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⑸『蘇生装置』
⑸『蘇生装置』
㈠
自己を蘇生することの、何たるかを問えば、自然の神の声が聞こえてくるようで、それは、例えばキリストの復活などを、思い出せという風に言っている様に思われる。蘇生装置、これは、一種の宗教感覚なのだろうか。
㈡
無政府主義者で、無宗教である者は、蘇生装置を芸術に見るのだろうか。分からない、全く以って分からないが、こうやって執筆することで、分かる様になるかもしれない。それは、書いてみなければ分からないことなのである。
㈢
少なくとも、何か悪質なものに、打擲され、拝跪するような、所謂、バイオレンスは、蘇生装置には向かないのである。芸術に拝跪さえすれば、自己がその芸術的意匠を抱えて、蘇生するのだろうと、漠然と思うだけなのだ。