貧乏暇なし-2
「勇者よ、この世界を救ってくれるな?」
「いやだから、そんな暇ないんで」
沈黙。そしてだんだんとざわめきの声が謁見の間に広がっていく。
「いきなり勇者とか言われても、世界救う前に家族を食わせなければなりません。貧乏人に暇はないのです」
国王は困った顔をしている。断られるなど露ほどにも思っていなかったからだ。王太子もそれは同じだった。
「国を救うことが暇つぶしだと?」
「言葉の綾です。ですが私に時間がないのは事実。そういうのは時間のある方にお願いしてください」
王太子リトルクは不快感を声に込めるが、ヒュナは悪びれもせず意見を変えない。
「君の家族の支援は王室が責任を持って行う」
「それって今すぐではないでしょう。だって俺は勇者としてなんの仕事もしていない。報酬が出るような仕事をこなせる様になるまでに母と弟たちは飢えて、凍えて死んでしまいます」
見物していた貴族たちは金が目当てなのだと騒ぎ出した。
勇者に相応しくないとも。しかし勇者とはそうではない。らしくあるものが勇者であるわけではなく、天啓によって示された人間が唯一無二、この国の勇者なのだ。
「い、今すぐだ。厳密には勇者の支度金を君に渡す。そこからいくらか実家に送るといい」
王は焦った様に支援を申し出た。しかしヒュナの反応は良くない。
リトルクはヒュナが心底本音で話していることも勇者とはなんたるかもわかっていた。わかるからこそ怒りが沸いて止まらなかった。
「お金は意味がありません。村には商人がいませんので、使う宛がないのです。売る人間は豊かであり、買う人間も豊かである。真の貧しさとは金銭で補えるものではない」
ヒュナは一度息を整えて口上を続けた。
「よって村に帰ります」
「待ってくれないか」
リトルクは怒りを抑えつつ、あくまで穏便に笑顔を向けた。
「陛下、一度この者と二人で話をさせていただけませんか」
「俺にそんな暇は」
「手間は取らせない。話をしてなお納得できなければ早馬を用意しよう。そのまま村に帰るといい」
早馬を用意する。その言葉に惹かれて、ヒュナは渋々リトルクの説得を受けることにした。
「それで、年も近そうな2人で話せば心変わりするって?そんなに簡単なことじゃないぞ」
謁見の間とは変わって、馴染み深い広さの部屋にヒュナはいくらか肩の力を抜いた。
「分かっている。だが」
ヒュナの視界がぐるりと回った。体が回ったか首だけ回ったか、視界が回ったかわからないまま、ヒュナは意識を失った。
パタリと倒れたヒュナを見下ろして、リトルクは冷たい声で、早馬は用意しない、と呟いた。
気を失ってどれほどか、ヒュナは覚醒して身動きが取れないことを確認した。
反逆罪、不敬罪で死刑だろうか。手足が縛られているようで、東の国の四肢を牛につないで引きちぎる拷問の話を思い出した。
「これがわかるか」
ヒュナの眼前に赤く熱せられた焼印が揺れていた。見覚えはあるが、馴染みはない。これは奴隷印なのだとリトルクは言った。
「今からこれをお前に捺す」
ヒュナは、はいはいどうぞと抵抗もせず力を抜いた。むしろ早く済ましてくれとさえ思っていた。これで家族が死んでも自分のせいではなくなる。謁見の間でも不敬だなんだのと首跳ねてくれることを少しは期待したのに、勇者を簡単に殺すことは憚られるらしい。それでもいつ切り掛かってきてもおかしくない奴らはいた。リトルクもその一人だ。
しかし、リトルクは得意げに奴隷印の説明を始めた。
「この奴隷印は私のオリジナルで、普通の奴隷印の様に死の呪いが付与されない。だから安心しろ。私はお前を殺さない」
―――リトルク先生のよくわかる奴隷印解説―――
奴隷印とは主人が奴隷につける隷属契約の印です。
奴隷が主人に反抗した際、電撃の様な痛みが奴隷側に与えられます。これを奴隷印の発動と言います。
通常の奴隷印は発動の回数が一定数を超えると奴隷に呪いが付与されます。これは死の呪いで、以降発動する度に呪いが進行し、最終的に死に至ります。
リトルク特製の奴隷印にはこの呪いがありません。命を奪わない代わりに、死んだ方が楽な痛みが発動時に与えられます。痛みの種類も豊富で、電撃、火あぶり、裂傷、絞首、刺突、凍傷など様々な痛みや苦しみで奴隷を苦しめます。
通常の奴隷印は主人の認識下でなければ反抗しても発動しません。リトルク特製の奴隷印はリトルクの認識下でなくても反抗心を感知して発動します。つまり悪態を思考で留めたとしても微弱ながら発動します。