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酒井有子

火燐を呼び止めたのは有子でした。


全く自分の傷跡を気にしていないような薄着に女性用にしては大き目なリュックを手にして、明らかにどこかに向かっている途中。


「これからは寮に戻ります。」


「帰宅部か?もったいねぇな。」


何かを食べながら、有子は勝手に火燐と並んで歩くようにした。


「あたしこれからボクシングクラブに行くんだけど、一緒に行く?」


火燐は明らかに嫌そうな表情をした。


「学校のボクシング部が弱すぎて全然練習にならんから、東都先生に近くのボクシングクラブを紹介して貰ってね、家から徒歩で1時間以上だが、理科ビルから行くと20分だけ、だから週三回、八時限が理科ビルの日に通ってるんだ。」


マイペースで勝手に要らない情報を喋り始めた途端、有子は何かを気付いたようで火燐に右手を差し出した。


「食う?」


有子の手のひらに転がしているのは胡桃だった。


「遠慮します。」


「固ぇな、あたしと喋る時はため口でいいぞ?」


火燐の表情は『別に喋りたい訳ではない』というメッセージをはっきり伝えている筈だが、有子はまるで気にしていない。


「白染が言った通りだな。」


白染の名前を聞くと、火燐は反射的にぴくっとした。


「あの男は何を言った?」


「そう怯えるなよ、あんたは白染を何だと思った?」


火燐の反応に、有子は珍しくちょっと引いた。


「まぁ、いいや、白染が言ったことが気になるなら聞かせよう。」


話をずらしたらまた強引に元の話題に戻した有子は、眼帯を外して、眼帯裏に隠されているルビーみたいな結晶を光らせた。


そしたら白染の何も抑揚頓挫のない声が流れた。


内容は火燐の心の力のアナライズ、内容はそう詳しくなかったが、幾つか火燐の私生活か人格形成に重要なターニングポイントが例として並ばれた事に、火燐はゾッとした。


「要するに、あんたの心の力から分析すると、あんたの能力に『粉状の物を操る』とかあるじゃん?それは性格の『細かい事も気にしてしまう』部分の表しだと思ってんだ、そして粉を操れても風等の外力に影響されるのは『強めに押されると流されやすい』という心理表現がある為よ、こういう個性の人は良くも悪くも感情が顔に出やすいらしいぜ。」


