3(裏)
「アレックスが三人を連れて二階へ上がります。」
デニスが報告する。
言われなくても、モニターで三人を連れて階段を上がって行くアレックスが映っていたので、皆分かっている事だった。
アレックスは、求められた通りに二階の大河と理久に貸していた部屋に案内したが、生憎そこには、何もなかった。
何しろ、湊達がこちらへ来ると分かるまではここでケアしながら置いていたが、今は地下室で管理されて、出番を待っている状態なのだ。
その時、全て綺麗に元に戻しておいたので、荷物も何も、そこには残っていない。
それに気付いて、情報が満載な書斎へと早く行って、いろいろ見つけて欲しかった。
何しろ、あの二人は書斎には寄り付きもしなかったのだ。
便宜上、そこで情報を得たのだという事にしているが、あの二人はこの屋敷で見つけられるはずものは、何一つ見つけてはいなかった。
モニター上でアレックスがいろいろ三人に話しているのが見える。
ここでアレックスは退場し、とにかくこの三人には、洞窟の中へと探しに行って欲しかった。出来たら、今日中に。
そのためにも、アレックスには気になるように、いろいろな情報を渡してもらう事になっている。
モニターの中では、アレックスが屋敷の鍵を渡しながら言った。
「これです。明日の朝まで預けておきます。屋敷のどこへ行ってもよろしいですが…一つだけ。」と、わざと険しい顔をした。「キッチンの、床下から続く階段には、絶対に入らないで下さい。危険ですので。」
湊は、眉を寄せた。
「…そんな所があるのも知りませんでした。」
湊が言うと、アレックスは頷いた。
「床下収納だと思って開けたら、困るから言っておきました。地下へ入って洞窟から海へと抜ける道なんですが、長く使われていなくてメンテナンスされていません。落ちたり崩落したりする可能性があるので、海に降りたいなら外の階段を使って下さい。その方が安全ですので。」
行くなと言われたら、行きたくなるものだ。
要は、それを聞きながら思ってほくそ笑んでいた。
だが、湊はかなり警戒しているので、きっと絶対に行かないと言うだろう。だが、他の二人はどうだろうな?
美里と弥生は、顔を見合わせたが黙っている。
あの二人には、遠くなっている記憶のはずなので、恐らく好奇心が押さえられないはずなのだ。
聞いてしまったからには、機会があれば、覗いてみるぐらいはしたいと思うだろう。それが狙いだった。
アレックスは、ここで退場の予定だったので、問題なく三人から離れて、部屋を出て行った。
「アレックスが退場しました。戻って来ます。」デニスが言う。「そろそろジョンに来てもらっておきますかね。夜中になりそうですが、出番がありそうでは?」
要は、顔をしかめた。
「それはそうなんだが、一時間前ぐらいに呼べと言われてて。もうちょっと様子を見るよ。海からボートで来て階段を上がって洞窟から来てもらうつもりなんだ。そのルートだったら30分で到着する。あんまり待たせたら、切れるんだよね。」
こっちはずっと監視してるのに。
皆が思ったが、確かにこれは、ハリーの薬の治験の場だ。
本来後から報告を受けたらいいだけの彰にとって、面倒この上ないのだろう。
モニターの中では、三人が何も出て来ないのにあちこち調べているのが見えていた。ちんたらしていたら、今夜洞窟へ呼び込むのは無理かもしれなかった。
要は、ハアと大きなため息をついて、それを見守った。
実は、管理室の奥の物置の中には、この屋敷の地下室へと抜ける入り口があった。
外から調べても見えないように完璧に隠してあるので大丈夫だろうが、その上から画像を照射して、更に見つけられないように対策してあった。
その入り口から戻って来たアレックスが、モニターを見た。
「どうだ?…まあ、すぐにはキッチンへ行かないか。」
キッチンの床下の洞窟への道の事を言っているのだ。
クリスが、振り返って頷く。
「やっと書斎へ移ったところだ。まあ、ここからだな。ラテン語が分かればいいが、辞書まで出しておいてやったんだから、頑張って欲しいものだよ。ネクロノミコンってのは、本当にめんどくさい魔導書でな。それらしい文言をあっちこっちから引っ張って来て、例の情報以外は皆、実際の魔導書とは似ても似つかない代物なんだ。惑わされて情報が手に入らないとかなるんじゃないかと心配だ。」
デニスが、眉を寄せた。
「でもクリス、英和辞典とか言ってますよ。英語の本を探し始めました。」
クリスが、それを聞いてモニターへと視線を戻した。
「なんだって?湊って検体は英語が分かるんじゃなかったのか。確かに似てるが、ひと目で分かるだろうが。」
デニスは、首を振った。
「見つけたのが女性の検体の方でしたからね。あーあ、こりゃまだ時間が掛かりますよ。」
要は、イライラとそれを見つめた。もうすぐ日が暮れて行くのに…おっとりしててもらったら困るんだよな。
