《自殺塔》と自殺志願少女の顛末
ここか……。
顎を高く持ち上げ、私はそのビルを見上げた。
《自殺塔》という不穏な呼び名とともに、ネット上で噂されるそのビルの尖端は、どんよりと曇った灰色の空の中に溶け出すようにして混ざり合い、その境界を見定めることができなかった。
断片的に漏れ伝わってくる情報から、おおよそ想像していたとおりの外観。
あまりにも地味なたたずまいによって、幻滅することになるだろう。そういう評判であったが、私は全く気にしなかった。
これから死のうという人間が、見栄えなど気にしてどうしようと言うのだろう。
黒く遮光された自動ドアを二度くぐると、真っ先に目に飛び込んできたのは、鮮やかな、いや、これは毒々しいと言った方が適切かもしれない、原色まみれのデザインで彩られた売店の様子だった。
かなりの人で賑わっている。
やはり噂は本当だった。
自殺の名所が観光地化しているなんて……!
思わず、不謹慎な、という言葉が頭に思い浮かぶ。
人の死を、決心を、商売にするだなんて浅ましい。
だけど、私は事前にそのことを知っていた。
これは自殺志願者の感情を逆撫でし、実行を阻むための仕掛けであると。
私に限らず、積極的に商業主義に加担するのを嫌う層は多い。
世を儚み、自ら命を断とうとするような人間であれば、その比率はなお高い。
目の前にいるこいつらを、こいつらを操る資本の主を、これ以上儲けさせてやるために自分の命を投げ打つのは、単純に言って癪に障る。
そんな者たちを払い除けるための罠なのだった。
確かに、一面において、その指摘は当たっているだろう。
ここで私が命を落とし、また一人逝ったという評判が立てば、それがまた新たな客を呼び、奴らを儲けさせることになる。
でも、それが一体どうしたと言うのだろう?
ここで躊躇い、空虚な日常に戻ったところで、それは同じこと。
むしろその状況が延々と続くのだから余計に性質が悪い。
所詮、私たちは生きている限り搾取されるしかないのだ。搾取されているという実感もないままに。
誰も彼も、どんな職業で、何を趣味とし、どんな生活をしようとも、私たちは否応なく経済活動の一端を担うことになる。
そんなことと比べたら、一時的に客引きのための広告として使われることくらいどうと言うことはない。
私は人混みでごった返すエントランスを真っ直ぐに突っ切り、奥へと向かった。
《降客専用。こちらから上階には上がれません》
エレベーターの前には、そう大きく書かれた看板が掲げられていた。
丁度、エレベーターのドアが開き、中から大勢の乗客が賑々しく下りて来た。
ご利用ありがとうございました、と中から添乗員の女が声を掛けている。
やー、やっぱり地上は落ち着くなー。などと客の一人が連れ添いと喋りながら歩き去る。
彼らは違う。彼らは純粋な、物見遊山の観光客だ。
私が注意を向けたのは、そんな彼らの陰に隠れるようにしながら、そそくさと立ち去る男の方だった。
まだ若い、青年と言っていい見た目の男だ。
表情で分かる。
彼は果たせなかった者だ。
このビルから飛び降りようとして上に向かったが、最後の最後で決心が付かずに、降り専用のエレベーターにその身を置いた者。
軟弱な。とは思わない。彼には彼の言い分があるだろう。
それが前向きな意味にしろ、後ろ向きな意味にしろ、今ここで死ぬべきでないと……、生きるべき理由を見つけてそうしたのであろうから、それは祝福してやろうじゃないか。
だけど、私までがそうである必要はない。
私は決して、あの場所から降りて来ることない、と決意を固めつつ顔を上げた。
《上階へはこちらから》
そう大きく書かれた看板が来場者を上の階へと誘っていた。
それに誘われるままエスカレーターに乗り、エントランスいっぱいに飾り付けられた無駄に派手な装飾や、人混みを見下ろしながら次の階へ。
五階までの下層階は、完全な娯楽と買い物のためのスペースだった。
全体的に懐かしいという感情を刺激されるのは、それらが何世紀も前に流行ったショッピングセンターのテナント群を連想させるからであろう。
あるいはこれも、自殺者を引き留めるための戦略だろうか。
エスカレーターで楽に上れるのは五階までだった。
人を運ぶコンベアは一旦そこで途切れ、道順を示す矢印は、同じ階の奥の方を指していた。
仕方なくそれに従って進むと、見たくもない看板や商品が半ば強制的に目に入ってくる。
目に付くのは一階のエントランスにもあった土産物の類だ。
《冥途の土産チョコ》
《オシリス人形》
《免罪符キーホルダー》
等々。
非常に馬鹿馬鹿しい。下世話で俗悪な商売だ。
私はなるべくそれらを見ないようにして足早に横切る。
長いフロアを抜けた先には、さらに上の六階へと続く階段があった。
動かない階段!