自分にも自覚がある弱点がまんまと言い当てられていい気分には成れない、火燐の表情は少し歪んだ。


「そう怖い顔するな、別に何かをさせる気はねぇし。」


また眼帯を戻した有子が言った、ついでに乱れに乱れた長い髪をポニーテールに縛り上げた。


そしたら火燐が気付いた、有子に右耳がないこと。


元々有子の顔にはその酷い焼け跡に目が行きやすい、且つ普段髪を全く整理していないスタイルで、耳の方は見えにくいから気付いていなかった。


急にまたショックを受けて息を吞んだ火燐に、有子は特に気にする素振りを見せなかった。


「どうした?反論の一つぐらいはあるかと思ったぞ?」


火燐は無言に指で自分の耳を差した。


「これ?当初は鼓膜も三半規管もやられたよね、まともに歩けるまでのリハビリは大変だったな。」


なんかドヤ気に語る有子に、火燐はやっと前々から抱えていた疑問を言葉にできた。


「雛といい、あなたといい、なんであなた達はこんなに…前向き出来るの?」


結局言葉にしたのは今までの会話の流れでは唐突過ぎた話、そして言葉としてもあまりにも曖昧だったが、有子は質問を理解できると火燐は確信する。


雛は腕も足も失っても尚普通に学校を通って、普通に生活して、そして冷静に他人に自分が蒙った不幸を話にできる。


有子の身には明らかな虐待の跡が残っている、目も顔も、そして先程の話からして恐らく聴力も平衡感覚も失っていた。


彼女達が遭ったことは聞くにも堪えない程の不幸、にもかかわらず今はトラウマ一つも見えない振舞いをしている。


彼女達を見るだけで、火燐の心の奥底からどうしようもない程の劣等感が湧いてくる。


元々はこの手の話を触れないでおこうと決めた筈だったが、有子からの刺激で、火燐は聞かずにはいられなくなった。


「前向き?これが普通だろう?」


答えはどこまでも軽やかな言葉だった。


「普通な訳ないでしょう?あなた、顔に傷跡が付いたよ!?目が無くなったよ!?こんなことに遭ってまだ普通に振舞えるっておかしくない?」


「じゃどうすればいい?病院で体育座りながら泣いて、人生をそのまま浪費した方がいいと言いたいか?」


火燐の激昂に対し、有子はいつも表現していたようなアグレッシブさがなく、とても冷静に答えた。


「こうなった最初、あたしだって落ち込んでいたよ、病院で動けないまま日を明け暮れていたよ、泣きたかったのに涙腺が壊死して涙が出なくてどうかなりそうだったよ、親父がまた生き返って来て私の左目も抉り出そうという恐怖に怯えながら狂ってしまいそうだったよ。」


有子の声のトーンは特に落ちていないのに、一言一言に火燐の精神を叩くような重さを感じさせた。


「でもな、今の社会は何時までも立直れない人を構う余裕も資源もないんだ、あたしが踏み出さなかったら、病院に放棄されて安楽死されただろう。」


自嘲したような鼻息に、火燐の心が更に重くなった。


「あたしにこれを悟らせたのは白染だったな。」


「あ!?」


火燐が思わず声を発した。


例え有子と白染の付き合いを図書館で何回だけ見た火燐もはっきり言える、有子は白染にかなりの好意を抱いている、最も有子はこのことを隠そうとしなかった。


こんな状況を目の当たりにして、火燐はてっきり白染は有子を優しく接していたと思った。


「あぁ、白染は当時何の前振りもなく『恐怖と後悔を抱えたまま死ぬか、それらを打ち砕いて生きるか、今決めろ』と言ったよ、びっくりした。」


傍らから聞くだけでも不愉快と感じるのに、有子はどこか楽し気に言い続けた。


「普通に考えたら結構ムカつく言い方だったな、でもその言葉はその時のあたしの心の奥底を刺さったような感じだった、死にたくない意志が抑えようがない程強くなった。」


有子が続いて語ったのは白染との衝撃的な出会い。


真っ最初に叩き付けたあの暴言、その言葉に帯びた強い『死にたいなら今すぐ殺す』という意志。


その刺激に反発して、強くなった生きる意志。


その後、白染が発した『生きたいなら、強くなる術を教えてやる』という保証。


後から知ったが、白染が最初にかけた言葉には、【問心】という異能(スキル)を使った。


【問心】の効果は極めて簡単、使用者が話した言葉を聞く対象の意識の一番奥まで響かせるだけ。


パッと見て大した効果はないと思われやすいが、実際はどんな言葉をも重さを感じさせる便利な異能だ。


有子もその言葉に、自分が落ち込むままだと殺されると気付かせた。


それからは二年に渡るリハビリと三年の血反吐を吐くような特訓で、やっと去年の年末に身の力(フィフスセンス)をマスターできたとのこと。


「なのでこの通り、右耳は聞こえないままだが、身の力(フィフスセンス)のおかげで、バランスはプロのアクロバットより強いよ。」


話がここまで進めて、有子は急に打ち切った。


「あっ、あたしはここから右、バイバイ~」


と言い残して、有子はあっさりと右を曲がった。


話は明らかに途中だったのに、残された火燐は2秒ポカンとなった。


「あ、もっと白染の事が知りたかったら、宇多子に聞くといいよ、アイツも帰宅部ですから、今は家にいるはず。」


誰があの男の事を知りたいと言ったの?と言わんばらりの顔で、火燐は有子を見送った。


意地でも図書館に行きたくない火燐だったが、悲しいことに、寮にいてもやることなかったので、気づいたら火燐はもうライブラリーハウスのドアの前に立っていた。

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