5:運命のお相手は不審者?
それはそれは、とんでもなくいま目が合ってしまっている。熱烈に見つめ合う二人。まるで恋愛物語の主人公たちが運命の出会いを果たした時のように、アナベラはその一瞬が永遠のように感じた。しかし恋愛物語にしては、運命のお相手は頭から薄汚いローブを被って姿を隠し、まるで今にも子供を誘拐しようとする不審者のような風貌じゃないかと偏屈をつけたくなった。
(こんな危険な状況でなに現実逃避してるのっ!不審者のような、じゃなくて、どっからどう見ても不審者でしょ!!)
ふと自分の声が警鐘を鳴らすように頭に響き、その違和感に促されるままアナベラは運命の相手を見返すと、先ほどまで周りにキラキラを纏っていたはずの相手は輝きを失い、ただの大男が目の前に立っていた。
完全に理性を取り戻したアナベラは、先程まで自分が驚きに耐えられず現実逃避していたことに気付き、妄想に浸かっていた自分自身を叱咤した。しかし思考が現実に戻ってきたのも束の間、運命のお相手改め不審者はアナベラをじっくり見つめながらにこっと微笑むと、小さな声で囁いた。
「ハァ…ハハァ…ようやく、見つけたぞ…」
あっ…この状況、割りとやばいかもしれない…
そう直感したアナベラは考えるよりも先にあの言葉を口にする。
「…ぱ、パパがいるから、行かないといけないから!!」
「おいっ!?」
実はお父さんのことをパパって呼んだのはこれが初めてっ…なんて感傷に浸かる暇などなく、アナベラは必死に逃げた。お父さんの計画では、この後パン屋のナタおばさんの所へ駆け込み隠れる。しかし今日に限って、ナタおばさんは週に一回の通院日であり、いつ帰ってくるか分からないことをアナベラは知っていた。
希望の隠れ場所を失い、完全に詰みな状態でも必死に逃げたが、その努力も虚しく呆気なく不審者に掴まってしまう。叫んで誰かに助けを呼ぼうにも、恐怖で喉が詰まり上手く声が出ない。
あぁ、ここで終わるのか私の人生……
そう半泣きで諦めかけた時、頭上から不審者とは別の声が落ちてきた。
「ばかムルク!あなたみたいな大男が追いかけたら怖くて逃げるに決まってるでしょ!とりあえず、その子を掴む馬鹿力を緩めなさい!!」
「痛っ!な、なんだ怖がらせてたのかっ!?わりぃ嬢ちゃん、そんなつもりじゃなかったんだ!」
手首を掴んでいた不審者は、新たに現れた女性に促されるとすぐに手を離してくれた。アナベラは完全に手が離れたのを確認し急いで逃げようするが、思うように足に力が入らずストン、と尻もちをついてしまう。
一方その頃、不審者は自分よりも小柄な女性から、「子供への扱いが酷い、追いかけ回すなんて怖すぎ」などと叱られている。不審者も自分の行動を反省したのか、下を向いて正座しながら静かに話を聞いているではないか。
一体、これはどういう状況なんだ…と傍観していると、今度は女性がアナベラへと目線を向け、そのまま近づいて話しかけてきた。
「レディ、先ほどは怖い思いをさせてしまってごめんなさい。実は私たちは人探しをしているの。ほら、この町には小麦色の髪を持つ惣菜売りの聖母がいるでしょ。彼女には以前大変お世話になってね。せっかくだからお店を覗いたんだけど、今日はお休みのようで会えずじまいだったの。」
小麦色の髪を持つ、惣菜売りの聖母なんてこの町にはたった一人、アナベラの母しかいない。しかし、まさかこの不審者達と母が知り合いだったとは。
「驚かせてしまってごめんなさいね。あ、さっき怖い思いをさせたムルクはそこら辺に捨てていくから安心して。レディにも彼女にも怪我を負わせないから、私だけでも会わせてもらえたら嬉しいわ。」
「おい、捨ててくってなんだよティナ!俺だって立派な国家騎士だぞ!」
「はいはい、うるさいからちょっと黙っててムルク。」
「国家、騎士…?」
「そうよ、私は国家騎士のクリスティーナ。で、こっちは同じ国家騎士のムルクィート。数年前にここに来たときに、こいつがバカして彼女のご家族にはお世話になったでしょ?その時、次に近くまで来たら立ち寄るって彼女と約束をしていたんだけど、私たち今日中にはここを離れてしまうから、出来れば今すぐお会いしたくてね。
レディ、無理なお願いかもしれないけれども、彼女のもとに連れていってもらえないかしら?」
「お前さっきから黙って話聞いてればぁ!」
「ムルクは黙ってて。」
国家騎士と母の繋がりなんて、この町では有名な話だ。もしかしたら、彼らは身分を国家騎士と偽ったゴロツキの可能性もある。つまり今の彼らは信用するに足らないのだ。それなのに、この人達が国家騎士であると信じようとしていることにアナベラ自身も驚いた。自分でも分からない安心感とそれでも拭いきれない不信感の狭間で悩んでいると、雨雲が痺れをきらし、ポツ、ポツと雨を降らせ始める。
国家騎士と名乗るクリスティーナからの提案で、アナベラ達は一度話すのを止め、強まる雨から逃れるために近くの建物に避難した。しかし、雨はアナベラの気持ちとは反発するように本格的に降り始める。
これはもう完全に逃げられない。それなら…と、アナベラは先ほどから気にかかっていることを勇気を出して尋ねてみた。
「あの…どうして私がその人の場所が分かると思うんですか…」
言葉の最後は蚊がなくように小さかったが、クリスティーナには十分伝わったようだ。
「だってあなた、彼女の娘さんでしょう?」
「え?」
確かに去年国家騎士と関わったけど、その時に女性の国家騎士なんていただろうか?
記憶を思い返せば、確かにあの時、怪我させたことを謝りにきた国家騎士は複数いたが、当のアナベラは突如蘇ったシェリーの記憶処理で忙しく、彼らの顔まで覚える余裕はなかったのだ。しかも彼女達と母がまた会う約束をしていたことなどはつゆ知らず。
解像度の低い記憶を必死に思い出そうと黙り込んでしまったアナベラを、クリスティーナは心配そうに覗き込んでくる。
「お、おいティナ?嬢ちゃんも!何二人して睨みあってんだよ。」
「「睨みあってない!」」
「お、おぅ?それならいいんだけどさ…でも嬢ちゃん、俺らのこと本当に覚えてないのか?」
「それは…えっと、その、ごめんなさい。あまり覚えてなくて…」
「レディ、無理に思い出す必要はないよ。私達が急に現れて驚かせてしまったのだしね。
でもね?私達はあの日、レディやご両親へ誓った思いは忘れていないし、嘘を付くつもりもない。それは国家騎士の誇りであるこの剣に誓うよ。」
そう言ってクリスティーナは、国家の印章が象られた鍔の付いた剣をアナベラに見せた。
そうだ、これだ。この印章は覚えている。だってこの模様がなんとなく気になったから、だからあんな一件が起きたのだ。じゃあ彼らに抱いた謎の安心感とは、これを持っていただというのか?
アナベラは久しぶりに出会った鍔を、今度こそは近くで見ようと剣に手を伸ばした。
「レディ、あなた…」
クリスティーナは何かを呟いたが、剣に集中していたアナベラに最後まで届くことはなかった。