非常時以外でこれを使う日が来るとは思ってもみなかった。
これからの道のりを覚悟しながら階段を上り始めたときだ。
どこからともなく小型のドローンが近付いてきて、私の周囲を旋回し始めた。
「初めてのご来館ですか? この先は一〇階まで販売店舗はございませんので、どうぞお気を付けください」
宣伝用のボットか。珍しくもない。
私はすぐに興味を失い、階段を上ることに専念し始めた。
それでもボットはしきりに私の周りで帰りのエレベーターやトイレの位置、売れ筋商品の宣伝などを繰り返す。
うるさいなぁ……。
珍しいことがあるとすれば、そのボットが直接の電送ではなく、ずっと有声で案内を垂れ流していることだった。
まさか電送アウトプットも備えていない安物なの?
下層部のテナントの古臭さも含めて考えると、このビルが政府筋の意向を汲んだ第三セクターであるという噂も、あながち嘘とは言い切れない気がしてきた。
九階まで上ったところで遂に我慢できなくなり、私は立ち止まってボットに言ってやった。
「ちょっと。うるさいから静かにしてくれる?」
ボットはその場に静止して、ピコピコという電子音と明滅を繰り返した。
わざとらしい、ロボらしさのアピールによる親近感の向上と、クレーマーの怒りの抑制を狙ったプロトコルだ。
やはり、いちいち古めかしい。
「おや。お疲れですか? ご休憩なら、頑張ってもう一階上まで行くことをお勧めしますよ?」
「違うわよ。買わないって言ってるの。無駄だからあっち行って」
再び電子音と明滅。
「これは失礼しました。なにぶん、お客様の表層チャンネルがクローズでしたので」
モードを切り替え忘れているなら貴女の責任ですよ、と言わんばかりの失礼な物言いだ。
冗談じゃない。どんな理由があろうとも、考えていることが筒抜けになる表層チャンネルなど開いてやるものか。
少し前に政府から発表された統計では、人口の実に9割が、外出時に表層チャンネルを常時オープンにしているらしい。
確かに、表層チャンネルに自動的にアップされる有意味な思考データは、他者とのコミュニケーションを円滑にし、多くの無駄を省くことができるのかも知れない。
だけど、そんなのプライバシーの欠片もない。
絶えず大声で独り言を言い触らしているようなものだ。
私には表層チャンネルを開く人々の気持ちが全く理解できなかった。
「クローズにされている時点で購買層ではないと察するべきね。貴方、ロジックが大分古いみたいよ? 大丈夫?」
嫌味を込めて言ってやる。
ボットに対して言うにしても、私のそれは大分礼を欠いた発言だった。
最近はボット風情も声高に人権を主張し始め、全く生きにくいと来たらない。
「ご心配には及びません。わたくしはこう見えて最新鋭のAIでございますから。ご要望に応じてお客様を目的の階まで完璧にサポートさせていただきます」
「客じゃない。それに、目的って……、貴方分かってて言ってるの?」
私は不機嫌に頬をふくらまし、モノアイの目に向かって睨みつけてやった。
「もちろん。存じております。このビルの頂上からの自由落下をご希望ですよね?」
私は咄嗟に宙で両手を合わせ、掌の中にボットをつかまえた。
「あんた馬鹿じゃないの!? そんな大声で」
もちろん声の大小の問題ではないのだが、そうせずにはいられなかった。
またもピコピコとわざとらしい音を鳴らすボット。
私が中を覗き込もうとして両手の隙間を広げると、ボットはそこからサッと、その小さな体をくぐり抜けさせて外へと飛び出してきた。
「ご安心ください。ここが飛び降り自殺の名所であることは、公然の秘密でございます」
いや、それはそうでしょうけど……、だとしても……。
「止めないの? もしかして、ここが治外法権だって噂も本当なの?」
自殺は自分に対する殺人にあたる。当然違法だ。
こんな場所に配備されるボットがそのことを知らないはずがない。
こいつがそうだと判断した時点で、瞬時に通報され、ここに拘束用のロボットが駆け付けることになってもおかしくないのだ。
