【第8話】作家の存在理由
「それでは続いてですが……、菰田さん、お願いできますか……?」
南海さんが迷いがちに私を指名したのは、時計回りという順番だけが理由ではなかった。永長さんは、まだ少し目線を落としてしまっている。表情も芳しくなくて、今すぐに話せそうな空気ではなかった。もちろん最後に話すのもプレッシャーがかかるけれど、それでも私には永長さんが打ち明けるのを少しでも先延ばしにしたいという思いが働いた。
「は、はい」と返事をして、今一度四人の顔を見回す。全員が真剣な表情をしていて、環境だけなら、話すことに支障はなかった。
「私は向ヶ丘さんと同じように、ギャラリーストーカーの被害に遭ってきました。事の始まりは去年、院を修了してから初めて開いた個展でのことです……」
私は鍛冶屋さんについて話し始めた。南海さんや警察に話した内容とほとんど一緒で、話すのはもう三回目になるのに、ところどころでつっかえてしまう。
当然進んで話したい内容ではなかったし、四人にどう受け止められているのかと思うと、必要のない不安を抱いてしまう。理解を示してくれるに決まっているのに。
四人は真摯に私の話を聞いてくれている。軽んじられている様子はなく、私は安心していいのだと自分に言い聞かす。それでも、最後まで緊張は解けなかった。
「あの、菰田さん。一つお聞きしてもよろしいですか?」
私が話を終えると、黙って聞いていた向ヶ丘さんが尋ねてきた。今までにない展開に「何でしょうか……?」と答えながら、私はうろたえてしまう。
「話の最後に『今は南海さんや警察に相談している最中です』と、おっしゃってましたよね。それはつまりその男性との問題は、まだ解決していないのでしょうか?」
「は、はい。そうですね……。まだ現在進行形でラインやSNSにメッセージを送られたり、食事に誘われたりしています。なるべく無視したり断ったりしているのですが、その方もなかなか分かってくれなくて……」
「菰田さん」向ヶ丘さんは語気を強めた。ただでさえ長身なのに、余計に迫力が増したように感じる。
「今すぐその人とは連絡を絶った方がいいですよ。ラインも登録を解除して、SNSもブロックしないと」
「でも、いいんですかね……? その方は、私の作品を確実に購入してくれるコレクターさんなのに……」
「いいんです。たった一人に絵が売れなくなるよりも、その人に菰田さんが追い詰められて、作品を描けなくなってしまう方が、遥かに深刻な事態ですから。それにそんなストーカー行為をする人は、菰田さんにとって本当に必要な人じゃないですよ。ばっさりと連絡を絶って、心身の安定を優先すべきです」
向ヶ丘さんははっきりと言い切った。自身の経験に基づいて語っていることは、話を聞いて分かっていたから、私は強い説得力を感じる。
確かに鍛冶屋さんほどではないにしろ、私の作品を買ってくれる人は他にもいる。それにこれからの活動次第では、購入者も増えていくかもしれないのだ。
私はひとまず「そうですね。考えてみます」と答える。言葉通り、いったん家に帰ってからどうすればいいかを、もう一度考えたいと思った。
向ヶ丘さんもそれ以上言葉を重ねない。こちらに向いている目が、鍛冶屋さんと連絡を絶つかどうか、最後に決めるのは自分自身だと言われているみたいで、気が引き締まる心地がした。
「では、最後に永長さん。難しいかもしれませんが、よければお話ししてくださいますか?」
私の話を聞いて所感を述べると、南海さんは永長さんに話を振った。でも、永長さんの視線は斜め下に向いていて、まだ話す踏ん切りがついていないようだった。
わざわざ大阪から来ているのは何のためなのか。私はそう思いもしたけれど、永長さんのことを思うと声には出せない。
なかなか話そうとしない永長さんに、場の空気はより重くなりかける。知り合いだという向ヶ丘さんが「永長、大丈夫だよ。ここにいる人たちは誰も永長のことを責めたりしないから。安心して話してみるといいよ」と声をかける。
その言葉が届いたのか、永長さんはおずおずと顔を上げた。横顔だけでも瞳の奥がくすんでいるのが見えて、よほど嫌な思いをしたのだろうと私は察した。
