激動の始まり
この世界には、神と天使と悪魔の末裔が存在する。世界に広く伝わる聖典の中には、この世界の歴史が語られており、この時代の始まりともされる聖戦の内容が人々に伝えられている。
昔、神と呼ばれるものたちは、それぞれが特異な能力を持っていた。神の能力はどれも人にとっては奇跡のような力であり、天候を意のままに操る力や豊穣の力、空を自由に駆ける力などさまざまあり、その能力を使い繁栄を遂げていった。その神々と協力関係にあったとされているのが天使であった。天使は、神ほど万能ではないが、さまざまな能力を有しており、癒しの力や守りの力などにより人々を守り続けていた。悪魔は、神々と関わることはなく、自らの魔法の研究に日々を費やしていた。
ある二つの星が降りし夜、神の地に「星の力」をもつ神が誕生した。その力は強大で、使い方によってはこの世界を支配し滅ぼすことも、人々を導き繁栄させることもできる力とされており、神々はその力を人々の繁栄のために使うと決めた。しかし、その力に魅せられ、世界を支配しようと考えた天使たちは、その神の「星の力」を手に入れるために、神々に反旗を翻した。自分達の力だけでは神々に勝てぬことを悟った天使たちは、神々にも対抗できる魔法の力を有する悪魔たちを唆し、連合を組んで神々に敵対した。のちに聖戦と称されたこの戦争は、世界全土に多くの被害をもたらした。悪魔の魔法による攻撃と天使の固い守りの力により神々は劣勢に立たされていたが、「星の力」を持つ神の、命懸けの攻撃により連合軍に大打撃を与えたことで形成が逆転。その後、自分達に大きな被害が出て劣勢になった途端、悪魔たちは天使を裏切り、神々の陣営に加わったことにより、神々は天使たちを退けることに成功する。天使は敗北し、神々の追撃から逃れ世界各地に隠れ住み、復讐の時を狙っている。悪魔は、一度敵対したことから、二度と裏切り敵対しないように神々の監視下に置かれ、魔法の研究を禁じられた生活を送ることとなる。「星の力」を失った神々は、このような悲劇を繰り返さないように、世界中に隠れ住む天使を捜索し滅ぼすことを決めた。
聖戦後神々は、「天の力」を持つ一族であるルベリウス家のニーナ・ルベリウスを神王とし、神聖国ルベリオンを建国した。神聖国には王を支える十二柱の神々が存在し、聖戦後、天使の残党がりと神聖国の勢力拡大を大きく支えた。
神聖暦1424年。聖戦から1000年以上が経過し、神聖国の直轄領は世界全土の約4割にも達しようとしていた。そのほか、悪魔の末裔たちは魔導連合国を建国し、神聖国とは直接的な支配はないものの主従の関係を築き、また、他の人間や他種族の国は、神聖国の保護下のもと生活していた。実質的に世界を支配した神聖国は天使たちに対し破格の懸賞金を懸け、天使の末裔を完全に絶滅させることに注力した。そんな中発生した8年前の天使の末裔の隠れ里を神聖国が殲滅したミハエル事変からのちは、天使の末裔が発見されたという報告は途絶え、天使は世界から絶滅したとされていた。
チュンチュン、外から聞こえる小鳥のさえずりと窓から差す木漏れ日のなか、ベッドの上で男が目を覚ます。
「ふわぁ〜」
大きなあくびをしながらベッドから立ち上がり、大きく背伸びをする、男の名前はトーラス。長身であるが細身の体で、髪の毛と瞳が白く、差し込む日の光を反射し輝いている。その姿は神々しさすらも感じられ、見る人はその美しさに思わず見惚れてしまうほどである。トーラスは背伸びをして体を伸ばした後、時計を確認する。時刻はまだ朝と言える時間を指している。
「うん、ちょうどいい時間だな」
そう言いながら洗面所へ向かうと、裏の井戸で汲んだ水を手ですくい顔を洗う。鏡に映るトーラスの顔は、それは美しく、その瞳は白く輝く雪のようである。冷たい水で顔を洗い少し残った眠気を完全に飛ばすと、トーラスは今日の自分の予定を思い浮かべた。
