第75話 繊月 こよい 8月31日 叫び
もう男の姿にはなりたくない。
こよいはそう叫んだ。
オレだって女の子のこよいともっともっと一緒に過ごしたい。
デートだって沢山したいし、何より恋人として二人寄り添って高校生活を送ってみたかった。
だけどオレは自分の想いを押し通してこよいが家族と交わした約束を破らせるのは大変なワガママだと思った。
更にQ極TS経験者のアンお姉さんの意見を聞いて、オレは高校卒業まで男の子として暮らすこよいを側で支え続けるのがベストだと一人で結論付けた。
そうなってしまうと夏休み後の話題を出すのは女の子として特別な時間を過ごしているこよいに水を指してしまうことになる。
言葉を交わさないまま、不安そうに縋り付くこよいを大丈夫だと想いを込めて抱き締めた。
蕩けるこよいの笑顔を見て、ホッと一安心。
気付かない内にオレとこよいの気持ちに溝が出来ていたとも知らずに……。
今こそこよいと言葉を交わしあって、その溝を埋めなくては。
「こよい、教えて欲しいんだ。男の子の姿で高校生活を送らなくちゃいけないって、こよいにとってどんなに辛い事なの?」
こよいの背中を撫でながら、努めて優しく問う。
「それは……そ、それは……う、うぅ~っ!」
こよいは答えてくれない。
髪を振り乱し何かを堪えるように呻くだけだ。
その姿を見ているとオレも平常心が保てない。
正直言って焦っている。
だけどオレの気持ちはこの際どうでもいい。
大事なのはこよいの気持ちだ。
自分にそう言い聞かせ、もう一度こよいに優しく声を掛ける。
「男の姿自体に嫌悪感があるの? それとも他に耐え難い理由があるの? 大丈夫だよ。オレはこよいの為なら何でもするから。させて欲しいんだ」
オレは覚悟を決めた。
必要ならばこよいのご両親にこよいにQ極TS手術を受けさせて欲しいと、土下座して懇願すらしよう。
「ううぅ~っ! 言えないよぉっ! だって言ったら三五、わたしのこと嫌いになるもんっ!」
「……えっ!?」
こよいが絞り出したその言葉は、オレにとって余りにも心外すぎた。
気が付いた時には、カッと頭に血が昇って言い返していた。
「オ、オレがこよいのことを嫌いになんてなる訳がないだろっ!?」
「ひうっ!?」
ビクンッと肩を跳ねさせるこよい。
し、しまった!
オレってヤツは本当に考え無しの大馬鹿者だ。
「う、う、うわあぁ~ん! ホラ、怒ったもん! 三五、わたしのこと嫌いになるもんっ!」
あんなに泣いたのに、こよいの瞳からは後から後から涙が溢れてくる。
「ご、ごめん。オレが悪かった。でもね? オレがこよいを嫌いになるなんて絶対ないんだよ? 何があってもそれだけはあり得ない。ね? 約束する」
話を聞いてもらおうと、言葉にありったけの想いを込めた。
震える小さな手をぎゅっと握りしめてもみた。
それでもこよいはオレの手を振り払い、オレの言葉を否定する。
「何で? 何で三五はそんなに大人なのっ!? わたしはこんなにワガママなのに! 本当はわたしの方が百倍独り善がりなのに! わたしなんて嫌われて当然なのっ!」
こよいが溜め込んでいた想いの圧力のあまりの苛烈さにオレは一瞬言葉を失ってしまう。
堰を切った様にこよいは赤裸々に胸の内をさらけ出していく。
「取られたくないのっ! 三五のことっ!」
「……はい?」
またしても心外なその言葉に、ポカンとせざるを得ない。
「三五、夏休みの一ヶ月だけですっごくカッコ良くなったでしょぉ!? 運動とか勉強を頑張ったり、オシャレになったりして! 他の女が寄って来ちゃうじゃない! バカァッ!」
こよいの目は本気だ。
と、いう事は本心で言っているんだな……。
オレは今まで他の女子にモテたりしなかったし、たった一ヶ月の夏休みの間にいくら努力したからといって、劇的に人気が出たりはしないだろう。
完全に考えすぎだとは思う。
だけどこよいの気持ちを知る為に、真摯にこよいの言葉に向き合わなければいけない。
余計な口を挟まずに最後まで聞こう。
「わたしは男の子の姿で居なきゃいけないのに! それなのに他の女の子は三五にアプローチ出来て、わたしは指を咥えて見てるしか出来ないなんてっ! そんなの嫌! 嫉妬で頭がおかしくなりそう!」
ああ……成る程。そういう事だったのか……。
「さ、三五も何でワガママ言ってくれないの!? わたしのことばっかり優先して! いつもわたしにドキドキしてるのわかってるんだよ!? だったらもっとこよいが欲しいって言ってよ! ずっと女で居ろって言ってよぉっ!」
理不尽で滅茶苦茶な怒りの言葉だ。
だけれどもそれがぶつけられる度に、オレの心は楽になっていった。
「何でそんな大人みたいに聞き分けがいいのよ! それじゃワガママなんて言えないじゃん! わたし、三五に釣り合わなくなっちゃうっ!」
叫ぶだけ叫んだら、こよいは自分の身体を抱いて身震いし始めた。
言ってしまった……そんな風に後悔で顔を青ざめさせる。
「ご、ごめんなさい……イヤ……嫌いにならないで……捨てないで……」
すっかり冷たくなってしまったこよいの細身を、暖めるように優しく優しく抱き締める。
「ありがとう。良く話してくれたね」
「さんご……?」
女の子の本音は単純なオレにとっては想像がつかないもので、スマートに察してあげる事なんて到底出来ないものだった。
言いにくいことを全部吐き出してくれたこよいを嫌いになるなんてとんでもない。
感謝のハグでこよいを安心させてあげなくては。
「こよい。今度はオレの気持ちも聞いてくれる?」
「さんごの、ほんとのきもち……?」
オレは大人なんかじゃない。
こよいは勘違いしている。
オレの気持ちが伝わればそれがわかるハズだ。
女の子の本音を聞かせてもらえたお返しに、今度はオレが男の本音を語る番だ。




