたら敵わんからな。良い報告を聞けることを期待しているぞ。我が息子よ。」

デロッサはその顔に笑みを浮かべながらトーラスへと激励の言葉を送る。トーラスは再び頭をふせ、その後足早に神王の間から出ていった。

「シャドール、仕込みはしっかりやったか?」

デロッサは、トーラスが部屋を出たのを確認すると急に表情を冷たくし、シャドールへ問いかける。

「はい、王よ。トーラスの影にしっかり仕込んでおきました。」

「良い。やっと、あやつを処理することができる。あやつが生きていれば、ロージアが王位に着くことに反対する奴らもいるだろうからな。良い機会だ。トーラスと天使の国どちらもしっかりと処理しろ。失敗は許さん。」

「かしこまりました。」

シャドールの顔には不気味な笑顔が浮かんでいた。


神王の間を出たトーラスは、今度はしっかりとロージアに報告するためにロージアの部屋へと向かった。ロージアの部屋に入ると、ロージアはベッドの上でお人形遊びをしていた。トーラスが来たことに気がつくと、

「お兄様!」

と声をあげ、笑顔でトーラスの元へと駆け寄った。

「お父様のお話がやっと終わりましたのね。早く遊びましょう。私、待ちくたびれてしまいました。」

トーラスは自分に抱きつくロージアを落ち着かせ、

「ごめんよ、ロージア。実は私は王命によりこれから出発しなければならなくなってしまったんだ。」

「そんな。どこへいくの、お兄様?」

「クラウス山脈の麓までかな。」

「そんなに遠くまで?何をしに行くの?」

「悪い天使を退治しに行くんだよ。少しの間会えなくなってしまうけれど、良い子のロージアは待っていられるよね?」

トーラスは優しい笑顔を向けてロージアへ話す。

「わかったわ。すぐに帰ってきてね。帰ってきたら、うんと一緒に遊んでくださいね。」

少し不満げにしながらも、渋々納得したような顔を見せロージアが答えた。

「もちろん。約束だ。なるべく早く帰ってくるから、いい子で待っているんだよ。帰ってきたらいっぱい遊ぼうね。」

トーラスとロージアは指切りをして離れる。トーラスは、ロージアの部屋を出ると、すぐに出発の準備を整え、クラウス山脈へと数人の兵士を連れて王都を出発した。



王都を出て1週間後、トーラスはクラウス山脈の近くまで到着した。クラウス山脈近郊は、本格的な冬が訪れ寒さと雪が激しくなっていた。クラウス山脈の近くまでは、馬車で来ていたが、山道は道が悪い上天候が悪いという状況のため、馬を置いて、荷車を兵士とトーラスが一緒に引きながら調査を続けていた。トーラスと兵士はそれぞれ白い外套を身に纏っている。この外套は神聖国で作られた、色々な環境に適応し体温を一定に保つことができ、ある程度の衝撃を軽減することができる優れものである。一般的には胸の部分に神聖国の刺繍を施したものを着ることになっているが、極秘の調査のためトーラスたちが着ている物にはその刺繍が施されていない。

「王子、大丈夫ですか。少しお休みになって荷物は我々にお任せください。」

兵士の1人がトーラスへと声をかける。

「私は大丈夫です。みんなも大丈夫ですか。そろそろクラウス山脈の麓の辺りまで到着します。この吹雪では、視界も悪くなっていますがいつ天使と遭遇してもおかしくないので細心の注意払ってください。」

「了解しました。」

兵士たちはトーラスの言葉に応え、周囲を見渡す。しかし、吹雪により数メートル先の視界もよく見えないという状態に陥っていた。

「王も、何もこの天候が悪い冬に出発を命じなくても良いのに。」

先ほどトーラスに声をかけたのとは違う兵士がそう呟いた。

「天使の国を発見したというのであれば、早急に対処する必要があるのです。これが済んだら、たっぷりの休暇と報酬を与えるので踏ん張ってください。」

そう言いながらも、トーラスもこの天候の悪さには参っていた。自分を含めた先遣調査隊は5人であったが、あまりにも少なすぎるのではないかと思っていた。少人数で捜索した方がバレないということは理解できるが、この広大な範囲をこの天候の悪さの中捜索することはあまりにも途方もないことであるかのように思われた。

父はなぜこのような指令を出されたのだ?1週間前は心を躍らせたはずの指令に対して疑問が出てくる。父の考えについてさまざまな思考を巡らせていた、その瞬間。

「王子!危ない!」

トーラスの上に影が落ちる。兵士の叫び声に咄嗟に上を見ると、頭上から雪の塊が落ちてきていた。突然の状況に身動きを取れないでいると、兵士の1人が王子に覆いかぶさる。

「うわっ」

トーラスに降りかかった雪の塊は、覆いかぶさった兵士へ衝突しバランスを崩した2人はその場へ倒れ込む。すると、

「雪崩だ!」

後ろの兵士が叫ぶ声が聞こえると同時に、トーラスの視界は瞬く間に白い世界から真っ黒な闇へと変化していた。


「トーラス様!トーラス様!」

必死に肩を叩く衝撃でトーラスは目を覚ます。

「くっ」

体を起こそうとするが、全身には体を圧迫されたような鈍い痛みが広がり、起き上がることができない。

「トーラス様!気がつきましたか。無理なさらないでください。雪の下敷きになっていたのです。しばらくは横になっていてください。」

トーラスを介抱していたのは、先ほど咄嗟に自分を庇ってくれた兵士ではなく、トーラスの後ろにいた兵士であった。その兵士の名は、キール。

「キール、君は無事だったのか。他の皆はどうなった。私を庇ってくれたサシャは?」

横になりながら、トーラスはキールへと問いかける。

「サシャは、死亡しました。」

トーラスは、目を見開き驚きの表情を見せる。

「私を庇ったせいでか。私のせいで。」

「トーラス様、ご自分を責めないでください。サシャは王子を見事に守って殉職したのです。」

「すまない。自分を責めるよりもまずはサシャに感謝するべきだな。他の皆はどうした。」

「他の2人は現在発見することができていません。この雪崩に巻き込まれて何処かに流されているのだと思われます。正直生存は絶望的でしょう。まずは、我々の安否よりご自身の心配をされてください。このままでは、捜索どころではありません。体が動くようになったら信号を送り、助けを呼びましょう。」

そう言いながらも、状況が絶望的であることは2人とも理解していた。たとえトーラスの体が少し動くようになったとしても、長い距離を歩くのはきびしいだろう。また、信号を送ったとしてもこの天候では救出を期待することは現実的ではないだろうと。トーラスは、ロージアのことを考える。帰ったら遊ぶという約束をしたのに、約束を守ることができなさそうだ。2人の間に沈黙の時間が流れる。すると、

ズシっ

トーラスとキールの背後から足音が聞こえてきた。2人は、息を飲み同時に振り向く。

「おい、大丈夫か?」

それは一緒にきた兵士ではなく、防寒具に身を包んだ30代ほどの男であった。男の腰には鉄製の剣のような警棒のようなものが下げられている。ガタイがよく、筋肉質で腕は特によく鍛えられている。

「近くで雪崩が起きたもんだから、様子を見にきたんだが。まさか、あの雪崩に人が巻き込まれていたとはなぁ。見かけない顔だが、旅人っていう雰囲気でもないな。」

トーラスは、驚くと同時に思考を回転させる。なんで、こんなところで人が出てきたんだ。いや、この男は今、近くで雪崩が起きたからと言った。つまり、この男はこの近くに住んでいる。ということは、自分達の目の前に現れたこの男は我々が捜索していた天使の国の住人の可能性が高い。だが、今の状況はまずい。私は今体が満足に動かせない状態な上、服装から旅人ではないと予想されてしまっている。我々が神聖国の人間だとわかるとすぐに殺されてしまう。どうするべきだ。急な状況に焦らずに思考を回転できたのは、幸か不幸か雪の上に寝ていることで頭が冷えていたからだろうか。男への受け答えを必死に考えていると、

「おい、お前さんたち。雪崩に巻き込まれて怪我をしたのかい。ここじゃ治療も何もできないな。とりあえず、俺の家に来て治療しよう。俺が肩を貸すから、隣の兄ちゃんも手伝ってくれ。」

男のその言葉にトーラスは逆に思考が止まり、思わず男へ聞き返した。

「私たちが何者であるかなど、聞くことはあるのではないのですか。」

「そんなこと、今はどうでもいいだろう。まずは手当てだ。元気になったら色々聞いてやるよ。」

男は笑顔でトーラスに肩を貸すと、呆気に取られていたキールにも肩を貸すよう促し、3人は男の案内で歩き始めた。


数十分ほど歩くと、吹雪に覆われた大きな都市が見えた。

「こんな場所があったのですね。」

その都市の大きさにキールは思わず声を上げた。

「ここら辺は風の流れが激しくて、吹雪が吹くことが多いんだ。そのおかげで天然の目隠しになるっていうわけだな。ここまで近くに来ないと存在にすら気づかないっていう寸法さ。」

なるほど、雪の中を闇雲に探していても見つからないわけだと、トーラスは納得した。

門をくぐり都市に入ると、都市の中は吹雪や雪などは微塵も吹いていなく、逆に暖かさを感じた。

「なんで、この都市の中だけ吹雪いてなくてこんなに暖かいのですか?。」

トーラスが男へ聞くと

「まあ、加護っていうやつかな。俺たちがここに住んでいるのにも、色々事情ってやつがあるんだよ。」

その言葉で、トーラスは確信した。この都市こそが探していた天使の末裔の国であるということを。それはキールも同様だったようで、トーラスと目を合わせる。

「よしここが俺の家だ。ちょっと待ってな。」

そう言って、男はトーラスをキールに預け家の中へと入っていった。

「トーラス様、いかがいたしますか。ここはすでに敵の本陣であると思われます。」

「そうですね。不幸中の幸いというやつですか。目的の場所を発見したということですね。ですが、今は状況が良くない。私も怪我をしていますが、キールさん、あなたも怪我をしていますね。」

「申し訳ありません。実は左腕を負傷してしまい、あまりうまく動かせません。」

「凍傷を併発しているようですね。今は、天使を欺き治療を受けるしかありません。怪我が治り次第、本国へ連絡をしましょう。ですが、気をつけてください。ここは天使の国です。我々の正体がバレたらすぐに殺されてしまうでしょう。」

「かしこまりました。」

2人が短い会話を終えるのと同時に、家の扉が開かれた。

「2人とも入ってくれ。」

男の言う通り2人は家へと入る。家は見た所普通の一軒家で、特に裕福であるとか貧乏であると言う印象はない一般的な暮らしを送っているように見られた。

「2人ともベッドに寝てくれ、今からルナ様を呼んでくるから。」

2人は、男の指示通りベッドに横になる。しばらくすると、先ほどの男が1人の女性を連れて部屋へと入ってきた。

「ルナ様、こちらが先ほど雪崩に巻き込まれて負傷した者たちです。」

「ありがとう、ゲル。2人とも大丈夫ですか。私はルナと申します。一応この都市の長をしています。まずは、あなた方のお名前を聞いてもよろしいですか。」

その女性は、夜空のように美しく輝く黒い髪の毛を後ろで一つに束ね、白い肌は髪との対比で白さがより際立ちシルクのような滑らかな質感をしている。そして、その瞳は黄金のように輝いている。服装は、肌と同じくらい白いワンピースのような服で、都市の外が吹雪なのを考えるといささか薄着に思える。

「このような体勢で失礼します。私はトールと申します。そして、隣のこちらはクールと言います。クラウス山脈を超えたところにある街から、商売のために大きな都市を目指して仲間と共に出ていました。急な雪崩により仲間とははぐれ体もこのように負傷していたところをそちらの男性に助けていただきました。」

トーラスは、本名を話したらすぐに正体がバレてしまうと考え、咄嗟に架空の名前と外にいた目的を考えルナと名乗る女性に話した。

「そういえば、俺の名前を話していなかったな。俺の名前はゲル。ここでは警備隊をしている。まあ、警備隊って言ったってやることは、この都市の周りを巡回しているだけだけどな。でも今回はそれのおかげで2人を見つけることができたんだ。感謝しろよな。」

ゲルは笑顔で2人へと話した。

「では、2人とも体の状態を見せていただけますか。」

ルナは2人の元へ近づくとベッドの隣へかがみ、右手をトーラスへとあてる。すると彼女の手は緑色の光を出し、その光は薄い膜上にトーラスの体へ広がった。

「これは、、、」

トーラスの体は、心地の良い暖かさに包まれる。すると、トーラスの体にできた外傷はおろか、打ち身や雪による圧迫の痛みもみるみるうちになくなっていった。ルナはキールの体にも手を触れると、キールの体も光の膜に包まれていった。キールもトーラスと同じように負っていた傷が治ったようで驚きの表情を見せていた。

