目にやさしいパルック
今日、うちのクラスに転校生が入ってきた。教師に促され自己紹介をしているそいつの頭の上には白く光る輪が浮いていた。
アニメや漫画で描かれる天使たちの頭上にあるそれそのもの。天使の輪自体に驚きはしない。オレはそれを物心がついた頃から何度も見ているからだ。それが他人には見えていないことも、ずいぶん昔に理解している。
とはいえ、いきなり現れたクラスメイトが天使の輪をつけていることには少しだけ動揺した。ご愁傷様。と心で呟く。何故ならそれは時期にこの世からいなくなる事を意味するからだ。これもやはり昔に理解した事だ。
思えば身近な人間に天使の輪がついているのを見たのは、小五の時に癌で亡くなった爺ちゃんだけだった。この高校三年の2学期が始まるまでの間、オレの乏しい人間関係の中では他にいない。赤の他人なら山程見てきた。
ただコレには少し特徴があって、テレビの中の芸能人や鏡やガラスに写る虚像には、天使の輪が映らない。不便にも直でないと見えないものらしい。
佐藤愛と名乗る転校生に対するみんなのリアクションを眺めてみる。
窓際の一番後ろの席って便利よね。みんな様々な表情で、ニヤついてたり、ボーっとしてたり、興味なく教科書見てたりしている。が、一人だけ変なやつがいた。田中加奈。何か顔を硬らせて固まっている。知りあいか?と初め思ったがどうも違う。よくよく観察してみると目線がおかしいことに気がついた。顔ではなく少し上に向いている?と思い、はっとした。こいつ見えてるんじゃね?
不意に田中がこちらを振り向くので目を逸らし、改めて転校生の顔を眺める。どこにでもいる普通の女子高生だった。
昼休憩から教室へ戻るとき、田中がオレの前を歩いていた。「天使の輪」と呟いてみる。田中はフリーズした。と思ったら振り返って「な、なんで」と漫画のように言うので笑える。やっぱり見えてたんだ。「別に、確認しただけ」それだけ言ってフリーズしている田中を追い越し教室に入る。そもそも田中とは会話らしい会話もした事がなく、仲がいい訳でもない。
授業が始まってから何度か田中がオレの席の方を振り向いて見ていたことには気がついていた。まだ頭の中が混乱しているんだろう。それはこちらも同じで、授業は全く耳に入ってこなかった。受験を控えている身にも関わらず、どうしてくれるんだ。
そもそも今まで、自分にしか見えていないと思い込んでおり、他にも見える人がいる可能性なんて全く考えていなかった。浅はかだったが、幼い頃にさんざん変な子扱いされた経験から仕方がないのだ。他にも見えるやつがいる。大発見。古典絵画の頃から描かれていたのも、きっと見えていた人が居たに違いない。なるほど。などと思考が巡り、教室に響く教師の声はもはやBGMだった。
放課後になると田中がオレの席にきて、「ファミマにいるから来て」とだけ言って去っていった。学校の最寄駅の近くにあるファミマのことだろう。いつも一緒に帰る友人に、バイト先に寄って帰ると嘘をつき、コンビニへ向かった。雑誌を読んでいる田中に「どうも」と声をかける。田中はこちらを向いてから少し間をあけて「ロイホ行こ」とだけ言ってすぐに出て行った。人を呼び出した割には愛想が無さすぎないか?とも思ったが、他人のことを言える程の愛想は持ち合わせてないので、黙って後ろをついて行った。
席につき、ドリンクバーだけの注文を終えたところで田中は「見えてるの?」と聞いてきた。
「天使の輪?」
「うん」
それからお互い昔から見えていたことや、それの意味することなど、知ってることを打ち明け合い、田中も同じような人生を歩んできたことがわかった。初めて遭遇した理解者に、お互い妙なハイテンションになって、かつてない早さで打ち解けてしまった。
「佐藤のことどうする?」
「どうするって言っても、、わかんない。、、助けることって出来るのかな」
確かに今まで天使の輪をつけた人間に対して、死なせない為に何かをしたことはない。それは田中も同じだった。
「でも何で死ぬかわかんねーしな。普通に元気そうだったけど」
「事故に遭ったり、、するのかも。わかんないけど、でも、そうなることを知ってる私たちが何かしたら運命が変わったりしないかな」
こうしてオレと田中は、明日から意図的に佐藤に近づいて仲良くなり、何か悪いことが起きる予感がしたら全力で回避するという、計画とは言えない計画を実行する仲間となったのだった。
翌日の学校は、新顔が一人増えただけでいつもと変わらない日常だった。席に着いた時、田中と目が合うと、とても小さく頷いた。こちらも首を傾げただけなのか分からない様な仕草で返事をした。
とはいえ、いきなり現れた転校生と(しかも女子)普通に仲良くなるなんて難易度が高すぎる。もともとオレは一歩引いて様子を伺うタイプの人間だ。舞い降りたUFOから出てきた宇宙人に「こんにちは」と声をかけるなんて恐すぎる。どうしたものか。と考えてることすら面倒になってくる。
そうこうして成果のないまま週末の金曜になった。田中はというと、さすがは女子というか、何だかんだでちらほらと佐藤と話している姿を見かけた。宇宙人に話かけるタイプ?
