人格アンカー
ライブラリーハウスのドアを自動ドアだと思っていたが、今回は火燐が近づいても、ドアは全然開かない。
「なに突っ立ってんだ?これは自動ドアじゃないぞ?」
火燐が困惑している所、通りすがりの教員に話しかけられた。
色褪せたボロボロの青色のジャージに雑草のようであまり整理していない髪、明らかに何日か剃っていない髭、そして右足が義足になっている男性。
見た目は教員だと思えないが、首に掛けている教員証が彼の身分を証明している。
「すみません、ここに入りたいんですが、ドアが開かなくて。」
「ん?メンバーじゃない来訪者か?二日連続とは珍しいな。」
教員証に東都真四郎と記されている男性はドアにかなり強めに蹴ったが、音は全くなかった。
「このドアは鍵かかってねぇから、普通に引っ張れば開けるぞ、宇多子から聞いてねぇのか?」
っと、足でドアを開けた東都は先に部屋に入った。
「宇多子、昨日頼んだもんはできたか?」
「できましたよ、それにしても東都先生がノックするとは、珍しいですね。」
東都の後ろについて入った火燐が聞いたのはこのやり取りだけ。
東都はそのまま玄関から降りろうとしないで、階段の前に立っていた、おかげで火燐も動けなくなった。
「お前に客がいるからだ、入口も教えたのに開け方を教えないとは、アホかお前?」
「あら、火燐さん、いらっしゃいませ。」
何か分厚いファイルを手にして階段を上ってきた宇多子はやっと火燐が見える位置に入った。
「お邪魔します。」
東都はまだ間に立っている状態なので、火燐はとりあえず挨拶した。
「東都先生、昨日頼まれた資料です。そして、パパはよく言ってましたので、偶に家にも帰って下さいね、そう遠くないでしょ?」
「お前と違って、俺はテレポートができないんだ、兄貴によろしくって伝えてくれりゃいいんだよ。」
と言いながら、東都は片足が義足の人と思えない素早さで火燐を避けて出た。
「もう、毎回こんなこと言って、パパは本当に心配していますよ。」
ドア越しで返事は何も来なかった。
火燐はポカンと宇多子を見るだけしかできなかった。
昨日と同じ真っ白なワンピースを着ている宇多子は申し訳なさそうな顔で、火燐に向き合って話をかけた。
「すみませんね、東都先生の父は私のおばあちゃんの弟で、私の遠縁の叔父さんにあたります。大災害後は私の家族に引き取られて、私が8歳まで私の実家に住んでいました。」
「いや、別にこんな事を聞きたい訳じゃ…」
急にどうでもいい情報を押し付けられて、火燐もお困りの様子。
「立ってもなんですし、どうぞ中に入って。」
いつもの気持ちいい笑顔に戻した宇多子は率先に階段を下りた。
「すみませんね、白染がいないと、外の状態が分からなくなりますし、ドアも遠隔で開けないから、困惑しましたよね?」
「いえ、外にそんなに立てなかったし、気にしないで下さい。」
「では、今回はどんなご要件でしょうか?」
宇多子は紅茶を淹れながらも話をかけ続けた。
「いいえ、やることがなくなったから、寮にいても落ち着かなくて、気付いたらもうドア前に立っていたんです。」
「そうですか?火燐さんも大変でしたね、ここを家だと思って寛いで。」
「ママ、風呂掃除終わった!」
雛が急にトイレの方向から姿を現して大声で言った。
そのキレイな声は聞くだけでも明るさが感じる、とても悲惨な過去と結び付けない澄んだ声だ。
でも雛のその平らな胸に、火燐は視線を向けられない。
何故なら、昼に雛が自分の事を述べた時にも言った、胸が大きすぎたから、父に切り取られた事を。
今上半身にブラも付けていない雛の胸に、二つ大きいな傷跡以外、乳首すらない。
「雛ちゃんありがとう、着替える前に手を洗ってね。」
「はい。」
「光ちゃんの方は?」
「もう少し時間かかるかも。」
「では少し待ちましょう。」
雛が二階に上がったら、宇多子はまた火燐に話しかけた。
「平日のこの時間は白染はまだ帰っていないから、家に私と雛ちゃんと光ちゃんだけですので、家事がひと段落したらいつもおやつを一緒に食べます、火燐さんも良かったら是非。」
と言いながら、宇多子はもうキッチンから四人分のドーナツを盛り付けて持ってきた。
「白染と葵ちゃんは6時に、有子ちゃんと千影ちゃんは5時半に戻ってきます。それまでは自由時間です、何か聞きたい事を思い出したらいつでも聞いてください、テレビ見たいならリモコンはテーブルの引き出しにあります。」
「あ…ありがとうございます。」
「そんなにおどおどしないで、もっとリラックスしてもういいですよ。」
