美しい、男。⑩
いわゆる、「中2病」やねんて、俺。
なんやねんそれ、って言ったら、謙一は笑って「由樹は中2病。中2がかかる病気」と言った。
中学2年生やからって、なんやねん、それ。
鬱々としていた。
別に理由なんてない。平穏な生活と、反対に言えば刺激のない生活。勉強はそこそこ。両親もそんなにうるさくない。
でも、見えない形でのしかかってくる期待感、みたいなもの。
長男やからとか、年の離れた弟の面倒見とか。別に反抗する気もおきひんねん。
だって、無気力やもん、俺。
14歳の冬だった。
「おまえの歌、好きやで」
その謙一の一言で、なんとなく歌い始めた俺。謙一はただ、笑ってた。
その笑顔が、鬱々としていた俺を救ってくれた気がした。
そこから俺は、歌にすがるようになった。
これで食っていくこれで生きてく、なんてかっこいいことはまだ言えない。
だって、ゲーノージンとかアーティストなんて、才能ある一握りの人がなるもんやろ?
そこまでは求めてない。
でもおまえが、「由樹の声、いいな」って笑うから。
なんか、歌ってるのも楽しいかも、という気持ちになれた。
* * *
「はい、歌詞できた」
ノートを差し出すと、それを受け取った黒川は「できたんや」と顔を輝かせた。
謙一の部屋は高校生になった俺達の「溜まり場」と化していた。謙一の両親はこういうことにうるさくないし、帰ってくるのも夜遅い。謙一の家が俺たちリブラメンバーの溜まり場になるのは必然的だった。
ノートをぱらぱらとめくって歌詞を確認する黒川は、表情と感情がゆたかだ。俺が見てもよくわからない俺の書いた歌詞を、すげえすげえと言いながら目で追っている。本当にすげえと思ってるんだろうか。ちょっと疑問。
俺達のバンド「リブラ」のドラムを担当するのがこの黒川だった。「リズムわいてきたわ~」なんて適当なことを言っている。
基本的に口先だけが達者で、その場のノリで都合のいいことを言う陽気の塊、という感じの男だけど、最終的に完璧な形のリズムを差し出してくるから、天才だと思ってる。
「お、できたん? 由樹」
4人分の飲み物をトレイに乗せてもってきた謙一は、足で扉を開けて、すぐに俺のノートに気がついた。
「詞から曲つくるなん、できるん? 松永」
ベースを適当に弾いていた原が謙一を見上げた。
「そんなん、やってみなわからんやん。大丈夫、俺天才やから」
謙一はにたりと笑って、飲み物をみんなに出した。俺はホットカルピスやねん、とかなんとか、子どもみたいにニコニコとして。
こんな顔は、学校ではしないのに。
謙一は手負いの野良猫と同じだ。
気に入った人にしか、撫でさせない。気に入らない人間には、背中を丸めてふーふーいって威嚇して、下手すれば猫パンチ。
…そんな可愛いものでもないか。
俺は謙一の回転式の椅子に三角座りして、くるくる回っていた。なんとなく、これが落ち着く。
「目ぇ回るで、よしくん」
時々「よしくん」って呼ぶのやめてほしい。
だいたい、甘えてる時か、俺のことをからかってる時か、それか、子ども扱いする時。
小さい頃からの呼び名だ。
謙一がこのメンバーには完全に心を許してるのは知ってる。なんせ中学からの付き合いだから、もう腹を見せた猫状態。
原穣はベース。本当は「ゆたか」という名前だけど難読だからと「ジョー」と呼ばれてる。
シズカちゃんって呼ばれてるのはドラムの黒川静。それから、俺と謙一。
これが「リブラ」のメンバー。
まだよちよち歩きのバンドの、メンバー。
俺はこのメンバーは居心地がいい。どんなバカをやっても許される、そんな気がしている。
しかし、男4人が集まって音楽の話も閑話休題とくれば、話はやっぱり「女」の話になるわけで。
16歳やもん。やりたい盛りやん。しゃーないな。