今日は、近くの街であるコーラルへ行き、仕事をしなくてはならない。仕事と言ってもトーラスがしていることは画家であり、コーラルの隣に広がるテラの大森林の中にひっそりと構える、このアトリエで制作した作品を街の画商へと持っていき、その画商が主催するオークションへの出品をすることである。画商との待ち合わせ時間は昼なので、まだまだ時間に余裕があるが、街まではそこそこの時間がかかるため、早めに準備して出発したい。トーラスは軽く食事をすませ、洗面所へ行くと鏡を見ながら準備を進める。
「今日は街へ行く日だから青だな。」
そう呟きながら髪を整える仕草をすると、トーラスの髪はたちまち澄み渡る空のような青色へと変化していった。そして、白く輝いていた瞳も海のように深く引き込まれるような青色へと変化していた。
「よしっ、これでいいな!」
まるで先ほどとは別人のような見た目に変化したトーラスは、着替え用の服や軽い軽食などを鞄に詰め準備を整えると、作品を抱えアトリエを後にし、コーラルへと向かった。
商業都市コーラル、ここはさまざまな種類の芸術品や服飾品などが各地域から集まる商業の都市であり、それに伴いカジノや数多くの酒場や飲食店などの娯楽施設が軒を連ねる街である。街の建物はレンガ調で、中世の街並みを彷彿とさせる景観をしており、碁盤目状に配置されている。各区画ごとに扱っている商品や施設が異なっており、美術品から調度品や薬を扱う店、オークション会場やカジノなどの娯楽施設、飲食店や酒場など各区域に決められた店が並んでいる。
街に着いたトーラスは、街の入り口にある関所へと向かった。この街では原則として出入りするものの身元を管理しており、関所を通らずに街を出入りすることはできない。
「おや、これはシャルル様。また新作をお持ちになったんですかな?」
関所の役人がトーラスに話しかける。その男はトーラスと同じほどの身長で細眼鏡をかけた短髪の男である。トーラスよりも20歳ほど年上の40代前半に見え、いかにも役人風の見た目をしている。
シャルルとはトーラスが画家として活動するときに用いている名前である。とある事情により本名を他人に知られると困ることで偽名を使って画家として活動している。トーラスが偽名で活動している内情を知っているのは、彼が画家として活動することを支援している画商のアルマンドのみであり、他のものには知られていない。アルマンドは、この街の評議会の役員を務めている男である。このコーラルは商業都市でありながら、どこかの国に属しているわけではなく、神聖国の協定の元、評議会と呼ばれるさまざまな商業部門の責任者たちで構成される組織が街の維持、運営を行なっている。よって、アルマンドはこの街におけるお偉いさんであり、その広い顔で他地域への顔役となっている。
「こんにちは、キースさん。今日もアルマンドさんのところのオークションへ出品する作品を持ってきたところですよ。」
そう言いながら抱えていた作品をチラリとキースへと見せた。
「今回の作品も大きいですな。いや、羨ましい。私もシャルル様の作品を一つは手に入れたいものですが、何せあなた様の作品を買うには私の安月給では無理ですからな。」
笑いながら、トーラスに話しかけるキースの様子はとても残念そうである。
「小さい絵でもよければ今度差し上げますよ。キースさんにはいつもこうしてお世話になっていますからね。この街に入るためのあの長い手続きをいつも顔パスで通していただけるのは非常にありがたいんですよ。」
「いやいや、ほんとですかな!私は自分の仕事をしていただけなのですが、シャルル様のお役に立てていたのならとても光栄でございますな。今度いらっしゃる時を心待ちにしておりますぞ。」
キースはとても嬉しそうな顔で頷いている。
「それにしても、今日の関所はやけに混んでいますね。そんなに人に出入りが多いのですか?近々祭りなどでも開かれる予定がありましたっけ?」
トーラスはキースに尋ねた。そう、今日の関所はいつにも増して人が多く並んでいる。トーラス自身街に着いたのは半刻ほど前であったが、その長い列に並ばなければならず、街に入るまでに時間がかかっていたので、内心早くアトリエを出発していたよかったと思っていたところであった。
