美しい、男。④
とにかく学校では、たくさんの生徒の中にうもれていたいんです、私。
目立ちたくないんです。
なのにこの男はなぜ私に絡んでくるのでしょう。
目立つ男が声をかけたら、私まで目立ってしまうじゃないの。
「藤倉~!」
なんで松永に懐かれてしまったんでしょう。
松永を「囲っている」派手な化粧をした女の子の視線がとても痛い。
「あんまり大声で呼ばんといてくれへん?」
松永の教室の前で呼び止められた私は、男を睨んで足を止めた。
文化祭も終わり、すでに学校内は期末テストモード。文化祭までのあいだ、毎週木曜日に見回りした仲だったけど、「寺森」という共通ワードのおかげで私は松永とも広田とも、ごく普通に話しをするようになっていた。
学内で会えば声をかけるし、正門で会えば挨拶をする。学外で会うことはないけれど。
広田は無表情で、こちらから声をかけるまで話なんてしてこないけど、誰にでもそうだとわかっているし、松永は別に深く付き合おうともしないくせに、私を見かけたら声をかけてくる。
本音を言えば、松永の周りに「松永の囲い」の女の子がいないところで声をかけてほしいんだけれどな。
最近、松永は一人の女の子と付き合いだした。
なにやってんの。
あんた、広田のこと好きなんとちゃうの?
そう思った。けれど、本人には、あえて何も言わなかった。
きっと、いろいろ、ある。
美しい男には、いろいろ。
それだけ顔が良くて、言い寄ってくる女の子も多くて、それなのに「カノジョ」の一人や二人いなかったらどうなるか。どう言われるか。
簡単に想像はつく。
広田は彼女がいなくてもおかしくないキャラだけど、それでも中学のときはいたらしい。
それを語ったときの松永の表情ったら、見てるのが辛いほどだった。
『由樹な、めっちゃ美人のカノジョおってん。なぁ? 由樹』
『うるさいな…』
広田はどうでもいい、という顔をしてた。
『せやのにな、ふったんやで?』
そこは嬉しそうにする松永。
松永の彼女は、松永を取り巻いてる女の子からは想像も出来ないような真面目な感じの子だった。髪も黒いし、化粧もそんなにしてない。でもおとなしすぎず、活発すぎず。
二人で歩いてかえるところを、たまに見た。
「…松永、あのな…」
「なん? 大声で呼ぶなって?」
「うん、そやねんけど。そうやなくて…」
本当に、それでいいん?
と聞きたくて、言い淀んだ。
本当にそれでいいん? 好きでもない女をカムフラージュとして付き合って、それでいいん?
聞きたいけれど、取り巻きが邪魔すぎた。
さすがに色んな人間がいるところでこの話はできなかった。場所を移動したい。そこでゆっくり話したい。
松永の、本心を。
「いや、なんでもない。広田んとこ、行ってこよ…」
拉致があかないから、ごめん、利用する。
自分を。
「は? なんで、由樹んとこ…?」
案の定というべきか、松永は食いついてくれた。広田には会えば声はかけるけれど、わざわざ会うために教室まで行くような、そんな仲じゃない。
食いついてきて欲しい。罠を、かけるから。
罠は、罠と思わせない間に罠にかける。それが秀逸。
「…いや、私…広田んこと、…」
そこで、言葉を切った。
意味ありげに宙を仰いで。
わざと、切ない表情を顔に満たして。
ここまで言えば、この言葉の先にどんなセリフがあるか、想像はつくはずだ。
言いにくそうに。それでいて一世一代の告白のように。
私、広田んこと。とまできたら。
続きはひとつしかないやん。
「…なに、藤倉、おまえ…」
途端に険しくなる松永の表情。
声のトーンも落ちて、今すぐ首元に喰らい付いてきそう。肉食動物に睨まれた草食動物の気持ちになった。
だけれど足はすくんだりしない。
ここに罠があるのよ。罠にかかってよ。手負いの美しい獣。
「ーーなんでもない。ごめん、松永」
「待て」
踵を返して顔を伏せる。見られたくないとばかりに。
自分の教室に向けて歩き出した私を、松永は取り巻きの女の子達を無視して、追いかけてくる。上履きの底が廊下に擦れて高く音を鳴らした。
女子達は「え、あれなんなん?」とか言って唇を尖らせてるけど、松永に本命の彼女がいることも知ってるから、別段気にはしてない。おそらく3分後には忘れだろう。
おかげで、廊下でやっと二人きりになれた。
演技、うまいやろ?
