美しい、男。③
* * *
それからしばらく、何日も、なんとなく私と寺森の中では広田のことは語られなかった。言葉にするとうっかり無責任なことを言ってしまいそうだったからかも知れない。
とにかく、二人ともあの日、中庭で見てしまった保健室の一件については黙認していた。
謙一、と寺森が呼ぶ男は、D組の松永謙一のことだということを、私が知った程度だ。
松永謙一は見たまんまの男で、ちゃらちゃらしてるし、化粧や香水の匂いをさせた女の子がいつも彼の周りを取り囲んでる。
入学3ヶ月後の6月には喫煙が見つかって停学もくらったらしい。
ちなみに禁止されている原付バイクで国道を疾走しているのを見かけたことがあった。
ちなみに、後ろには派手な他校の女の子を乗せていた。
道路交通法違反やなぁ。
それを見て呟いたのは、私の隣を歩いていた寺森だった。
松永と寺森は、幼い頃は仲が良かったらしい。
家が近くで、親同士が仲良くて、でも、中学3年頃からあまりしゃべらくなって、それ以来疎遠らしいのだ。
そういう関係性はあるあるだよね、と私は笑ったものだ。
私も幼馴染と、小学校まではすごく仲が良かったのに、中学校にあがったら疎遠関係になった。あんなに毎日遊んでいたのに、口すらきかなくなったのだ。何が理由かなんて、特に理由がない。
生活環境が少し変化するだけで人間関係も変化する。それが思春期だ。
そういうものなのだ。
交友関係がかわったり、クラスが変わったら、あっけなく疎遠になっちゃったりする。
そういう年頃なのだ。
「で、松永のことはええねん。文化祭や、どうする? 咲子」
「どうするって…あんまし参加したくないんやけど…」
「あかん、クラス委員長としてそれは認められへん」
「だって毎週末に東京いかなあかんし、時間もないし、もう面倒くさいねんもん」
「面倒くさいねんもん、ちゃうわ」
うちの文化祭は学校内の一大イベントだ。
クラス委員長である寺森は、クラスの出し物を演劇に決めた。
問題はそれを率いていくプロデューサーともいえる文化委員に私を抜擢しようとしていることである。
「寺森がやりやすいメンバーにしたいだけやろ? もっと適任いるって」
「おらん。みんな勉強が恋人すぎて、おらん。だから、な、咲子」
「面倒くさいねん…、そういうの」
基本的に目立ちたくないのだ。
標的にされるのが、怖いから。
目立つとその分、叩かれることも増えかねないから。
平穏なクラスであることはわかっているけれど。
おまけに、7月から夫の史希さんのお母さんであるマリエさんに勧められて、東京の演劇プロジェクトにも参加している。
文化祭ごときの演劇を成功させるなんて小さいことは言わない。
私は日本で一番の演出家になりたい。
そして劇団つくりたい。
壮大すぎる夢だと我ながらわかっている。無謀なのも知っている。だけど、今はそのことに必死なのだ。
「委員会に名前置くだけでもええからさ? 咲子、な?」
寺森がこんなに情熱的に口説いてくることは珍しくて、ちょっと面白くなってきた私は耳を傾ける。
政治的な思惑はある。寺森には恩を売っておきたいのだ。あたしはこの男を自分の懐に入れたい。
寺森も、適当にクラスから推薦で捻出するんじゃなくて、自分の下で動いてくれる、もっと言えば文句を言わずに働いてくれる生徒がほしいのだろうし。
「うーん、じゃあ、都路里の抹茶パフェで談合しよう」
「よし、京都駅まで行くで! 咲子」
「…あ、本気なんや」
抹茶パフェでいともたやすく懐柔されました。
* * *
文化委員は各クラスから一名ずつ出される。
仕事は主に、生徒会から出された議題をクラスにおろしたり、クラスの出し物に必要な書類を生徒会に提出したりと、パイプ役になることだった。
あとは会計仕事とか、クラス委員長(寺森)の仕事の補佐とか、とにかく文化祭に関わる全ての仕事をこなすこと。
生徒全員がいずれかの委員会仕事か生徒会仕事かクラスの係にたずさわなければならないことを考えれば、文化委員は文化祭時期だけの短期仕事だし、まぁ、ヨシとしたあたしは寺森の要望通り、文化委員に選出された。
意外だったのは、A組からの文化委員が広田だったこと。そして、もっと意外だったのはD組からの委員は松永だったことだ。
やっぱり松永は広田が好きなんだ。
委員会の顔合わせの時にそれは確信になった。
保健室でのキスはやっぱり、悪ふざけなんかではなかったのだ。
広田はともかく、松永はどう考えても文化委員って感じじゃない。だけど男は、好きな男と一緒にいるために文化委員を選んだのだ。そうに違いない。
生徒会のメンバーが会議を進行する。
今日から文化委員に割り振られる仕事は、絶対である。
面倒くさいのが本音…、とあくびをしていたら、ふと広田と目が合った。
あたしは彼のことを知っているけれど、彼はあたしのことを知らないはずなのだ。思わず目を逸らした。
変やなって思われたかな。
「えー、今日から文化祭準備期間ということでー、遅くまで残って作業をする生徒がいるためー」
前で生徒会役員が決定事項を伝えている。
「文化委員のみなさんにはー、最終下校時間後に残っている生徒がいないかー、見回りを〜…。一年は、以下のシフトで見回ってもらいまーす。月曜日はー」
間延びした声で生徒会役員は見回りチームについて説明をする。
手元に配られた資料に目を通すと…。
あたしのいるJ組は木曜日。
そして、チームは…。
A組とD組ね。オッケー。
あれ? AとDとJって。
広田と松永と藤倉か!