「私はとある男性作家から性被害を受けました。名前を挙げれば皆さんもすぐにピンとくるような、有名な作家の方です」
ここに来ている以上、軽い話ではないと分かっていたが、それでも私は永長さんが切り出した話に早くも慄然としていた。想像以上の重量がある話に、最後まで聞いていられるか不安になってくる。
永長さんは一つ一つ言葉を選ぶようにして続けた。
「知り合ったのは私が院生のときでした。その方は私が通っていた大学のOBで、講師として講義も担当していました。私はその方の講義を取っていて、講評も何度か受けたことがあります。広汎な知識に裏付けされた的確な講評をなさる方で、私はその方をとても信頼していました」
永長さんはところどころつっかえながら語る。それが心に受けた傷の深さを、私に思わせた。
「潮目が変わったのは、私が院を修了してからです。自分で言うのも恥ずかしい話ですが、在学中からコンクールなどで賞をいただいていた私は、院を修了して比較的早くに小さなギャラリーですが、個展を開催することができました。そして、私が在廊しているタイミングでその方は現れました。作品に対しても建設的な評価をしてくださって、『何か困ったことがあったらいつでも頼ってほしい』と、名刺も渡してくださいました。それは私にとってはその方に学生ではなく、一作家として認められたようで、とても嬉しい出来事でした。ですが、それを境にその方の私に対する態度は、少しずつ変わっていきました」
話が悪い方向へと向かう予感に、私は静かに震えあがった。でも、耳をふさぐことも席を立つことも、今の私にはとてもできない。
私に唯一できることは、永長さんの話を真摯に聞くことだけだった。
「私たちはその日のうちに、SNSでお互いのことをフォローし合っていました。ですが、私が何も相談していないにも関わらず、その方は度々私に対してダイレクトメッセージを送ってきました。でも、それはセクハラとかモラハラといったようなものではなくて、『作品の方向性に迷っている』だとか『プレッシャーに押しつぶされそう』といった悩みや弱音を吐露することが多く、そのときの私は、他の誰にも言えないことを私にだけは言ってくれているんだと、少し嬉しくさえありました。その方に温かい言葉をかけて励ましていると、こんな私でも役に立てているんだと、どこか誇らしい気持ちさえありました。今は不健全な関係だとは思いますが、そのときの私はそんなことは考えもしませんでした」
少しずつ雲行きが怪しくなっていく永長さんの話。確かに名の知れた先輩作家からの連絡は無視しづらいだろう。鍛冶屋さんみたいな一般人とは訳が違う。
その人のことを、私は卑劣だなと思う。永長さんがきつく言えないことを分かっていての行動だ。子供じみているとすら感じた。
「SNSでやり取りをしているうちに、私たちの距離は少しずつ縮まっていき、その方から食事に誘われることも何度かありました。その方は美術業界に広い人脈を持っていて、有名なギャラリーやキュレーターの方も紹介できる方です。私も断るに断れず、高級料理が食べられるならいいかと自分に言い聞かせて、その誘いに応じていました。でも、回数を重ねるごとにその方の話す内容は、美術の話よりも自慢話が増えていきました。結局は自尊心を満たしたかったんだと思います。私は自分が頷いておだてるだけの機械になっているという自覚がありながら、いつかその方の人脈で制作ができる日を願って、聞きたくもない話を聞き続けていました」
永長さんが話すその人に、気づけば私は鍛冶屋さんを重ねていた。自尊心を満たすだけの話に付き合わされるほど、空虚なことはない。
私は心の中で「その苦労分かるよ」と呟いた。でも、そんな私の一方的な理解も、永長さんが続けた話に簡単に打ち砕かれる。
