ストレングス
会社からの帰り道、足にバリっという嫌な感触がした。
街灯は点いているが、弱くて足元までは照らしてくれないようだ。
足を上げて目を凝らすと、蝉の死骸がばらばらになっていた。
僕は生を全うして粉々になった虫が心底うらやましく思った。
「貴様、ストレングスだな?」
振り返ると青い制服を着た男が立っていた。
僕に銃を突きつけている。
警察の持っている銃って意外と大きいんだな……。
「ストレングス? 何ですか、それ? 違いますよ、僕は」
「もしドライバーがアルコール検知器で引っかかったらそいつは飲酒運転をしていたと言えるか?」
「言えるでしょうね」
「同じことが貴様にも言える」
警官は両手で銃を構えていたが、一瞬背後に左手を回して手錠らしきものを取って目の前に投げた。
がしゃんと音を立てて手錠が地面に落ちる。手錠から銃に視線を戻すと両手持ちに戻っていた。
一秒たりとも銃から手を放したくないと見える。
「なんですか?」
「はめろ」
「はめ方がわかりませんが」
「はまるまで待ってやる。撃たれたくなければどうにかして自分ではめろ」
おそらく銃を突きつけていないと会話すらできないほど臆病なのだろう。
話を総合すると、警官は何か『検知器』のようなもので、僕のことを『ストレングス』と断定した。
そして『ストレングス』とやらは非常に危険らしい。
銃を突き付けて、手錠も自分ではめさせる始末だ。
いきなり抱き着いたら発狂するに違いない。
「はめましたよ」
「そうか」
顔を上げると警官はいつの間にか無線機を右肩と右耳に挟んでいた。
ずいぶんアナログだなと思っていると、彼は無線機に現在位置を短く伝えて回収に来るように言った。
「……」
「……」
「……。ストレングスってなんなんですか?」
「あくまで、しらばっくれるつもりか」
「本当に知らないんですけど」
「……」
「……あの本当に―――」
「わかった。S.T.R.だ」
「は?」
「Special Torsion Region。特殊ねじれ領域。頭文字を取ってSTR。
通称ストレングスだ」
「??? ……えーと。……は?」
「つまり、超能力者ってことだ。
ストレングスは『ねじれ』た領域を作り出すことができる」
「ねじれ……」
「ストレングスはあらゆるものを捻じ曲げる。あらゆるものだ。例えば―――」
「私が死んだという『事実』も?」
瞬間、ビーっという警告音が鳴り響いた。
さっき言っていた検知器の音だろうか……。
警官はぎょっとした表情で銃を構えなおした。
怯えているようだ。
「おかしいなとは思っていました……。
自殺しようとしてもなぜか無かったことになっていたから……、夢かと思っていたんですが……。
そうですか、ストレングス、ねえ……」
手のひらを見る。普段通りの手だ。
ふと、足元にタンポポが生えているのが見えた。
綿毛をたくさんつけて種を飛ばすための準備をしている。
夜が明ければ風か、子供が綿毛を飛ばしてくれるかもしれない。
見ていると、茎がシュルルルと回転して、綿毛も何もかも巻き込んで髪の毛のように細い一本の線になってしまった。
「ああ、なるほど……。こういうことか……」
「動くな! うご―――」
「うるさい」
タンポポと同様に銃身を歪めて針金のように細くしてやると、警官は黙った。
息すら止めている。
「あなたには感謝しています。
このまま卵の殻の中で死んでいくところでしたから。これで私は羽ばたける」
「ど、どうするつもりだ……!」
「さあ? それはこれから決めます」
そう言った瞬間、私は心臓を撃ち抜かれた。目の前の警官ではない。
ワンテンポ遅れて銃声が聞こえてくる。
そう言えば先ほど応援を呼んでいたな。そいつらか。
「全く、ひどいことをするものだ……」
『撃たれた』という事実を捻じ曲げて―――。
いや、そもそも『警官が私を見つけた』という事実から曲げてやろう。
夜の虚空を見つめて指を鳴らす。
「貴様―――、あれ?」
「どうかしましたか?」
会社からの帰り道、ふと振り返ると青い制服を着た男が立っていた。
よく見ると警察の制服とは違う。
銃を持っているが、これも警察の銃とは違うのかもしれない。
「あ、えー……失礼しました!
なんでも、ありません……。呼び止めて申し訳ありませんでした!」
「いえ。大丈夫です」
警官は敬礼すると去っていった。
去りながら手元の機械を見て首をかしげ、銃をホルダーにしまい、また首をかしげている。
その様がおかしくて私は少し笑い、次に思い切り伸びをした。
「さて、これからどうしようかな?」