「それがですな。出入りする人が増えているというわけではないのです。最近何やら不穏な噂が流れているようでして、関所での出入りの管理が強化されたのです。そのせいで普段から多くの手続きを必要とするのに、より時間がかかって大変なのですよ。」
キースはほとほと困ったというような顔でトーラスへ話した。
「不穏な噂?テラの大森林で何かあったのですか?」
普段暮らしている中で、最近そんなことはなかったと思うけどな。トーラスはそう思いながらもキースへと問いかけた。キースは、顔をトーラスへ寄せ声を潜ませながらトーラスへ話す。
「それが、テラの大森林の向こう側で天使の末裔の生き残りが暮らしている村が発見されたらしいのです。その事実確認と事実であれば掃討するための神聖国の軍隊がこのコーラルに出入りしておりまして、街が大騒ぎになっていたのです。」
キースの話を聞いたトーラスは驚きのあまり目を見開き、キースへと聞き返す。
「なんだって、天使の末裔の生き残りがいたのですか!?8年前のミハエル事変で天使の末裔は絶滅したのではなかったのですか。」
「そう思われていたのですが、うまく隠れて生きてきたのでしょうな。種を絶滅させることはそれほどまでに困難なことでありますからな。絶滅したと思っていたけど実は存続していたという事例は数多くありますからな。そもそも、天使の末裔の絶滅宣言は神聖国が行ったものですので、事実はわからないものですよ。」
キースの言い分は、非常に理解できるものであった。トーラス自身、天使の末裔が絶滅しているとは本心から思っていたわけではなかったが、ミハエル事変以降、神聖国による天使の末裔の捜索は激化しており、それでも発見されていないという事実が天使の末裔絶滅という話を真実として語っていると思っていた。
「それで、その天使の末裔の村は本当にあったのですか?」
「一介の関所の役人風情には真実は分かりかねますが、私は存在していたのだと思っております。1週間ほど前になりますが、神聖国の軍隊が武装を整えて早朝から出発したことがございました。ただの確認であれほどの人数と武装は不要であると思われます。」
「なるほど。」
このキースという男は、関所を任されているだけあり観察眼には非常に優れている。また、さまざまな職種の人々を見ていることもありさまざまなものの知識を有している。
「では、その村は神聖国によって掃討されたのでしょうか?」
「掃討とまではいっていないのではないかと思います。掃討したのであれば、もうこの街に神聖国の兵士がいる意味がありませんからね。大部隊は既に本国へと帰還したのでしょうが、小隊がこの街に残っていることを考えると、何人か逃してしまったのではないですかね。まあ、村は壊滅しているでしょうが。」
確かに筋は通っている。天使の末裔を掃討したのであれば、神聖国はそれを大々的に宣言するであろう。天使の脅威から世界を守ったことを各国へ向けてアピールするのである。神聖国現神王デロッサ・ルベリウスとはそういう男である。そのことをトーラスはよく知っている。その宣言が行われていないということは、天使の末裔を逃してしまったということなのであろう。
「こちらとしては、いい迷惑なのですがね。私たちの仕事が増えて大変なのですよ。聖典だかなんだか知りませんが、隠れて平穏に生きているのならわざわざ探し出して滅ぼすのもどうなのかと思ってしまいますよ。」
「キースさん、今の言葉を他の人に聞かれたらいらぬ誤解を招いてしまいますよ。」
この世界において聖典は、子供の頃から誰しもが聞かされている物語であり、天使は悪、神が善ということは全世界の常識として存在している。神聖国の悪口を言おうものなら、周りから袋叩きに遭い最悪の場合罰せられる国もあるという。
「いやいや、すみませんな。あまりの仕事の多さに最近まともに休暇をとっていないものでしたからつい愚痴ってしまいました。ぜひ今のことは内密にしていただきたい。」
そう話すキースの顔をよく見ると、確かに疲れから来ているのか目の下にはクマができている。きっと十分な睡眠すら取れないほど忙しいのだろうな。トーラスはそう思いながら、
