裏68話 ありがとう 奈良 · 京都 またいつか! 高二 二学期
ティーカップを傾けて琥珀色の紅茶をゆっくりと口に運ぶ。
香りが深く豊かなのに紅茶特有の渋味はほとんど感じない。
普段紅茶はあまり飲まないオレでも自信を持って人に美味しいとオススメ出来る一杯だ。
オレンジペコーというそうな。
「オレンジ? でもオレンジの味も香りもしませんよ? 色も綺麗だけどオレンジ色じゃないし。あっ、わかった! オレンジ農家が作ってるからでしょ?」
「クスッ♪ ブッブ~ッ♪ 違いま~す♪ 実は果実のオレンジは全然関係無いんです。紅茶の木の枝に生えている茶葉にはそれぞれ等級がありまして、比較的若くて柔らかい葉っぱがオレンジペコーと呼ばれているんですね~」
「イコさん物知り~。さすがバスガイドさん!」
「ウフフッ♪ 誉められちゃいました♪」
話題は尽きないけれども、やがてカップは空になるし、まるまると大きなスコーンもすっかり食べ終わってしまう。
「はあ……美味しかった」
「はい、とっても素敵な時間でした」
ティータイムを終えたオレ達。
お尻が椅子にくっついてしまった様に非常に立ち去り難いのだがいつまでも居座ってはいられない。
せめてもの抵抗とばかりにまるで良いトコのお坊っちゃん · お嬢ちゃんの様に優雅にゆったりとした動作で店を出たオレ達なのだった。
いつかまた絶対に来たいな。
「皆さん、最後にもう一ヶ所だけご案内したい場所があるんですが構いませんか? お時間は取らせませんから」
イコさんのその提案にオレ達は揃って二つ返事で頷いた。
時間的にはちょっと微妙だったけれども、楽しい時間がまだ終わって欲しくないと誰もが思っていたから。
イコさんが案内したい場所はカフェから目と鼻の先にあった。
幸せ地蔵尊と書かれた真っ赤なノボリが目印のお寺さん 「弥勒院」 だ。
「こちらの幸せ地蔵様にお参りすると幸せになれるんです♪ 是非、皆でお参りしましょう♪」
イコさんの優しい心遣いで既にホッコリ幸せになったオレ達だったが、それはそれとしてお堂にいらっしゃる幸せ地蔵様にも幸せになれるようお祈りをさせて頂く。
湖宵がずっと健やかで幸せでいられますように。
修学旅行で仲良くなった班の皆やオレのことを慕ってくれるイコさんに幸せが訪れますように。
メイお姉さんやアンお姉さんやオレ FCのお姉さん達に幸せが……etc.
心から祈った。
晴れ晴れとした気分でお堂を出る。
「すいません皆さん! あちらの木陰で少し待っていてもらえますか?」
おや、何だろう?
イコさんは社務所にご用があるようで小走りに駆けていった。
良くわからないけど待てと言うなら大人しく待とう。
三分後。
「お待たせしましたぁ~!」
早いな。タイトスカートなんだからワザワザ走ってこなくても。
「ハア、ハア、ふぅ~。さ、三五さん! 正妻さまっ! これを受け取って下さいっ!」
「あっ……」
「これって……」
イコさんがオレと湖宵に手渡してくれたのはお守りだった。
オレのが白で湖宵のが赤のシンプルイズベストデザイン。
真ん中に大きく 「えんむすび」 と書かれている。
「三五さんと正妻さまがいつまでも仲睦まじくいられますように。私、いつも願っています。お二人が楽しい思い出を作ったここ、京都から」
「「イコさん……」」
オレ達は凄く空気が読めるので 「だったら湖宵のことを正妻と呼ぶのはどうなんだ」 とは言わない。
「ありがとう、イコさんっ!」
「ボク、このお守りず~っと大事にするからね!」
縁結びのお守りを押し頂いて素直に感謝の気持ちを伝える。
「皆さんの分もありますからね。ハイ、男子が白で女子が赤です」
「ウキィ~♡ ありがとうございますっキィ~♡」
「本当に嬉しいです! だって男子だと買いづらいし!」
「わかるわかる!」
「私が持つとご利益があり過ぎて学校中の男子からモテモテになるかもしれないわ♪」
「「お調子に乗り過ぎ~♪」」
班の皆全員分用意してくれていたなんて!