「この力はなんなのですか。」

トーラスは、ルナの力は聖典に記されている天使の力であるとわかっていたが、ルナの出方を伺うためにあえて知らないふりをして質問した。

「この力は、天使の加護の力です。この都市は天使の末裔が暮らす都市なのです。」

ルナは、トーラスの質問に対して堂々と答えた。思わぬ返答にトーラスは驚き、そのままルナへ質問する。

「天使の末裔?そのような重要なことを外部からきた私たちのようなものに話してもよろしいのですか。私たちが神聖国へ報告すればすぐに軍が攻めてくるのですよ。」

「聖典に記されていることは私どもも知っております。神の末裔の方々が天使狩りと称し私たちを狙っていることも理解しております。ですが、今の私たちは戦争をする気など微塵もございません。私の力は人々を癒すための力であり、傷付けるための力ではありません。私たちはこの地で平穏に暮らしていくだけです。神聖国の方々も話し合えばきっと分かり合えると信じています。」

ルナの瞳は強い意志を帯びた瞳をしており、彼女の言葉が心から出た偽りのない言葉であるということを物語っていた。トーラスはルナの言葉に心底驚いた。神聖国内では、天使は神々に対し復讐の機会を虎視眈々と狙っており、世界に災いを起こす存在だと言われ続けていたからだ。今まで、何個もの天使の隠れ里を見つけては滅ぼしてきたが、その報告では天使は武装を整え戦争の準備をしていたとされていた。故に天使の末裔は滅ぼさなければならない存在だと。この国だけが他と違うのか、または報告に偽りがあったのか。混乱しながらも、今やるべきことはそうじゃないと、トーラスはルナへ感謝の言葉を伝えた。

「ルナさん、傷を治していただきありがとうございます。」

「トールさん、クールさん。私の力は体の傷を治すことはできますが、心の疲れを癒すことはできません。また、外が吹雪いている状態ではここを出発することは危険でしょう。しばらくはこの都市でゆっくりして疲れを癒していってください。空いている家をお貸しします。ゲル、2人にこの都市を案内してあげてくれますか。」

「もちろんです。都市の案内は明日にするとして、2人とも腹が減っているだろう。まずは、腹ごしらえと行こうか!」

ルナと別れると3人はゲルの案内で都市の飲食店が並ぶ場所へと歩き始めた。

「ゲルさん、この街の人々は皆天使の末裔の方々なのですか?」

歩きながらトーラスはゲルへと質問を投げかけた。

「そうだな。お前さんたちのように近くで倒れていたところを救出されてそれ以降住み着いている連中や近くの村から移住してきた奴らも何人かはいるが大体はそうだな。」

「天使の方々はみんなルナさんのような力を持っているのですか?」

「みんなある程度の力は持っているよ。でも、ルナ様ほどの強い力を持ったお方はいないな。あのお方は外傷だけではなく体の内側の傷なんかも一瞬で治癒しちまうからな。」

「先ほど、ルナさんは天使の方々に戦争の意思はないと言っていましたが、みんなそうなんですか?聖典に記されている天使はみんな残虐であったと記されていました。ですがルナさんのお話を聞くとそうではないように感じます。」

「そうだな、一人一人に聞いたわけじゃないからみんなが心の中でどう思っているかはわからんが、少なくとも俺はルナ様と同じ考えだな。わざわざ戦争をする必要がない。俺らはこの都市を気に入っているし、この暮しが好きだ。それを壊すような行動をしようとは思わないな。ここに住む多くのみんなもそう思っていると思うぞ。さあ、着いた。お前さん達、好き嫌いはあるかい?まあ、あってもこの店に入るんだがな。今日の飯は肉だ!」

ゲルはそういうと勢いよくお店の扉を開け、店の中へと入っていった。2人は置いていかれないようにゲルについていった。


腹ごしらえがすむと、ゲルはトーラス達を空き家へと案内した。

「ここは、今は誰も住んでいないから自由に使っていいぞ。わからないことがあればさっきの俺の家にいつでも聞きにきてくれ。それじゃあな。明日はこの都市をもう少し案内してやるよ。」

そう言い残し、ゲルは自分の家へと帰っていった。トーラスとキールは、貸してくれた家の中に入り部屋の中に用意されていた食卓へと向かい合って座った。

「どう思う。キール。」

「どうと申されましても、正直驚きの感情が強すぎて。」

「私もそうだ。神聖国で聞いていた話とは全然違う。最初は裏があるのかと思ったが、ルナさんの目は嘘を言っているようには感じなかった。」

「私もそのように感じました。ゲル殿もそうですが、ここに住む天使の末裔の人たちは本当に争う気がないのだと思います。」

「父上の指令では、天使の末裔の国を見つけたらすぐに報告しろという話だったが、この国を滅ぼすことは果たして正しいのだろうか。私たちは聖典の内容に囚われすぎて盲目的になっていたのではないか。」

2人は沈黙し、時が流れる。お互い色々と思うところがあり俯きながら座っている。

「今日はもう寝ましょう。明日もゲル殿がこの都市を色々案内してくれると言っていました。それを経てこの都市を色々見てから結論を出しても遅くはないでしょう。どっちにしろ都市の外に出ると吹雪で信号を送ることはできません。まずは休息と調査をいたしましょう。」

キールの言葉に頷き、それぞれがベッドに横になる。横になりながらトーラスはこの都市の人々について考えていた。自分が今まで思っていた天使像とは違う現実を認識しながら、トーラスは瞼を閉じる。すると、すぐに眠りの世界へと入っていった。


次の日、朝起きると窓の外を見る。都市は依然として雪が降っておらず暖かさがあるが、都市の外は相変わらず吹雪が続いている。そのため、都市の外は暗く、陽の光がほとんど入っていない。

朝食を軽く取るとちょうどゲルが2人の家へと訪ねてきた。

「おはよう、2人とも。よく寝られたか。体の調子はどうだ?」

朝から元気な声を響かせながらゲルが2人へと挨拶する。

「おはようございます。ゲルさん。おかげさまで体はなんの問題もありません。改めて昨日はありがとうございました。今日も外は吹雪いているようですが、この天気は何日ほど続くのでしょうか?」

「そうだな。この時期の吹雪はなかなか止まないからなんとも言えんが1週間程度は吹雪が続くと考えたほうがいいかもしれないな。まあ、今日はこの都市を案内するからゆっくり休んでいってくれ。」

ゲルは笑顔で話す。

「朝食は済ませたのか?なら、早速出発するか。まずはこの都市の中央広場に行くぞ。」

3人はゲルの案内で歩き始めた。少し歩くと都市の中心にある広場へついた。そこは、真ん中に羽根の生えた女性の像が置かれた場所でその周りでは子供達が遊び回っている。広場の周りには飲食の露店が並んでおり、全体的に賑わっている。人通りも多く賑わいを感じさせた。

「ここが中央広場だ。ここから東側には商業施設が立ち並ぶエリアがあって、北側には、ルナ様がいらっしゃる城がある。西側は、今俺たちが来た住宅街で、南側がこの都市の出入り口である門がある。ここは全ての場所に通じる中心の場所ってところだな。」

ゲルは、2人に都市の位置関係を説明する。

「あの真ん中に建っている像は、誰なのですか?」

キールがゲルに質問する。

「あれは、ミハエル様の像だな。」

「ミハエル様とは?」

すかさずトーラスが質問する。

「この都市を創られた天使様だよ。聖戦の生き残りの天使様だったとされている。トールは昨日なんでこの都市は吹雪が吹かず暖かいのかって聞いたよな。それはミハエル様の加護のおかげっていうわけだ。そして、ルナ様はそのミハエル様の直系の末裔っていうわけだ。」

トーラスはゲルの言葉に驚く。

「そんな昔からこの都市は存在していたのですか。」

聖戦の生き残りの天使が都市を創ったということは、この都市は1000年近く存在しているということになる。聖戦後行われた天使狩りは初期の頃ほどより厳格に行われていた。世界中を徹底的に調査したという記録が神聖国内に残っている。その記録には、このクラウス山脈近くも調査したということが記録されていた。故に、この都市はその調査後にひっそりと創られたものだと考えていた。しかし、実際には調査が行われた時にはすでにこの都市は存在しており、神々の調査の目を欺いたということになる。

「ミハエル様のお力は強大であったそうだ。今では吹雪を入らせず、暖かいという加護だけがこの都市を包んでいるが、昔は完全に外界と遮断するほどの強力な結界が貼られていて、外部からではその存在を認識することができないほどだったそうだ。ミハエル様が亡くなられてからは、次第にその加護が薄れていき、今では他の地域からの移民も多くいるっていうことだな。」

「それほどの力を持った方がいたのですね。ルナ様も相当のお力を持っているのですよね。」

「ミハエル様ほどではないが、ルナ様は一族の中でも有数な癒しの力を持っていらっしゃる。昨日2人は実際に体験しただろうが、ルナ様は体の傷であれば、即死でない限り大抵の傷を治癒することができる。」

「なるほど。ゲルさんも天使の末裔ならその加護というものを持っているんですか?」

「俺の加護は治癒系じゃなくてな。体が他の奴らに比べて頑丈っていうだけのものさ。まあ、だからこそ警備隊になったんだけどな。」

ゲルとそんな話をしていると、トーラスの服の裾を掴んでくるものがいた。

「ねえねえ、お兄ちゃんたち。新しくこの都市に来た人たち?私、ピナ。一緒に遊ぼう?」

無邪気な声でトーラスに話しかけてきたのは、広場で遊んでいた小さな子供達だった。数人で一緒に遊んでいたようで、話しかけた子供の後ろにはボールを持った子供や木の枝を持った子供たちがトーラスの方を見つめていた。

「おいおい、ピナ。今俺がこの人たちにこの街を案内しているんだよ。邪魔しないでお前たちだけで遊んでな。」

ゲルは、ピナと名乗る少女にそう言うと、子供たちは悲しそうな顔をして俯いた。それを見たトーラスは、

「すみません、ゲルさん。せっかく案内していただいているところですが、この子たちとも色々交流してみたい。案内は引き続きクールにお願いして、私はこの子たちの相手をしても良いでしょうか。」

そう言うと、子供たちは目を輝かせてトーラスの方を見てきた。トーラスは子供たちに笑顔を返し、その後キールへあとは任せました。と、目で合図を送った。

トーラスは、ピナにセリーの面影を重ねていた。ピナもセリーと同じくらいの年の子供で、遊んで欲しいと頼む時の瞳がセリーとよく似ていた。その瞳を見るとついつい一緒に遊んであげたくなってしまう。セリーも自分の帰りを待っているだろうなと思いながら、ピナたちと遊ぶことにした。ピナたちと遊びながら色々なことを聞き出したいと思っていた。子供たちであれば情報を得ることが簡単だろうと言う考えもあった。

トーラスは、子供たちと追いかけっこをしたり人形遊びなどを一緒にしながら時間を過ごした。

「明日も遊ぼうね。トールお兄ちゃん。」

ピナと約束してトーラスは家への帰路についた。時刻は夕方ごろになっており、家に着くとキールがすでに家に帰ってきていた。

「トーラス様。お帰りなさい。お疲れではありませんか?」

トーラスが椅子に座ると、お茶を用意しながらキールが話しかける。

「子供の相手はロージアで慣れていますからね。そっちは何か収穫はありましたか?」

「トーラス様と別れたあと、ゲル殿に連れられて商業区域に行ってまいりました。特に収穫という収穫はなく、武器などの店は見られませんでした。強いていうならこの都市が栄えているということはわかりました。」

「まあ、もし戦争のための武器を所持していたとしても堂々と出しているとは考えにくいですからね。私も子供たちから得られたものは、今日はありませんでした。まずは子供たちと遊ぶことで信用を得ることはできたと思います。明日も子供達の相手をする予定なので、その時に色々聞いてみよと考えています。キールは明日の予定は?」

「いえ、まだ特に決まってはおりません。」

「では、極秘に北側の調査をお願いしてもよろしいですか?北側にルナさんの住む城があるということは、この都市の心臓部は北側と見て間違い無いでしょう。」

「かしこまりました。」

「決してこの都市の人たちに怪しまれることのないようにお願いします。今は私たちの正体がバレていないので、優しくしてくれていますが、我々が神聖国の人間だと知られたらどうなるかわかりませんので。」

「承知しております。私はもともと戦闘向きというよりも諜報向きの兵士ですので、そこのところはお任せください。」

2人は今日の報告と、明日の予定の確認を済ませると、それぞれ休息に入った。

ベッドの上でトーラスは考えていた。我々先遣隊からの定時連絡が途絶えたことは神聖国の王都にも伝わっているだろう。捜索隊が捜索に入るのも時間の問題であるから、明日にでもこの都市に対する結論をつけなくてはならないな。


次の日、トーラスはピナと約束した通り広場に行き子供たちと遊んだ。ピナたちはトーラスのことをすっかり気に入ったようで、自分達と遊んでくれるお兄ちゃんとしてさまざまな遊びを共にした。