「ママ、宿題教えて。」
人形のようなドレスに着替えた雛が、教科書とプリントを持って、テーブルの所に来た。
「お母さん、倉庫の整理終わりました。」
ほぼ同時に、光も髪の毛に塵まみれな状態で、キッチン方向の奥から出てきた。
雛の呼び方はまだ親しいあだ名と理解できても、光の呼び方もう無視できない、火燐は思わず変な目線で宇多子を見た。
「光ちゃんは集団レイプの被害者で、助け出したすぐの頃は幼児退行になっていました、3年位の間私を母として認識いましたから、治った今でも私をお母さんと呼んでいます。」
光をシャワーに行かせながら、宇多子が勝手に説明し始めた。そして案の定、知っても扱いに困る情報でした。
「宇多子さん、こういう事は教えなくてもいいです、本当に。」
「そうはいきませんよ。人との付き合いのはじめは正確の認識ですから、何か疑問だと思わせる時、正確な情報を教えないと、あなたが私たちに対する認識はどんどんズレていきます。」
さくらんぼと柿の盛り合わせとミルクをテーブルに置いて、宇多子もやっと座った。
「火燐さんは人格アンカーという概念をご存知ですか?」
また聞いたことのない名詞が出て、火燐の反応を凍らせた。
「これを感じ取れるのは意の力をマスターした人だけですけれど、影響は切実にありますので、一度説明しましょう。」
宇多子は宿題をやっている雛を見ながら、人格アンカーについて説明し始めた。
人格の形成には他人との社交行為が大きい割合を占めている。
他人の社交の際に、ある程度の印象を複数の人に与えるにつれ、『他人にとっての自分』と『社会的期待』が作り出される。
この二つがまた社交で広められて、最後は集合的無意識にて堆積され、本人が知らないうちに人格に影響を与えてしまうという。
その影響を無くす事はできないが、他人になるべく正確な情報を与えることで、影響を弱める事ができる、その自分に対しての『正しい印象』は人格アンカー、そして自分に対して正しく印象を持っている人はアンカーポイントと命名されている。
自分に対して正確な印象を持っている人が多ければ多い程、人格も安定になる。
「集合的無意識についてもっと詳しい内容は人格形成課のマイナーの授業にありますから、興味あれば授業の少ない日に聴講に行くといいよ。」
火燐はにわかには信じがたいと思ってはいるが、学校でもう授業があるというなら、学術的なに成立している証拠。
「まぁ、何か言いたい事があれば遠慮なく言ってくれていただいて構いませんという事です、特に白染に対して、彼の印象は人への影響が強いので。」
「それはどういうこと?」
「白染は意の力をマスターしていますので、彼一人が抱いている印象は何百人分の影響が出ます。火燐さんは毎回白染に見られる時にビクッとしてしまうじゃないですか?それは直感が白染からの印象を抵抗しているからですよ。」
言いながら、宇多子は左手の人差し指を自分の眉間に当てて、右手の人差し指を差し出した。
「気になりましたら、一度見て見ませんか?目を瞑ってこちらにおいで。」
火燐は言う通りに目を閉じて体を宇多子の方に傾いたら、眉間に優しく柔らかい感触が伝わった。
そして目を閉じたまま、奇妙な景色が脳の奥底から広げてきた。
その景色は色や言葉では言い表せないけど、本能でライブラリーハウスの中だと分かってしまう。
火燐は左手から伝わった床の感触を基点に、右手にあるテーブル、更に右にあるソファーとまだ卓上に置いているドーナツの皿を認識できた。
それは見慣れた形ではなく、概念に戻されたような感じになっている。
そして空気に本能で感じとれる思想が漂っている。
近くに何か人の形をしている概念の塊がいて、思いっきり数学の宿題に悩んでいるオーラを出している。
その塊の表面に『ちび』『かわいそうな子』『不思議ちゃん』等の印象が読み取れる。
そして自分の前にいる恐らく宇多子の形相の表層に『美人』や『優等生』等、宇多子にピッタリな印象が殆ど。
だがもっと中を見て行くと、『聖女気取り』『ビッチ』『援交してそう』等、どうしても信じ難い印象が点在して、それらは他の印象と上手く噛み合わなく、ジャミングになっている。
そしてもっと奥を見ると、この視界では見れるとは思えない程鮮明で、いつもの視覚で見ているような宇多子がいる。
火燐は思わず目を開けた、そしたらいつもの視界が戻って、真っ先に視野に入ったのは宇多子の華奢な右手。
火燐の反応を感じ取れたか、宇多子も目を開けて、いつも通りの優しい微笑みで口を開けた。