「大丈夫ですよ。私も、何も神聖国に信奉しているわけではありませんから。ここでキースさんのことを売ったって私にはなんの徳もないどころか損しかありません。それでは、私もそろそろ時間になったので失礼しますね。遅れるとアルマンドさんに怒られてしまいますので。」
トーラスはキースに軽く会釈すると関所を通り抜けて街の中へと歩みを進めた。
歩きながら、トーラスはさっきのキースの発言について考えていた。まさか神聖国の悪口とも取れる内容を人に話すとは。聞く人が聞けば、キースは処罰されていた可能性すらある。疲れから判断が鈍ってしまったのか、自分を信用して言ったのか。または、自分のことについて何か気づいたからこそのカマかけだったのか。後者である可能性は低いなと思いながらも、抜群の観察眼と推理力を有するキースは侮れない男であることを認識しているので、自分の身元についてはさらに最新の注意を払わなければならないと思った。
関所での思わぬ時間のロスによりアルマンドとの約束の時間が迫っていたため、商業区域を足速に通り抜け、街の奥にあるアルマンドの屋敷へと向かった。アルマンド邸は、街の煉瓦造りの建物とは全く異なる様式をしており、中世の洋館を彷彿とさせる外観をしており、その建物の大きさがアルマンドが画商、商人としてどれほど有能であるかを著しているようである。屋敷の前についたトーラスがドアベルを鳴らすと、扉が開き使用人の女性がトーラスを出迎えた。
「シャルル様、お待ちしておりました。主人は応接室にてお待ちでございます。」
そう話すと、応接室まで案内した。応接室と呼ばれるその部屋は、壁にはさまざまな絵画や美術品が飾られていて、部屋を鮮やかに彩っていた。部屋の真ん中には、大きなテーブルが置かれており、向かい合うように豪華な椅子が置かれている。奥側にはアルマンドが椅子に腰をかけていた。恰幅がよく、身長は男性の平均身長よりは少し低めの男で、顎髭を生やした50代くらいの見た目をしている。トーラスが部屋に入ったことに気がつくと、アルマンドは立ち上がりながら、トーラスに挨拶をした。
「お待ちしておりましたよ、シャルル殿。今回も見事な作品を持ってきていただけたのですかな。」
そう言いながら、席を立つアルマンド。
「こんにちは、アルマンドさん。今回も力作ですので、アルマンドさんのお眼鏡にかなえば良いのですが。」
そう言いながら、トーラスは持ってきた作品を布から取り出しアルマンドへと見せた。その作品は、湖上に浮かぶ睡蓮の花を描いたものであった。朝日が差し込み、薄く霧がかかった湖上には、陽の光に照らされた白や薄いピンクの睡蓮が神秘的に輝いており、湖の周りには朝の目覚めを待つ木々たちが静かに揺れ動いている様子が描かれている。全体的に白みを帯びながらも、睡蓮の鮮やかな色彩は繊細に表現され、湖の朝の美しい景観を見事に表現している作品であった。
「ほう、これは美しい。朝日に照らされこれから目覚めようとしている自然が見事な色彩で表現されている。さすがは色の魔術師と謳われているお方の作品ですな。今回のオークションの目玉作品として全く問題のない作品であると思いますぞ。」
「それはよかった。ですが色の魔術師はやめてください。何かその呼び名はむず痒く聞こえます。」
「はっはっは。いや失礼。毎度見事な作品を持ってきていただけるので、客の皆がそう呼ぶのですよ。シャルルどのの作品が出品されると毎回すごい数の客がオークションへ詰めかけえらい賑わいになりますからな。それでは作品も確認できたことですので商談に入りましょうか。」
そう言いながらアルマンドは、トーラスに席に座るよう促し、トーラスが席へ座ったところで自らも席に腰掛け、近くの使用人へお茶を出すよう指示を出した。
商談も佳境に入り、今回の作品の取引の手続が完了したところで、アルマンドは近くに控えた使用人たちを部屋から出るように促し、部屋に鍵をかけ密室にした。何やら神妙な顔つきで再び椅子に腰掛けると、
「トーラス様、一つお耳に入れたい情報がございます。」