夕方、子供たちがそれぞれ帰路につく中、広場のベンチに座ったトーラスは、隣でトーラスが買ってあげたアイスを食べているピナに話しかけた。

「ピナ、ここが天使の末裔の都市ということは、君も天使の加護が使えるのかい?」

ピナはアイスを食べながら、トーラスの方を見て答える。

「使えるけど、パパには使うなって言われてるの。私の力は強力な力だから成長するまではダメだって。」

なるほど、天使の加護の力というものにも色々な効果がありたくさんの種類があるのだな、とトーラスは知る。トーラスは続けてピナへと質問する。

「ピナは聖典って知ってるかい?」

「せいてん?」

ピナは聞いたことがない単語を聞いたというような表情でトーラスを見ている。

「この世界の歴史書っていうか。昔話が書かれている本なんだけど。」

「昔話ならママがよく聴かせてくれてるよ。天使が悪い神と戦う話ね!少し怖いお話だけど、みんな知ってるよ!」

「え、」

トーラスは戸惑った。ピナが言っていることは聖典に記されている内容ではない。もしかしたら、偽りの歴史を子供達に伝え、神を悪者として語ることで将来の戦争に備えているのか。いや、まだ内容を知らないことには判断を急ぐべきではない。ピナの言葉に表情を険しくしていると、

「どうしたの?」

ピナがトーラスの顔を覗き込むように見ていた。

トーラスは、すぐに笑顔を作りピナに質問した。

「そのお話を私に聴かせてくれないかい?」

「お兄ちゃん、私に訊いたのに知らないの?まあ、いいよ。昔、神様と天使が仲良く暮らしていたんだけど、神様たちが急に悪いことをし始めちゃったの。それはとっても悪いことだったから、天使たちが神様を止めようとしたの。でも神様はすごく強くて天使たちは負けちゃったの。そして、神様は天使たちを探し回っているっていうお話。だから、子供たちだけではこの都市を絶対に離れちゃダメってママはよく言っているよ。」

ピナの話を聞いてトーラスは考えた。

なるほど、聖典に記された神と天使の立場を逆転させているのか。これは、神を悪く言うことで子供達の神に対する嫌悪感を誘発しているのか。または、子供たちが勝手に外に出ないように戒めとしてこの物語を語っているのか。

「ピナは、神様たちについてどう思う?嫌い?」

「悪いことをしようとしたのはダメよ。でも、嫌いかどうかはわかんない。友達の中には、神様は強いって言うのがかっこいいっていう子もいるし、神様を怖がってる子もいるし。」

「そうなんだね。おっと、もう暗くなってきちゃうね。一緒にお家へ帰ろうか。」

ピナの手を引きながら、ピナを家に送り届けたトーラスは、自分も家へ帰った。ピナが言っていた昔話は、偽史だ。でも、子供たちがみんな神を憎んでいると言うわけでもないようだ。これをどう判断するべきか。

家に着くと昨日と同じくキールはすでに帰宅していた。昨日と同じようにキールがお茶を用意すると、2人はそれぞれの調査した内容のすり合わせを始めた。

「トーラス様、先に私からよろしいでしょうか。本日申し付け通り、北側を調査したところ武器などが保管されている倉庫を発見いたしました。」

トーラスは、キールの言葉に驚いた。

「では、やはり天使の末裔は戦争を起こそうとしていたのか。」

「いえ、確かに武器などはございましたが、あの量では戦争を起こすことは不可能でしょう。それほど数は少なかったです。おそらく外での狩りや警備隊のための武器であると思われます。また、商業区でさまざまな聞き込みを行いましたが、ゲル殿の言う通り、神に対して敵対心を持っているものは少ないように感じました。」

「そうですか。やはり戦争を起こす気は無いと言うことでしょうか。私も子供たちから面白い話を聞けました。この都市の子供たちは、聖典とは違う話を昔話として語られているそうです。その話では、聖典に記されている神と天使の立場を入れ替えて、神が悪である話ということです。ですが、子供たちは神を嫌っているというよりも、怖がっているというように感じました。私はこの昔話は、子供たちが勝手に外に出ないようにするための戒めとして語られているのではないかと思います。」

「確かに、そういう考えもあるでしょうね。では、この都市についてどう報告されますか?トーラス様もお気づきとは思いますが、もうあまり時間は残っていませんよ。」

「私は・・・」

トーラスがキールに考えを語ろうとしたその時、

コンコン。

家の扉を叩く音が聞こえた。

「私が出てまいります。」

キールがそう言い、扉を開けると、そこにいたのはゲルだった。

「2人とも、夜分にすまないな。実はルナ様が至急の用で2人に話があるそうだ。すまないが一緒についてきてくれるか。」

このタイミングでの意外な人物からの呼び出しにトーラスは少し動揺を隠せなかったが、

「わかりました。すぐに支度をします。少々お待ちください。」

そう言って、準備を整えた。万が一の時はこの都市から逃走できるようにとキールにも伝え、2人はゲルに連れられルナの住む城へと向かった。

城に向かうなか、都市の外を見ると吹雪は止んでおり驚くほど静かであった。風も吹いておらず、森も山々も静まりかえり眠りについているようだった。トーラスは、吹雪が止むのを待っていたが故にこの状況を喜ぶべきであったが、何か不穏なことが起きる前触れのようにも感じられた。

歩きながら、トーラスは思考を巡らす。この街が神聖国にとって害のあるものであるとは言い切れない。しかし、この都市の人々が本当に神聖国に対して戦争を仕掛けようとしていないという保証はどこにもない。この都市の人々を信じきれないトーラスの心に引っかかっているのは、ピナから聞いた昔話のことであった。なぜ聖典と違う偽りの歴史を子供に語り継いだのだろうか。神が悪者であるとすることで、敵対心を煽ろうと思ったのか。しかし、ピナや子供たちの神々に対する感情は、敵対心や憎しみではないと感じる。何のために、、、

さまざまな思考の中で答えが出ないまま、ルナが住む城の前まで辿り着いた。トーラスは、子供たちと遊ぶ中で中央広場から遠目にその姿は見ていたが、近くに来るのは初めてだった。その城は、城というには貧相でありながら家というには立派な、白を基調としたシンプルなデザインをしており、神聖国の王城のような柱への華美な装飾や色鮮やかなガラス窓などはなく、質素が故の美しさを有しそれが天使の住む城ながら神々しさを演出しているかのようであった。中に入っても無駄な飾りは一切なく簡素な作りをしている。

「この中でルナ様がお待ちだ。俺はここにいるから2人で入ってくれ。」

ゲルは、2人に入室を促し扉の前で待機している。トーラスが先頭のもと2人はルナの待つ部屋に入った。中には王座がおかれているということはなく、応接室のような作りをしており、向かい合ったソファの間にテーブルが置かれ、向こう側のソファにはルナが座ってお茶を飲んでいた。部屋の中にはルナしかおらず、警護するものや従者などは1人も待機していない。

トーラスは、不用心ではないかと疑問を抱きながら、警戒のレベルを一つあげる。

「お待ちしておりましたよ。こちらにお座りください、トーラス様。」

ルナが笑顔を向けながら、向かいのソファを手で指す。

「っ!」

ルナが自分をトーラスと呼んだことに驚きを隠せず、後退りしてしまった。キールは咄嗟に半身をトーラスの前に出し、トーラスを守る姿勢をとる。

「そう怯えないでください。私はお二人とお話し合いがしたいだけなのです。もしも何かする気なのであれば、お二人がこの部屋に入ったときにしています。さあ、こちらへ。お茶も用意していますから。」

ルナは表情を変えることなく、2人に着席を促す。

トーラスは、驚きながらも彼女のいうことには合理性があると感じ、キールに目配せをし、2人でソファに腰掛ける。トーラスと呼ばれたときに動揺して行動してしまったせいで自分がトーラスであると自白したようなものであると思い、反省しながらもルナへと問いかける。

「いつから気づいていたのですか。」

「ここは外界とはあまり交流がありませんが、神聖国の王子様の顔となれば流石に世界中のものに知れ渡っていますよ。ゲルが負傷した者がいるので治癒をしてほしいと言ってきたあの時から正体はわかっておりました。」

迂闊だった。想定外のことだったが故に変装などは少しもしていなかったが、最初からバレていたのか。トーラスはそう思いながら、

「では、最初から神聖国の人間だと知っていたのに我々を治癒してくれたのですか。なぜ。」

「傷ついていたら助けるのは当たり前ですよ。そこに、神聖国の人間だからとか天使だからなんてものはありません。それに、私はあの時も申しましたとおり、神聖国と戦争することなど望んでいません。話し合えばわかると思っています。ですので、お二人を治し、数日お二人にこの都市を見ていただいたのです。」

「そうだったのですね。我々に都市を案内し調査をさせていたのもあなたの思惑通りだったというわけですか。」

「私どもが口で言うよりも実際にご自身で調査した内容の方がよっぽど信憑性がございますでしょう。どうでしたか?私たちに戦う意志がないことはわかっていただけましたでしょうか。」

「そうですね。ここにおりますキールが調査を行った結果、この都市は戦争をする戦力を持ち合わせていないと思われました。しかし、私が一つ気になっていることがあります。ここの人々は聖典とは違う間違った歴史を教えられている。その意図はなんですか?私にはそれがどうしてもわかりません。」

ルナは、ティーカップを持ち上げ一口飲みそれをゆっくり置きながら、トーラスの瞳を見つめる。

「聖典の方が間違っている。と言ったらどうしますか。」

ルナの言葉にトーラスは目を見開き、思わず立ち上がる。

「そんな馬鹿な!何を言っているんですか!聖典は1000年以上前から存在する不変の歴史書ですよ。」

口調を荒げながらルナに訴える。されどルナは落ち着いたまま真剣な顔をトーラスへと向けている。その顔を見て冷静さを取り戻したトーラスは再び着席し、お茶を啜る。

「すみません。取り乱しました。なぜそう考えるのかの理由を聞いてもよろしいですか。」

「この街を創ったのが聖戦の生き残りであるミハエル様であると言うことはゲルから聞いていると思います。そのミハエル様の遺した手記はこの城に代々受け継がれ保存されています。そこには、聖戦の時の詳細な記録が記されています。」

「そこに、あの昔話が書かれているのですか。」

「聖典には、星の力を持った神が生まれたのちその力を欲した天使が反旗を翻したとあります。しかし、実際には星の力を持っていたのは神だけではありませんでした。星の力を持つものは同時期に2人存在していました。そのもう1人が天使だったのです。」

衝撃の事実にトーラスは言葉を失う。

「手記によると、神々は星の力を使い世界を手中に収めようとしました。しかし、それは神の権能による支配であり、世界に安寧をもたらすものではありませんでした。そして、それを止めることができたのは同じく星の力を持っていた天使たちだけでした。しかし、神の権能には天使たちの加護では太刀打ちできません。そこで、魔法の適性が高い天魔族に協力を仰ぎ、協力して神を止めようとしました。」

「天魔族?悪魔とは違うのですか?」

「聖典に悪魔と書かれている存在は厳密には悪魔ではありません。本物の悪魔はこの世界ではなく、深淵の地にいるとされています。天魔族は、魔法の適性に優れておりさまざまな魔法を操ることができる種族です。それが、悪魔と呼称される存在になったのです。」

「ですが、天魔族に裏切られて敗北したと。」

トーラスの言葉にルナは少し表情を曇らせる。

「天魔族がなぜ急に裏切ったのかについての詳細は記されていませんでした。しかし、その裏切りが敗北につながったのは事実です。そして、天魔族は裏切り者のレッテルを貼られながら、悪魔と称されるに至りました。聖戦に敗北したのちは、聖典に書かれていることが事実です。神々は神聖国を建国し、天使を滅亡させることにし天使狩りをしました。そして、あなた方が送り込まれてきたということでございますね。」

ルナが言い終わった後も、トーラスは言葉に詰まって上手く話すことができなかった。聖典の事実とのあまりの違いに脳が混乱していたからだろう。

「ですが、その手記に書かれている内容が事実とは限りません。ミハエルという天使が嘘の内容を記していたということも考えられるでしょう。」

トーラスは、少し口調を荒げながらルナに訴えかける。

「それに、聖典がここまで世界中に語られながらそれが間違っていたなど、そう簡単には信じられません。」

「トーラス様がおっしゃることもわかります。1000年前の歴史は記された書物などから読み解くしかないと。しかし、天使にも星の力を持つ者がいたことは紛れもない事実であり、聖典がそれを記していないことから聖典が全て真実であるということが否定されるのも、紛れもない事実なのです。」

「星の力を持つ天使は実際に存在していたのですか。」

「星の力を持っていた天使は、ミハエル様の実の妹であるセリシア様という方です。存在については手記に記されたことのみですので確証はございません。しかし、私は存在していたと確信しております。正直に申し上げて、聖典や手記に記されている星の力の神の力は絶大です。いくら天魔族と協力したとしても対抗できるものではないと思います。ですが、聖戦では天使は神々に対抗どころか一度追い詰めることもできていました。この事実が天使にも星の力を持つ天使が存在していたことの裏付けになると思います。」

