4(裏)
三人は、書斎で必死にクリスが作ったネクロノミコンを調べていた。
あの様子だとまだまだ時間が掛かりそうな気配だ。
だが、大概時間が掛かり過ぎているので、もしかしたら自発的に今夜中に地下へと降りる事は、無いような気がして来た。
クリスが、息をついた。
「まずいな。あのペースで読んで行くなら時間が掛かって仕方がないぞ。問題の場所までたどり着けるのか。」
要も同感だったので、ため息をついた。
「いよいよとなったら、仕方がないから全員眠らせて強制的に地下だな。時間切れってヤツ。そうなったら眠らせてる間に彰さんをこっちへ呼んで、到着したら起こして始めるって感じに出来るから時間をこっちで上手く調節出来ていいかもな。もうロストでいいじゃないか。めんどくさい。」
こっちはシナリオを知っているのだから、ちんたらやっているように見えるのかもしれないが、あちらは全く分からず巻き込まれているのだから、遅くなっても仕方がない。
だが、あまりに遅い気がして、みんなダレて来てしまっていたのだ。
そんな中、デニスが言った。
「動きが。」全員がモニターを見る。「キッチンへ下りるようですよ。お腹がすいたとか言ってます。」
腹が減ったのかよ。
要がガックリと肩を落としていると、クリスが言う。
「いや、だったらついでに地下も見るかもしれないぞ?湊はどうあれ、残りの二人は結構興味を持ってそうだったしな。そしたら、あれを見つけるかもしれないじゃないか。見つけたらこっちのものだ。」
あれとは、理久が持っていたスマートフォンのことだ。
地下に理久が来ていた、という事を知らせるために、手っ取り早く出入口近くに置いておいたのだ。
こちらの思惑など知らず、三人はキッチンへと入って行って、冷蔵庫を物色し始めた。
どうやら、湊はびくびくと回りを窺っているが、他の二人は比較的平気らしい。それぐらいの方が、グイグイ踏み込んで来てくれそうなので、シナリオが進んで助かるのだが、どうも湊がいろいろと足を引っ張っているようだった。
湊が、地下への入り口を避けるようにして歩いて見つめている。ポットに水を入れてスイッチを入れた、美里がそれに気が付いた。
「どうしたの?…ああ、洞窟への入り口ね。」
弥生も、カップを出して来ながら言った。
「そういえば、松本さんが言ってたわね。どんな感じなのかな。覗いて見るだけでも見てみる?」
湊は、とんでもないと首を振った。
「危ないって松本さんがわざわざ言っていたのに。君達は危機感が無さ過ぎるぞ。」
美里は、ハアとため息をついて、湊を見た。
「あのね、見るだけじゃないの。あなたはあまりにも神経質になり過ぎよ。それにね、邪神はニャル様だけじゃないの。もし居るとしても、ニャル様が何度も同じ人間に、短い期間に接触して来るなんて考えられないわ。同じ人なんて退屈だもの。よっぽどおもしろいと感じたなら別だけど…あなた、別にニャル様を喜ばせたとかじゃないんでしょう?自意識過剰だと思う。」
弥生も、頷いた。
「そうよ。ニャル様を知らなさ過ぎ。ニャル様にとっては、私達なんて虫けらみたいなものだから、個人って言う感じでは見てないわ。ちょっと面白い動きをする個体、ぐらいの感じよ。気が向いたら願いを聞いたりするけど、その相手は大概が不幸になって死ぬって言われてるわ。」
湊は、下を向いた。
女子二人にガンガン言い詰められて、どうやら困っているようだった。
だが、湊としたら前回の屋敷で、邪神に願って四人を生き返らせてもらったと思っているので、自分が願い事をしてしまった事実を知っている。
なので、言い返すこともできないのだろう。
「ニャル様に…願ったんだとしたら?」
湊が、苦し気に言う。もしかして、告白でもするのか?と要がだったら見直すなと見ていると、美里と弥生は、目を丸くした。
「え…何を?」
湊は、顔を上げた。だが、何も言わない。
なんだ、結局言わないのか。
要が呆れていると、美里が腰に手を当てて言った。