「まだ松永つきあっとん? 長ない?」
「長いって言ってもシズカちゃん、まだ5ヶ月くらいやで?」
「長い長い。松永が5ヶ月は長いやろ」
黒川は笑って、「で、ヤったん?」とそればっかり。
…しょーもな。とは、別に思わん。俺はそれに興味ないだけ。考えたら辛くなる。それに、謙一がモテたり、女と付き合うのは今に始まったことじゃない。いつものことだ、もう慣れた。
「それがな…」
苦笑する謙一。
「え!? ヤってへんのん!?」
驚く原。
驚くとこそこか? と思いつつも俺は静観していた。
どちらかといえば、俺は謙一の彼女に驚いた。なんであの子を選んだんやろ、って。
だって、あの子は「謙一の趣味」じゃない。
巨乳でもないし、派手な子でもない。
いつも化粧臭い女に囲まれているくせに、あんな地味な子をカノジョにするなん。
俺はそこに驚いたけど。
「えー、マジかー」
おもんない、とばかりに黒川が口を尖らせてる。
「だってな、そういう子とちゃうねん」
「…松永が大事にしとるってことやろ?」
「そういうことでもないねんけどな…、真面目そうな子やし…わかるやろ? シズカちゃんも男やねんから!」
「わからん! 男やからこそ、わからん!」
俺は黒川と謙一のやりとりを、椅子の上でくるくる回ったまま、聞いていた。
「大事」なんやな。そうやな。
女の子って、そういうモンやんな。
大事にして守ってやらなきゃならん。
そういうモンやんな。
ぼんやり考えてたら、矛先がこっちにきて。
「広田、どーなんよ?」
ノリ重視な黒川はにたにた笑って聞いてくる。
原はベースをかかえたまま、弦を弾いてるだけ。
俺より淡白やと思う、原の方が。原は大人びてて、なんで俺らーーもっと言えばチャラチャラしてる謙一や、ヘラヘラしてる黒川とつるんでるのかよくわからない。原は多分、人生二周目やと思う。
「あー…うん、別に」
「なんやねーん、別にってー」
派手に膝を叩いて面白くなさそうな声をあげる黒川。
「好きな子、おるって言ってたやん、由樹」
ふと、言ったのは謙一だった。いらないアシストに、謙一をわざとらしく睨んでみたけれど、なぜか驚いてる。
え? なに? 言ったらアカンかったん?
みたいな目でこっちを見てる。
アホか。
おまえやから、言ったんに。
好きな子、どんな子なん、って聞かれて。
相手が藤倉なんちゃうかとか疑われたから。
目一杯、否定してみたのに。
基本的に俺は感情を出すのが下手な方だから、伝わらなかったのかもしれない。
「綺麗で、笑顔可愛くて、指の綺麗な子、なんやろ?」
アホか。
おまえ、おバカさんやとは思ってたけど、ほんまにおバカさんやったんな、謙一。
フォローするのも面倒になって、「そうそう」とか適当に流すことにした。
「美人系かぁー。前のカノジョも美人系やったもんなぁー、広田」
ええなぁ、とか言ってる黒川は、ひょうきんでおしゃべりも面白いし、ムードメーカーで誰からも好かれるけど「面白いいい人どまり」ってヤツらしい。
なぜ俺が少し苛立っているか、それにすら気づかない謙一を見上げて、なんだか虚しい気持ちになった。
だったら、なんで?
謙一、だったら、なんで?
あの時ーー保健室で、俺にキスなんかしたん。
俺が寝てると思った?
いつもの無表情が、さすがに機嫌悪げになってしまってたんだろう。謙一が俺の顔を気にするように見ている。
だって、ムカつくやろ。
なんでキスなんかしたん。
こんなに俺の心、乱しといて。
ぐちゃぐちゃにしといて。
あれから、あんまりまともに眠れへん。
おまえの。
由樹、って呼んだ、あの時の声と、触れた唇ばっか思い出して、全然眠れへん。
なんやったん、アレ。
冗談なんやろ? 出来心ってヤツやろ?