笑える冗談やん。って、笑えへんわ!
脳内で一人ノリツッコミしているうちに委員会は終わっていた。
* * *
「ということで、笑えませんので辞退したいです」
委員会から戻るなり、私は寺森に正直に事情を話した。
あの二人のキスシーンを見てしまってから、仲良くなりたいと思う一方で何やら立ち入ってはいけない気がする二人。その二人の中に自分が入って委員会の仕事をすることが想像がつかない。気後れしてしまう。
「あかん」
「なんでやのん、めっちゃ居心地悪いやん」
「謙一は悪いやつちゃうから…な、頑張れ、咲子」
「…他人事やと思って…寺森…むかつくわ」
「そんなことでむかつかれても…」
「都路里の抹茶パフェ」
「あー、ハイハイ」
ということで、抹茶パフェで再度懐柔されました。
* * *
近くで見ると、彼らの顔面の良さと醸し出される雰囲気は圧巻であった。
日の傾きもすっかり冬に近づき、最終下校時間の19時ともなれば、あたりはすっかり暗かった。
「J組の藤倉さん?」
生徒会室に集合した私は、そこで初めて広田の声を聞いた。
広田は社交辞令でも笑わないような、寺森の上を行く鉄の仮面をもつ男だった。しかも話し方も淡々としている。抑揚がないわけではないけど、そこに感情が一切ない。愛想笑いすらない。声は静かで、丁寧な呼吸だった。
思っていた通り、無垢な白に似た男。
左目の下にある泣きボクロが、白い肌に更に映えて、睫毛は長く頬に影をつくる。
黒い髪はイマドキの高校生らしくワックスでちょっと立てていた。でも制服は乱れてない。
目を閉じたときの色香がハンパない。
綺麗な男だった。
そしてその右側には、「だるいです面倒くさいです」を顔面に浮かべ、ガムをくっちゃくっちゃ噛んでる松永。
ちゃんと委員会の仕事するんだ…、とちょっと意外。まぁ、相手が広田やもんね。
そうなると、己がとてつもなく邪魔な存在のように思えた。
2人きりならきっと、少なくとも松永は、この委員会の面倒な仕事も楽しかったのかもしれない。居心地が悪いことこの上なかった。
松永は初めて近くで見たけど、こちらも圧巻のご尊顔だった。
ちょっと唇をとがらしたりなんかして、斜にかまえて目を細めているけれど、そんな歪みも絵になる黄金比率。
高い背と、長い足。シャープな顎と、筋の通った鼻立ちと、尖らせた唇。
進学先に悩んでるんでしたら、モデルか俳優でも目指しやったらどうですか? と言いたい。
そして、自分が美しいことを自覚してる。
だから、女が近寄ってくることもわかってる。わかってて、色香を振りまいている。
アンシンメトリーの長い前髪をうっとうしそうにかきあげて。
この男にとっては、この「髪をかきあげる」仕草も自分の美しさを際立てるツールなんでしょう。
さて、この「両手に美男子状態」は明日には寺森に自慢するとして。
「はよ行こ。さっさと終わらそ、由樹」
「あー、うん。藤倉さんやんな、行こっか」
「あ、うん、よろしくです」
松永がだるそうに生徒会室を出て行く。
いってらっしゃい! と元気一杯の生徒会役員たち。
なんだか色々と憂鬱な気分が、生徒会役員の悪気のない元気な声でより一層ひどくなった。
その元気分けてほしいな…。
* * *
「あー、だるいわー、なんで7時まで残ってこんなんせんなあかんのやろ」
意外に饒舌な松永。
だるだる言いながら廊下を歩いている。
「最終下校時間でーす、正門が閉まるまでに下校してくださーい」
文句ばかりでまるで見回る気のない松永と、黙々と歩いているだけの広田をよそに、私が教室に声かけをする。
ぞろぞろと出て行く生徒達を見送り、再び廊下を行く我々。
「一階はもうおらんのとちゃうかな?」
広田がしんとした廊下を見返って、言った。
「うん、おらんと思う。私、ちょっとひとっ走りして見て来るわ」
「あ、え、藤倉さ」
広田が言うのを無視して、私は廊下を突っ走って全部の教室を見回っていく。
走り出す前に「やってくれるって言ってんるんからまかしといたらええやん、由樹」という松永の声はハッキリと聞こえた。