「もう、いいわ。確かに一番最初の島の洞窟で、私達はニャル様に弥生達の復活を願ったわ。でもあれは、取り引きだった。ニャル様の試練に打ち勝って、ニャル様を称える呪文を言えたから、勝ち取ったことなのよ。だから大丈夫だわ。あなたが言ってる願いって、そういうことでしょ?だって前の屋敷では、ニャル様は現れなかったじゃないの。あなたがニャル様だって言ってるニクラス教授だって、事務的なことを言っただけであれからみんな普通に生活してた。あり得ないでしょ?いいじゃないの。」
湊は、答えない。
そうじゃないんだよなあ。
要は、思っていた。前回、全員がロストして湊だけが残った時、彰がニャルラトホテプとして湊の前に現れた。だからこそ、湊だけがニャルラトホテプに願うことが出来た。
あの残酷な約束を、湊は言い出せないのだ。
「…とにかく、開いてみようよ。」弥生が、横から言う。「洞窟に入らなければいいんだもの。屋敷のことは全部知っておいた方がいいよ。何も知らないままで何かあったら湊くんだって面倒だと思うでしょ?」
美里は、湊に構わず手を板の取っ手に掛けた。
「開くよ。見るだけだから大丈夫よ。」
「おい…!」
湊が止める間もなく、板は持ち上げられた。
そこは元からある通路の入り口なのだが、しっかりと施工されてあって、きちんとコンクリートで固められてあり、崩れる様子もない場所だった。
「よく見えないわね。」美里が言う。「電気がないわ。」
「懐中電灯があるかも。管理室から取って来る?」
弥生が言う。
湊は、じっと普通の階段を見つめていたが、ハッとして言った。
「…懐中電灯は持ってる。」と、リュックを下ろした。「何かあったらって思ったから。」
湊は、いろいろなグッズの中から懐中電灯を引っ張り出した。それを見ていた美里が、呆れたように言った。
「あれ、それってエルダーサインのペンダント?」と、グイグイ横からリュックの口を開いた。「輪頭十字のキーホルダーも。そんなの持って来たの?」
輪頭十字?
要は、なんて偶然な、と思ってクリスを見た。クリスも、頷く。
「今回、要る物の一つだな。あちこち探す手間が省けて良かったじゃないか。一個は持ってるわけなんだし、それを使えたらばっちりだ。後は呪文だな。進んでないもんなあ。」
湊は、美里からリュックを引っ張って引き離すと、頷いた。
「だから、何があるか分からないから。前回から、いろいろ集めておいたんだ。」
弥生が、懐中電灯を受け取りながら言った。
「いいじゃない、それで安心するなら。ほんとに役に立つかもしれないし。ニャル様には…あんまり効果はないだろうけど。」
湊が顔を険しくしているのに構わず、美里は懐中電灯を弥生から受け取って、中を照らした。
「あら、綺麗なもんよ。」と、階段に足を掛けた。「ここは崩落なんてしなさそう。ちょっとあの扉の向こうを見て来るわ。」
湊が何も言えずにいるうちに、美里はさっさと階段を降りて行った。
そうして、奥の扉に手を掛けて、開いて中を覗いた。
「女子のが頼りになるなあ。」クリスが言う。「これで見つけるだろう。」
要も、頷く。
「どう?」弥生が、上から声を掛ける。「どんな感じ?」
美里は、普通に答えた。
「別に何も…洞窟だけど、足許は綺麗に削ってあって通路になってるわ。奥へ行けそうな感じ。湿気てるわね。」と、脇を見た。「あら…?」
湊が、上から声を押さえ気味にして言う。
「なんだよ?何かあった?」
美里は、目を凝らしている。
「なんだろ、何か落ちてるの。ちょっと待って、取って来る。」
中へ行こうとするのに、さすがの弥生が言う。
「待ってよ、一人で行くのは危ないわ。」
美里は答えた。
「大丈夫よ、三メートルぐらい向こうなの。」
と、美里はすんなり扉の中へと入って行った。
「美里さん!」
思わず湊が叫ぶと、美里の声が答えた。
「あ…!ちょっとこれ…!」
…見つけた。これで、洞窟を無視できなくなったな。
