六話「開かれない誕生日会から、事件まで」
聖暦二○三七年、四月二日。
株縫志は三十七歳の誕生日を迎えた。
誕生日会はもちろん開かれない。
普通の人間ならそのことを憂鬱に思ったかもしれない。けれど、もっと辛い目に遭ってきた株縫志にとっては、そんなことはどうでもいいこと。誕生日会が開かれないくらいで落ち込む彼ではなかった。
そんな彼だが、実は、密かに考えていることがあって。
それは、来年の誕生日に旅行をするということだった。
当然、一人で、である。
コンビニで長時間働いていた株縫志は、貯金が、結構な額になっていて。それをどのような有意義なことに使用しようかと考えた時、旅を思いついたのである。
聖暦二○三八年、四月。
三十八歳になった株縫志は、田和和島から一旦離れ、本州へと船で旅立った。
たった一つのトランクと水筒、そして貴重品だけを持って。
本州に到着した彼は、静高、華奈川、山多四などを旅する。
ホテルはやや狭めのビジネスホテルだったが、株縫志にとっては、それでもとても嬉しかった。ボロボロの家に比べれば、ビジネスホテルなんて天国。株縫志は設備の整った快適な暮らしを謳歌した。
しかし、そんな最中、悲劇が起こる。
夕暮れ時に道を歩いていると、見知らぬ者に襲われてしまったのだ。
背は一七○センチくらいで、頭は坊主、黒いジャンパーとピンクと赤のチェック柄のズボンを着用した、三十代くらいの男性。
そんな者に襲われ、株縫志は水筒を奪われてしまった。
株縫志はショックを受けた。
貴重品を盗られずに済んだのは幸運なことだったけれど。
でも、株縫志にとっては、水筒を奪われたという事実がとてもショックなことだった。
というのも、凄く大切な水筒だったのである。
株縫志が生まれて初めて心から気に入って購入した、運命の水筒。
それを奪われた株縫志は、心が折れた。
株縫志は愛する人を殺められたかのような精神的ダメージを受け、平和な田和和島へ戻ろうと決意する。
こうして、彼の旅行は幕を下ろすのだった。
六月十八日。
ある港で田和和島行きの船を待っている株縫志に、一人の女性が話しかけてきた。
髪は黒く、すれすれのところで肩につかないほどの丈で、先端二センチほどだけは焦げ茶色。ぱさぱさした毛質だ。目は大きく魚のようにぎょろりとしていて、太い黒縁の眼鏡をかけている。また、肌にはところどころそばかすのようなものがあり、頬の皮膚は若干垂れ下がって見える。
株縫志にいきなり話しかけたのは、そんな女性だった。
とはいえ、二人が深く話すことはなく。
ほんの数回言葉を交わしたくらいで、株縫志は彼女と別れた。
株縫志は「不思議な人だったな」と思ったくらいで、それ以上のことは、特に何も考えなかった。
こうして田和和島へ戻った株縫志は、また、以前のような暮らしを始める。
島の古くなった家に住み、近所のコンビニで半日以上働いて。遊ぶことは止め、稼ぐための生活へと戻ってゆく。
それは、とても忙しい暮らし。
けれども株縫志は嫌ではなかった。
なぜなら、知り合いがいるから。
田和 真知子、田和和 万代子、和田和 タヨなど、女性たちは今までと変わらず来店してくれて。株縫志は彼女らと色々話をしたりしながら、コンビニの仕事をせっせとこなしていく。
決して派手ではない生活。
でも、必要とされている喜びはあり、達成感や充実感もある。
だから株縫志は田和和島のコンビニで過ごすのが好きだった。働くのが楽しかった。
——だが。
聖暦二○四○年、五月二十日。
夕方の五時半。
事件は起きてしまった。
そう、それは、平和だけが取り柄と言っても過言でないような田和和島の根源を揺るがす、恐ろしい事件。
そして、穏やかに暮らしたいと願っていた株縫志の人生を大きく変える、一件であった。