「では、なぜ今聖典に書かれている歴史が語り継がれているのでしょう。手記の歴史が事実だとするとあまりにも内容が違いすぎます。」

「トーラス様。歴史とは勝者が語り継ぐものでございます。正史の内容では神々にとって都合が悪いからということに他ならないでしょう。天魔族を悪魔と称したのもそれが理由と思います。」

トーラスは、ルナのいうことに納得していた。ルナのいうことは筋が通っている。しかし、今までの自分の常識をそう簡単に覆すことができず口をつぐんでいた。

「ですが、私たちが言いたいことはそこではございません。お二人は神聖国からの先遣隊ということでお間違いありませんよね。」

「ええ。」

トーラスはまだ冷静さを保てずにいながらも、ルナの問いに素直に答える。

「先ほども述べたように私たちに戦争をする意思はございません。敵対心や復讐心もございません。お願いします。神聖国のデロッサ神王とお話しする機会をいただけませんでしょうか。私たちはこの都市で普通の生活をすることをのみ望んでおります。」

ルナはソファから立ち、トーラスへと頭をさげる。その姿を見ると、途端に頭の中のモヤモヤが晴れる。自分がここに来た理由をそこに見出した。そして、トーラスはルナへと語りかける。

「頭を上げてください、ルナ様。私たちはあくまで調査のためにこの都市を訪れました。天使の国々を理由もなく滅ぼすことなどしません。今回の調査の結果、私はこの都市に神聖国に敵対する意思はないと判断いたします。このことを父に進言し、不可侵の協定を結ぶ機会を必ず作ることをお約束します。神聖国王子トーラス・ルベリオンの名に誓って。」

トーラスも立ち上がりルナの瞳を見つめる。トーラスは真剣な表情を少し緩め、微笑みながら右手を差し出す。

「ありがとうございます。よろしくお願いいたします。」

ルナがそう言いながら差し出されたトーラスの手を握り返す。

「では、我々は明朝にでも神聖国へ帰還いたします。ちょうど吹雪も止んだようですので出発するには絶好の機会でしょう。協定の詳細や会談の日時などの打ち合わせはまた後日使者を送りながら決定しましょう。できれば私が使者として参ります。」

ルナとの対談が終わり部屋を出ると、部屋の外にはゲルが待機していた。

「終わりましたかい。」

「ゲルさんも私の正体に気づいていたのですね。」

トーラスがゲルに問いかけると、ゲルは少し笑みを浮かべながら軽く頷く。

「最初から完全にわかっていたわけじゃないが、一目見た時から旅人じゃないことはわかっていたからな。この時期の旅人は山の中であんなに目立たない格好はしないものさ。あとは、お前さんたちとの会話の反応かな。」

「なるほど。よく見ていらっしゃるのですね。」

トーラスは、自分自身の軽率な行動に呆れつつもゲルの鋭い観察眼に素直に感心した。

「まあ、俺たちは世界から拒絶された種族だからな。生きていくためにはそれなりの術が必要なんですよ。」

ゲルはまたニカっと笑う。


その後トーラスとキールは家に戻ると、翌日のために出発の準備を始めた。

「それにしても、驚きました。聖典の裏にあんな歴史があったとは。」

キールがトーラスへと語りかける。トーラスも先ほどルナから聞いた話を今一度思い出す。

「そうですね。正直まだ信じられない気持ちもあります。神聖国が歴史を改変し聖典として語り継いでいたなんて。父上は知っているのでしょうか。」

「どうでしょう。知らない可能性もないことはないと思いますが、そう簡単に認めることができない内容でしょう。まさか、神が世界を支配しようとしていたなんて。」

「そうですね。歴史の事実はさておきまずはすぐに帰ってこの国のことを報告しましょう。ところで、何を書いているんですか。」

トーラスがキールに問いかける。キールは荷物をまとめ終えたのかと思えば、机の上で何かを紙に書いている。

「手紙と言いますか、報告書と言いますか。私には弟がいるのですが、その弟が心配性でして、定期的に私が手紙を送る約束になっているのです。まあ、心配性というかちゃんとしているか監視している。という方が正しいのかもしれませんが。」

キールは苦笑いしながら、手紙を書き続ける。

「弟さんも神聖国に?」

「いえ、私は元は神聖国の人間ではありません。両親が早くに死にましたので弟と暮らしていたのですが、生活費を稼ぐために神聖国の軍隊に入ったのです。ですので、弟は神聖国ではない街で暮らしています。まあ、私よりのしっかりしたやつなので生活については心配していませんが。」

「なるほど、兄弟揃って優秀なのですね。」

トーラスがそう言うと、キールは少し照れながら恥ずかしそうにした。

「私はそんなことありませんよ。」

「いえいえ、神聖国の人間ではなかったのにこの先遣隊に選ばれていることや、ここに来てからの調査力を見ると、わかりますよ。あなたがいてくれてよかったです。」

キールは、むず痒い気持ちになり右手で頭を掻きながら

「もうやめてください。明日のためにもう寝ましょう。」

2人は、準備を整えベッドに入るとすぐに眠りについてしまった。


「では、行こうか。」

翌朝、昨日までの吹雪が嘘のように晴れ渡り、風もなく太陽が照り付けている。街の人々も久しぶりの晴れ模様に高揚しているのか、昨日までよりも外に出ている人々が多い。都市の門の前には、トーラスとキール、そしてゲルとルナが2人を送り出すために来ていた。

「2人とも、お気をつけくださいませ。」

ルナが笑顔でトーラスを見送る。

「都市の近くの街道までは俺が道案内するぞ。」

「ありがとうございます。ゲルさん。ではルナ様、近いうちにまた来ます。今回は、我々の怪我を癒し、滞在させていただきありがとうございました。」

トーラスがルナに向けてお辞儀をすると、その背後ではキールもトーラスに倣い深々と頭を下げる。

トーラスとキールは外套を纏い、ゲルの案内に従い門をくぐり都市を出発した。


「ゲルさんも色々とありがとうございました。あなたが私たちを見つけてくれなかったら今頃私たちは死んでいたでしょう。」

歩きながら、トーラスはゲルに向けて再び感謝の言葉を送る。

「困ったときは、お互い様ってもんだ。王子様には神聖国にうまく働きかけてほしいからな。そこのところは頼んだぞ。」

ゲルは、少し戯けながら照れ隠しにそのようなことを言った。

「任せてください。父の説得には最大限尽力します。神聖国の国民も敵対心のない天使がいることがわかれば、天使に対する恐怖心も少しは減るでしょう。そのためには、私の王子という肩書きが役に立つはずです。武力ではない話し合いによる平和的な解決を実現できるようにします。」

トーラスは、自身に芽生えていた使命感に心を震わせていた。今まで王子として自分自身でやり遂げたことはひとつもなかった。ルベリオン家の権能を受け継ぐことができなかった自分は、ルベリオン家ないし神聖国のためになせることはないと卑屈になっていた時期もあった。しかし、今回父に直々に指名され調査を行い、そこで歴史を変えるほどの出会いと衝撃を経験した。都市ミハエルとの友好を確立させることが自分に課された使命であると、今確信していた。

「それは、困りますな。」

どこからか急に男の低い声が聞こえてきた。3人はその声に驚き、周囲を見渡すが人の姿は見えない。

「どんな理由があれ天使は滅亡させなければならないのですよ。」

再び声が聞こえると、トーラスの影が揺れ、そこから黒い影の姿をした男が出現した。3人は驚き、トーラスは目を見開く。ゲルは腰につけた警棒のような棒をその黒い影に向けて構える。

「全く、連絡が途絶えたから死んだと思っていたが、まだしぶとく生きていたとは。ただ、天使の居場所を発見したことだけは、素晴らしい。」

「あなたは、」

トーラスがその黒い影に話しかけようとした瞬間、

ドスっ

黒い影から鋭い針のような影が伸び、トーラスの左脇腹を刺す。

「っ!」

いきなりの衝撃に驚き、左の脇腹を強い痛みが走る。脇腹の痛みにトーラスは悶えながら膝から崩れる。

「トーラス様!」

キールがトーラスへ駆け寄り、ゲルは持っていた棒をその影に向けて振る。手応えはない。

「お前は何者だ!」

ゲルは再び棒を影に向けて構えながら、その影に問いかける。

「あなたは、、、天使の末裔ですか。私、神聖国十二芒星神が1人、影の神シャドールと申します。いきなりではございますが、死んでいただけますか?」

その影は、右手を胸のあたりに当て軽く会釈しながらゲルへと名乗った。すると、右手の指の部分が伸び、鉤爪のような形状へと変形し、ゲルに向かって急速に距離を詰めてくる。シャドールと名乗るその影は右手を大きく振りかぶりゲルへと振り下ろす。ゲルは持っている棒を斜めに構え防御の姿勢を取る。

「そんな棒っきれ。」

影はそう言いながらゲルを攻撃したが、キンッという甲高い音を立てながら攻撃が弾かれる。不意の出来事に影は後ろに軽く引きながら、

「なるほど、ただの棒ではない。いや、これが天使の加護の力というわけですか。」

そう言いながら、弾かれた指をまじまじと見て呟く。その隙にゲルは攻勢へと転じ、その影に殴りかかる。狙いは影の胴体、右脇腹を狙い薙ぎ払う。しかし、ゲルの棒は手応えを感じることなく影をすり抜ける。

「なんなんだ。あっちの攻撃には実体があるのに本体には実体がないのか。」

ゲルは再び影と距離をとり、武器を構える。

「ゲルさん!トーラス様の傷が!」

キールの声にゲルはトーラスが倒れている位置をチラリと見る。トーラスが倒れている位置の雪はトーラスから流れた鮮血に染まっている。早く対処しなくては、トーラスの命に危険が及ぶだろう。ゲルが目の前の影をどう対処するか思案していると、

「おや」

影が自分の手を見ると、徐々に色が薄くなり消えかけていく。影が空を見ると、太陽が雲に隠れ始めていた。

「一旦ここまでですか。まあいいでしょう。天使の国の場所は大体分かりましたから。では、失礼いたします。また後ほどお会いしましょう。あなたも早く国に戻って最後の時が訪れるのを待っていてください。」

影が再び右手を胸に当て、お辞儀すると影は跡形もなく消えていった。

ゲルは目の前で起きたことに少し呆気に取られたが、すぐにトーラスの元へと向かう。

「大丈夫か!」

ゲルがトーラスに駆け寄り語りかけるが、トーラスの返事はない。

「刺されたところから血が止まりません!」

キールが傷口を抑えながらゲルへ言う。その声は焦りに満ちており、とても冷静とは言えない様子であった。

「これを使え!」

ゲルは腰のポーチから緑色の液体が入った瓶を取り出すとキールへと渡す。

「それにはルナ様が製薬した治癒の薬が入っている。傷口にかけろ。血が止まるはずだ。」

ゲルの言葉を聞き、キールは急いで瓶の蓋を開けトーラスの脇腹に空いた傷口へとかける。すると、傷口はミルミルうちに閉ざされ、とめどなく溢れていた血が止まった。

「よし。傷口は塞がったな。だが、血を流しすぎている。このままではまずいな。もう一度ミハエルへ引き返そう。そこでルナ様に治癒してもらうんだ。」

ゲルの言葉にキールは頷き、トーラスを背中におぶる。

「それに、今起きたことをルナ様に伝えないとな。キールさんよ。あの影は何者なんだ。十二芒星神とか言ってたが。」

ゲルは、早足でミハエルに向かいながらキールへ先ほどの影の正体を尋ねる。

「あれは神聖国の十二芒星神の1人影の神シャドール様の権能だと思います。実際に見たことはありませんのでどのような権能であるかは知り得ませんが。」

「十二芒星神ってのは。」

「十二芒星神は、神聖国の神王に支える最高幹部と言えば良いでしょうか。建国の時から存在する十二の強力な権能を有する家系から選ばれる方達で、その一人一人が桁違いの強力な権能を有しているという噂です。本来は、私たち先遣隊が天使の国を発見した際は、クラウス山脈近くに陣取った本隊が強襲する手筈だったのです。まさか、その本隊に十二芒星神も参加しているとは。」

「あんたは聞いていなかったのか?」

「はい、トーラス様からは聞いていませんでした。本来このような掃討作戦の場合はいくつかの中隊を率いてくるのですが、その隊長は神聖国軍の師団長が出てくるはずなのです。十二芒星神は、それよりもはるか上の立場の方々です。普段は神聖国の直轄領の領主として君臨している方々ですので、前線に出ることなど聞いたことがありません。」