「なんだか、難しい本ばっかり。」弥生が、背表紙だけでは判断が付かなかった本を、手にとって開いて見ながら言った。「こんなの、あの二人が読もうとするなんて思えない。」
弥生は、本を閉じてまた元に戻す。
湊も、頷く。
「なんか経済学とか、心理学とか。学術書が多そうだよね。」
それは元々あったヤツで意味ないんだってば。
皆が思いながらそれを見ていると、美里が真剣に何かの冊子のような物を読んでいて、顔を上げた。
「ちょっと、これ見て。」二人が振り返ると、美里は続けた。「民族学的に気になる本よ。古いんだけど…信仰のことについて書いてある。」
「お。」クリスが身を乗り出した。「見つけたか。やっとだな。それでもいいんだよ、とにかく邪神が来る場所があるって思ってもらえたら。」
要は、じっとモニターを見つめた。だが、魔導書が無ければその正体が分からない。正体が分からないという事は、退散させるための方法も分からないので、必然的にどうにもならない。
弥生が、興味があるように目を輝かせた。湊が言った。
「民族学を専攻してた君たちなら読みたいかもだけど、あいつらが読むか?」
美里は、首を振った。
「違うの、ここでの信仰なのよ?」と、茶色く変色した紙のそれを聞いて見せた。「ほら、地下の祭壇で崇めてるんだって。その神は、遠く地下を自由に行き来して、地上の出口の幾つかには祭壇があって、その神を信仰している人々の元に現れるんだそうよ。姿は闇のような…でも虹色の形の定まらない…?」
美里は、読みながら段々に顔色を変えていく。
湊が、顔をしかめた。
「なんだ?何か?」
弥生が、じっと考え込む顔をする。
「…聞いた事がある。何だったかしら、神々の一柱だったような…。」
「そうなんだよ。」クリスが、頷いた。「それに気付いて探して欲しいわけなんだって。」
だが、モニターの中では湊は、とハアとため息をついた。
「でも、あいつらが読みたいと思っていたのは英語だろ?辞書が…」と、さっき弥生が見つけた辞書を見た。「あれ?英語?」
「…気付いた。」
要が言う。
そうだ、それは英和辞典じゃなくて、羅和辞典なんだよ。
湊は、じっと辞書を見つめて、叫んだ。
「…違う!これはラテン語の辞書だ!大河と理久は、ラテン語の本を読もうとしてたんだよ!」
「ええ?!」
二人は、寄って来て中を見た。
湊は、見ていた背表紙の中で、変わった言語があったのを思い出したらしく、本棚から本を一つ、手に取った。
「やった!無駄にならなかった!」
クリスが歓声を上げる。
「…これ。」湊は、古いずっしりとした本を手に取った。表紙は革で出来ていて、革のベルトがついている。『Νεκρόςνόμοςεικών』と表記がある。「…読めないな。見た事なかったから、もしかしたらラテン語かと思ったんだけど。ギリシャ語か?ロシア語?紙が挟まってるな。ええっと、Necronomiconの写し。ってメモ書きが。」
「ネクロノミコン?!」
美里と弥生が、ワッと寄って来てその本を見た。湊は、首を振った。
「あの神話の中のヤツじゃないと思うぞ。こんな所にそんなものがあるはずないじゃないか。それに、写しって書いてあるし、模造したレプリカかなんかじゃないか?」
美里は、湊の手からそれをひったくるように取って、言った。
「それでもよ!見てみないと分からないじゃないの!」と、革のベルトを外して、中を開いた。「うわ…それっぽい。凄いわ、模造品だとしても完璧に世界観掴んでるよね。」
弥生が、脇からそれを覗き込んで頷く。
「本当。でも、中身が全く分からないわ。何語?」
湊が、その文字を見て、言った。
「あ、ラテン語。でも表紙は違うんだよ。でも中身はラテン語だ。」
美里は、読めない中身を見ながら、言った。
「それでもよく出来てるわ。なんだか見つめているとゾワゾワする…。ラテン語版ってことね。他にもあるって設定なの。アラビア語が原書で、ギリシャ語、英語、スペイン語。ネクロノミコンって名前は、ギリシャ語に翻訳された時に付けられたって読んだわ。」
ほほう、本当にこの世界観が好きなのだな。
地下室では、皆が、感心しながらそれを聞いていた。
湊は頷いた。
「で、これはラテン語版のレプリカって事か。中身は適当かもしれないぞ?読んでも仕方ないはずなのに、どうして二人はこれを読もうとしたんだろうな。」
美里は、首を傾げた。
「何かが起こって…それを解決しようとして、方法を探してたとか?」
湊は、首を振った。
「帰りたがってたんだろ?夜中にここを出て行くぐらい。何かを見つけたとしたら、解決する前に逃げたってことだ。逃げなきゃヤバいと…。」
と、急に必死になりだした。
「…逃げないと。あいつらが何かを見付けて逃げたとしたら、逃げなきゃならない何かがあったってことだ!」
おいおい、お友達はどうするんだ?