「そんなある日、その方は『大事な話がある』と私をホテルのバーに誘ってきました。悪い予感はしましたが、それでもとうとう制作の機会を紹介してくれるかもしれないと思い、私はその方に会いに行きました。ですが、その方は一向にその『大事な話』をせず、相変わらず自分がどれだけのプレッシャーの中で制作をしているか、自分がどれほどすごいかを吹聴するだけでした。二人ともお酒を飲んである程度酔ったところで、その方は『部屋を取ってあるから、そこでもう少し飲もう』と言い出しました。さすがにすごく悪い予感はしましたが、私はその方の言う『大事な話』を期待して、部屋までついていってしまいました。すると、部屋のドアを閉めた、その瞬間でした。その方は、私にいきなりキスをしてきたんです。もちろん、私の同意なく勝手に。私の身体を押さえつけるその力は強くて、私は逃げられませんでした。何十秒にもわたる執拗なキスに、私はほとんど泣いてしまいそうでした。強い吐き気を催しました」
そう顔をゆがめて言う永長さんに、簡単に同情できると思っていた自分が申し訳なくなる。私にはそんな性被害を受けた経験はない。だから、何か反応を示すことさえできなかった。他の三人も、壮絶な話に言葉を失ってしまっている。
私は次の展開が予想できて、これ以上聞きたくないと思った。だけれど、永長さんは話を続ける。すべて話さなければ意味がないと思っているかのように。
「そこからはもう本当に悲惨でした。その方は、私に服を脱ぐように言ってきました。酔っぱらっての冗談ではなく本気で。当然私は嫌でしたが、その方は業界でも大きな影響力を持っている方です。ここで抵抗してしまえば、あることないこと言って、私の評判を落とそうとするかもしれない。そうすれば私は作品を発表する機会を失ってしまい、作家人生も終わってしまいます。実際、その方が私を廃業に追いこむことは、とても簡単なことのように思えました。私は何も考えないように、嫌だという気持ちさえ感じないように、その方の求めに応じました。そこから先のことは本当に申し訳ないのですが、この場で話すことはできません。思い出すたびに胸を刃物で刺される心地があって、とても言うことはできません。でも、本当におぞましい経験でした。自分が信じていたものが一夜にして崩れ去っていくような、そんな夜でした」
「大変でしたね」とか「よく耐えましたね」とか、そんな言葉では片づけられないほど、永長さんが受けた被害は凄惨だった。受けた心の傷は甚大だった。
その人は卑劣どころの話じゃない。下劣で愚劣で、女性のことを性欲のはけ口にぐらいしか思っていない悪魔で怪物だ。きっと永長さんが逆らえないことも織りこみ済みだったのだろう。人間がすることとは思えなくて、私は怒りさえ湧き上がらないほどのショックを受けていた。
「それから私は、その方と話すことができなくなりました。ダイレクトメッセージも食事の連絡も、何も返せない日々が続きました。その方のSNSのアイコンを見るだけで苦しくなりました。その方は返事をしない私に対して、最初は罵倒していたものの、やがて見切りをつけたのか、連絡をしてくることはなくなりました。私もその方をブロックし、今では何の面識もなくなりましたが、それでも時折あの夜のことを思い出してつらく泣きたく、死にたくさえなります。その方がテレビなどのメディアに出ているのを見るだけで、怖くてたまりません。逃げるように引っ越して、また制作を始められたのも本当に最近のことで。確かに私にも、業界で活躍したいという下心があったことは否定できませんが、それでもその方がしたことは常軌を逸しています。私のような思いをする人が二度と出てほしくない。その一心で、今日はなんとかここまで来させていただきました」
永長さんの話は幕を閉じた。私はまだすぐに返事ができなかった。永長さんが味わった苦痛は想像を絶していて、安易に同情することはしてはいけないように思えた。
でも、永長さんは自分が受けた痛みを知ってほしくて、分かってほしくて、理解してほしくて私たちに話してくれたのだ。
まるっきり無視することもできなくて、「永長、言いたくなかっただろうによく言ってくれたね。大丈夫。永長が受けた痛みや心の傷は、絶対に無駄にしないよ」と声をかけている向ヶ丘さんに続いて頷くことで、受け入れる意思を示そうとした。他の二人も同様で、今この場には永長さんの味方でいようという機運が高まっている。