「それほどの存在がミハエルを襲撃しにくるということか。」

ゲルは表情を少し曇らせながら、足取りをまた少し早くする。キールもそれに続き、トーラスを背中に乗せながら、決して落とさないように強く掴み、その跡をついていく。



「うまくいったのか」

簡易テントの中央で座禅を組み今まさに権能を発動し終えた男の後ろで、大柄の男が問いかける。

「モーゼスさんですか。やっと仕込んでいた影が仕事を果たしてくれましたよ。全く、この時期のクラウス山脈は吹雪が多くて太陽が出ない日が多すぎますね。こんなことなら、テリジアを連れてくるんでしたね。」

文句を言いながら立ち上がり、質問に答える男は、影の神シャドール。短髪の髪をオールバックにし、黒い衣装に身を纏う。ローブのような見た目のその服は、足元まで覆っておりシャドールの全身像を隠している。身長は190センチほどと長身で、糸目の吊り目をした、いかにも怪しそうな見た目をしている。

「さあ、すぐに出発の準備をしましょうか。モーゼスさん、あなたの力にも期待していますよ。」

モーゼスと呼ばれたシャドールの後ろに立つ男は、ああと返事をする。その男は、非常に大きかった。身長がシャドールよりも大きいということだけではなく、その体つきは筋骨隆々としており、見るものに大きな圧迫感、威圧感を与える姿をしている。シャドールの服装に比べ肌の露出が多く、肩が出た薄い服を着ている。その服も、下に控える筋肉の膨らみを抑えることはできず、ピチピチに張り付いている。その瞳は赤色で、目鼻立ちもはっきりとしている。普通の人が見れば、十分に美形でかっこいい顔つきなのだろうが、体の大きさにしか目がいかないだろう。それほどまでに見事な仕上がった体つきをしている。

「シャドール、天使の国の正確な位置はわかっているのか?」

テントを出ようとしたモーゼスが振り返り、シャドールへと問いかける。

「大丈夫、すぐにわかるはずですよ。仕掛けはきっちりとしていますからご安心ください。」

怪しげな笑顔を浮かべシャドールは答える。その顔は、まさに不吉という言葉がよく似合うような悍ましさに包まれていた。



ミハエルに着くと、2人は急いでルナの住む城へと向かった。途中、さっき出発したはずの2人が戻ってきたことに疑問の目を向けるものもいたが、構わず駆け抜けた。

「ルナ様!」

城に入りルナがいる部屋に入りながらゲルが叫ぶ。部屋の中ではルナと数人の従者がお茶をしながら談笑していた。不意の訪問者の登場にルナは驚いた様子を見せる。

「ゲル?それにキール様も。どうされたのですか。」

驚いた表情のままでルナがゲルへと問いかける。

「2人を案内している途中、神聖国の刺客に襲撃されました。トーラスが脇腹を刺され重傷です。治癒の薬を使用しましたが、外傷を治癒したにすぎません。お願いできますか。」

ゲルの短くも適切な説明を聞き、ルナは顔色を変え立ち上がり、キールが背負っているトーラスの元へと駆け寄る。

「キール様、こちらに寝かせてください。」

そう言うとキールはトーラスを床に敷いた布の上へと寝かせる。ルナはトーラスの脇腹の傷跡に手を置き、治癒の力を使用する。トーラスの体は緑の光の膜に包まれる。

「これは、」

ルナが脇腹に手をかざしながら呟く。

「どうされましたか。」

ゲルがルナへと問いかけると、

「ただの傷だけではなく、その傷が治らないように呪いがかけられていますね。外傷は塞がり、血は出ていませんが生命力は失われ続けています。」

「ルナ様、、」

ルナのその言葉に動揺し、心配するような顔でキールがルナを見つめる。

「大丈夫です、私の治癒の加護はこの程度の呪いには負けません。」

ルナのその言葉に呼応してトーラスを包む光が一層強い輝きを発する。

「完了しました。少しすれば目が覚めるでしょう。」

ルナは従者にトーラスを寝かせるように言い、ゲルとキールから話を聞くため、2人に着席を促す。

「それで、神聖国の刺客に襲撃されたと言うことでしたが、なぜトーラス様が?神聖国の王子ですよ?」

「それは私にも分かりません。ただ、襲撃してきたのは神聖国十二芒星神の1人、影の神シャドールです。おそらく、彼の権能による影を使い襲撃したものと思われます。単独の行動であれば神聖国に対する謀反の可能性もありあすが、後方に主力部隊がいると言うような口ぶりでしたから、その可能性は低いと思われます。」

ルナの問いかけに対してキールが状況を説明する。

「十二芒星神。そのような大物まで近くに来ているのですか。」

「奴はこの都市を滅ぼすと言っておりました。すぐにでも対応しないと大変なことになります。幸い襲撃された位置はここから少し離れていたのでここの正確な場所はわからないと思われます。」

「確かにそうですね。真意はわかりませんがトーラス様は、その男に刺されたと言うわけですね。これは交渉の余地がないと言うことでしょうかね。」

ルナは少し苦悶の表情を見せながらそう呟く。そして、覚悟を決めたルナは従者を呼び指令を出す。

「この都市にいるすべての方々に避難命令を出します。まだこの場所がバレていないうちに早く支度をさせなさい。」

彼女の指令に従者は返事をし、各々が行動を開始する。

「ゲル、あなたも避難の準備をしなさい。私はこの都市に残り、最大限交渉をします。」

「交渉するのであれば我々も残ります。」

キールがルナへと訴えかける。

「いいえ。現状を鑑みると彼らの標的は私たちだけではなく、トーラス様やあなたも含まれていると考えられます。特にトーラス様は直接命を狙われています。ここにいては確実に殺されるでしょう。あなたは今すぐにでもトーラス様を抱えてこの都市から出るべきです。」

「しかし、」

キールが反論しようとするも、それをルナが手を差し出し止める。

「トーラス様への忠義の心があるのなら、主人の安全を一番に考えなさい。」

ルナはいつもよりも少し強い口調でキールに言う。ルナの気迫に押され反論の言葉を飲み込みキールは頷く。

「その言葉で言うなら、俺はここに残らせてもらいますよ。」

ゲルがニヤッと笑いながらルナへと言う。

「俺の仕事はルナ様と、この都市を警備することなんでね。」

その声には自信が溢れている。それは、神聖国を倒せると思っていると言うことではなく、自分の役割を全うすることができるということへの喜びの感情からなのだろう。

「ゲル、ここに残っては確実に死にますよ。」

ルナはそれでも毅然とした真剣な表情でゲルへ語りかける。

「そんなことはわかっていますよ。でも、ここの若い連中やトーラスたちを逃す時間くらいは稼げると思いますよ。」

「ゲルの言う通りですよ。」

その言葉と同時に部屋の扉が開き、数十人の男たちが中へと入ってくる。

「俺たちも残らせてもらいます。ゲルにだけかっこいい真似はさせられません。」

部屋に入ってきたのは、ゲルが所属する警備隊の男たちであった。それぞれの表情はすでに決意はできていると言うことを物語っていた。

「あなたたち。」

ルナは少し表情を和らげ、その男たちへと言葉をかける。

「わかりました。子供たちやトーラス様たちが逃げる時間を必ず稼ぎましょう。」

ルナの言葉に応じて男たちが声を上げる。


すると、再び扉が開きトーラスが姿を見せる。

「トーラス様!」

キールが叫びながらトーラスの元へと駆け寄る。

「お身体は大丈夫なのですか。」

「すまない。また心配をかけてしまいました。」

トーラスはキールにそう応えながら、ルナの元へと歩く。

「一度ならず二度も命を救っていただき、感謝の言葉しかございません。」

トーラスは膝をつき、深々と礼をする。

「いいえ。あなた様は大切な客人ですから。」

ルナはそう言いながら屈むとトーラスの手をとり笑顔を見せる。

「ところで、なぜあなたが襲われたのか。心当たりはあるのでしょうか。」

ルナは純粋な疑問をトーラスへと投げかける。

「おそらくは、神聖国にとって邪魔者である私を消すためでしょう。私は王家の者ですが、代々の権能を受け継ぐことができなかった劣等者です。私を排除する機会を窺っていたところちょうどよく天使の国の情報が舞い込んできたので、利用したのでしょう。天使の国と同時に私を殺すために。」

トーラスはルナへと返答しながら、出発前の自分を恥じた。父に期待されていないということはずっと前から気づいていたはずなのに、どこかそれを信じたくない気持ちがあった。今回の指令は父が自分をまだ見捨てていないのだと内心では心を躍らせていた。だがそれは偽りであった。やはり自分は父に必要とされていなかったのだ。十二芒星神を遣わしたのも、自分を確実に葬り去るためだったということか。色々なことに辻褄があっていき、その事実がトーラスを追い込んでいく。

「シャドールの権能は、他人の影に自分の分身を仕込ませることができる力です。その影を使うことで、盗聴や仕込んだ影の位置を把握することができます、その仕込んだ人物の影がはっきり出ている場合、その仕込んだ影を使い強襲することができます。しかし、それらの力は太陽からの光による影でしか発動しません。おそらく今まで出現しなかったのは吹雪で太陽が出ておらず、権能を使うことができなかったからでしょう。それに彼は複数の強力な呪いを付与することもできます。私にもその呪いがかけられていたのでしょう。」

トーラスがシャドールについて説明しているが、その中で生じた疑問についてルナが割って入る。

「確かに呪いはかけられていましたが、それほど強力というものではありませんでしたよ。」

「それはルナ様の力が上回っていたということじゃないんですかい?」

ルナの疑問に対して、ゲルが答える。

「いや、十二芒星神と言われる人物があの程度だとは考えられないのですが、、、」

ルナは納得できないという表情でそう呟く。

「確かに、シャドールの扱う呪いは非常に強力で多岐にわたると聞いています。即死級の呪いから弱体化の呪いまで豊富にあると。ですが、私が生きているということは即死の呪いを使わなかったということなのでしょうか。影を仕込んでから時間が経っていたから、力が弱まっていたのでしょうか?」

トーラスもルナの言葉に疑問を抱き、その答えを考えるが確たる答えは出てこない。

「まあ、どちらにせよ。そのシャドールってのは厄介だな。どう防いだもんか。」

ゲルがそう呟くと、

「シャドールだけではありません。十二芒星神はもう1人来ています。」

トーラスの言葉にその場にいた全員が表情を固める。

「十二芒星神の中でも最強と呼び声の高い武神モーゼスが。」

「モーゼス!あの武神もいるのですか。」

トーラスの言葉にいち早く反応したのはキールだった、その声は驚きのあまり少し裏返っている。

「おいおい、そのモーゼスってのはどんな奴なんだ?」

ゲルが驚きの声を上げたキールに対して問いかける。

「武神モーゼスは、十二芒星神最強を謳われている人です。ですが、その力の詳細はわかりません。彼にはさまざまな逸話がありますが、どれも規格外すぎて現実味のないものしかありません。」

キールが質問に答えるが、それを聞いても何もわからなかったゲルはトーラスの方を伺う。

「正直、私もモーゼスの権能の詳細は分かりません。ですが彼がとてつもない力を有しているということだけは確かです。武神という肩書きですので、攻撃系の権能だと思うのですが。」

「とにかく、今は皆の避難が優先です。トーラス様、キール様には申しましたが、あなた方もお逃げください。シャドールたちがあなたの命を狙っていることは間違いがありません。これが単独にしろ神王の意向にしろ、ここに残ることにはメリットがありません。それよりはここから生き延びて私たちの意思を世界に伝えてほしいのです。天使は戦いを望まないということを。そのためには、あなたの立場と声が必要です。」

ルナの言葉に対して反論することができず、口籠もってしまう。

「このミハエル様の手記をあなた様に託します。もしも、私たちの他にも生き残りの天使属がいたらその時に手を貸してあげてください。私たちは、その手記とあなたを未来へ繋げます。」

トーラスは顔を険しくし、苦悶に満ちた表情をする。自分の力の無さを痛感しつつ助けられてばかりなことに悔しさを滲ませながら。

「分かりました。その願い、私がトーラス・ルベリウスの名に誓って必ず叶えます。」

トーラスは決意を固めた表情でルナの瞳を見つめる。ルナはその顔を見て安心したのか笑顔を漏らす。そして、トーラスの元へ近づき、トーラスの手を取るとその甲に口づけする。

「私の加護をあなたに付与しました。この力があなたを守るでしょう。」

「避難の際は、この城の中にある地下通路を使ってください。この通路を通ればクラウス山脈の向こう側に出ることができます。」

トーラスはキールと顔を見合わせ頷く。

ドンっ

再び扉が勢いよく開けられ、1人の従者が慌てた顔で部屋へ入ってくる。

「ルナ様!大変です!神聖国の軍隊がすぐそこに!」

ルナとゲルたちは驚いた表情を見せる。

「おいおい、いくらなんでも早すぎるだろ!」

「なぜ、こんなにも早くこの場所が、、、まさか。先ほどトーラス様にかけられていた呪い、あれは追跡用の呪いだったのでは。」

ルナの言葉にトーラスも呼応する。

「確かに、その可能性が大いにあります。あえて即死の呪いをかけなかったのは、私がここに運ばれることを期待してのことだったのか。運ばれる前に死ねばそれもよし、呪いが解除されればその位置に天使の国があることが確定するという策略だったのでしょう。私のせいで。」

トーラスが自分を責めるように表情を曇らせ俯く。

「トーラス様。あなたはあくまで被害者です。この件に関しては相手の方が一枚上回っていたというだけのことです。あなたのせいということは決してありません。いかに相手の思考の裏をかき自陣営の有利を作っていくか、それが戦争の第一歩なのです。戦闘行為の前の情報戦で勝敗はほぼ決まるものなのです。早く、防衛の配置を整えましょう。トーラス様も準備を、」


ドンっ!!!