同行中もガイドを沢山してもらったりとお世話になりっぱなしだったのにこんなにお土産を頂いてしまっては申し訳無いぞ。
「何かお返しが出来れば良いんだけど……」
「あっ。それじゃあ三五さん、私の正面に立ってもらえますか?」
おっ? 何だ何だ? 何かオレにお願い事があるのかな?
そう思ってジッと待っていたら、不意にイコさんの大人な微笑みがクシャッと崩れた。
「ふっく……うっ……ううっ……ふくぅぅ……」
ボロボロ、ボロボロボロボロ。
イコさんの瞳から大粒の涙が後か後から溢れてくる、だとぉ!?
「う゛わ゛あ゛ぁぁぁぁぁ~~っっ! わ゛あ゛ぁぁぁぁぁ~~んっっ!」
「「「「え~っ!?」」」」
スコールよりも突然で熱いイコさんの大号泣!
ななななな、何が起きてんだ!?
さっきまで穏やかだったのに、何でいきなり大泣き!?
「や゛だあ゛ぁぁぁぁぁ! さんごさんとお別れするのや゛あ゛ぁぁぁぁぁだあ゛ぁぁぁぁぁ~~っっ!」
ええええ~!? オレ!? オレが原因!? オレが泣かしたぁぁ!?
どどどどど、どうしよう!?
どどどどど、どうしたら!?
助けて皆ぁぁぁ!
「「「「あ、あ、あ、あわわわわわわ……あわわわわわわわ!」」」」
小海 & 男子三人は慌てふためくばかり。
頼りにならねぇ~!
次! ユイ! ユイは!?
彼女の姉みならこの状況を何とか……。
「え、えっと、アメちゃんとかオモチャとかでご機嫌を……取れるワケ無いよね~! さすがに年上のお姉ちゃんをあやすのは初めてだもぉん! どうしたらいいかわかんないよぉ~!」
あっちゃ~、ユイの姉キャパすらオーバーしてしまう程の事態だったか!
緊急事態発生! 緊急事態発生!
「三五! ハグだよ! ハグしてあげて! こんな風にホラ!」
ぎゅううぅぅ~っ!
「アッア~ッ♡ こ、湖宵チャンさまぁぁぁん♡ …………アッ♡ ぷしゅぅぅぅ♡」
おお湖宵! ナイスアイディア! ……と、言いたいところだが湖宵の眼前で妙齢の女性をハグするのはちょいと抵抗があるぞ。(今更かもしれんが)
いや、一瞬で気絶しただいずちゃんを見るに効果はテキメンなんだろうけど、しかし……。
「わ゛あ゛ぁぁぁ! う゛わ゛あ゛ぁぁぁ!」
ダメだ! 四の五の言ってるバヤイじゃねぇ!
ゴメン湖宵! お言葉に甘えさせてもらう!
「イコさん! 泣かないで!」
イコさんをとにかく思いきり抱き締める。
「さんごさあぁぁぁ~っ! うわぁぁぁ~!」
イコさんからもぎゅうぅぅ~っと抱き締め返される。
その細腕に込められた力と想いは痛みを感じる程だ。
どのくらいの間そうしていたことだろう?
恐らくは数分にも満たない間だったとは思うのだが、オレには数倍も長く感じられた。
「ぐすんっ……ふぅぅ~スッキリしたぁ~」
オレの胸に埋めていた顔を上げた時、イコさんは既にすっかり泣き止んでいた。
「うふふ~♡ 三五さんの逞しいお胸♡ スリスリスリスリ♡ 幸せ~♡」
ええぇぇ~?
打って変わって嬉しそうに頬ずりしてくるイコさんの心境の変化に付いていけない。
無理をして笑っているんじゃないか?
オレがイコさんに付けてしまった心の傷はまだジクジクと痛むんじゃないだろうか?