ああいうことしたら、俺が怒って「なにすんねん」とか言うのが面白そうやったからやろ。そしたらおまえは絶対こう言ったはずやねん。
『冗談やん、よしくん。怒らんで』
なんか、ムカついた。
すっと椅子から立ち上がって、「ごめん、用事思い出したわ。弟、迎えに行かんなん」とか適当な嘘ついて、鞄つかんでマフラーを首に巻きつけた。
「え、…ちょ、由樹?」
謙一は慌てて俺に声をかける。
一生戸惑っとけ、このバカ。
おまえのせいで。おまえのせいで。
寝れへん夜に馬鹿なことばっかり考えてる。
謙一の隣をすり抜けて「ごめんな」ともう一度言った。黒川と、原に。
だっておまえらは悪くないもん。なのに空気を悪くして、ごめんな。
お天気やさんやな、って笑っててくれたら、それでいい。
けれど、謙一は俺の後を追って、玄関までやってきて。
「ごめ…、な、なぁ、由樹」
自分が悪いのはわかっているらしい。でもなぜ俺が苛立っているか、までは流石にわからないのだろう。
「俺な、藤倉が好きやねん」
口からでまかせで嘘をついた。
苛立ちと、憤怒。
もっと戸惑えばいい。残酷な気持ちが支配してた。
俺の言葉を聞いて、一瞬のあいだ謙一は動きを止めた。固まったように俺をただ見てる。玄関で突っ立ったまま。
おまえも藤倉好きやとか、言うんとちゃうやろな? 勘弁してや。
「本気で言うてん? 由樹」
「本気や、好きや、藤倉が」
「やめとけって。だって、あいつは…」
言いかけて、謙一はぐっと押し黙った。
一瞬でわかった。こいつが藤倉と共有している「秘密」が。
それが、更に俺の苛立ちを高めた。
謙一が何を言っても、こんなに胸が痛い俺はなんなん?
なんで俺はこんなに胸が痛いん?
「あいつは…? なんやねん?」
「いや、ごめん、何でも…ないねん」
嘘が下手だ。昔から、そうだ。
だから俺に隠し事はあまりしてこなかったのに。心を許した人間には嘘がつけないタイプの、美しい男。
「藤倉なんて、由樹の趣味ちゃうやん」
「趣味とか言うな。ムカつく。俺がどんな女好きになっても、けんいっちゃんには関係ないやろ」
言い捨てるように言った後に、謙一の目も見ずに玄関ドアを少し乱暴に閉めた。
閉じられたドアが開くことがないのを確認すると、溜息出て、そしてやっと歩き出せた。
こんな口論はしたことがなかった。
多少のケンカなら、あるけどそんなのも幼い頃だけ。
ずんずん歩いて、どんどん松永家から遠ざかって、比例して冷静になればなるほど俺がただ腹をたててるだけや、なんて思った。
けれど、悲しかった。
何が、とかじゃなくて無性に。
女の子のこと、大事そうに語るおまえの複雑そうな表情とか。ただ、俺の感情をひっかきまわすだけのおまえとか。藤倉と共有してる「秘密」めいたものとか。
どうしよう。
どうしよう。どうしよう。
毎日その想いだけがぐるぐると巡る。
ずんずん歩いて。
歩いて歩いて。
息が白くあがって凍てた空に溶けていく。
気づいたら、泣いてた。
歯を食いしばる音が、不細工だった。
頭から湯気出てるんちゃうかな。
ただ泣きながら歩いた。
胸の奥だか、脳ミソの内部だかが、とても痛い。これを心が痛いって言うんかな。
どうしよう。
「…好きやねんけどな…」
* * *
自覚したら、そこからは早かった。
なんや、俺は謙一のことが好きなんやん、って。
悩むこともあるし、報われないということも同時に理解できたけれど、それでも心の中にくすぶる「何か」の正体がはっきりしたから、もうそれで充分か、という気持ちになれた。
「ごめん、よしくん」