轟音と共に城全体が揺れる衝撃が走る。

「なんだ!」

ルナとトーラスたちは、城を出て都市の門の方を見る。

そこに先ほどまであった門は、跡形もなく崩れ去っていた。吹き飛んだ瓦礫が中央広場まで飛び散り、散乱している。広場の真ん中にあったミハエル像もその衝撃で倒れてしまっている。門があった場所には土埃が舞っている。いろんな場所からは住民たちの悲鳴が鳴り響き、建物は先ほどの衝撃で崩れたものも多くあった。

「あの門があそこまで破壊されたのか。」

ゲルは起きた現実が信じられないとばかりの表情を見せ、呟く。周りの男たちも驚きに満ちた表情をし、中には絶望の顔を見せるものまでいた。男たちの当初の計画では、門の守護を固めることで都市内に神聖国の兵士の侵入を阻むことで時間を稼ごうとしていた。その防衛の要であった門がもう跡形もなく崩れてしまった。都市決戦になれば、混戦になり数で大きく勝る神聖国軍を止めることは厳しい。

「事態は一刻を争うようです。皆、すぐに行動を開始してください。1人でも多くの国民を城の地下通路から逃します。そして、城での防衛を最優先事項とします。さあ、トーラス様いってください。」


トーラスは従者の1人に案内され地下通路に入る。城には避難の準備を済ませた住民たちが集まり、地下通路へと向かった。ピナたちもトーラスのすぐ後に地下通路に入り、トーラスたちと合流する。

「お兄ちゃん!」

「ピナ!無事だったんだね。」

ピナはトーラスの膝に抱きつき、顔を擦り付ける。トーラスはそこが湿っていることに気がつく。

「パパが。」

そう呟きながら、ピナが涙を流す。そのピナの姿を見ながら、トーラスはピナを抱き締める。

「行こう。ピナ。必ず生き延びるんだ。」

トーラスは、ピナの手を繋ぎ地下通路を歩き出す。


「さすが、モーゼスさんですね。あの強固そうな門を一撃で破壊するとは。」

腕を組み顎に片手を当てながら、シャドールは感嘆の声を上げる。門の近くでは砂埃が舞いその中からモーゼスが歩き寄ってくる。その右肩からは砂埃とは違う蒸気が噴出している。

2人の後ろに控える神聖国の兵士は、そのモーゼスの力を目の当たりにし衝撃のあまり目を見開くもの、その強大な力に恐怖するもの、興奮で震えるものがいる。

「さて、皆さん。我らが王子トーラス様はこの都市に囚われているようです。都市の隅々まで捜索しなさい。必ず発見するのです。そして、この都市に住むものは1人残らず滅ぼしなさい。」

シャドールの声に兵士たちが雄叫びを上げる。そして、兵士たちが突撃をかけて行った。

「いいのか、トーラスは殺すのだろう。」

モーゼスが腕を組み、シャドールへと問いかける。自分は一仕事を終えたという表情をしている。

「いいんですよ。トーラスの暗殺は機密事項ですからね。どうせ今回連れてきた兵士たちは全員名誉の戦死を遂げてもらうんですから。駒として存分に働いてもらいますよ。」

シャドールは、薄ら笑みを浮かべてモーゼスに応える。その表情はいかにも悪人という顔で不気味さを帯びている。

「兵士を全員失うのは痛手ではないのか?」

「少し痛手ではありますが、被害が大きい方が後々の国民からの同情を買うことができるのですよ。そして、天使という存在の危険性を強調することができる。トーラスが天使の国に囚われて死んだとなれば、それはもう。我々の行いが正義であるとアピールするのですよ。」

「なるほどな。さすが十二芒星神の中でも最高の知略者と呼ばれるだけのことはある。だが、卑怯だな。」

モーゼスは少し不満げにシャドールを見る。その知略には感心しているがあまり好みのものではないようだ。

「神聖国にとっての最大の利益とそのための最良の方法を求めているのですよ。私はあなたのように強大な武力を持っているわけではないのでね。」

自分の力を卑下しながらもどこか自信に満ちた誇らしげな表情を見せる。そして、崩れた門から都市の内部を見る。そこでは神聖軍の兵士たちが建物の中を捜索しながら住民を虐殺している姿が見られた。殺されている人々は、武器を持たない普通の住民が多い。各地から悲鳴が聞こえ、建物が崩れる音や爆発音まで聞こえている。

「さて、トーラスはどこにいるんですかね。彼の絶望に満ちた顔が早く見たいですね。」

シャドールは絶望に満ちたトーラスの表情を思い浮かべ、再び笑みを漏らす。

「もはや、気色が悪いな。お前の顔は。」

その様子にモーゼスはため息をつきながら、呆れたという表情を浮かべている。

「失礼ですね。」

不気味な笑顔を浮かべたままシャドールが言い返す。


「ちくしょう、神聖国の奴ら中央広場まで」

兵士の1人を薙ぎ倒しながらゲルは呟く。

モーゼスの一撃により門は完全に破壊され、次々と神聖国の兵士が入ってくる。中央広場は思ったよりも崩壊しており、地面のタイルや周りの露店なども崩れてしまっていた。兵士たちは、中央広場を抜け住宅街まで続々と押し寄せている。

「住民の避難はどれくらい完了している!」

「まだ半分といったところだ。門の瓦礫が住宅街にまで被害をもたらして、家に押しつぶされている人や逃げるのが遅れた人々が取り残されている。」

ゲルの呼びかけに警備隊の1人が反応する。

「まずは、住民の避難を援護しつつ神聖国の兵士を撃退するんだ。」

そう叫びながらゲルも中央広場から住宅街へ向かう。

住宅街に着くと目を疑いたくなるような悲惨な現状が広がっていた。多くの建物が崩れたくさんの人がその下敷きになっている。また、神聖国の兵士たちによる住民の虐殺が行われていた。道には頭部が体から切り離された死体が転がっている。ゲルは目の前に広がる光景に絶句する。と同時に兵士の1人が、死体の前で座り込み泣きじゃくっている女の子に向かって今まさに剣を振り下ろす瞬間を発見する。ゲルは咄嗟に足を動かす。

間に合え、間に合え!

兵士の後ろ側から加護で強化された警棒を振り下ろす。兵士はゲルの一撃で完全に意識が落ち、倒れる。しかし、ゲルの目に映るのは一歩間に合わず、背中を切りつけられ倒れる女の子の姿であった。倒れながらもその女の子は目の前の死体の手を握っている。すぐに駆け寄り、声を掛けるがすでに息はしていなかった。

「クソっ!!」

ゲルは感情を露わにしながら、警棒を握る力を強める。親子と思われるその二つの死体の瞼を閉じさせ、横に並べる。2人の手は繋いだままで。

そしてまた叫び声のする方へと向かっていく。1人でも多くの住民を救うために。


「ルナ様、住民の約5割を地下通路に誘導完了しました。ですが、都市内はすでに神聖国の兵士の侵入を許し乱戦状態です。これ以上は、」

ルナに報告しながら従者が次の言葉に口ごもる。

「最善の選択を取るのも指導者の義務ですね。わかりました。地下通路への扉を閉じなさい。そして、その入り口を塞ぎなさい。次期にここにも神聖国軍が攻めてくるでしょう。生きているものは皆この城に集めるのです。」

「かしこまりました。信号弾を使います。」

従者はルナに一礼しその場を離れる。その場にはルナが1人残されている。ルナは大きなため息をつき天井を見上げる。

「交渉が通じる相手ではないでしょうね。なぜ人はこうも争うことをやめられないのでしょうかね。」

その顔は自らの死と1000年続いたこの年の終焉を察しているかのようにどこか達観した顔であった。その表情にはトーラスへと未来を託したことにより、自分が重責から解放されることへの解放感とトーラスの決意に満ちた表情への期待感が入り混じっている。後のことは任せましたよ。そう心の中で呟き、覚悟を決めた顔をする。この都市の最後の指導者としてやれることはまだある。ここにいる神聖国の兵士に話を聞いてもらうことだ。そんなことは無駄かもしれない。天使の話をまともに聞いてくれる人はいないかもしれない。しかし、誰かの心にはルナの言葉が、天使の想いが届くかもしれない。そして、その僅かな一握りが今後の神と天使の関係を変えるきっかけになるかもしれない。そんなほんの少ししかない可能性に賭けることしかルナが行えることはない。

「ルナ様、生存者はあらかたこの城に集まりました。ですが同時に神聖国の兵士もこの城に侵攻しています。」

「わかりました。一般の住民の方はこの部屋に集めてください。助かる保証なんて全くありませんが、この部屋がこの城で一番頑丈なはずです。あなたもここで住民の皆さんを保護してください。城の物資はどう使おうが構いません。どういう意味かわかりますね。」

「かしこまりました。」

従者は苦渋に満ちた顔で答える。ルナは全てを言うことはなかったが、それでもこの従者はその言葉の意味を十分理解していた。この城には食料品はもちろんさまざまな嗜好品もある。避難してきた住民にそれらを分けつつ最後の時を過ごせるようにしろということだ。ただし、ルナの言葉にはさらなる意味が込められている。この城には、必要最低限の武器や薬などもある。望むものにはそれらも与えるようにということである。それは戦うためという意味ではない。それを、ルナが言葉にしなかった、いやできなかったということも従者は重々理解していた。


「この城に住民が逃げ込んでいる。正面の兵士を殲滅し城の内部へ侵攻せよ。」

神聖国軍の兵士の中で司令官らしき男が指示を出す。周りの兵士は、その指示に呼応し城の入り口を守る警備隊に攻撃を仕掛ける。しかし、警備隊も一筋縄では倒れない。それもそのはず、神聖国軍の兵士は何も皆が神の末裔というわけではない。普通の人間でも志願すれば入隊することができる神聖国軍では、権能を持たない兵士の方が圧倒的に数が多い。先遣隊に編成されていたキールもそういう兵士のうちの1人である。しかも、今回の侵攻作戦の本隊においては権能を持つ兵士があまりにも少ないという異例の編成であった。そんな普通の兵士1人では天使の加護を有する警備隊を倒すのはほとんど不可能であった。それゆえに、なかなか城の入り口の守りを突破できない。そんな現状に痺れを切らした指揮官の兵士が叫ぶ。

「相手1人に対しては複数人で攻撃せよ。多方向から囲むように攻めるのだ。そして、スクレオス様の秘薬を服用することを許可する。一刻も早くトーラス様を救い出すのだ!」

指揮官の言葉を聞き、兵士たちが複数人で隊列を組む。そして、腰のポーチから何やら丸薬のようなものを取り出しそれを飲み込む。すると、兵士たちの体は一瞬赤く光り、兵士たちの体つきが成長する。筋肉量が明らかに増え、体が一回り大きくなる。指揮官が許可した秘薬は、医神スクレオスが開発した肉体を強化する薬で、服用後の副作用として全身に激痛が訪れるが一時的に人間を超えた力を発揮することができる代物である。大型作戦の際には兵士の一人一人にその秘薬が支給されるが、指揮官の許可を得ずに飲むことは許されず、服用後効果時間が過ぎれば大幅に戦力が減ってしまうことから短期決戦が求められるため、指揮官も服用のタイミングを慎重に計らなければならない。その点で言えば、この指揮官はトーラスを救出することを急ぎ服用のタイミングを少し早く指示してしまっていた。天使たちの加護の力がどの程度であるか不明であるこの状況においては早計であったと言わざるを得ないだろう。警備隊がこの猛攻に耐えることができれば、神聖国軍は戦力を大幅に減少されてしまうことになる。天使にも十分に勝機が見えてくる。

しかし、現実はそう甘くはなかった。警備隊の人々が有する加護は防御系のものが多い。ゲルのように身体を強化するものや、硬化する力を有するものが多くいる。しかし、波状攻撃のように次々と襲いくる神聖国の兵士の攻撃は彼らの加護を徐々に消耗させていた。守ることに特化している加護では強化された兵士に対して決定打を与えることができない。お互いの消耗戦になると数で圧倒的に勝る神聖国には太刀打ちすることができなかった。