先ほどまでとは口調も呼び方も変わり、真剣な顔をむけている。アルマンドがこの姿勢を取るときは、画家のシャルルにではなく、トーラスに対して話すことがあるときに限定されている。普段は、画家と画商という立場ゆえ話し方は、対等もしくはアルマンドの方が立場は上であるが、トーラス呼びの際、アルマンドはトーラスへと敬称を用いて話している。
「私も一つ聞きたいことがありました。テラの大森林の向こう側で天使の末裔の村が発見されたと。」
「すでに聞き及んでおりましたか。」
「ここに来る際、関所でキースさんにお話を伺いました。キースさんの見立てでは村は壊滅しただろうが、生き残りが逃亡しているのではないかと。」
「キースどのですか。あの男はただの関所の役人にしておくのが勿体無いほどの優れた洞察力と推理力を有しておりますからな。私が聞きました情報もキース殿の見立てとほとんど同じでございました。発見された村は壊滅、逃亡した数名もほとんど討伐されたと。しかし、村の長の娘が逃げ出したはずなのに未だ発見に至らず捜索中であるそうでございます。」
「その娘はどの方角へ逃げたのですか?」
「それが、この街の方角へ逃げたそうでございます。その娘が逃げた方角にある最も近い街はこのコーラルであるため、この街に逃げ込む可能性が高いと。それゆえ関所での監視を強化しろと、神聖国側に言われまして、関所が混雑しているというわけでございます。」
「ですが、その見た目や特徴もわからぬのに関所の強化をしたって意味がないんじゃありませんか?その娘の特徴はわかるのですか?」
「神聖国の兵士によると、娘は15歳前後で身長が150センチ程。漆黒の長髪で白い肌の小柄な少女らしいです。私の見立てでは、すでにこの街に潜伏しているのではないかと思われます。発見された村の位置を考えると、少女の足でここまで来るのに最短で3日ほど、しかし休憩なしで走り続けることは不可能でしょうから5日ほどとすると1週間前の村の壊滅から考えると十分にこの街についている可能性は高いでしょうな。関所の監視が強化されたのが2日前からなので、その前に街に侵入しているのではないかと。」
「この街に着く前に力尽きてしまったという可能性はないのですか?いや、もしそうならば、すでに神聖国の兵士に発見されているということですね。あいつらは例え死体でさえも絶対に発見しますからね。」
「おっしゃる通りでございます。神聖国の兵士たちがまだ創作をしているということが逆に生存している可能性を上げていると言えると思われます。して、この街に少女がいたとして、トーラス様はいかがいたしますか?」
「見つかるのは時間の問題というわけですね。私は、その少女を助けますよ。やっと恩を返すことができるチャンスが来たんですから。なんとしても申請刻よりも先に見つけてこの街から安全なところへ逃したい。アルマンドさん、協力していただけませんか。」
トーラスの瞳は決意に満ちていた。この8年間トーラスは待ち侘びていた。天使の末裔に受けた恩に報いるこの時を。
「そうおっしゃると思っていましたよ。もちろん協力させていただきます。しかし、その少女を見つけたとしても関所の監視が強化された今、この街から密かに逃げ出すのは至難の業ですな。いくら私といえども役人は簡単には通してくれないでしょうからな。」
確かに、シャルルとしてこの街に入ったトーラスも急に出るときに少女を連れていては怪しすぎるし、何よりもすぐに少女の正体がバレてしまうだろう。
2人の間には沈黙が流れる。トーラスも少女を救いたいという気持ちはあるが、この話を聞いたのが急だったため何も準備をしていない。少女を見つけ、保護する策は思いついているが、この街を安全に脱出する策が出てこない。一つ成功率の高い考えはあったが、この策を実行するには一つ、何よりも重要なピースが足りない。そのピースに心当たりはあるが、まだ信用に値する人物か判断することは難しい上、アルマンドの協力が絶対条件であり、アルマンドに危険が及ぶ可能性が非常に高いものであった。他の策を考えながら悩んでいると、