放課後、田中に呼び出され早速二度目のロイホ作戦会議が開かれた。
「佐藤さんと話したりした?」
「いや、ぜんぜん無理。そんなキャラじゃないし、宇宙人恐いし」
怪訝な顔で見られる。「もう、ちゃんとしてよ。そんなんじゃ助けることなんて出来ないじゃない」
「てゆうか、そもそも仲良くなってから助けるなんてちんたらしてたら間に合わん」
「ちょっと今更そんなこと言う!?、、まぁ、一理あるけど。、、じゃあどーしたらいいのよ」何故か少し怒っている。
「ここに呼ぼう」
「!?」
「ゆっちまおう。そしたら自分でも防げるかもしれねーし」
暫く考えてから田中は「、、やっぱり、言った方がいいのかな、、でも、死ぬなんてこと、、怖くないかな」と重い口調で言う。
「その前に怒るんじゃないか?新手のイジメかって。まぁそれを信じさせないと意味ないけど。、、どーなんだろ、やっぱ怖いは怖いかもしんないな。自分が死ぬなんて知りたくないもんな」
「、、そう、だよね。、、、」
「けど、だからオレらが助けるってことだろ?一緒に居たら止められるかもしれない。オレは田中が助けようって言った時から、何か、ちょっとだけ嬉しくなってるんだ。天使の輪が見えることが人の役に立つのかもって」
週明けの月曜の浅い夕方、まだ少ない蝉が鳴いている。もう少し経つと蝉の声も聴こえなくなるのかな。
オレは一人、ロイホで座っていた。そこに田中が佐藤を連れて入ってきた。
「こんにちは」佐藤が明るい声で言う。
「鈴木くんと田中さんって仲がいいんだね」
「そうでもないけど、悪くもない」
学校慣れた?みたいな話から他愛のない雑談が広がる。会話って3人が丁度いい。話せるし、休めるし、相槌打てるし。
「ふーん、それで話があるって聞いてるけど何の話なのかな?」と佐藤が少し嬉しそうにきいてくる。
何て切り出そうかと考えていると、田中が「佐藤さんって最近変わったことない?」と実に遠方からの小石を投げた。
オレは「大病患ってたりする?」と小石を無視して体当たりをかます。
「ええ?身体はずっと健康で自信もあるけど、病弱に見える?」
「やっぱりか、だとしたら、、事件事故で決まりだな」
はてなマークが顔に浮かんでいる。
「これは真面目な話なんだ。まず最初に言っておきたいのは、オレ達は佐藤を助ける」
その後、オレと田中は全て包み隠さず話をした。佐藤は真面目な優等生タイプらしく、有り難くも半信半疑といった感じで少し困った顔をして聞いていた。
「私はどうしたらいいんだろう。鈴木くんも田中さんも嘘をついてる様には思えないし。でも、何か起きて死んじゃうなんて、、実感が全く湧かないかな」
「まあ、そうだろね。オレだったら、からかうなら他でやれっつって出て行くだろうし」
「半信半疑でもいいの。ただ、何か悪いことが起きそうだと思ったら、逃げたり隠れたり、気をつけてほしい。出来れば学校ではなるべく私達と行動してほしいの。私達が守れるかもしれないから」田中は切実な顔で訴えた。
佐藤は暫く考えてから「、、わかった。気をつけるし、助けて貰おうかな。私にとっては何も損しない話だし、正直、まだ学校で友達も出来てないから、何かちょっと嬉しい」と言ったあと「よろしくお願いします」とお辞儀した。
それから学校では、なるべくオレと田中の視界から佐藤が外れない様に行動し、事あるごとに3人はアイコンタクトをとっていた。昼食では田中と佐藤が一緒に弁当を食べて笑い合ったりしていて、いつの間にか本当に仲良くなっていた。なんか若干の疎外感を感じたりしたけど、でも別に普通か、と気にしないことにした。
オレ達の努力も虚しく、特に何も起きないまま半月ほどが過ぎた。経験上、期限はいつ迎えてもおかしくない。
放課後の帰り道にふと気がつくと、蝉達の声はいつしか聞こえなくなっていた。
うちの校舎は4階建て。田舎にあるお陰で周りには緑が多く、高い建物はない。屋上からは隣の街まで見渡せて眺めがいい。前に扉の鍵がささりっぱなしになっているのを偶然発見し、これ幸いと拝借した鍵はいつも制服のポケットに入れていた。それからは一人で気を休めたいときに、こっそり利用していた。
「屋上って最高だねー。気温も落ち着いてきたし、空が青い。鈴木、よくやった」