神聖国の兵士たちの攻撃によりどんどん倒れていく警備隊の男たち。すると、城の入り口から1人の女が出てくる。白い衣装に身を包み、黒い髪を靡かせた美しい女性、天使の末裔にしてこの都市の導き手、ルナである。



神聖国の兵士たちはルナの美しさに少したじろぐ。ルナは、ゆっくりと歩みを進めると倒れた警備隊の男たちへ手を触れその加護の力でたちまち癒す。

「私は、この都市ミハエルの長。ルナと申します。私たちは争う意思はございません。どうか私の言葉を聞いてはいただけませんか。」

憂いに満ちた表情で神聖国の兵士たちを見る。その美しさと神々しさに兵士たちは手を止めてしまう。

「何をしているのだ。敵の長が目の前にいるのだぞ。早く倒せ!トーラス様の居場所を吐かせ、早くお救いするんだ!」

指揮官が兵士たちに対して怒号を響かせる。しかし、ルナの表情は落ち着いている。そして、指揮官の顔を見つめると穏やかな口調で語りかける。

「トーラス様はこの城にはいません。すでにお逃げになっています。」

「何を言っている。逃しただと?なぜ救出にきた我々から逃げる必要があるのだ。戯言を言うな!」

ルナの言葉に対してさらに怒りをあらわにして叫ぶ。

「命を狙われているのなら逃げるのは当然のことです。トーラス様は十二芒星神のシャドールに命を狙われました。ですのでお逃げになったのです。」

「シャドール様がトーラス様の命を狙うわけがないだろう。」

「事実は物語よりも奇妙なり。あなた方の中にも神聖国の神王デロッサがトーラス様をよく思っていないという噂を聞いたことがある方がいらっしゃるのではないのですか。そして良い機会だから侵攻と同時にトーラス様を抹殺しようとしている。この都市が滅んでしまえば、トーラス様がなぜ死んだのかは闇に葬られることになりますから。あなたはこの進行に対して何か違和感は抱いていないのですか。」

ルナは努めて冷静な口調で語りかける。ルナの言葉の雰囲気に当てられたのか指揮官は先ほどまでより冷静さを取り戻している。そして、ルナの言葉について考える。

考えてみれば今回の侵攻作戦には不思議なことが多くあった。神聖国の最高戦力である十二芒星神が2人も投入されていること。トーラスを救い出すためだと思ってあまり疑問に思わなかったが、よく考えるとそもそも神聖国の王子であるトーラスを少数の護衛のみで先遣隊に任命することが異常である。そして、トーラスが捕らえられることがわかっていたかのような速さでシャドールとモーゼスが派遣された。そんな戦力を出しながら、本隊の編成には権能持ちの神の末裔が通常に比べて少ない。これらのあまりにも多い違和感が指揮官の判断を鈍らせる。また、ルナが言った通り、デロッサがトーラスをよく思っていないという噂は確かに耳にしたことがあった。目の前の女が言っていることはデタラメだと思っていたが、違和感を繋ぎ合わせると筋が通っているようにも感じられる。指揮官は困惑した。周りの兵士たちもルナの言葉に困惑し、指揮官の指示を仰ごうと指揮官の方を見ている。指揮官がルナへ質問しようと口を開きかけたその時。


「余計なことを吹き込まないでいただきたい。」

指揮官の後ろ側からシャドールとモーゼスがゆっくりと歩きながら近づいてきていた。

「全く。あまりにも時間がかかるから何事かと思えば、くだらない問答をしていたというわけですか。」

シャドールは呆れたと言わんばかりの表情で指揮官のことを見る。その瞳は冷徹で温度を感じないほど冷たく、俗物を見るようであった。

「申し訳ありません。シャドール様。」

指揮官の男がシャドールの方を向き深々と頭を下げる。

「中途半端に頭が回るというのも考えものですね。あの女のせいで真相に辿り着きそうになってしまうとは。駒は駒らしく私のいうことに従順に従っていればいいだけのことを。」

腕を組みながら片手で顎を触り、大きなため息をつきながらシャドールは呟く。

「え。」

頭を下げていた指揮官はシャドールの言葉に思わず顔をあげる。真相にたどり着く?真相?ということは、この天使の女が言う通りトーラス様は抹殺されそうになっている?シャドールの言葉を理解できずに頭の中をさまざまな思考が掻き乱れる。

「シャドールさm」

指揮官の男がシャドールに質問しようと言葉を発しかけたその時、指揮官は自分の腹部に強い衝撃が走り、言葉を途中で止めてしまう。自分の腹部を見ると、黒い影のようなものが後ろから自分の腹部を貫いていた。その影は背後にある自分の影から伸びていた。

「どうして、」

そう呟きながら指揮官はその場に倒れ込む。すると、その体はみるみるうちに朽ち果てて灰となってしまった。その光景を目の当たりにしていた全てのものが言葉を発することができずに驚愕する。ただ1人シャドールの後ろに立ち、腕を組んでいるモーゼスだけは黙りこくり、目を閉じている。シャドールはニヤリと微笑むとおもむろに右手を顔のそばに近づけると、大きく指を鳴らした。

パチンっ

その音が鳴り響くと同時に神聖国の兵士たちの影から先ほどと同じような影が伸び、その兵士の体を貫く。そして、指揮官と同じように体が朽ち果て灰になっていく。神聖国の兵士たちはその痛みに叫び声を上げるが、その声も長くは続かず声はどんどん小さくなっていき、すぐに聞こえなくなっていた。その叫び声にシャドールだけは恍惚の表情を浮かべている。

ルナと警備隊の男たちは目の前に大勢いたはずの神聖国の兵士たちが全て灰となって消えて言ったことに驚愕し、目を見開く。誰も言葉を発することができない。目の前で起きたことはまさに人間離れした力であり、その圧倒的な力に立ち竦んでしまっていた。

「使えない駒が消えたことですし、私から質問してもよろしいですか?」

シャドールは先ほどまでの笑みを消し、冷酷な顔でルナの方を向く。その目はゴミを見るような目で、とても質問する側の人の態度ではない。いいですかと聞いておきながら相手に拒否権を与えるつもりなどないと言うような圧を出している。

「トーラスをどこへ逃した?この都市の周囲を張っていましたが、門はおろかどこからも脱出している形跡はなかった。だが、この都市にはすでにトーラスの気配は感じられない。どこだ。」

先ほどまでの丁寧な口調ももはや無い。質問に早く答えろ、さもなくば殺すと言う意思をヒシヒシと感じさせている。

「お答えすることはできません。トーラス様は必ず逃すと誓ったのです。あなた方のお教えすることは何一つありません。」

ルナもシャドールの圧に屈することなく、強い口調で返す。

「そうですか。では、死んでください。」

シャドールは、ルナの答えにふっと表情を一瞬和らげると、すぐにルナに目がけて突っ込んできた。警備隊の男たちはすぐに反応してルナとシャドールの間に割って入る。そして、突っ込んできたシャドールに対して攻撃する。

「邪魔ですよ。」

そう言ったシャドールは、警備隊の男たちの攻撃が当たる直前に自分の影に姿を潜ませ、男たちの下をくぐり抜ける。男たちは驚きながらもすぐに振り返りシャドールの姿を追う。が、その姿を見つけるよりも先に自分達を襲う痛みに気が付く。見ると、先ほどの神聖国の兵士たちのように自分の影から伸びた影に腹を刺されていた。籠の守りをもってしてもその攻撃を防ぐことができなかった。警備隊の男たちは次々に倒れる。しかし、神聖国の兵士たちのように灰になるということはなかった。すると、倒れた男たちの前にシャドールが再び姿を現す。

「なるほど、天使の末裔というのは呪いに対してある程度の耐性を持っているのですか。興味深いですね。」

倒れた男たちを眺めて興味深そうにうんうんと頷いている。

「みなさん!」

ルナは男たちの方へ駆け寄ろうとするが、それをシャドールが立ちはだかり阻害する。

「では、さようなら。」

シャドールは右手を振り上げて、ルナを攻撃しようとする。ルナも覚悟を決め目を瞑る。その右手を振り下ろそうとした時、自分を狙う攻撃を感知し後ろに飛ぶ。シャドールの脇腹を狙った一発は間一髪のところで避けられる。

「あなたは?」

シャドールが自分に攻撃をしてきた男の顔を見て呟く。そこに現れたのは、身体中に傷跡を作りながらも神聖国の兵士に必死に応戦していたゲルであった。

「ルナ様、遅くなりました。」

「ゲル。無事だったのですか。」

ルナもゲルの登場に驚く。そしてすぐにゲルに手を触れ傷を癒す。

「これはこれは、なんとも格好の良い登場でしたね。」

シャドールが小馬鹿にしたような口調でゲルに話しかける。

「あなたごときが私に勝てるとでも?」

「そんなこと思っていないさ。でもな、警備隊には警備隊の意地ってものがあるんだよ。守るべき人が生きているのに俺らがそれを諦めるわけにはいかないんだよ。」

ゲルはそう言いシャドールに対して武器を構える。そしてシャドールに向かって攻撃する。シャドールに向けられたその一発を先ほどと同じように自身の影に隠れることによって避け、ゲルに向かって反撃をする。しかし、その攻撃がゲルを貫くことはなかった。シャドールの攻撃は弾かれる。シャドールは驚き、ゲルと距離をとる。

「なるほど、今思い出しましたよ。あなたはあの時トーラスと一緒にいた天使の末裔の男ですか。あなたの加護の力は他の有象無象よりもよっぽど優れているようだ。」

シャドールはゲルに対して賞賛の言葉を送る。

「私の攻撃は威力が高くは無いといえ、天使に防がれることはないと思っていたのですがね。ふむ。攻撃が弾かれる上に呪いに対して耐性がある、ですか。全く、簡単に死んでくれないとは、厄介なものですね。」

シャドールは、現状を冷静に整理しながら思わず笑みをこぼす。この目の前の男は非常に厄介な存在であった。シャドールの攻撃が通らないということは相手を倒す算段がないということであり、ゲルの攻撃もシャドールには当たらないことを考えると、どちらにも決定打がない、いたちごっこの状態になってしまっている。また、ゲルの後ろにいるルナは傷を瞬時に治癒する力を持っているから、一撃で息の根を止めなくてはならない。シャドールがゲルと睨み合いながら、どうしようかと策を考えていると、

「どけ。」

シャドールの後ろで腕を組んで立っていたモーゼスがゆっくりと歩いて近づき、シャドールをどかしてゲルの前に立つ。

ゲルも目の前の男がトーラスの言っていた武神モーゼスであることをそのオーラから察する。モーゼスから発せられる圧は強大で、思わず一歩下がってしまう。

「男、お前の名前はなんという。」

モーゼスはゲルに対してぶっきらぼうな口調で問いかける。

「ゲルだ。」

言葉にまでも大きな圧を感じ、少し震えながらゲルが答える。

「そうか、ゲル。お前はなかなか強いな。天使でなければ神聖国の兵士にスカウトしていたところだ。」

「そうか。そいつはどうも。」

「残念だ。では死ね。」

そう言うと、モーゼスは右手の二本指をゲルの胸部へトンっと当てる。あまりにも軽いタッチにゲルは何をされたのかわからずに自分の胸部を見る。そこには大きな穴が空いていた。心臓や肺や臓器があるはずのそこには、ただただ空洞が広がっている。

「な、」

あまりの出来事に反応できずにゲルは倒れ込む。

「ルナ、様、、」

ルナも目の前で起きたことを理解できずに立ち尽くす。どんな攻撃が来ようともすぐに治癒をしようと準備していたがそんな隙もなかった。気づけばゲルの胸には穴が空いており、ゲルはその場に倒れていた。

「さすがモーゼスさんですね。あの硬さをものともしないとは。」

シャドールは感心したように倒れ込んだゲルを覗き込みその胸に開いた穴を観察している。

「シャドール、この女はお前がやれ。」

モーゼスはそう言うと再び数歩後ろに下がりまた腕を組む。

「わかりましたよ。あなたの主義もまた難儀ですね。」

シャドールは、ゲルの方からルナの方へと向き直りながらモーゼスに対して呆れたような口調では話す。

「では、最後に言い残すことはありますか。」

ルナを見ながらシャドールは微笑み、問いかける。

「私たちの意思はトーラス様に託しました。あとは何もありません。ただ、一つだけ望みがあるとすれば、後ろの城には避難した一般の住民がいます。彼らには苦痛のない死を与えてください。」

そう言い、ルナは瞳を閉じ天を仰ぐ。

「いいでしょう。誰1人逃すことはありませんが苦痛なく殺してあげましょう。」

シャドールは、右手を手刀のような形にすると、その手を高く掲げルナの首に目がけて振り下ろす。

ドサっ

ルナの首はその胴体から切り離され天を舞い、地面に落ちる。

血のついた手をハンカチで拭き取りながら、シャドールはモーゼスの方へと振り返る。

「モーゼスさん、ではこの城を破壊するのをお願いしてもいですか。」

「苦痛なき死を与えるのではないのか。」

「さあ、私は死んだことがないのでね、苦痛なき死とは何を指すのかわかりかねますね。まあ、この城に圧死させられるのも死ぬまでの時間はそうかからないでしょうから苦痛はないんじゃないですかね。」