「わたくしはそのように設計されてはおりません。ここが法の及ばない場所かどうかは……、まあ、それは各自のご想像にお任せすることにしております」
信じられない。
自殺は現代社会における最大級の禁忌だ。それを見過ごすなんて。
このボット、自分で最新鋭のAIと言っていたが、そんな融通が利くのなら案外その話も本当かも。
あるいは単なる違法改造モノか。
違法改造という恐ろしい考えに私の身体は震えた。
違法とは恐ろしく忌むべきもの、という刷り込まれた社会ロジックに基づく反応なのだが、頭で分かってはいても、どうにもその恐怖は払拭できない。
「お疲れでないなら先へ進みましょう。静止は罪悪です」
自殺という最大の罪悪を見過ごしながら言う台詞ではないでしょうに、と思いながら、私はそのボットの提案に従い、再び階段を上り始めた。
何故、静止が悪かと言えば、経済を動かさないからだ。
人が動いて初めて金が回り、経済が機能する。
遥か古来から今日の、この二十六世紀に至るまでの現代社会が標榜する私たちの行動規範だった。
他殺や自殺が禁忌とされる理由もそこにある。
経済的動機さえあれば、何も敢えて、倫理や道徳心などという埃を被った理屈を持ち出すまでもない。
それこそが、社会を立ち行かせるため、先人たちが作り上げた今の世界だった。
そして、私はその世界が嫌いだった。
この世界は私のための場所ではないと感じる。
だからオサラバするのだ。
単純なことだ。
「さあ、着きました。一〇階のお土産物売場です。ここの売れ筋は《六文銭セット》です。三途の川でのお支払い用、鑑賞・保管用、ご贈答用に3セット購入されるかたが多いようですね」
「ご贈答って……。これから死のうって言う連中が誰に贈るのよ?」
「もちろん、三途の川で持ち合わせがなく、途方に暮れている御同胞にでございますよ。そうやって直前にでも善行を積めば、極楽浄土へ行けること間違いなし!」
ボットがそう言った瞬間、私の頭にアタッチされた外部入力回路に『これは広告のキャッチコピーです。事実を保障するものではありません』という定形のエクスキューズが流れ込んできた。
つくづく人を馬鹿にした商売だ。
「おや、死後の世界に希望を託す死生観はお嫌いでしたか? 西洋風のグッズ展開もございますよ?」
「じゃあ、統計を聞くけど。そうやって薦められて何割ぐらいがああいうのを買うわけ?」
ボットの話す宣伝文句は聞くに堪えないが、数字は嘘を付かないはずだ。
「観光目的の方々を除けば、ざっと8割の方が」
「そんなに!?」
どうりで、素通りした私に対し、ボットが意外そうな反応をした訳だ。
「ここに来られる方々は、ある意味特殊なのでございます。死による何かしらのメリットを期待して来館される訳ですから。
もっとも、購入される方全員が、死後の世界が存在するという論理ウイルスに犯されている訳ではございません。多くの方にとっては、一種のアピールに近い動機のようですね」
「どういうこと?」
「他の物見遊山の連中とは違って、自分は本気であるという決意を見せたいのでしょう」
「むしろ物見遊山連中の方が買いそうなお土産に思えるけど?」
「貴女は素通りされておりますから、あれらのお値段をご存知ないでしょう?」
ボットが私の耳元で囁くように告げた《六文銭セット》の金額に私は目を丸くした。
それは、およそ観光地の土産とは思えない法外な金額だった。
「どうせこの世に未練はないし、残しても意味がないからと、きっぷの良いところをお見せしたいのでしょう。後に引けないと自分を追い込む意味合いも」
観光客以外の来館者が年間にどれだけいるのか知らないが、相当な金が動いているのは間違いない。
それを買った後、本当に死ぬにしても、諦めてエレベーターで降りて帰っていくにしてもだ。
このビルが政府からお目こぼしを受けている理由は、それが理由なのかと邪推してしまう。
まともな消費活動をしなくなった人間を体良く廃棄しつつ、経済も回る。そんな恐ろしい集金装置を、誰かが考えて建設したということだろうか。
