冗談じゃない
「もうアンタたち付き合っちゃいなよ」
祐樹と春奈が二人で何かしていると、よくそう言ってからかったものだ。もちろん、私としては冗談のつもりだった。
祐樹と春奈は幼稚園の頃から一緒だった、私の大切な幼馴染だ。馬鹿でお調子者だけど、情に厚くいざという時は漢らしい一面も見せる祐樹。大人しく控えめだけど、誰よりも思いやりがあって冷静に人の心を分析することができる春奈。考えるより即行動、瞬発力はあるけどちょっとおっちょこちょいの私・詩音にとって二人は最高の友人だった。
欠点はお互いにカバーしつつ、長所を最大限に活かすことで三人の絆を深めていく。悩みがあれば真っ先にそれを相談し、苦悩を共有しながら解決方法を模索する、嬉しいことがあったならそれを必ず報告し、三人全員が自分のことのように喜んでくれる。そんな理想的で、穏やかな時間の流れるこの関係性が私にとってはかけがえのないものだった。
「なぁ詩音、今日はバレンタインだろ? 俺に何か、渡すものがあるんじゃないのか?」
それは、中三の冬のことだった。おどけた調子でそう尋ねる祐樹に私は「ないよ」と冷たく突き返す。途端に祐樹の顔が絶望一色、まるでこの世が終わる瞬間に立ち会ったかのような顔色に染まったのを見て私はぷっと吹き出した。
「冗談よ。ほら、これ。私からの友チョコ」
言いながら渡したのは、自宅から片道一時間ほどかけて買いに行ったお店のバレンタイン用チョコレート。値段は五五〇円、まぁ気負いせず受け取ることのできるちょうどいい値段だろう。「やったぁ! サンキュ、詩音!」とはしゃぐ祐樹に苦笑していると後ろから春奈が私たちを呼ぶ声が聞こえる。
「ちょうど良かった。はい、これは詩音ちゃんの分。こっちは、祐樹の分」
そう言いながら春奈は、丁寧にラッピングされた二つの袋を渡す。その瞬間、私はほんの少し違和感を抱いた。
春奈は料理が上手で、手先も器用なので毎年チョコもラッピングも自分で手作りしている。それは毎年恒例のことだし、おかしいと思ったことなんてない。だけどその年のチョコはどことなく、私と祐樹の間に違いがあった。包装紙、リボン、メッセージカード……見た目に大きな差異はないが、それでもどことなく祐樹の方がなんだか手がかかっている気がする。気のせいで済まされる範囲、と言われればそれまでだが……「私、実は祐樹くんと付き合ってるんだ」と明かされたのはその一ヶ月後、卒業式の後だった。
「隠すつもりはなかったんだけど……ごめんね」
曰く、私と祐樹に友チョコを渡した後にこっそり祐樹を呼び出したとのこと。その時、私に渡したのとはまた別の本命チョコを渡し祐樹へ告白を行ったとのこと。祐樹も詩音ちゃんも大事な友達だから、なかなか言い辛かったとのこと……
「いやぁ、あんたたちいつ付き合うのかと思ってたからさ。まぁ、良かったんじゃない?」
あれこれ言っている春奈を前に、私はカラ元気そんな返しをした気がする。
男女の友情や三角関係なんて、いつまでも続かない。茶化していたが、祐樹と春奈はたぶん両思いで後はタイミングだけだったということ。それらの事実は心のどこかで理解していたはずだ、けれど私は心のどこかで「このまま三人でずっと一緒にいられれば」と思っていた。考えてみればずいぶん子ども染みた理想で、くだらない妄想にしか思えないが……それを打ち砕かれたショックを掻き消すかの如く、私は進学した先でとにかく高校生活をエンジョイすることに心血を注ぎ込んでいた。
幸い、私は祐樹とも春奈とも別の高校に進んだのでしばらくは心のどこかに残るモヤモヤを忘れて楽しい生活を送ることができた。けれど、かつてのように「私と祐樹、春奈との三人が仲良くワイワイする」なんてことは二度と起こらず……そうして、数年が経った。
――気づけば社会人になっていた私に、祐樹と春奈から「結婚式を挙げるのでスピーチをお願いしたい」という連絡が来たのはついこないだのことだった。
その時の私は、自分がどういう顔をしていたのかわからない。あれこれ悩んだ末にその申し出を引き受け、ネット中に転がるスピーチの例文を適当にかき集めコピペしたようなつまらない話を口にしたが……夫婦となった二人を見つめる私は、なぜか心の中に風穴を空けられたような気分になっていた。
早く終わらないかな。
無意識にそんなことを考えてしまった私は、その考えを振り払うかのごとく無理やりにスパークリングワインを喉に流し込む。弾ける炭酸は私の中に残る何かを無理やりに破裂させ、そのままほろ酔いへと連れて行ってくれた。
なぜ、私の心にしこりが残ったのか。なぜ、親友だった二人の結婚が素直に祝えないのか。その答えがわかったのは今年の二月。出先でたまたま祐樹に遭遇し、そのままカフェでお茶をしながら二人の近況を報告していた最中だった。
「そういえば昔、春奈と詩音にチョコをもらったなぁ」
「あぁ、そんなことあったね。あの時『あげない』って言ったら真に受けて、祐樹すごくがっかりしてたっけ」
「そうそう。懐かしいなぁ」
目を細める祐樹はそのまま、懐かしそうに私を見つめる。
「俺、実はあの時、詩音が好きだったんだ。だからあの時、冗談とはいえすっげー凹んだんだぞ」
まぁ、それから春奈に「付き合ってほしい。今はまだ友達だけど、とりあえずお試しでいいから」なんて言われてそのまま意気投合しちゃったんだけどさ。
苦笑交じりにそう告白する祐樹に、今まで私が抱えていたわだかまりが一気に氷解していく。
――あぁ、そうか。
私は祐樹に心惹かれていた。でも春奈と三人でいられる関係性を壊したくなくて、その心を無意識に封印していた。だから春奈が「祐樹と付き合うことになった」と先手を打った時に、「やられた」と思ったのだ。
私に、ほんの少しの勇気があれば。「仲のいい幼馴染三人」という関係性に酔いしれ、そこから飛び出すのを諦めなかったら。自分が置かれていた状況を飛び出し、自分の本心を曝け出すことができたなら。そうして、一歩飛び出す勇気を持つことで祐樹に素直な気持ちを伝えられたなら――違う未来が、あったかもしれない。
私が、状況を打破しようと動いていれば。私が、自ら動こうとする勇気があれば。その「もしかして」という空想は私の胸に重くのしかかり、喉をきゅっと締め付けた。
「……冗談じゃないよ」
乾いた喉から、やっと絞り出したその言葉もまた怖気づいたものだった。
ここで「私も、実はちょっと好きだったんだよ」なんて言える度胸はないし春奈から祐樹を奪うような真似ができるはずもない。今更、勇気を出したところで待っているのは勇気以上の「覚悟」がいる茨の道なのだ。それを祐樹と春奈に歩ませることも、私自身が歩ませることもできはしない。だってそんな勇気すら私は持ち合わせていないのだから。
私は温くなったホットコーヒーを、無理やり口の中へ流し込む。砂糖を一切入れてないブラックコーヒーは思いの外ほろ苦く、私に後味の悪さを残していった。