彩戸すと~り~ ⑨ 湖宵の告白 メイルート
湖宵に連れられて家を出た。
「三五、少し歩こうか。いつもの公園でゆっくり話そうよ」
この日の天気はあいにくの曇り空で気温も夏にしては低かった、らしい。
当時のオレはトコトン打ちのめされていて、そんな事を気に留める余裕が無かったのだ。
暗い部屋に居るのも外に出るのも同じだから黙ってついてきたに過ぎない。
「………………」
「………………」
それにしても会話が無い。
湖宵の部屋で映画を観ていた時ですら、ワイワイ盛り上がっていたオレ達なのに。
映画、か。
そう言えば以前、盛り上がり過ぎて観逃してしまった 「ビューティー ・ ブロンド」 のラストはどうなったんだろう。
高嶺の花のヒロインに熱烈アプローチする主人公が上手くかわされたり、からかわれたりするお話。
現在のオレの状況とよく似ている。恋が叶うビジョンが全く見えないところが特に。
やっぱりフラれちゃうのかな。みっともなく大泣きして、笑い者になるんだ。それが映画のオチなんだ。
負の感情のスパイラルに陥りながら遊歩道をトボトボ歩くオレなのだった。
「ここ、座ろうよ」
湖宵が指差したのは休憩所にある東屋風の屋根付きベンチ。
隣り合って座る。
辺りにはちょうど誰も居ない。
「あのさ、三五。昨日何も言わずに帰っちゃったのって……」
「……ごめん」
「ああっ! ち、違うんだよ! 責めてるんじゃなくって、えっと、えっと」
ポツン、ポツンポツンポツン。
サァァァァ~……。
空模様がグズついてきて、やがて雨が降ってきた。
ナイショ話をするには正にうってつけのタイミングだが、湖宵はすぐに話を切り出さずに慎重に言葉を選んでいた。
「う~んう~ん、えっとぉ~」
オレを傷付けないように。その心遣いが嬉しくて、思わずフッと笑ってしまった。
湖宵が困っているっていうのに不謹慎だな。相当精神が参っている証拠だ。
でもオレが微笑んだことで、湖宵の肩の力が抜けたみたいだ。
また瞳に光を宿してオレに力強く語りかける。
「あのね、三五。メイ姉さんとお兄様との仲だけど。全然気にする必要なんて無いんだよ」
「……どうして?」
「だってそうじゃん。あの二人って普段ぜ~んぜん顔を合わさないんだよ。お正月とか誰かのお誕生日とか? それぐらい特別な日でもなければさ」
「…………」
「昨日のエンカウントなんて超レアケースでしょ。その昨日だってあれからすぐに解散しちゃったんだよ。もしお互いに少しでも気があるんだったら、もうちょっとは連絡取り合うよね? いくらなんでもさぁ」
そんなの……。
「だから二人がくっつく可能性は100%ナシ! 安心して?」
「……そんなの、わかんないじゃん」
「えっ?」
メイお姉さんは大人で家庭内外の仕事もバッチリこなす魅力的な女性。
湖宵ママが弦義お兄さんのお嫁さんに、と望むのは極々自然なことだ。
「メイお姉さんだっていつかは結婚するんだから。その時に弦義お兄さんがフリーだったら、ま、周りの大人が、お、お見合いとか……!」
「うぇぇ!? 考え過ぎだって三五! 今時そんなん無いから! 本人達の気持ちが大事なんだからさぁ」
「弦義お兄さんと結婚したくない女の人なんて居るワケない」
「いいや、居るって (真顔) あの人いっつも元気有り余っててハチャメチャにウザいよ? 一緒に暮らせる人なんてケッコ~限られると思う」
湖宵は弟だからそう思うんだよ。
オレから見ればあんなに男性的魅力に溢れる人なんてそうは居ない。
オレが女の子だったら憧れに目を輝かせていたに違いない。
「そうだよ。女の子だったら誰もがスマートな大人の男性と恋愛したいって思うんだよ」
「いや、それは一般論でしょ。あのメイお姉さんに限ってそんなフツ~な考え方するとは……」
「しないとも言い切れないだろ!」
「……ッ!」
ああ、思わず語気が荒くなってしまった。心配してくれる湖宵に対して。
「ごめん、湖宵。でもメイお姉さんの好みのタイプなんて、オレ達知らないじゃないか」
「た、確かに聞いたことは無いけどさ。でもメイ姉さんの一番近くに居る男性は三五なんだよ! 毎日毎日あんなに頑張ってるじゃない」
「頑張っても、いくら頑張ってもすぐには追い付けないんだよ……!」
勉強だって運動だって、何だってそうだ。長い間やり続けるからこそ身に付くんだ。
メイお姉さんに釣り合う男になるというゴールを目指す長い長いマラソンをオレはまだ走り出したばかり。
だけどメイお姉さんがゴールでずっとずっと待っていてくれる保証なんてどこにも無い。選ぶ権利は彼女にある。
それに気付いた、いや気付かない振りが出来なくなった。
それでショックを受けて落ち込んで……結局はそれだけの話だ。
「オレは、オレは何てバカなんだ。いや、バカ以下だ」
今まで通りメイお姉さんのことだけ見てバカ丸出しで突っ走ってりゃ良かったんだ。
どう間違ってもオレは天才にはなれないんだから。だったらバカになるしかないじゃないか。
ガムシャラに追っかけてりゃ奇跡だって起きるかもしれない。
厳しい現実なんか無視して、今からでも英単語覚えたりスクワットでもしてりゃ良いんだ。
そんな脳内お花畑のバカ野郎の方が100倍マシだぜ、今のオレに比べたら。
いつまでもウジウジして、湖宵にこんなに心配をかけて。
一分一秒だって惜しむべきなのに、勝手にネガティブ思考の泥沼に嵌まって手も足も動かせなくなってる。
「オレなんて最低の最低だ……いくら頑張ったってダメなんだ……」
「そんなことないよっ! 三五はね、三五はボクの自慢の幼馴染みなんだよっ!」
湖宵は心尽くしの言葉を送り続けてくれた。
三五はボクが困っていたら絶対に助けてくれるスーパーマン。
いつだって優しくて周りの人を大切にする思いやりに溢れる人。
明るくにこやかで面白い話をして皆を盛り上げてくれる。
最近はとっても頑張ってて前にも増して素敵になってる。
女の子だったら放っておくハズがない。
メイ姉さんだって、きっと。
………………バカになれ。バカになっちまえ、高波 三五。
湖宵の言葉を丸ごとごと信じきって、元気出して今日からまた走り続けろよ。それがお前のやるべきことだろ?