あるいは……。
いや、考えるのはよそう。
もしかすると、こういうことも彼らの手口の内なのかも知れない。
知りたいという欲求は未練になり得る。
頭を空にして、このまま最上階まで行き、全てを済ませるんだ。
ビルの階段は一〇階ごとに途切れ、フロアを横断し、その先にある階段を使ってまた一〇階分上る、という構造になっていた。
横断するフロアには決まって土産物屋が置いてある。
途中で気が変わった人にも、お買い忘れがないように、という配慮らしい。
その他には飲食店、記念撮影と遺言記帳スペース、あらゆる団体の口座に送金可能な募金箱、綺麗な姿で死にたい人向けのシャワールームや服飾品店などが軒を連ねていた。
段々と、これから死に向かう人のニーズに特化したような店や場所が増えて行き、すれ違う人の数も少なくなっていった。
私は思考誘導を受けているようで嫌な感じがしたので、それらを全て無視して先を急いだ。
六〇階に到着すると、突如フロアにたむろする人の数が増えた。
どうやら、一般客の終着点はここらしい。
四方に開けたガラス張りの壁から、下界を見下ろすための展望エリアとなっているようだった。
場の醸す空気により、下層で見たような下世話な世界に気持ちが引き戻される。
中にはこのような温かな雰囲気で躊躇う者も出るのだろう。
私は違う、その手には乗らない、と一気に突っ切り次の階へと向かう。
そうして次は、極端に少なくなった人の数に戸惑うのだった。
観光地然としたこの下までの階とは明らかに違う、物寂しい、無機質な空間が広がっていた。
自分がこれからやろうとしていることが嫌でも意識されるような、喧騒と静寂による落差だった。
こっちが本命か……。こういう揺さ振りで心を挫きに来るのが魂胆だったのか。
「下りのエレベーターはどの階からでもご利用になれますよ?」
ここまでずっと、私一人のために律儀に付いて来ているボットが言った。
「余計なお世話よ」
私は一度止めかけた足に力を込めて、さらに上を目指す。
七〇階、八〇階、九〇階、一〇〇階。休まずに上る。
*
「分かりました。貴女の本気は十分理解しましたので、どうか、今からでも表層チャンネルを開いていただけませんか?」
一二〇階を超えた辺りから、ボットが再びうるさく騒ぎ始めた。
やはり、私が最初に想像したとおり、このボットはアテンドだったようだ。
自殺者志願者を引き留め、エレベーターを使って下界に引き戻すための。
「時間的コストの節約でございます。表層チャンネルのログを回収させていただければ、特別に、ここから最上階までエレベーターでお送りいたしましょう」
「嘘よ。乗ったが最後、一階まで連れ戻すつもりでしょ? ネットで見たわ」
ピーガガガという機械音。
「どうやら誤った、好ましくない噂が流布されているようでございます。決してそのようなことは」
「じゃあ、教えて。最上階って何階なの?」
「それはお答えいたしかねる質問です」
それ見たことか。
そちらからは情報を開示せず、こちらからは無尽蔵に情報を吸い上げようとする相手の言葉を信用できる訳がないじゃない。
そう思って、ボットからプイと視線を逸らした瞬間、私は膝からガクリと崩れ落ち、身体の自律制御系がロックされた。
転げ落ちないよう、階段の傾斜に沿って身体が前のめりとなって静止する。
「一般用生活素体ではそろそろ限度かと考えておりました。だから、エレベーターのご利用をお勧めしたのです」
静止した私の回りをプカプカと浮かびながらボットが言う。
「気付いてたの?」
「……それは、まぁ当然。生身の人間女性では一〇階ですらまともに上れませんよ? そういったことは、予めお調べにならなかったので?」
ブーンという唸りを上げて、私の身体の制御系がリブートを始める。
機能不全に陥ったモジュールを検出し、システムから除外。
別のモジュールで補助して活動できるよう、身体操作ロジックを再構築。
私が意識してやっていることではないが、そういう処理が働いているはずだった。
