1.聖・クラリス
はるか夢幻の世界。
異形の機械生命体〝メカニマルズ〟がひしめく、そこは奇界と呼ばれる。
奇界歴ZX-XX年B月、ガラクタな荒れた土地ジャンクステイツを一台の白い車が行く。
そのメカニマル・カー〝パクロン〟に乗るのは天界の尼僧、聖・クラリスだ。
彼女は天界レースで磨かれたドライビング・テクニックで荒野を華麗に突破していくが、百回目のドリフトでついにパクロンが悲鳴を上げた。
「クラリス、もう限界だぁー! 停めてくれえ!」
「えー? 根性なし!」
「根性とかじゃねえし、ゴム擦り減ってバーストしちまう」
「もーう」
こんなキモいとこ早く抜けたいのに仕方ないかとクラリスがブレーキを踏む前に、パクロンは自動制御に切り替え緊急停車した。
「シュウゥゥウ……」
足である後輪から鼻をつく焼けた臭い。
クラリスは降り、パクロンのぐるりを一周し、顔に回ってボンネットを開けた。
オーバーヒート寸前、グリルの口からボヒュッと白煙を吐くパクロン。
素に戻ったクラリスは申し訳なく手団扇でエンジンを仰いだ。
「ごめんごめん。つい熱くなっちゃって」
しかし暑い。
奇界は陽光ならぬ妖光がジリジリと照りつける。
見渡せばイビツな合成樹脂の地面、ゴムの崖から飛び出した配線コード、剥き出しのダイキャストの丘、変色したプラスチックの小屋、綿や塩ビの廃材の山。
メカニマルズ・ワールドとはまるで奇怪な墓場だ。
広大なジャンクステイツは怨念渦巻くスクラップ場。
昼でも薄気味悪い。
そんな不穏が織りなす一角に物陰を見つけたクラリスは、そこにひとまず腰を下ろした。
ふぅと息を吐き、前方に揺らめく妖炎を見つめた。
そして出発前の天界神シャカリナとの会話を思い出す――。
****
その日、この奇界の創世主でもあり天界の神シャカリナは光を纏い、クラリスの全ての行く手を阻むように降り立った。
「おとなしく言うことを聞きなされ。聖・クラリス」
「もーう、修行は勘弁してよー」
「まだじゃ。まだ一つ試練が残っておる」
「毎朝五時の本堂清掃も休まずやったし借金罪値も0になったでしょ? もう自由にしてよ」
「これで最後。またお洒落もしていいからさ」とシャカリナは戯けて言う。
ずっと着せられている黄色い修道衣を目で追って、クラリスは顔をあげ、目をキラキラ輝かせて言った。
「わかった。で、何したらいいの?」
「うむ。ここからの西の方にある〝天磁空〟に行き、経典SDを持ち帰るのじゃ」
「てんじくう? けいてんえすでぃ?」
「光の都。未来の構想図が収められた典籍のことじゃ。とにかくそこへ行けば授かるもの」
「……そこまでどれくらいあるのよ」
「百万キロ」
「ふえ〜っ! そんな見当もつかない。まさか歩いて行けって言うんじゃないでしょうね、車を貸してよ。ACCとマッサージ機能付きのシート……」
――で、与えられたのがこのパクロンである。
どこか馬型のスーパーカー。確かに馬だけにとてつもなく馬力がある……が、よく喋る。
クラリス重いぞもっとやせろだの腹減ったぞリキ出ねえもっと食わせろだの運転荒いぞもっと丁寧に扱えだのぺちゃくちゃ小言もキリがない。
でもむっつり黙ってられるのも退屈だからまあいいかとクラリスは苦笑して耐えた。
シャカリナは言った。
「其方に与えた錫杖の盤面〝天界パッド〟が天磁空の座標を示すであろう。そして最悪困った時にはパクロンのセンターパネル下の赤いボタンを押せばよい。最終兵器が助けてくれよう」
今がその時とクラリスはボタンを押してみたがパクロンから出てきたのはマフラーからの黄色いガス一発。
この瞬間こそシャカリナが最後に言った話だと思ったのに。
「……最終……屁ぃ器? シャカリナめ、もう! ふざけて」
ガックリとクラリスは肩を落とした。
期待した彼女はぷぅっと腕組みする。
そして奇抜な色の天を見つめ、もう一つの話を想い浮かべた。
「奇界には魔物が潜んでおる。天界人が通ると聞けば妖械たちは不老不死を求めて其方の肉をも食らうであろう。長い旅にはお供を付けねばの。屈強のボディガードをな」