永長さんの頬には涙が伝っていた。私たちはただじっと見守る。人前で何も憚ることなく、心のまま涙を流せる機会は稀有だ。
「永長さん、ありがとうございました。本当に辛かったでしょうに話してくれて、私たちとしても身が引き締まる思いです。おっしゃる通り、永長さんのような思いをする人は、もう二度と出してはいけません。何としてもこの活動を意義のあるものにしていかなければという思いを、より強くしました」
「そのためになのですが、皆さんはこれからこの会で、どういった活動をしていきたいと思っていますか? よろしければお聞かせください」永長さんの涙が止まったところで、私たちの話を総括すると、南海さんはそう問いかけてきた。
私は答えに迷う。自分が受けた経験を話すことで精いっぱいで、この先どうしていきたいかに頭は回っていなかった。当事者なのに、向ヶ丘さんをはじめとした他の人が考えてくれると思っていたのかもしれない。
私は急いで考える。その間にも「あの、一ついいですか?」と、嘉数さんが反応していた。南海さんに当てられて、まだ緊張した面持ちで話し出す。
「まずは声を集めるべきだと思うんです。私たちと同じようにハラスメントやギャラリーストーカーや性被害に遭った作家の方の声を。それは知り合いに訊くのもいいですし、SNSを通して声を募るのもいいかもしれません。それにまずは私たちの会のホームページを開設して、そこに投稿フォーム等を作るべきだと思います。多くの声が集まれば集まるほど、私たちの『ハラスメントや性被害をなくしたい』という主張に、説得力が出るはずですから」
嘉数さんの提案は妥当性があって、既にそこまで考えていたのかと、私は少し驚いてもいた。
確かに四人だけの声では限界がある。幾重にも声を束ねた方が、この問題に関心のない世間の態度も突破しやすくなるだろう。
南海さんも同じように思ったのか、「分かりました。私の知り合いにウェブデザイナーの方がいるので、すぐにでも頼んでみたいと思います」と答えている。私たちの活動が具体性を持って進みそうな予感に、私は期待を抱いていた。
「それである程度声が集まったら、記者会見を開きたいですね」そう話を繋げた向ヶ丘さんに、私たちの目は向く。かなりの決意を必要とする方法だと思ったけれど、私はひとまず向ヶ丘さんの話に耳を傾けることにした。
「関係者やマスコミの方々がいる前で、被害を告発するんです。やっぱり私たちみたいな無名の作家の発信力には限界がありますから。マスコミの方に記事を書いてもらって、新聞やテレビ、SNS等で流せればもしかしたら大きな話題になるかもしれませんし。そうでなくても、この問題を問いかけるいい機会にはなると思います。このままここで話すのもいいですが、やっぱり目に見える形で声を上げなければ、何も変わりませんから」
向ヶ丘さんの言うことは何一つ間違っていなかった。確かにここで話して内輪に閉じこもっている限りは、世間は少しも動かせない。
でも、それはハードルが高いことだと私は感じていた。私たちの顔をカメラの前に晒して訴えること。何人もの私を知らない人たちの前で話すこと。記者からの質問に答えなければならないこと。それは私が想像する以上に大変で、勇気が必要なことに思われた。
しかも、そこまでしても理解が得られるとは限らない。もしかしたらバッシングを受けるかもしれない。いや、それならまだマシで誰にも目に留められず、私たちの決意は無駄になってしまう可能性だってあるのだ。
そう考えると私は頷きたくても頷けなかった。「分かりました。それも方向性の一つとして検討してみます」と南海さんが理解を示してもなお、私は明確な返事ができない。失うものや、告発することで受ける心の傷について考えてしまっていた。
「他には何か意見がある方はいらっしゃいますか?」そう言う南海さんの声が、私に向けられているように感じたのは気のせいではないだろう。向ヶ丘さんと嘉数さんはもう意見を表明したし、永長さんはまだ少し顔が歪んでいて、軽く俯いてもいるから、話せるような状態ではなかった。
私は必死に頭を回す。心なしか私に集まっている視線に応えるためにも、私は思いついたことを少しずつ言葉にした。