「そんな顔しないで、三五さん。悲しい涙は全部絞りきりましたから」
イコさんは自分からオレの腕を解いて一歩距離をとった。
「三五さんはほんの少しの寂しさと引き換えにとても大きな幸せをくれました。ありがとう、三五さん」
あ、あれでほんの少しって……。
「それと、ごめんなさい。お家に帰る皆さんを心からの笑顔で送りたかったから泣かせてもらっちゃいました。いや~、でもまさかハグまでしてもらえるなんて♡ ちょ~ラッキー♡ もう思い残すことはありませんね♡」
この人のメンタルコントロール技術、マジ神憑かってるよお……。
「ボクって感情を溜め込んじゃう性質だからそんな風に上手に発散出来るの羨ましい……。ホント尊敬しちゃうなぁ。やっぱ大人って凄い」
湖宵なんて焼きもち妬くより先に感心しちゃってるし。
「「「三五先生お疲れさんっス!」」」
イコさんと抱き合ってたオレも男子達に妬まれるより先に労われた。
ありがとう。もっと労ってくれ。
「あっあっあっ! 忘れてました! 最後にラウィッターの友だち登録して下さい、三五さんっ! それでもうず~っと花丸笑顔でいられますから♪」
「も、もちろん良いですよ、イコさん」
「三五FCのグループにもご招待しますね」
「キャ~ッ♡ 嬉しいですぅぅ♡ 三五さんっ♡ 正妻さまっ♡」
スマホをピッピッ♪ ティロリ~ン♪
これでオレ達とイコさんの間に縁が結ばれた。
きっとこれからずっと続いていく。
そんな気がする。
「さあさあっ♪ 皆さん♪ バスが発車してしまいますよ♪ 急いで戻りましょ~♪」
「「「「は、は~い!」」」」
ハイテンションかつホクホク顔のイコさんに引っ張らる様に先導されるオレ達。
う~ん、修学旅行の最後はイコさんに持っていかれていまったなあ。
その後、駐車場に戻るまでも、京都駅に向かう車内でも、イコさんはイキイキハキハキと光輝く笑顔でオレ達を楽しませてくれた。
そして遂にバスは京都駅に到着した。
「はい、皆さんお疲れ様でした♪ でも無事にお家に辿り着くまでが修学旅行ですから最後まで気は抜かないで下さいね♪ それでは元気に♪ 行ってらっしゃ~い♪」
心からの笑顔でお見送りしたいと言うイコさんの言葉に偽りは無かった。
疲れが吹っ飛ぶくらい元気が漲る 「行ってらっしゃい」 だった。
オレ達もほんの少しの寂しさは今は胸に秘め、元気100%で最後のご挨拶をしよう。
「イコさんのガイドのおかげでオレ達、楽しく京都を回ることが出来ました! 絶対にまた京都に来ます! 本当にありがとうございました!」
「「「「ありがとうございました~!」」」」
イコさんの目元がキラリと光る。
だけど優しくて暖かいその微笑みは最後まで崩れなかった。
「私、待ってますからね! またご一緒させて下さい、三五さん! 皆さん!」
最後にちょっとだけ公私混同しちゃったけれど、イコさんは忘れられない思い出を作ってくれた人生で一番のバスガイドさんだ。
バスの大型トランクからお土産でパンパンになったバッグを取り出してよいしょと背負い、えっちらおっちら歩き出す。
改札を抜けて駅構内をキチンと並んでキビキビ進み、ホームへと向かう。
新幹線に乗り込んで座席に腰かけた頃には、車窓から夕陽が射し込んできていた。
やがて定刻になり、列車はオレ達の街へと向かう為に走り出したのだった。
「あぁ~さようなら京都……。くうう、まだ遊び足りなかったんだどなぁ」
「本当だよね。特に映画村とかもっと回りたかったよね。もっと時間に余裕があればなあ」
「いや~、それを言うなら旅行のタイムスケジュールってキッツキツじゃなかった? パパッと見学してハイ次~、みたいな。慌ただしかったよね~」
今回の修学旅行では奈良 · 京都の名所をかなり満遍なく見学することが出来た。
それでも全ての名所を網羅出来たワケでもないし、心行くまで堪能し尽くせたワケでもない。
な~んて贅沢な不満を言い合っている内に、話題が修学旅行の楽しかった思い出についてに変わっていった。
「やっぱボクはお風呂かな~♡ 素敵なロケーションの露天風呂で三五と混浴! えへへ~♡ 思い出すだけでキマッちゃいそう♡」
湖宵は欲望に忠実だなあ。
「オレは奈良の大仏さんとか二条城とか金閣銀閣とかの定番をバッチリ押さえられたのが良かったかな。湖宵と一日デートも出来たし」
「ね~♡ ボク達のこと、だ~れも知らない土地でデートするのちょ~解放感あったね♡」
二人でワイワイ楽しく話していると、班の皆がオレ達の席に代わる代わるやって来て話をしていってくれる。
「私は稲荷大社の千本鳥居が良かったわ。前に映画で見てから、一度実物を見てみたかったのよね」
「オレは昔の刀とか見られたり、手裏剣投げられたのが良かった。あと長屋とか」
「ある意味忘れらんね~のは座禅だな。いつか良い思い出になるかなあ」
「ウッキ~♡ モテ神のおかげで女子達と仲良くなれたっキィ♡ 感謝っキィィ♡」
「私はこみこみとまめまめとお泊まりして、いっぱいお喋り出来て嬉しかったな~♪ あれ? こよこよってば羨ましいの? ウフフ♪ こよこよは卒業するまでお預けね♪ よしよし♪」
「私は湖宵チャンさまと一緒に奈良で鹿ちゃんをナデナデしたのが面白くってキュンキュンしました♡」
他の班は疲れて眠ってしまったり席でまったり休んでいる人達がほとんどなのだが、オレ達の班はお互いの座席を行ったり来たりしながら旅行中の話を時間の許す限り楽しんだのだった。
とっぷりと夜の帳が降りた頃に新幹線は駅に到着。
あ~、帰ってきちゃったなぁ~。
最後に駅の広場にてそれぞれの担任の先生からお言葉を頂戴すれば解散だ。
それでは影知先生、シメの一言をどうぞ。
「ここで長々話せば周囲の迷惑となる。全ては後日、学校で。以上。解散せよ」
一言って本当に一言だけか!?