校舎内では3人で話せる機会がないので、それならいい場所がある、とつい教えてしまった。
「それで佐藤は、本当に何も変化なし?」
「そうだね。全然。やっぱり2人が騙してたんだって思えてくるぐらい」と言って微笑んだ。
けどオレは、間違いなく訪れることを知っているので、うまく笑えなかった。田中を見ると同じように困りながら笑っていた。
佐藤はそんな表情に気づいたのか「でも鈴木くんも田中さんも本気なのはもうわかってるよ。ずっと私の周りに気を配ってくれてる。本気じゃなかったらこんなこと出来ないよね」と優しい顔して言った。
「それにしても、ここは本当にいい眺めだね」そう呟き佐藤は柵に顎を乗せて、校庭とは反対側の校舎裏の景色を眺めていた。
不意に佐藤が「ん?」と下の茂みを指差し、「白い犬が入ってきてる」と声を上げる。今のご時世に野良犬は珍しい。飼い犬でも逃げたか?と思いながら近寄った。
「どこ?居ないじゃん」と柵の下を見まわすとゴリっと音がした瞬間、景色が斜めに傾いた。
死神は気配なく訪れる。寄りかかっていた柵がひしゃげて、オレと佐藤は身体の支えを失い、校舎の外側へ柵による背負い投げをくらった。
時間がスローモーションで進む。田中が何かを叫んでいる。天上に地面が見える。佐藤が横に居る。助けなきゃ。
はっと意識が戻ると、オレは左手で佐藤の腕を掴み、右手でひしゃげた柵を掴んでぶら下がっていた。佐藤は気を失っている。ここから腕力で自分と佐藤を引き上げるなんてロッククライマーでも無理だ。落ちるのは時間の問題だった。
「鈴木!」と頭上から田中がオレの腕を掴む。
「止めとけ!田中も落ちるぞ!」
「鈴木、私の頭に天使の輪見える!?」
田中が訳の分からないことを聞いてくる。
「ねーよ!何言ってんだ!」
「なら私は死なない!言えなかったけど、鈴木にも天使の輪がある!ごめん!でも、鈴木も佐藤さんも、二人とも私が助けるんだから!」ー 田中がオレ達を守るようにダイブした。
ー
目を開けると、殺風景な部屋のベッドで寝ていた。身体のあちこちが、ひどい筋肉痛のように痛む。ここは、病院だ。助かった?ーそうだ、田中!それに佐藤!辺りを見まわす。奥のベッドに包帯をぐるぐる巻かれた佐藤が寝ていた。天使の輪は、消えている。本当に助かったんだ。田中は?田中の姿がない。心臓が鼓動を早める。まさかー
その時、看護師が部屋に入ってきた。「あら、鈴木さん目が覚めましたね」体調はどうですか?と続ける声を遮り、「あの、田中は!?田中加奈!一緒に居た人!」と声を上げる。やたら胸が苦しくなる。気づけば自分も包帯がぐるぐる巻きで、左足にはギプスがされていた。
看護師は優しい顔で「田中さんなら、少し前に気がつかれましたよ。皆さん命に別状ありません。良かったですね」と答えた。田中の病室番号も教えて貰ったあと、看護師は先生を呼んできますね、と言って出て行った。
オレは居ても立っても居られず、横に用意されていた松葉杖を手にとり、田中の部屋へ向かった。
松葉杖で不慣れに歩きながら考えていた。落ちる直前、田中は言っていた。オレにも天使の輪があると。いつから?きっと佐藤とオレがこの事故で死ぬ運命だったんだ。田中は命の恩人だ。運命を変えて助けちまったすごい奴だ。
「田中ー」と声をかけながら部屋に入った時、オレは固まった。
田中は身体を起こして窓の外を眺めていたが、こちらを振り向き「おー鈴木ー」と呑気な声で答える。
身体から汗が噴き出る。
「少し前に部屋に行って確認したよ」
なんだこれは。
「ちゃんと天使の輪、消えてたね」
何がどうなってるんだ。
「本当に助けちゃったよ」
これは悪い夢じゃないのか?
「私、スーパーヒーローみたいじゃない?」と無邪気に笑う。
オレの眼に写る田中の頭上には、凶々しい黒さで光る天使の輪が浮かんでいた。それはまるで神に反いた罪人だとでも言わんばかりに。
「鈴木?ちょっと大丈夫?ナースコール呼ぶよ!?」
オレは急激に胸が苦しくなり、その場にひざまずいた。これから田中の身に何が起きるんだ。オレは田中を助けられるのか?もし助けたら、その後は?
目の前が真っ黒に包まれる。
病室の窓の外を白い犬が横切った。
ー 完 ー