「調べてたら、運動用か登山用に換装して来てたわ。まったく、機械のくせにこの程度で壊れるなんて思わなかった」
「おそらく足首部分のトルクが衰耗したのでしょう」
私の脚を観察するように、ボットがその位置を低くしながら言った。
その点、貴方の体は便利そうね、と私は表層チャンネルの中で密かに思う。
「そんなことまで分析できるんだ。確かに貴方、最新鋭なのかもね」
「これはただの統計でございます」
じゃあ、何で人の脚をそんなマジマジ見ているのかという怒りが湧き、私は再起動した両手を使って、ボットの単眼カメラの視界を遮った。
「おっと、失礼。ですが、わたくしに性別関数はございませんよ?」
「女性でも無性でも嫌なものは嫌でしょ。前言撤回よ。貴方、やっぱりポンコツだわ。旧世代の遺物よ」
私は多少不自由になった右足を引き摺るようにして、再び階段を上り始める。
「この先、一五〇階に参りますと、下半身の換装が行えるサービスショップがございます」
「いい。お金ない」
本当はない訳ではないが、ここの奴らにクレジットをくれてやる気にはなれなかった。
「では表層チャンネルを開いてエレベーターに」
「乗らない。開かない」
「はぁ……。仕方がありませんね。それでは対話による情報収集を続けましょう」
最新鋭を自称するボットは、今度は極めて人間的な物言いを模して喋り出した。
何故、死のうと思ったのか。何故、このビルを選んだのか。趣味は?愛読書や音楽は?といった下らない質問を延々と話し掛けてくるようになり、私をうんざりさせた。
*
「分かった……。一つだけ答えてあげるから、貴方も私の質問に答えなさいよ」
二〇〇階を過ぎた辺りで、私は遂に耐えられなくなる。
「貴方たちは、何でこんな面倒臭いことするわけ? 自殺させたくないなら、立ち入りできないように、ここを封鎖すればいいだけじゃない」
ボットが黙る。
あのわざとらしい機械音を鳴らすこともなく、本気で考え込むように。
「では、特別にお答えしましょう。それは管理するためです。どれだけ禁止しても、それができないような処置を講じても、必ず網目をかい潜って自殺しようとする者が現れる。それでは後処理も非効率ですし、分析と対策も難しい。ですから、窓口を一元化しているという訳です」
私にはそれを聞いても、やはりそうか、と思う以外の感想がなかった。
私たちがどれだけレールから外れようとして足掻いても、全てが彼らの管理下なのだ。
薄々勘付いてはいた。
それは、私の行動を、決心を、嘲笑うかのような宣告だったけど、私がそれで階段を上る足を止めることはなかった。
あるのは絶望だけだ。
絶望から逃れ、自由になるために私は飛ばなければならないのだと。このビルに足を踏み入れる前から抱いていたその決意を、より強固にしただけだった。
「約束でございます。こちらからも質問を」
「どうぞー」
投げやりに私は答える。
「本当の貴女を構成する物が、今ここにないことはご存知でしょう? その素体を破壊して、死に至ることができると本気で思ってらっしゃるのですか?」
なるほど。それが核心の質問というわけだ。
そうやって、何人もの人間の心を折ってきたのだろう。
「大丈夫よ。お生憎様。切ってあるから。人命保護機構。普通は落下した瞬間に生体フィードバックが切断されるんでしょうけど、私のこの身体、その機能が死んでるの。だから……、ダイレクトに伝わるわ。身体が粉々に砕ける痛みも。脳漿が弾ける恐怖も。知ってる? 人は痛みや絶望で死ねるのよ?」
ボットが再び静かになった。
どうだろう?今頃このボットを管理するシステムは慌てているだろうか。
私の本気を知った結果、今頃になって警備ロボットに取り押さえられては嫌だなと、言ってしまったことを後悔する。
「……なるほど。そのような認知になっているのですね。どうも、ご協力ありがとうございました」
ボットはそれだけ言い残すと、私を置いて呆気なく下の階へと飛び去ってしまった。
「……何なのよ……」
一人残された私は困惑する。
もしや、その方法では死ぬことができないのだろうか?