アンタ、忍びの者か何かかよ、先生よぉ!? いくらなんでも簡潔過ぎんだろ!
ま、まあ良い。担任が解散っつってんだから解散すっか。
「それじゃあ皆、明日は一日ゆ~っくり休んで明後日は打ち上げよ! もしも遅刻したら私にチョコラテをおごること♪」
「も~、こみこみってば~。皆、寝る時は暖かくして寝てね~。それじゃあまた明後日~♪」
「「「「また明後日~!」」」」
皆と別れて湖宵と二人だけになると、途端に寂しくなった。
「行こっか」
「うん……」
心なしか重く感じる足を引きずって駅を出る。
そこで待っていてくれたのは……。
「お帰りなさい。お坊っちゃま、三五ちゃん」
オレ達の大好きなメイお姉さん。
迎えに来てくれたんだ。
4日振りにメイお姉さんの顔を見たら、さっきとは全く違う意味で帰ってきたんだぁ~って気持ちが沸き上がってきた。
そうだよ、ちょっとションボリしている場合じゃない。
メイお姉さんに聞いてもらいたいお土産話が一杯あるし、物理的なお土産も一杯受け取ってもらわないと!
いやいや、まずはその前に……。
「「ただいま~っ!」」
オレと湖宵は元気にただいまの挨拶をした。
テンションが復活したオレ達は意気揚々とメイお姉さんの車に乗り込む。
その勢いのままにメイお姉さんに修学旅行の楽しかったエピソードを語って語って語りまくる。
「アンタちょっと静かにしてよね。お姉ちゃん運転してんだから」
う~ん、いつもながらクールなメイお姉さんだ。
でも久し振りだからそんな反応も嬉しい。
ん? そう言えば車に乗ってから、オレが喋ってばっかりで湖宵はずっと静かだな。
「ぽけぇ~」
窓の外を眺めて何だかボ~ッとしてる。
ど、どうしたんだろう?
「こ、湖宵? もしかして小海達と別れて寂しくなっちゃったの?」
「あ、ううん、三五。修学旅行がすっごく楽しくて、時間があっと言う間に過ぎちゃって……不思議だな~って思ってたの」
ん? それって普通のことじゃない?
「普通じゃないよ~。だってボク、今男の子だよ? 本当なら卒業が待ち遠しくて時間が長く感じられるハズなのに」
あっ、そう言われれば……。
親との約束で卒業するまでQ極TS出来ないんだもんね。
今この瞬間だって湖宵は一刻も早く本当の自分になりたいと切望しているんだ。
そんな湖宵がそれでも今という時間を精一杯楽しんでいる。
それは本当に本 ・ 当~に素晴らしいことだ。
「全部ね、三五が隣に居てくれるからなんだよ。三五がいっぱい愛してくれるから自分が男の子だってことを忘れて幸せに過ごせちゃうんだ。ありがとうね、三五♡」
「湖宵……っ!」
湖宵が愛しくて愛しくてたまらなくなって、肩を抱き寄せる。
そしてそのままメイお姉さんに隠れて、湖宵の唇にそ~っと静かにキスをした。
湖宵も黙ってオレに体重を預けてくれている。
フフッ。修学旅行の最後の最後にメイお姉さんにも秘密の思い出が出来ちゃったね、湖宵♪
「アンタ達、バックミラーって知ってる? バッチリ映ってるからね? 全然秘密に出来てないからね?」