5話 常人の思考はすでに消え、私は昔の私に近づく
ついに間近で犯人の顔を見た。
私は目が良かったから、あのとき遠くからでも相手の特徴が分かっていたけれど、実際にこの距離から見ると圧が強い。思っていた以上に身長の印象が強い。二メートルあるんじゃなかろうか。
だけれど。
それ以上に印象に残ったのは、ここには幽霊がいないこと。先ほどまでいた幽霊はどういう理由があってのことなのか。まあいないなら好都合だ。犯人は目の前の人物でほぼ確定。あとは確認を――確かな証拠を知るまでだ。
「こんにちは。今日はどうしたのかな?」
相手は会話を振りたがっている様子で話しかけてきた。乗っかるとしよう。
「単刀直入に聞きます。あなたは幽霊が見えますか?」
「幽霊かい? 中々オカルトチックなことをいうね」
「別にオカルトチックなことではないと思いますよ。それより私の質問に答えていただけませんか?」
「そうだったね、幽霊なんて俺は見たことないな」
予想通りの反応。本当に幽霊が見えていようともいなくとも、こう答えるしかない。私たちは、彼が犯人だとほぼ確信を持っているからこそ、こうやって揺さぶりをかける。弥生のほうに視線が何度か行けばそれはもう白状しているも同然。
なら次のステップに進もう。
「私には霊が見えます」
「……そうか」
刹那の沈黙は何を意味しているのか。考える必要はない。
「だから分かるんです。憎しみの幽霊が、神原寺で増えてきているんですよ」
「俺は『警察官』としてどうすればいいんだ。残念ながら、幽霊が見えない俺にはその話に付き合う筋合いはない。女子高生の頼みとはいえ、そんなオカルトチックな付き合い、俺はしたくないし、何より幽霊の話なんて嘘だらけだと思っている」
「そうですか」
私は髪を弄る。それが合図だ。
弥生が警察官に近づく。眼前から目の前に、目の前から紙一重の距離。警察官と弥生の顔が見えない。
「何やら怯えているようですけれど、大丈夫ですか?」
「……幽霊の話を聞けば、誰でも怖がるだろう」
思ったよりも効かないらしい。困った。相手は恐怖にまとわりつかれているのにダメらしい。なら、もっと恐怖に支配させる。
「……縊れ」
つぶやくように発した言葉。相手にもギリギリ伝わる声量。相手の恐怖は加速する。私の命令に従い、弥生は彼を縊り殺そうとする。
「……っ!」
さすがに根を上げると踏んでいる。もし根を上げなくとも、ここで犯人が縊り殺されればそれで目的は――弥生の目的は完了する。ストーカーを殺すという悲願。それさえ達成できれば……ってあれ、私は今、どれだけ悪逆非道なことをしているの。
いくらストーカーだとはいえ、ここまでする必要はあるのか。今ここで真剣に考えてみたい。ストーカーはストーカーなわけで、ましてや女子高生が思い詰めて自殺するほどの酷い仕打ちを彼はしてきたはず。それは弥生の行動が示している。この状況もきっと憎んで彼女は殺す勢いで彼の首を絞めている。どこにもおかしな部分はない。
犯人は苦しそうにもがき始める。
弥生は何も言わない。憎しみを声にしないのは少し不思議な気もするけれど、心から憎い相手に対して声を出さない人もいる。弥生は後者かもしれない。
「げほっ……」
警察官があまりの苦しさでむせる。私はさらに彼を追い詰める。
「今! 貴方には幽霊に首が絞めていることが見えています。ここで私が祓わないと、貴方の命が危ないです!」
仰々しく、話を続ける。
「貴方が幽霊をいないと言ってしまったので、神原寺から現れた霊の一つが襲い掛かってきました! 早く退治をしないといけない! それには貴方の了承が必要です。『助けて』と言っていただければいいんです。そうすれば、貴方はこの場では助かります!」
「……たす……けて……」
彼は根を上げた。
弥生は彼から手を離し、私の元へ。嬉しそうな表情。憎い相手にこれだけの仕返しができたから、これほど喜んでいるのか――真相は彼女の中でしか分からない。
彼は息を整える。先ほどの首絞めで相当息が詰まっていて苦しかったらしい。ただ首で絞められた程度で根を上げるなんて……。
今、私は何を思った? "ただ"首を絞められた程度? どうしてこんな考えが頭を過った。……気にしなくていい。彼はストーカーだ。そう思ってしまうのも無理はないかもしれない。一先ずこの思考は無視し、私はいう。
「警察官、感じていただけましたか。この警察署にいても、ポルターガイスト染みたことが起きているんです。今は私の力で祓うことはできました。けれど、これは僅かな猶予です。再び神原寺から幽霊は貴方を襲うでしょう。彼ら彼女らは居るんですから、居ないと言ってしまえばずっと憑くように追いかけ殺されるより酷いことをされる可能性もあります! 早く神原寺に行きましょう! 私は早く貴方を助けたいんです!」
彼は何かを考えを巡らせているのか、数秒以上の時が経つ。
私の発言は穴だらけ。そこを突くのは自由だけれど、同行しなかったなら再び襲うまで。彼が勝てる見込みはない――今は。場所を移動し、助けを呼ぶことにシフトする――幽霊が見えてなかろうと見えていようともその行動は変わりない。呼ばれるのは他の警察官かあるいは――だけれど。
「分かった。神原寺に行こう」
「信じてくださってありがとうございます! 一緒に幽霊を倒しましょう」
私は私が笑っていたことに気づく。こんなこと、何年ぶりだ。初めてかもしれない。こんな非日常が私にとって楽しいらしい。
毎日平穏に根暗に生きてきた今までの私とは別の刺激が、今日、様々な形で起きている。楽しさも面白さも今日が記憶上一番楽しい。この楽しさはどこまで続くのか。私はもっとワクワクしたいと思った。