「ここで悩んでいるうちに少女が神聖国に見つかっては本末転倒ですな。一旦少女の身柄を保護して私の屋敷で匿い、その後しっかりとした案を立てることに致しませんか?もちろんこんな行き当たりばったりな作戦ですので、失敗するリスクは非常に高く危険です。それでも私は貴方様のお役に立てるのであれば、喜んでなんでも協力いたします。まあ、まず少女を発見して保護するということが難関なのでしょうがな。」
「少女を保護する策ならあります。とはいえこの策も危険が伴うことは確実でしょうが。」
「ほう、さすがはトーラス様ですな。してどのように?」
「神聖国の兵士を持ってすれば、今日中に少女を発見することは確実でしょう。しかし、ここまで逃亡することができている以上そう簡単に捕まるとは思えません。少女も必死に逃げるでしょう。この街で追手を撒くにはどうするでしょうか。」
「なるほど、商業区域の路地に逃げ込むでしょうな。あそこはレンガ調の建物が立ち並んでおりますから、追う側からすれば非常に厄介といわけですか。」
「そうです。同じような建物が並ぶ中では見つけにくいし、これから日が暮れると商業区域は人が多くなり逃げるには最適です。この街に詳しくないものでは迷子になる程ですから。神聖国の兵士も少女もこの街には詳しくないでしょうから、逃げる側の方が圧倒的に有利です。しかし、いつまでも逃げることはできないでしょう。少女は1週間前から逃げていることを考えるともう疲労も限界レベルまできているはずです。」
「確かに、つまり時間との勝負というわけですな。少女がいるであろう区域はおおよそ検討がつきましたが、発見した後はどうやってこの屋敷まで連れてくるおつもりですか?少女の特徴はすでに知られているはずですのでなかなかに厳しいと思われますが。」
「そこは私に任せてください。アルマンドさんは私のスキルをお忘れですか?」
そう言いながら、トーラスは右手の指を鳴らした。すると、青色だった髪の毛と瞳から色が消えていき、白髪、白眼の本来のトーラスの色へと変わっていった。
「なるほど、トーラス様の触れたものに絵を描いたり、色を変えたりする能力をお使いになると。しかし、それでどうするのですか?」
「一瞬、ある方法を使って兵士の目を欺き、その隙に少女の見た目を変化させます。追っていた対象の見た目が変われば、兵士を撹乱させ見失わせることができるでしょう。本当はこの方法で街も出てしまいたいですが関所は出入りする人を名簿で管理しているので、名簿にない者が急に街を出ることは無理でしょう。少女を保護した後の策はアルマンドさんのおっしゃる通り後で考えることにしましょう。今はとにかく時間がありません。まずは少女を保護することを最優先で行動しましょう。」
「わかりました。私はいかがすればよろしいでしょうか。」
「アルマンドさんはこの屋敷に待機して自分が少女を連れてきたら速やかに屋敷へ入れていただきたいです。アルマンドさんはこの街の人たちに顔が知られていますから外に出て目立つ行動をするとそれだけで怪しまれていまいます。それと少女のために水や食事なんかも用意していただきたい。」
「わかりました。すぐに用意いたします。ですが、トーラス様もシャルル殿の見た目では皆にすぐバレてしまうのではないのですか?」
「そこは大丈夫です。まさかこんな形で使うとは思っていませんでしたが、今日は着替えを持ってきていたので全くの別人に変装します。そうすれば、自分がシャルルであると気づく人はいないでしょう。」
そういうとトーラスは持っていたカバンから着替えを取り出し、服を着替えると、朝に行ったように髪を整える仕草をし、白い色から真っ赤な血のような赤色の髪と燃え盛る炎のような瞳の色へとを変化させた。そして、絵を包んでいた布を拾い上げ、
「アルマンドさん、この布を入れることができる筒のようなものはありませんか?」
「すぐにご用意いたします。」
アルマンドから布を入れる筒を受け取り、布をしまって肩から下げると、
「では、俺は今から少女を保護してきます。こちらの方はよろしくお願いします。」
そう言うと、トーラスは屋敷から出て少女の保護へと向かった。