俺の目の前で、手を合わせて、ひたすら頭下げる謙一。帰ろうかなと思ったら教室を出るところで謙一に声をかけられた。
そんなに謝られたら、なんと返すのが正解なのかわからなくなってしまった。
身長ばっかり伸びて。俺はちっとも伸びないのに。心は子どもの頃のまんまみたいな男。
ーー髪、もふもふやなぁ。犬みたいや。
ふだんは見たくても見えないツムジが丸見えやん。そのナナメの前髪、見えにくくないんかな。
とか、どうでもいいことばかりを、ぼんやり考えてた。だって、もう怒ってない。
泣きながら帰ったら、怒りも悲しみも流れていって、ちょっとスッキリした。
好きなんやなぁ、しゃあないなぁって思ったらスッキリした。
「…別に、怒ってへんし」
「いや、よしくんは無理してる」
「よしくんって呼ぶのやめてや」
「…ゴメン!」
違うねん、怒ってないねん。
子どもあつかいされてる気がするだけやねん。
身長ばっかり伸びやがって。
小学生んころ、同じくらいやったのに。
いつのまに、こんなに成長したんやろ。
気づいたら、女の子が自然と集まるくらい、男前になったし。無邪気な笑顔も、一部の人間にしか見せへんけど、それすら美しい。
相変わらず俺には昔のままで接してくれる。
俺はそれが嬉しかった。
「無理、してんやろ?」
「…してへんし」
「無表情やん、由樹」
「いつもやん。怒ってるから無表情なんとちがうで」
とりあえず、帰ろうや。教室に、もう誰もおらんやん。
俺は言葉に出さずに、そんなこと考えてた。
いつも、そうだ。俺は思ったことを言葉にするほうじゃない。
だけど、謙一には伝わってる気がする。
俺の微妙な雰囲気とか、視線とか読み取って、「これしよか」「あれしよか」って言ってくれる。いい意味で空気みたいな存在。
俺が黙ってるんで、まだ怒ってるのかとでも思ったらしくて、謙一はもう一度深く頭をさげた。もうええよって、言ってるのに。
俺は、出来心で男のツムジを指で押した。
「んんん!? なになに!?」
「…ツムジ」
「ん。うん。ツムジ、やで?」
「おまえ背ぇ高いから、ツムジなん見たん初めてやな、と思って…」
俺の言葉に、フハ、と変な笑いを漏らした謙一は、次は火がついたようにハハハ、と大きな声で笑った。そして、
「…許してくれんの?」
と小首をかしげた。
なんやねん、そのかわいい仕草は。
こいつのこと、かわいいなんて思えるん、俺だけやろな。いつもは野良猫みたいやもん。
「許さんなんて言ってへんやん」
「…うん」
「ちゃうねん。俺が…、勝手に怒ってた、だけで」
なんでうまく、言葉が出てこんのやろ。
適当に、空気読み取ってくれ。
「うん。うん。やけど、俺も悪かったし。やから、これで仲直り、な?」
あ、本当に空気読んでくれた。
このまま押し問答するんも面倒やな、って思ってたところだった。
どっちが悪いとか、責任問題追求しても拉致があかないし。そういうスタンスでやってきた、俺たち。
息がしやすい、ってこういうことなんだ。
「うん。じゃあ帰りに謙一のおごりで肉まんな」
「…ハイ、お姫さん」
「姫、言うな」
「…ゴメン、由樹」
謙一の傍にいるとき、俺はちゃんと笑えるし、言いたいこともそれなりに言える。
本気で謝るおまえを見てるだけで、ちょっと笑えたりする。
だから本当は、このままずっといたい。
好きやなんて、伝えて。
おまえのキスに翻弄されて、好きやなんて伝えて。この空気感を壊したくない。
だから、これ以上かき乱さんといて。
これ以上、美しい顔で、笑いかけんとって。
俺は天邪鬼やから、もうこれ以上は好きになりたくないよ。