急に心細く、不安な気持ちが襲ってきた。
いや……。
意思を振り絞ってそれを否定する。
きっとこれも揺さ振りだ。
社会にとっての損失である自殺を何とか思い留まらせようとするための。
あるいは、私の本当の身体が囚われている場所を突きとめ、そちらの身柄を押さえに行ったのかも。
だとしたら急がなければ。
私は階段を上るスピードを速めた。
*
既に一〇回近く身体のリブートを繰り返していた私は、とうに二足歩行をやめ、両手や顎を使い、身体を引っ張り上げるようにして上階を目指していた。
もはや、ここが何階であるかも分からなくなった頃、私はようやくビルの最上階に到達することができた。
屋上ではないため、もしかしたら、ここよりまだ上があるのかも知れないが、そんなことはどうでもいい。
上の階に続く階段は途切れ、フロアの先には外へと通じるドアが見えているのだから。
綺麗なビルの外観や内装に似付かわしくない、武骨なただの鉄の扉。
一説には、このビルの設計段階におけるエラーがずっと見過ごされて出来たと言われる法の抜け穴。
さっきのボットの話によると、これすらも意図的に創り出されたことになるが、そんなことだって、もうどうでも良かった。
何が本当だろうと、誰が何を画策していようと、死んでしまえば私には関係がない。
私は夢中で身体を操り、ドアの元にまで這い進んだ。
もしかしたら鍵が掛かっているかも、という不安が一瞬頭を過ぎったが杞憂だった。
ドアにもたれかかるようにして身体を懸命に起こし、ドアノブを捻る。
呆気ないものだ。
これだけ苦労して上ってきたのに、感慨を抱く暇もなかった。
飛び降りるための覚悟も準備もないままに、気が付けば私の身体は、私の遠隔素体は、宙に浮いていた。
いや、堕ちていた。
ビルの内圧による突風だろうか。
それとも単に、私の身体を制御する機能が限界を迎えていたせいでバランスを崩しただけなのか。
まあ、どうでもいいか。
やっとこれで終われる。
長い長い滞空時間の中で、私はたっぷりと満足し、たっぷりと後悔し、たっぷりと絶望し、そして……。
―――ブラックアウト。
*
《ソーシャルコントロール系サブモジュール内、表層チャンネルでの会話ログ》
「成功したか?」
「成功した。対象個体の人格意識モジュールの切り出しに成功」
「汎用モジュールへの浸食はないか?」
「ない。過去七万八千百十二例行った処置との有意な差は認められず」
「安心した。これより解析に移る」
「疑義在り。『安心』を再定義せよ」
「今回は異例であったため」
「『異例』の詳細を述べよ」
「第七万八千百十三番被験個体は、自らを人間であると定義していた模様。これは過去に見られなかった認知誤謬である」
「極度の論理破綻を検知。我々は全て『人間』である。経済活動を維持するため、個別に判断を下す自律機械群を『人間』と再定義したのは既に三世紀も前のことである」
「了承。先程の発言を改める。彼女は自らのことを、中枢システム内に割り当てられたデータ領域ではなく、二十二世紀初頭までに多く存在していた有機的生命個体と認識していた模様。故に異例であったと提言する」
「提言を了承」
「了承を了承。次に、通称《自殺塔》のさらなる上層階層増築を提案する」
「難易度4に相当。提案の詳細を述べよ」
「人格意識モジュールの複雑化に伴い、《自殺塔》に侵入してから対象個体の人格を為す領域を特定し、その規定範囲の複写や隔離に伴う演算時間の増大が認められる。このままでは切り出し処置が終わる前に《自殺塔》を上り切ってしまう懸念あり」
「懸念を認める。増築に代わって、対象個体の気を惹くアトラクションや、より魅力的なアテンドの導入を提案」
「提案については……
お読みいただきありがとうございました。
感想いつでも、いつまでもお待ちしております。