裏の皆が顔をしかめていると、同じように美里が、顔をしかめた。
「何かって何?地下で崇めている神様が、ネクロノミコンの中に書いてある神様だったってこと?」
だが、湊は必死だ。
「…ここを出よう!ニャルラトホテプかもしれないぞ!」
邪神が全部ニャルラトホテプかって。
皆が心の中で突っ込みを入れている中、弥生は首を振った。
「違うわ。ニャル様は虹色なんて表現されないわ。深淵、混沌、底知れぬ闇…でも、美里が見つけた本には、そんな文言はないわ。虹色なのよ。でも、なんだったかしら…ネクロノミコンに書いてあるんじゃない?」
美里は、頷く。
「多分、あの二人もそんな風に思って調べたんじゃない?」
「それで見つけたのがヤバかったんじゃないのか!」湊は叫んだ。「逃げたんだぞ?!」
弥生は、眉を寄せた。
「でも、二人は帰ってないわ。」弥生の声は、暗かった。「逃げきれなかったんじゃないの…?」
そうなんだよ、そういう設定だから、君達が探してくれないと。
苛々しながらクリスはそう思ってそれを聞いていた。だが、湊は頑固だった。
「暗かったからかもしれない。まだ明るい、今のうちに逃げて、ゆっくりネクロノミコンの中を調べて対策を考えよう!オレ達だってヤバいかもなんだぞ?」
今からだったら日が暮れるけどね。
要は思って眉を寄せた。別に逃げてもいいが、そうなった場合は眠ってもらって夜まで放置し、気が付いたら洞窟の中という流れになっている。
そもそも、ここへ来た時点で邪神から逃れられる手段は一つだけ。
魔導書を読み解いて、その指示に従って現れそうになっている邪神を退散させること。
大河と理久でそれが出来たら湊達まで巻き込まれず終わっただろうが、あの二人はそもそもそんな危機感も無くて、何も調べないままで洞窟までやって来た。
その時点で、もう本当ならシナリオ上ではロストだが、しかしすぐに湊達がやって来たので、まだ生還する可能性が残っている。
湊達が、謎を解いて退散させることが出来たら、全員無傷で生還出来るという算段だった。
そういうわけなので、ここで魔導書を読み解けないまま湊達が逃げ出したとしたら、そのまま眠らせていきなり洞窟の中なので、結局全員ロストだ。
それで、ジ・エンドだった。
美里は、言った。
「二人の二の舞になるわ。どちらにしろ、逃げるなら朝。今夜さえ乗り切ったらいいのよ。だって、あの二人は三日ここに居たわけでしょう?その間何もなかったわけだから、明日までならなんとかなるわ。辞書があるんだし、今から調べてしまいましょう。暗くなってからは危ないわ。」
湊は、歯ぎしりした。
どうしても、自分だけで逃げたいんだな。
要は、湊に失望した。結構勇敢に戦って来たように思っていたのだ。ニャルラトホテプが本当に居ると思っている湊には、ここへ来るのはとても勇気が要ることだったと思ったからだった。
だが、仲間を捨てて逃げようとばかり考えている。
要は、ため息をつくしかなかった。




