第74話 繊月 こよい 8月31日 理由
「こよい……? どうしたの?」
こよいの涙を指で拭うと、驚く程冷たかった。
悲しみの涙だ。
触れた肌も冷たくて強ばっている。
先程までオレの身を包んでいた高揚感が嘘の様に引いていき、心胆が寒からしめられる。まるで突然に流氷が浮かぶ海に叩き落とされたかの様に全身が冷たく、皮膚がピリピリと痛む。
何故? どうして? どうしてこよいは泣いている?
オレに身体を許すのが嫌で泣いている訳じゃない。それが自惚れでないことは断言できる。
こよいの暖かい体温やオレを見つめる熱い眼差しからは、溢れんばかりの想いが感じられたから。
だからこよいの考えている事が伝わってきた。
でも今は……。
「ひぐっ……うぅ……ち、違うのぉっ……さんごがイヤなんじゃないのぉっ……」
「うん、わかっているよ。大丈夫だよ、怒ったりしてないよ」
懸命に優しい声を作りこよいの冷たい肌を撫でるが、頭の中はかつてない程に困惑していた。
何よりもこよいの涙の理由をわかってあげられない事実に、オレは一番ショックを受けていた。
歪むオレの顔を見たこよいはブンブン激しく首を振って必死に訴え始める。
「三五と愛し合って一つになれるのは夢みたいに幸せな事で……。ずっと、ずっとそうなりたいと思ってたっ! でも、でもね? わたしはっ……わたしは明日にはまた男の身体に変わっちゃうから……!」
ポロポロ、ポロポロ。
こよいの瞳から止めどなく涙が零れ落ちる。
「あ、頭の中を……よ、よぎっちゃったの……も、もしも……」
こよいは俯いてお腹を手で押さえる。
肩が揺れて、涙が膝を濡らしている。
「もしも、わたしと三五の赤ちゃんがこのお腹に宿ったら……男になった時に赤ちゃんが居なくなっちゃうっ……! 殺しちゃうっ……! そんなの嫌っ! イヤアァァッ!」
こよいの、彼女の涙ながらの訴えは、女性として、オレの恋人として、将来オレとの間に出来る赤ちゃんの母親として、心から出たものだった。
ハンマーでガツンと殴られた様な……いや、他の何にも例えられない強烈な衝撃がオレを襲った。
オレの瞳からも堪えようのない涙がドバッと溢れてしまう。
自分の愚かさを思い知り、恥ずかしさと申し訳無さで胸が一杯になって涙を止めることが出来ない。
「うっ……ぐぅっ……ご、ごめんっこよいぃっ! オレが馬鹿だった! オ、オレ、女の子のこよいとお別れする前に確かな絆が欲しくてっ……。きっとこよいの不安も吹き飛ばせるに違いないって……! 独り善がりな事を考えてた……! うう~っ!」
「ううぅ~! 独り善がりなんかじゃないもん! わ、わたしだって、わたしだってぇ……! う、うわあぁぁ~っ!」
オレは泣きながらこよいを抱き起こし、こよいはオレの胸に顔を埋めてワンワン泣く。
二人でひとしきり泣いた後に、こよいはやっと胸の内に秘めていた想いを吐き出してくれた。
「わたしっ! わたしもう男の子になんかなりたくないっ! ずっと女の子のままでいたいっ!」
こよいの魂の叫びを聞いて、オレはつくづく実感した。
オレは男でこよいは女の子。
二人は違う性別なんだ、と。
そして目を背けていた現実にも気付かされた。
いかに幼馴染みでも、恋人同士でも。
男と女が完璧にわかり合えるなんてことはあり得ないのだと。
確かに一緒に過ごしてきた時間の長さや、情熱的なスキンシップで伝わることは数多くある。
だから勘違いをしてしまっていた。
と、いうよりもオレとこよいは言葉を介さずとも、お互いの何もかもを理解し合えるハズだと思い込みたかったんだ。
大間違いだった。
そもそもオレはこよいがQ極TSした時にだって、その気持ちを理解してあげられなかったじゃないか。
そしてきっとQ極TSをしたいと望む気持ちを理解出来ることは一生ないだろう。
だからオレはこよいの全てを理解出来ない。
その事実を否定したいが為に、オレは努力を怠ってしまったんだ。
こよいの全てを理解出来ないことを飲み込んだ上で、最大限こよいに歩み寄る。
その為の努力を、オレはしなければならない。




