四話「死から、親族の訪れまで」
聖暦二○二七年、九月九日午後五時三十七分。
株縫志が働いているコンビニによく来てくれていた女性の一人である菊田和 真菊が、九十二歳で亡くなった。
彼女の葬儀は、田和和島内で行われることとなる。
通夜の日、午後辺りから、これまでに見たことがないくらい大勢の人たちが田和和島へとやって来た。本州から田和和島までは、陸路がない。そのため、やって来た人たちは、誰もが船でやって来たらしく、港は混雑。その混雑ぶりは、いつも港で仕事をしている漁師たちを仰天させていた。
島民のある人から株縫志が聞いた話によれば、何でも、真菊は大会社のお嬢さんだったらしい。つまり、彼女は田和和島生まれではなかったということである。
この日、田和和島へやって来た人たちを、少しばかり紹介しよう。
真菊には三人の兄と二人の妹がいる。
長男の尾小倉 権在地は、この時、既に百七歳。
かなりの高齢ながら、真菊の葬儀にはきちんと参加する辺りの真面目さに、株縫志は少し感動を覚えた。
ちなみに、権在地の妻である朧は、昨年八十二歳で亡くなったそうだ。二人の間に子はいなかったという。
次男の尾小倉 権次地は、百五歳。
彼もまたかなり高齢だが、真菊の葬儀にはきちんと参加していた。
株縫志が偶々見かけた時、権次地は赤いタキシードを着ていて。しかも、金髪に近い色みの頭で。株縫志は密かに驚いたのだった。
ちなみに、いまだに独身らしい。
そして、三男の尾小倉 権三地は、百歳。
真菊の三人の兄の中で、一番、いかにも真面目そうな容姿。白髪ながら、きちんとした身なりをしていて、いかにも良い年の取り方をしている男性という感じであった。
株縫志が島民から聞いた話によれば、権三地には三つ年下の妻がいるらしい。
ただ、株縫志がその妻を見かけることはなかったが。
また、噂によれば、その妻は三人目の妻だそうだ。
一人目の妻は、権三地が二十代後半頃に飲み屋で知り合った、天野 天魔という女性だったそうだ。
そして、天魔との間には、五人の子どもがいたらしい。
全員女性。名前は上から、嗚呼、藍、遭卯、和絵、亜尾。
が、離婚後、全員天魔の方が引き取ったそうだ。
二人目の女性と結婚したのは、権三地が三十半ばの頃。街の隅で出会った身寄りのない女性が、権三地の二人目の結婚相手だったという。身寄りがなく頼る者も手の内になく、街を彷徨っていた時、彼女と権三地は出会ったのだ。
彼女と権三地の間に生まれたのは、七人。
今度は皆、男性。
名前は上から、一次郎、二次郎、三太郎、夜次郎、五五郎、六衛門、七太郎。
そして現在の妻との間には、八人の子ども。
二人は女性で六人は男性だそうだ。
長女の名は、綺羅李。
次女の名は、ピカリ。
六人の男性は、上から順に、宵射、智哉、ケーゴ、四十万、蛇句、内斗。
結果、権三地は生涯のうちに、二十人もの子どもを持つこととなったのだった。
真菊と年が近い方の妹である真夜流は、八十五歳。
白髪ながら長い髪を、うなじの辺りで一つのお団子にまとめた、仕事のできそうな雰囲気をまとった淑女である。
株縫志が島民から聞いた話によれば、彼女は、二十五歳にして自力で起業した強者だとか。
そんな彼女には、五つ年下の旦那がいる。名は、児玉 駄是。
そして、二人の間には、子どもが二人。
とはいえ、その子どもも既に高齢者。
これが高齢化か、と、株縫志は思ってしまった。
もう一人の妹は現在六十二歳。
名を、トメ子という。
彼女は独り身だが、多趣味ゆえ、日頃は都会の片隅で人生を謳歌しているそうだ。
そして、真菊の子は五人いる。
長女の菊子は、真菊と共に暮らしていた。つまり、田和和島民。
次女の握子は、十六で都会へ出ていったきりだった。
長男である明彦は、勉学のため本州へ行き、そこで駄是と出会って、以降は真夜流の会社で働いている。
三女の耳子は、俳優を志し、若くして田和和島から離れたそうだ。だが今は、夢破れ、コンビニバイトに明け暮れている。
四女である鼻子は、郊外のアパートで独り暮らし中。
次男の多呂路は、昨年の秋、妻に先立たれてしまって、いまだに落ち込んでいる。が、真菊の葬式が行われると聞いて、田和和島へやって来た。十人の子とその配偶者、そして、八十人の孫を引き連れて。