タイトル未定2024/11/13 05:50
我が輩は猫かもしれない
我が輩は猫かもしれない。しかし、それが確かなことだとは誰にも言えない。いや、我が輩自身も確信を持てぬままでいる。今、こうして文章をつづっているのが、もし猫であるのならば、なぜ私はこんな言葉を使うのだろうか? いや、しかし考えてみると、猫にだって言葉があったとしてもおかしくはない。だが、もし言葉を持っているとすれば、それはきっと何か違うものなのだろう。
朝、目を覚ますと、まず目の前に広がるのは柔らかな光だ。だが、そこにいるのは一匹の猫なのか、それとも別の誰かなのか、よくわからない。毛皮の感触、背中の曲がり具合、爪の先に残る土の匂い、すべてが曖昧で、私はそれらに身を委ねているだけだ。まるで人間の手であり、猫の足であり、そしてまた、ただの影であるような気がする。ここにいるのは誰だろう。誰でもない、そしてすべての存在を持っている者がいる。
外の世界は、窓から見える風景のように、ただ流れていくばかりである。街路樹が風に揺れ、人々の歩く音が時折届く。だが、それらの音はどこか遠くから聞こえてくるようで、私の足音とも、誰かの声とも、はたまた何かの囁きとも区別がつかない。ここで私が動けば、ただの音に過ぎない。私が座っていれば、それもまた何の変わりもない。ただし、もし私は猫であったなら、すべては静かで穏やかなものに感じるだろうか? それとも、人間のように、あれこれと思索を巡らせるのだろうか。
日々の中で、私はしばしば空腹を覚える。お腹の中の渇きが、何かを求めているようだ。しかし、それが食べ物なのか、愛なのか、それとももっと別のものなのか、まったくわからない。食べ物を与えられるとき、私は何のためらいもなくそれを口にする。だが、もしその食べ物が私にとっての「人間の欲望」ならば、それを手に入れることはどんな意味があるのだろう? 何も求めず、ただ生きること。それが猫の生き様なのだろうか? それとも、私がそれに似た何かであるだけなのだろうか。
午後の光が部屋を満たし、私はふとその中に身を沈める。毛皮が心地よく、床に横たわると、そこに広がるのは暖かさだけである。それはまるで、誰かが無言で私を抱きしめているようだ。だが、誰が、何が、私を抱きしめているのだろう。猫なのか、それとも人間なのか。いや、それを考えるのが無駄であることを、私は知っている。
もし私が猫であったとして、こうして静かに過ごすことが本当に「猫らしい」ことなのか。それとも、私はただ人間のように、意味を求めているだけなのか。わからない。ただ、私は今、こうしてここにいる。目の前の静かな時間が流れていき、私はその中で、猫かもしれない何かの存在として、身を任せている。
夜、また目を閉じるとき、何かが私の中でふわりと動いた。それが何なのか、まったくわからない。ただ、どこかで、猫のように静かに生きることが、ひとつの答えなのかもしれない、と思うのだ。しかし、それがどんな答えであるのかも、結局は、私は知る由もないのだろう。