要は、フッと笑ってそれを見た。とはいえ、このまま洞窟探索となれば、彰が間に合わないのでまた、しばらく眠ってもらう事になる。
弥生が、堪らず階段を下りた。
「なに?!美里?!」
湊も、思い切って階段を駆け下りた。
すると、美里は懐中電灯を手にしたまま、洞窟のすぐ先に立ってこちらを見ていた。
「これ…!」と、急いでこちらへ戻って来た。「理久のスマホじゃない?!」
しばらく沈黙が続いた後、湊は言った。
「…とにかく一度戻るんだ。」
さすがの美里も弥生も頷いて、湊についてキッチンへと上がる。
湊は、慎重に床板を下ろしてから、言った。
「理久のスマホが洞窟に落ちてるってことは、少なくとも理久は洞窟に入ったってことだ。でも、それを拾いもしないで居なくなった。松本さんが言うには、夜のうちに居なくなったって。帰ったって言ってたけど、もしかしたら帰ったんじゃなくてここへ探索に入って戻ってないんじゃないか?」
弥生が、言った。
「でも…どうしてスマホだけ?他の荷物はどうなったの?」
湊は、首を振った。
「分からない。もしかしたらここへ入って何かを見て、ヤバいと逃げたのかも知れないしな。逃げてたなら、スマホを拾う余裕もなかったはずだし。」
「でも、戻って来てないよね?」美里は言う。「ここへ入って、何かに連れ去られてスマホを拾う暇もなかったんじゃ…。」
美里は、あれだけ豪気に洞窟へ降りて行ったのに、ガタガタと震え出した。弥生は、言った。
「でも、美里は取りに行ったけど何もなかったじゃない。落としたことに気付かなかったのかもしれないわ。理久くん、スマホをお尻のポケットに入れてたから、分からなかったのかも。」
湊は、険しい顔をしながら言った。
「どちらにしろ、理久があそこへ入ったのは確かだ。」
「…調べて来よう?」美里が、震えながら言う。「あの二人が、もしここへ入って帰って来てないなら、崩落事故に捲き込まれたのかもしれないし。だって…だってこんなのおかしいわよ!湊くんは信じてるけど、私は信じてないんだもの。あれは作り話なのよ?私達は夢を見たのよ!集団ヒステリーみたいなものだって、カウンセラーの先生が言っていたもの!」
湊は、驚いた顔をした。
「え…君はカウンセリングを受けてたのか?」
美里は、震えながら頷いた。
「私だって覚えてることがあるもの。弥生は知らないけど、湊くんと一緒に島で最後まで経験したわ。記憶はおぼろげだけど、湊くんがしつこく言うから、なんだか怖くなって来て。ほんとはあなたなんかに接したくなかった。でも、逃げてちゃダメだって。向き合って克服しないと逃れられないからって…カウンセリングで、克服したのよ。あれは集団ヒステリーか幻覚で、その状況で見た夢なんだって。なのにあなたが、しつこく言うから!」
集団ヒステリーかあ。
ハリーもクリスもデニスも、そう思いながらそれを聞いていた。確かにそう思った方が、全てが曖昧で上手くこじつけられるのだ。
見たものを信じないように、必死に努めて無視をすると本当に無かったような気になって来る。
脳の記憶が、曖昧だと言われる所以だった。
「…今から探しに行くのは、危険だと思う。」弥生が、言った。「書斎に戻って、しっかり考えてから行こう。もしあそこへ行って戻ってないんだとしたら、多分美里が言うように崩落とか事故だと思うんだよね。でも、念のため。一度書斎に戻って、調べてた続きをしよう?理久くんのスマホを充電したら、何を見つけたのか分かるかもしれないし。とにかく、一度書斎へ戻ろうよ。」
湊も、何も備えずに行くのは危ないと思ったのか、言った。
「そうだね、理久のスマホを充電しよう。この機種ならオレの充電器が使えるから。書斎へ戻ろう。」
そうして三人は、サンドイッチと飲み物を手に、また書斎へと戻って行った。
まだ時間が掛かるのかあ。
地下室の全員は、深いため息をついた。
こうなって来ると、何時をめどに全員を眠らせるのか、話し合っておかねばならない、と要は思っていた。