第23話 繊月 こよい ゆびがね、まがらないの
「へへ……オイお前、良い女連れてんじゃねぇかよ、ええ?」
男はガッチリした身体を誇示するかの様なタンクトップ姿で、こよいを舐める様に見る視線が明らかに危ない。
「こよいっ!」
「は、は、はいっ!」
男のご託など聞くまでもない。ここは逃げの一手あるのみ。
こよいの手を引いてすぐさま暗闇の林の中に逃げ込む。
その際にちらっと振り返り、ヤツ等の車のナンバーを目に焼き付けてやった。
大丈夫。オレは冷静に対応出来る。
「待てゴラ゛ア゛ァ゛ァ゛」
「ひゃぁぁっ」
男の張り上げる胴間声が、こよいの華奢な肩を震わせる。
さっきまであれ程に暖かだったこよいの手が今は見る影もなく冷たく強張っている。
その美貌は悲痛に歪み、瞳には涙が浮かび、小さな悲鳴が唇から溢れる。
ああっこよいっ!
始めて見るこよいの姿に胸が掻き乱されて、張り裂けてしまいそうになる。
激情が渦を巻いてオレの頭を高速で回転させる。
オレがこよいを人気の無い所へ連れてきたから……。
こよいと過ごす事に夢中で、周囲の状況に無関心だった……。
いつから目をつけられていた?
こよいは誰よりも可愛いからいつかこんな日が来るんじゃないかと恐れていた。
でもまさか、こんな最悪な形で不安が的中するなんて……。
許さない許さない! こよいを酷い目に遭わせるなんて、絶対に許さないっ!
今はまず秘密の場所へ向かうべきだ。あそこなら身を隠せる……。
夏祭り会場には警察官が巡回しているハズだ。スマホで呼べば……!
後悔、反省、状況判断、不安、怒り、対応策。
それら全てが、ほとんど一瞬の内に目まぐるしくオレの頭の中で展開する。
落ち着け、落ち着け。その中から、今必要な情報だけを抜き出して冷静に対処するんだ。
こよいが美少女になってから、オレはこの日が来る事を何よりも恐れていた。
まだ見ぬ不埒な暴漢がこよいを狙うと思うと激昂で頭がおかしくなりそうだった。
だからこそ彩戸さんに相談して暴漢対策の方法を教わったりと、陰で色々やって来た。
だから絶対大丈夫。
「どうしよぅ……さんごぉっ……」
恐怖で身を固くするこよいは足を上手く上げられず、走り辛そうだ。
しかも履き物は歩きにくいカラコロ下駄。
ハンディライトで足元を照らしてみると、地面はデコボコしていて小石があちこちに落ちている事がわかる。
身を隠す前に転んだり、もたついたりしたら捕まってしまう。
オレはハンディライトの灯りを消し、両手でこよいを抱き上げた。
「きゃっ!」
「大丈夫だよ、こよい」
オレは大股で力強く足を前に出し、木立の間をズンズンと進む。
オレの履き物は浴衣に合わせて雪駄。
丈夫な作りだし、多少乱暴に扱っても充分にもってくれる。
地面を思いきり蹴って、進め!
すごい、すごいぞ! こよいを抱えているというのに、こんなにも素早く移動出来ている!
これが火事場の馬鹿力ってヤツか。思考も明瞭だし気持ちも昂っていない。
これなら逃げ切れる。いけるぞ!
目的地は毎年オレ達が花火見物をしている秘密の場所。
あそこの崖は地元の人間ですらなかなか見付けられないんだ。
あそこで身を隠し警察に通報すれば、オレ達の勝ちだ!
なるべく木の陰などで身体を隠しながら進む。
「逃げてんじゃねえぞゴラ゛ア゛ァ゛ァ゛!」
「どこへ行った!?」
「逃がすなよ!」
後方から複数の声が葉を揺らすように響き、複数の電灯が翻りながら光って闇を裂いている。
まるで獣の咆哮。まるで獣の眼光。
いや、まるで、じゃない。
オレ達を追い、こよいを狙っているのは紛れもない獣だ。
「助けて……助けて三五……」
か細い声に、ぎゅっと腕の中の細身を抱き締めることで応える。
絶対に指一本触れさせるものか!
オレはヤツ等から距離を取ろうと必死で足を動かしているのだが、なかなか振り切れない。
「あっちだ! 光ったぞ!」
徐々に近づいてくる胴間声に焦燥感が……って待て。今、何て言った?
光ったぞ、だと?
ハンディライトは消したハズだぞ!?
その声に戸惑い、走りながら自分達の姿を点検して心臓が止まりそうになる。
「あ、ああっ!」
驚愕が口から声になって飛び出した。
見開いたオレの瞳の先にあるのは、オレとこよいの手首で輝く……
サ イ リ ウ ム ブ レ ス 。
バッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッカじゃないのか!? 何故!? 何故この危機的状況でこんな単純な見落としをする!?
「こよいっ! ブレスレット!」
「あぁーっ!」
光るサイリウムブレスに気付き、こよいは悲鳴を上げる。
彼女が気付かなかったのは責められない。
獣共の欲望に晒されているのは彼女なのだから。
だからこそ冷静なオレがしっかりしないといけないのに!
クソッ! ブレスレットを外そうにも、まるで接着されてしまったかの様に外れない!
嘘だろオイ……オレの指、まさか震えてんのか?
何でだよ! オレは冷静なんだぞ!
「さ、さんごぉぉ……」
「こよいっ!? 早くブレスレットを……」
「ゆ、ゆびがね……? ま、まがらないの……」
こよいは固まってしまった両手をオレに見せながら、絶望の声を漏らす。
「見つかっちゃうーっ……」
ポロポロ、ポロポロと。
こよいの瞳から大粒の涙が零れ始める。
抱いているオレの腕にポタリと落ちたその涙は心の底まで凍えさせる程に、冷たい。
「大丈夫だ、こよいっ!」
オレは四苦八苦しながらも、何とかオレとこよいのブレスレットを外して浴衣の帯の中に突っ込んだ。
だが、余りにも手間を取りすぎた。
勿論その間もオレは一生懸命足を動かしていたのだが、その速度はどうしても落ちざるを得なかったのだ。
やがて四方から電灯の光を浴びせられる。
「手間取らせやがってよお……! もう逃げられねえぞ!」
オレとこよいは四人の男達に取り囲まれていた。




