第76話 高波 三五 8月31日 決意
こよいの背中や綺麗な髪を一定のリズムで丁寧に撫でさする。
しばらくそうしてると次第にこよいの涙が止まり、乱れた呼吸も落ち着いてきた。
こよいはオレの顔を覗きこみ、オレが話し出すのを今か今かと待っている。
こよいの聞く態勢が整ったのでオレの気持ち、男の本音ってヤツを忌憚なく語らせてもらおう。
「実はね、こよい。オレは夏休み明けの高校生活そのものは楽しみにしているんだ」
「な、何でぇっ!? わたし、女の子じゃなくなるのにっ! わたしとのデートに飽きちゃったのっ!? 色々な行事だってあるのにっ!」
思った通り狼狽えるこよいをスキンシップで宥めつつ、続きを聞いてもらう。
「勿論オレだってこよいと一杯デートしたいよ。キスだって何度もしたいし、それ以上のことだってしたい」
「だ、だったらどうして?」
「だってオレは……男の子の湖宵のことも大好きだから」
「………………えっ?」
今度はこよいがポカンとした表情になる。
オレの中では言うまでもない当たり前の事実なのだが、こよいにとっては意外だったのか……。
やはり気持ちを言葉で伝えるのは大事なんだな。
「オレは女の子のこよいに一目で恋に落ちた。だけどこよいと恋人になりたいと思ったのは、男の子の湖宵と過ごしてきた思い出があったからだよ」
「えっ? えっ?」
驚き、戸惑うこよい。
オレはそんな彼女にゆっくりと、平静なトーンで、噛んで含める様に語る。
「だってさ、小さい頃から一緒に居てさ、楽しい思い出ばかりだったでしょう? オレは他のどんなことよりも湖宵と遊ぶのが大好きだった。湖宵はオレの一番の男友達……親友だったんだよ」
「あっ……!」
こよいが目を見開く。
オレの言いたいことが徐々に伝わってきたようだ。
そう。オレは女の子になりたいと言う、こよいの気持ちはわからない。
だけど同じ様にこよいだって男の親友がある日突然可憐な美少女になったオレの気持ちは理解出来ないハズだ。
「こよいが綺麗な女の子になってドキドキしたのと同時に、オレは心のどこかで喪失感も感じてた。そして夏休みが終わったらまた男の子の姿になるって聞いて、安心もしたんだ。ごめん、こよい」
オレの正直な気持ちには、こよいからすれば身勝手だと思うことも数多くあるだろう。
オレはベッドの上に姿勢を正して座り、深く頭を下げた。
「う、ううん。そっか。三五からしてみれば、ある意味いきなり親友とお別れする事になっちゃったんだね……」
目から鱗が落ちた、といった様子のこよい。
身体の強張りも大分解れてきた様に見える。
こよいの反応に調子づいたオレは拳を振り上げながら満面の笑みで自信満々に語る。
「今までの人生を男の子の湖宵と過ごせて、オレ、本当に幸せだったよ! 足りないものなんて何もなかった! 毎日が最っっ高に楽しかった! こよいだってそうだろ?」
湖宵との沢山の思い出は、オレの自慢の宝物だ。
こよいの思い出の中にも居るだろう?
バカみたいな笑顔で大はしゃぎしている、三五って男の子がさ。
「そっかぁ、わたしは……ううん。 “ボク” は……とっくに三五の一番特別な存在だったんだね」
ポツリ、と呟いたその言葉が腑に落ちた時。
こよいはやっと柔らかく微笑んでくれた。
「それに正直、夏休みが明けたら遊んでばっかりって訳にはいかないしね」
「え? 何で? わたし達まだ一年生じゃない」
「オレにはこよいに釣り合う男になるっていう、大目標があるからね! 勉強! 運動! オシャレ! その他諸々! 死ぬ程奮励努力しなくては!」
「えええっ? 三五はわたしには勿体無いくらい、素敵な男の人だよ?」
「そう思っているのはこよいだけだから! ホラ街に行った時なんかオレ、あの美少女に全然釣り合ってないよね~みたいな目で見られてたじゃん!」
思い出しただけでトサカにくる!
まあ、面と向かって言われたわけではないけど、多分すれ違ってこよいに見とれてたヤツらは皆そんな感じの目でオレを見てた! (疑心暗鬼)
「さ、さすがに三五の思い過ごしなんじゃ……」
「絶っっ対違うね! だってオレが隣にいるのに、こよいをナンパしようとしてたヤツらも居たし!」
オレだって自分自身、完璧美少女こよい姫に釣り合ってないと思ってる。
だけど赤の他人にそう思われるのは超ムカつく! 絶対に許せねえ! そう思ったヤツら全員ブン殴ってやりたい! だけれど日本は法治国家だ。そんなことは出来ない……。
「だからオレは自分を磨くんだぁ! 世界中の有象無象共にもハッキリわかるように、この高波 三五こそが繊月 こよいの唯一無二の恋人だと証明するためになぁ!」
「え~? ええぇぇ~…………?」
もの凄くポッカ~ンとしたお顔のこよい。
心外だなあ。これは一ミリもピンときてないぞ。
そのまま少しの間、こよいはフリーズして部屋は沈黙に包まれた。
「プッ!」
不意に破られる静寂。こよいが吹き出したんだ。
「あはは♪ さ、三五ってほんっと男の子ね♪ あははっ♪ あははははははっ♪」
こよい姫はお腹を抱えて大笑いし始めた。
そうさ。オレは男の “子” だよ。
まだまだ大人と呼ぶには程遠い男だって、これでわかっただろう?
オレは肩をすくめつつも、高らかに響くこよいの笑い声を楽しんで聞いていたのだった。