シャドールは屈託のない笑顔でモーゼスに答える。

「サディストが。」

そう呟きながら、モーゼスは城の前へと歩みを進める。そして、城に手を触れると発勁のような動きをする。すると、城には一瞬でヒビが入り大きな音を立て崩れ始める。瓦礫は衝撃の方向に散らばり、城は跡形もなく消え去った。

「中の人たちは全員死んでいますか。」

「当たり前だ。お前は俺の権能を知らないわけではあるまい。」

「それもそうですね。」

シャドールは納得したように頷く。

「して、トーラスはどうする。どこに逃げたのか検討はついているのか。」

モーゼスはさも当然の疑問を投げかける。

「ええもちろんですとも。地上から逃げ出した痕跡がないと言うことは、地下から逃げたということですよ。城というものは、逃げるための秘密の隠し通路があるものなんですよ。」

「そうなのか、では、神王の城にもあるのか?」

「さあ?私は知りませんよ?」

「なんなんだ。冗談を言っている暇はあるのか?城に隠し通路があるというのなら、城は壊さないほうがよかったではないか。」

モーゼスは苛立ったようにシャドールへと捲し立てる。

「落ち着いてくださいよ、モーゼスさん。何も考えずに城を壊したということはありませんよ。ほら、地面を見てください。城を思いっきり壊したことで、城の近くの地下通路も一緒に壊れ、それのせいで地面が不自然に沈んでいるでしょう。つまり、あの方向に地下通路が伸びているということです。」

「なるほどな。で、その方向を見る限り、クラウス山脈ではないか?」

「そうですね。クラウス山脈ですね。」

「どうするのだ?地下通路の入り口は壊してしまったぞ。」

「まさか、山脈の下を通るルートだとは思っていませんでしたね。ですが、逆に好都合ですよ。山脈の下を通るということはいくら急いでいたとしてもトーラスはまだ地下通路内にいるということですからね。」

「いるからといってどうするんだ。クラウス山脈を回り込むのは流石に無理だろう。出口がわからないから確実に逃げられるぞ。」

「地下通路にいるなら地下通路を壊してしまえばいいんですよ。モーゼスさんならそれくらい余裕ですよね。」

「はあ、わかった。俺に任せろ。だが確実に死んだということはできないんじゃないか。死体を見つけなくては。」

「いやいや、生き残るなんてことは万に一つもありませんよ。」

シャドールは笑いながらモーゼスに話す。モーゼスはため息をつきながら、

「お前の笑い方は腹が立つな。」

そう呟き、数歩前に歩く。地面が不自然に沈んだ方向、すなわち地下通路がある方向へと進むと地面に手を置く。城を壊した時とは違い、モーゼスは瞳を閉じ深く深呼吸をする。数度深く深呼吸を行うと急に目を見開く。

「はっ」

短く発した声に合わせるように地面についた手に力を入れる。ドンっと少しの衝撃と音が鳴り、モーゼスの肩からは湯気が出ている。モーゼスが立ち上がりひとつ息を吐く。すると、

ゴゴゴゴゴ

地面から轟音が鳴り響き、周囲を大きな揺れが襲う。その揺れは非常に大きくモーゼスの目の前には大きな地割れが起き、その地割れはクラウス山脈の山の方まで続いた。地割れはその裂け目が崩落し、溝が埋められていき最終的には小さな堀のような形へと変化した。しかし、その一帯の地形は大きく変わり謎の堀が一直線に形成されている不思議な地形へとなってしまった。

「お見事です。さすがにこの規模のものであれば確実にトーラスは死んでいるでしょう。さあ、帰りましょう。」

シャドールは笑顔で歩き始める。モーゼスも自分が形成した堀を少し眺め、シャドールの後ろをついていく。

「おっと、忘れるところでした。」

シャドールは不意に立ち止まると、踵を返したように城があった方へと戻る。そして自分が切り落としたルナの頭を見つけるとそれを無造作に持ち上げる。

「あなたには神聖国の王子を拉致して殺害した犯人として晒し首にしないといけないんでした。いやはや、全く役に立たない天使も使いようによっては役に立つんですね。」

そう言いながら、前を歩いているモーゼスの方へと歩き始めた。


ゴゴゴゴゴ

大きな轟音と共に地下通路が大きく揺れる。

「お兄ちゃん!」

ピナが震えながらトーラスの腕にしがみつく。トーラスたちは、地下通路に入ってから真っ直ぐ通路を進んでいた。この通路にかけられた高速移動の加護により、通常の歩きよりも圧倒的に速いスピードで歩き続け、小一時間もすれば出口まで到達するという勢いであった。通路にも加護がかけられているということは、シャドールたちからすると想定外のことであり、これがルナたちが時間を稼ぐことを一番に考えていた理由だった。ルナたちは神聖国の侵攻をトーラスたちが地下通路を通り抜ける間は稼げると踏んでいたのだ。実際、神聖国の兵士のみの攻撃ではルナたちの防御を崩し切ることができず、その時間を稼ぐことは容易に思われた。警備隊とゲル、ルナの時間稼ぎは十分であった。たとえ、今から向かったとしても、高速移動の加護はこの都市の長であるルナが死亡すれば解除されるので、シャドールたちがトーラスに追いつくことは不可能であると思われた。ルナも自分の死を悟りながらもトーラスを逃すことには成功したと安堵しながら、その死を受け入れた。

だが、ルナはモーゼスという男の力を見誤っていた。トーラスすらその力の全容を知らない武神モーゼス。その男がどれほどの力を有しているかなど、いくらルナでも読みきれなかった。モーゼスはその力を使い、地下通路そのものを破壊した。ルナが死んで解除されたのは高速移動の加護だけではなく、その通路自体にかけられた強化の加護も含まれていた。これにより、地下通路の強度は著しく低下していた。しかし、それでも人が到底破壊することができないほどの強度は誇っていた。だが、モーゼスの一撃は、それすらも容易く破壊した。地形を変えるほどの一撃が地下通路を崩壊させる。

「トーラス様、この揺れは。」

キールが焦りを帯びた口調でトーラスの方を向く。

「まずいな、おそらく。いや、こんなことができるのはモーゼスだろう。まさか地下通路そのものを破壊しに来るとは。」

トーラスは自分にしがみつくピナを抱えながら、走り出す。しかし、先ほどまでのような速度は出ない。

「っ!通路にかけられていた加護が消えた。」

「ということは、」

キールとトーラスはお互いに口をつぐむ。2人とも加護が消えたという意味は理解していた。トーラスは唇を噛み、必死に冷静に努めようとする。ここで自分が死ねばそれこそルナたちの死が無駄になってしまう。

「急げ!出口はもうすぐだ!崩れる前に!」

後に続くミハエルの住民に叫びながら、その足をより早く回転させる。

「うわー!」

「きゃー!」

後方から住民の叫び声と共に地下通路が崩れる音が聞こえる。すでに一刻の猶予もない状況の中トーラスは走り続ける。出口まではあと数百メートル。もう前方に見えてきてはいた。しかし、

ドゴっ

鈍い音と共に頭上から大きな塊が降り注ぐ。トーラスの後ろについてきた住民たちは皆その崩落に巻き込まれ生き埋めになる。トーラスの前方の地下通路も崩壊し、トーラスとキールにも降り注ぐ。

「お兄ちゃん!」

トーラスの腕の中のピナが叫ぶ。すると、ピナの体は白く光り、崩れて降り注いでいたはずの瓦礫がその落下を止める。

「ピナ?」

トーラスは驚きの表情で腕の中の少女の顔を見る。少女は苦しそうな表情で食いしばっている。

「お兄ちゃん、急いで、、」

消え入りそうな声でトーラスへと訴えかける。その状況に、この力が長くは持たないと察したトーラスは、目の前に降り注いでいた瓦礫を巧みに避けながら出口を目指す。

「ピナ!もう少しだ。後少しで出口だ。」

トーラスとキールは、出口までほんの少しのところまで、たどり着く。しかし、

「お兄ちゃん、ごめん。」

あまりにも小さい声でピナがそう呟くと、ピナは気絶しそれと同時に止まっていた瓦礫が再び降り注ぐ。

「トーラス様!」

トーラスの背後からキールの叫び声がしたと思った瞬間、トーラスは後ろから思いっきり押される。そしてその衝撃でトーラスは間一髪のところで出口から飛び出る。ピナを抱えながら、転がる。勢いよく飛び出た衝撃は身体中に痛みを走らせる。だがすぐに立ち上がり後方を確認する。出口があった場所はすでに瓦礫によって埋まっていた。

「キール!!!」

トーラスはピナを横に寝かせ、すぐに出口に駆け寄り、素手で瓦礫をかき分ける。

「キール!キール!」

そう叫び続けながら、手に血が滲みながらも瓦礫をかき分け続ける。小一時間後、ボロボロになりながらもなんとかキールを掘り出すことに成功する。しかし、キールの傷は深く、すでに虫の息であった。

「トーラス様、、、ご無事でよかった。」

今にも消え入りそうな声でキールが話す。その顔は笑っていた。

「キール。すまない。私にもっと力があれば、、、」

トーラスはその瞳に涙を溜めながらキールの手を握る。

「トーラス様。あなたは生き延びてルナ様との誓いを果たさなければなりません。私はそのお手伝いができて満足です。ただ最後に一つだけ。私の胸ポケットに手紙が入っています。家族に宛てた手紙です。なんとか届けていただけないでしょうか。いやはや、最後に弟の顔を見ておきたかったな。ですが、今回の旅トーラス様と一緒に過ごせて幸せでした。」

そう言いながら、満足そうな顔でキールは瞼を閉じる。

「キール!キール!」

トーラスが握る手が力なく地に落ちる。

「お、にいちゃん、、」

トーラスの後ろから小さい声が聞こえる。トーラスはすぐに振り返り、そちらを見る。起き上がってはいないがピナが目を覚ましていた。トーラスは駆け寄りピナの手を取り膝をつく。

「ピナ!無事かい!」

しかし、ピナの体はピクリとも動かない。ただピナは少し悲しそうな顔をしながらトーラスに語りかける。

「もう、体が動かないの。私の加護は力が強い代わりに体にかかる負荷が大きすぎるんだって。」

「そんな、どうして。」

「ルナ様とパパが言ってた。お兄ちゃんは私たちの希望なんだって。」

「でも、ピナが、」

トーラスは言葉に詰まる。こんな小さい少女が自分を助けるために命をかけてくれたということに何もいえなくなる。

「お兄ちゃん、短い間だったけど遊んでくれてありがとう。数日間だったけどとても楽しかったよ。」

ピナはそう言いながら、力なくその瞳を閉じる。

「ピナ!ピナ!」

トーラスが手を強く握り叫んでも、もう少女は返事を返さない。

「ありがとう。君のおかげで僕は救われた。僕もとても楽しかった、、」

声を震わせながら、トーラスがピナの手を自分のおでこに当てる。その手にはまだ暖かさが残っている。トーラスは天を仰ぎ見ながら叫び泣く。

「あ、あ、あああああああああああああああああああああ」

トーラスはこの日、ルナたち天使との約束を果たすこと、そして、ピナやキールたちをこんな目に合わせた神聖国の神王、十二芒星神に必ず復讐することを誓った。


ミハエル事変は、その後十二芒星神のシャドールが王都に帰還し、王子トーラスの死亡と首謀者であるルナの首を晒したことにより、世間に聖戦後における天使の最大の反逆事件として知れ渡った。王都ではトーラスの国葬が行われ、デロッサの天使に対する怒りに満ちたスピーチは、神聖国内における天使絶滅の声をより強大なものにしていった。王子を救うことができなかったシャドールとモーゼスは、その責任を追求され神聖国の辺境にある土地の統治へと左遷されることとなる。しかし、これは表面状のものであり、実際にはただ国境を強化するという意味合いしか持っておらず、実際にはデロッサより多くの褒美を与えられていた。


「そんな、お兄様が、、、」

トーラスの死の報せを聞いたロージアは、手に持っていた人形を落とす。

「申し訳ありません。ロージア様。私たちの力が及ばず、私が到着した時にはすでにトーラス様は殺されておりました。」

ロージアの前にひざまづきながらシャドールが深々と頭を下げる。

「帰ってきたら絶対遊ぶって約束していたのに。。。天使の末裔、絶対に許さない。必ず滅ぼす。」

その瞳は8歳の少女がする瞳ではなく、怒りと憎しみ、そして悲しみに満ち溢れていた。頭を下げながらロージアのその表情を見て、シャドールはニヤリと笑う。



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