まっくらな教室を見渡して、よしもう誰もいないぞ、と確認して、二人のところに戻ろうと踵を返した。
その、廊下の向こう側。
無表情なままぼんやりとしている広田と、その広田に何やら一生懸命しゃべりかけてる松永。
松永の、その表情が。あんまりにも可愛くて。
ーーなんや、ちゃんと笑うんや。松永。
そんな、広田が愛しい愛しいってカオして。
誰が見てもバレるよ、それは。
私が観察眼が鋭いとか、そんなんじゃない。
それは。好きな人を見るときの、目だ。
ツンツンして唇とがらして、この世のもの全てなんもおもんない、って顔して、ガムくっちゃくっちゃ噛んでる、その松永が。
「そんでなー、ほんでなー、な、おもろいやろ?」とか言ってニコニコして広田にしゃべりかけている。
広田は無表情だけど、うんうんって頷いて。
松永はもっと頷かせたい、こっち見てほしいってカオで更に言葉を注いでた。
まるで犬みたい。
ご主人様こっち見て! って、言ってるみたい。
好き好きって目が語ってるよ。
「藤倉さん、誰かいた?」
突っ立っていた私に気づいて、広田が松永の言葉を無視して私に声をかける。
決して大きな声じゃなかったけれど、しんとしている廊下ではよく響いた。
広田の声はどこか役者じみてる。
芯があって、まっすぐに伸びる。
歌でもやってんのかなぁ、と私はふと考えていた。
「誰もいなかったで!」
私が大声で叫ぶと、
「オッケー、じゃ、次やな。行くで、けんいっちゃん」
と、広田は無表情のまま松永を促す。
『けんいっちゃん』
松永謙一のことだと、すぐにわかった。
そういえば、松永も「由樹」って呼んでたし。
微笑ましいじゃないか。
その「小さい頃から呼ばれてたであろう愛称」に二人の繋がりの長さを感じた。
広田は無表情だけど、それなりに私に気を使ってくれるし、松永はまるで私には興味なさそうだけど邪険に扱ったりしないし。
なんかこの二人は、見てるだけならその美しさに圧倒されるけれど、雰囲気はいい。
最初の頃は居心地が悪かったのが、なんとなく消えてきている。
不思議だ。
この二人の持つ、空気。
私は身長差の大きな二人の背中を走って追いかけた。
「終わりました」
広田が生徒会室の役員に声をかける。
「お疲れ様でーす」
役員から声をかけられて、本日の仕事は無事終了。
「終わったー」
なんにもしてないのに松永が腕を伸ばして長身全体で大袈裟な伸びをしている。
「おまえ何もしてへんやん」
無表情で広田に突っ込まれて、それでもヘラヘラしてる。わかりやすすぎて、もはや可愛らしい。
「藤倉さん、家どこなん? 寺森と仲ええやろ? 寺森んちの近くやったら、送ってくけど」
広田がふと、昇降口で声をかけてくれた。
「あー…、仲良いだけで別に近くないんよ。私、平城やから」
「平城!? 遠っ! そんなとこから来てるん? 帰ったら9時やん」
声をあげたのは松永だった。
すでにネクタイもはずしてるし、スボンからはシャツがはみ出てる。
肩からだるそうにひっかけてる鞄には、とてもじゃないが教科書の類は入ってなさそうだった。
「カズと付き合ってんのやろ? よく二人でいるやん」
カズ、が寺森のことだとピンと来るまでに時間がかかってしまった。
中学が一緒だと言っていたし、下の名前で呼び合うくらいには仲が良かったのだろう。
付き合ってへんよ、と適当に笑って返した。
「じゃあ、気をつけてな。おつかれ」
ひらひらと私に手を振ると、松永はローファーのかかとを踏み潰したまま昇降口から出て行く。
当たり前のように隣に広田が歩き、無表情の男もまた「気をつけて」とだけ私に言うと手も振らずに出て行った。
私は二人の身長差にひらひらと手を振り、駅へと足を向ける。
歩いていたはずだったのに、いつのまにか歩調は早くなり、最後は息が上がるくらい走っていた。
なんだか、走りたい気分だった。
小さい恋を見つけたなぁ、なんて、ちょっと嬉しくなったから。