「基本的には私も、嘉数さんや向ヶ丘さんが言ったことに賛成です。声を集めるのも記者会見を開くのも、他の誰でもない私たちがやるべきだと考えます。被害を受けた私たちだからこそ、できることがきっとあるはずですから。ただ、その上でひとつ付け加えさせていただくとするならば……」
気のせいではなく、はっきりと私に視線が集中している。私はたった今思いついたことを、自信があるかのように着飾って語る。
「私たちは作家です。だから、言いたいことは作品で語るべきだと思うんです。もちろん、言葉にして声を上げることがよくないと言うつもりは決してありません。そうしないと届かない層も確かにいるでしょうし。でも、私たちはハラスメントや性被害には決して屈しない。それを伝えるためには、やはり作品という形で訴えるのが一番だと思うんです。きっと何よりの抵抗やメッセージになるはずです」
私の提案は今この場で思いついたにも関わらず、意外なほど自分に馴染んだ。誰にも奪えない作家としての存在意義を示せるから、もしかしたら名案の類かもしれないとさえ思えた。
四人も目に見える反対はしておらず、私の心は少しだけ落ち着く。
「菰田さん、それはどういった作品を想定していますか?」
そう向ヶ丘さんに問いかけられて、私はあからさまに目を泳がせてしまう。どうしよう。見切り発車で言っただけで、そこまでは考えていなかった。
「そ、それはまだ何も決まっていません。皆さんの得意ジャンルを生かせるような作品ができたらいいなとは、考えていますけど……。すいません。何となく言っただけで、細かいところまでは全然考えられていなくて」
「いえ。菰田さんは何も間違っていないですよ。確かに作品で語るのは、作家の本分ですからね。選択肢としては大いにありえると思います」
「そうですよ。作品を作るのは私たちの存在理由なんですから。それは誰にも奪えないし、奪おうとしてくる人たちにNOを突きつけるためにも、私にも何か作らせてください。ここにいる四人で協力して、一つの作品を完成させてもいいですしね」
向ヶ丘さんと嘉数さんが賛同してくれて、私の提案の妥当性を補強する。永長さんが何も言ってこないのは少し気がかりだったけれど、作品を作るためには自分の心の傷を直視する必要があるから、すぐに賛同できなくて当然だろう。
私は永長さんの反応を催促しなかった。永長さんが決意を固めるのに必要な時間を、私が縮めていいはずがないと思った。
「確かに作品を作るのはいい方法かもしれませんね。まあそれはここで一度に決めることは難しいので、また追々、次に顔を合わせた時にでも話を進めていきましょうか」
「では、最後に永長さん。難しいとは思いますが、これからこうしていきたいなどと、何か思うことはありますか?」そう南海さんは優しく、永長さんに話を振った。
でも、当の永長さんはまだ目を完全には上げられていなくて、私は無理しなくてもいいと思う。東京までやってきて、私たちの前で性被害を打ち明けただけでも、たいへんな勇気のいる行動だっただろう。それ以上を永長さんに求めるのは、私には少し酷な感じさえした。
だけれど、永長さんはぽつりぽつりと話し出す。胸にしまいこんでいた思いを、一つずつ外に出していくかのように。
「私はお三方の提案の全てがいいと思いました。声を集めることも、記者会見を開くことも、作品を作ることも確実にこの問題を公にして、美術業界を少しずつでも変えていくきっかけになると感じました。私はまだ自分のことに精いっぱいで、どうこう言うことはなかなかできないんですけど、それでも何か必要があれば、お三方や南海さんに協力していきたいと思います」
とても辛い思いをしたはずの永長さんでさえ、協力的な姿勢を示してくれたことに、私は安堵した。
私たち一人一人の力は小さいけれど、でも四人の力を合わせれば。いや、四人だけじゃない。同じような思いをした人たちの力を結集させれば、この昔ながらの慣習が今も残る業界を、少しでも揺らすことができるかもしれない。変えていけるかもしれない。そう私は、根拠もなく感じていた。
(続く)