これでも演劇を勉強しているからね。
「待てって、藤倉!」
後ろから無骨な男の腕が私の腕を掴んだ。
「…大声で呼ばんといてってば…」
「おまえ、もしかして、由樹んこと…」
息を吸って、静かに吐いた。
松永はあたしの言葉を、死刑宣告を受けるかのような顔で、待っている。
息があがって、けれどそれは、さっき少し走ったからじゃない。
私から言わないと松永からは言ってくれないだろう。
それくらい、稚拙で必死な、恋なんだ。ねえ、松永。
「ーー好き」
「…本気で言うてん? 藤倉」
「…広田のことが好き。ーーなのは、あんたやろ、松永」
松永が、息を呑んだ。空気が止まった。
次の瞬間に「なんで」という顔で、美しい顔が歪んだ。
今にも、泣き出しそうになって。
この世の全てのものを斜にとらえて、大人が頭ごなしに叱っても、うぜぇうるせぇどぉでもええ、って唾を吐くようなことを言う年頃の尖った男が。
その眼に、涙をためた。
「なに、言って…」
「見てたらわかるんよ。ごめん、カマかけるようなことして」
「んな…わけ、ないやん。何言ってんの。俺、彼女おんねんで…」
無理して混ぜた苦笑。
急に饒舌になるところが、図星だと語っている。
まさかこんなこと言われると思ってなかったやろ?
ちょっと私が見えて、声をかけて、なんならからかってやろうって思っただけだったのにね。
「彼女な…、あれ、フェイクやろ」
ばっさり、言い切ってやった。
「他の人は気づいてへんかもしれへんけど・…私にはわかるんよ。ごめん、松永。気づいて、ごめん」
知ってしまったことを、内に秘めておかなくてごめん。
好きでもない女と肩を並べる松永を見てるのが悲しかっただけかもしれない。
私のエゴなのは百も承知だ。
「な…んやねん、おまえ…、ムカツクな!」
ムカついたってええよ。
だって、ほんまに泣きそうやんか。
その気持ち、自分だけ抱えていくの、しんどない?
だったら、私を利用して私にだけは心情を吐露すればいい。なんだって話なら聞くし受け止められる。
反対に言えば、それくらいしかできないけれど。
もう一度「ムカツク」と吐き捨てるように言うと、松永は私の掴んでいた腕を乱暴に払いのけて、大股で歩いていった。
ムカツク。それしか、言えなかったんだろう。まさか、恋心を他人に知られているともわからずに。
どう返していいか、わからない顔をしてた。
必死で、必死で、隠してきたのに一瞬でバレてしまってどうしよう、という顔だった。
私にムカついたのもあるけれど、きっと松永は自分に一番腹をたてたのだろう。
気づかれるような素振りを見せてしまっていた自分に。
隠して隠して隠さなければ。
その雰囲気だけが松永からは漂ってきていた。
この感情に重石をする。沈めて、見えない振りをして。けれど、水中に滲んでいくインクみたいに拡散して、全部が染まっていく。
どうしようどうしようという焦燥感ばかり降り積もって、だけれど水中に滲んだインクはもう水をすっかり染めてしまった。
無視できないくらいに、感情は肥大した。
松永の気持ちは、広田と松永の間に立っていた私にははっきりと感じられたのだ。
「困った子やな…」
一人で呟いた声は、喧騒に飲み込まれて私の耳にもほとんど届かなかった。
もうそこにない松永の背中を見つめて、生徒たちの行き交う廊下を見ていた。