わかっていても心はピクリとも動かない。
ああ、最悪だ。何てことだ。
疑っているんだな。生まれて初めて。湖宵を。オレは。
自分が恥ずかしい。
申し訳なくて情けなくて、涙まで出てきた。
「……オレみたいなヤツが幼馴染みでごめんね、湖宵」
「………………ッッ! 三五の、バカァァァッ!」
バチィィィィン!
瞬間、頭が真っ白になった。
は? 何? 今、何が起こった?
引っぱたいたのか? あの湖宵が? オレを?
驚きのあまり顔を上げると、肩で息をしている湖宵が涙をボロボロとこぼしていた。
「何でそんな悲しいこと言うの!? そんなんだったらボクだって言えなかったこと言ってやるっ! 一生言わないでおくつもりだったこと言ってやるっ!」
湖宵は息を思いきり吸い込んで、ザアザアと降る雨音をかき消すくらいの大声で叫んだ。
「ボクはねぇ! 三五のことが好きなの! 大好きなの! 世界で一番愛しているのっ!」
あいしている。せかいでいちばん。
「ボクは女の子に生まれたかった! そしたらおねぇちゃんに三五を譲ったりなんかしないのに! ボクだったら思わせ振りな態度とったりしないし、彼女になってあげるし、お嫁さんにだって……」
それってつまり?
「笑ってよ! 男の子が男の子を好きになるなんておかしいって! 笑って元気出せば良いじゃん!」
それってつまり湖宵は。
「三五が最低だって言うんならボクなんかもっと最低だよ! キモチワルイって思われるのがわかってても、それでも好きなんだから!」
湖宵はずっとオレに恋をしていた? 報われないと知りながら?
「最低だよ、最低だよこんなのぉ……っ。 う゛う゛ぅぅぅ、うわぁぁぁっ!」
「こ、湖宵っ!」
崩れ落ちる湖宵を抱き留める。
立場が逆転してしまった、が当然だ。
湖宵はオレよりもずっと長い間、叶わぬ想いを胸に秘めてきたんだから。
「ううぅぅ、三五、三五ぉっ」
「湖宵、湖宵っ」
オレの腕の中で湖宵が泣いている。
気持ちが痛いくらい伝わる、どころじゃない。
同じ心の痛みをオレ達は共有していた。
叶わない恋。
いや、本当にそうか?
湖宵の恋だけならオレが叶えてあげられるんじゃないか?
オレは湖宵が男の子だからって気持ち悪いだなんて思わない。
大切な存在だし、そこらの女の子よりずっと可愛いと思う。
何よりこんなオレのことを一途に想い続けてくれたんだ。
報われて欲しい。
幸せになって欲しい。
そうだ。何も二人で泣くことなんてないじゃないか。
長い長いマラソンを走りきったとして、オレがメイお姉さんと結ばれる可能性は万に一つ。
オレがメイお姉さんを諦めきれれば。
そうしたら湖宵に応えてあげられる。
そうしたら。
『三五ちゃん』
そうしたら……。
『お姉ちゃんに任せて♪』
それでも……。
『お姉ちゃんは三五ちゃんの味方だからね』
ダメだ。
道のりがどれだけ険しくても。
万に一つしか可能性が無くても、例えゼロだったとしても。
それでもオレは望みを捨てずにはいられない。
「やっぱり諦めきれない……! ごめんよ、湖宵、応えてあげられなくて本当に、本当にごめんよ……!」
「さ、さんご……? さんごぉぉ~っ!」
ごめん。想いに応えてあげられなくて。
ごめん。心配かけちゃって、泣かせちゃって。
恋敵との仲なんて応援させちゃってごめん。
お詫び、にもならないと思うけど、オレはもう止まらないから。
結果がどうあれメイお姉さんを追いかけ続けるよ。
湖宵がオレを想い続けてくれたみたいに。
泣き続ける湖宵を泣きながら胸に抱き締めて。
オレは心に誓ったのだった。