そらのそこのくに せかいのおわり 〈Vol,03 / Chapter 07〉
特務部隊オフィスを出たベイカーは、七階の団長室ではなく、六階奥の『特務第二部隊・隊長室』に向かっていた。
六階はその全域が空室で、この庁舎が建てられたときから一度も使用されていない。名目は『特務部隊増強に備えた予備室』とされているが、そんな計画は皆無である。
六階の最奥、特務部隊長執務室の真上。この部屋の内線端末には、他の端末からは絶対に呼び出せない『ある人物』との回線が設定されている。
ベイカーは慣れた手つきでその番号を呼び出す。
他の端末と何ら変わらぬ、平凡な呼び出し音。
この相手はすぐには出ない。最低でも二十コールは鳴らす約束になっている。これは万が一、億が一の安全策だ。何かの間違いで設備点検の総務部職員が押してしまったら、大変な不都合が生じる人物なのだ。
三十二コール目。
さすがにこれは留守かと、諦めかけたときだった。
「……なあ、お嬢ちゃん? なぜ三日も経ってから連絡をよこす?」
出ると同時に話し始める相手。張りのある低音で、ベイカーを『お嬢ちゃん』と呼ぶこの男。誰に対しても自分のペースを乱すことのないベイカーが、この男にだけは緊張した様子で答える。
「申し訳ありません。ゴヤとデニスに調べさせていたのですが、なかなか確認が取れず……」
「言い訳は結構だ。結論だけ話してもらおうか?」
「はっ。ロドニー・ハドソンは予想通り、『神の器』として『造られた者』でした。五百年前の伝説の人狼、ネロと同じ存在です。ネロと同時代に生きていた人々の霊が、『同一人物としか思えない』と証言しています」
「ということは……やはり、始まるのだな」
「はい……あの文書は、本物であると言わざるを得ません……」
「だが……『預言書』の中身がすべて正しいなら、もう時間が無い。ゴヤをこちらに専任させたらどうだ?」
「いえ……通常任務から完全に外すとなると、ロドニーに隠しきれなくなります。現状を維持すべきかと……」
「結局、あの狼が一番の障害か……」
「ですが、今回はこれまでになかった切り札があります」
「あの王子か?」
「はい。そちらにも詳細が回ったかと思いますが、マルコには『玄武』という名の創世神がついています。これは今までの事例には無かった要素です」
「確かに、タケミカヅチより古い時代の神を味方につけた者はいなかったようだが……保険は欲しいところだな」
「と、申されますと?」
「オオカミに消された『朱雀』以外に、創世神はあと二柱いるのだろう? それらを味方につけることは出来ないか?」
「……居場所の特定を急ぎます」
「くれぐれも慎重にな。ロドニーが覚醒する事態だけは避けねばならん」
「心得ております」
「では、健闘を祈る」
プツリと切られる通話。ベイカーは受話器を戻し、ぎゅっと目をつむる。
誰もいないフロアの、誰もいない部屋。その中で一人、ベイカーは問いかける。
「なあ、タケミカヅチ? これは、本当に俺たちがやらねばならないことなのか……?」
ここは未使用のオフィス。壁に取り付けられた内線端末以外、何も置かれていない部屋である。天井から照り付ける明かりは、ベイカーの足元に彼自身の影を落とすばかり。
床に映る影は彼一人分――そう、少なくとも影だけは――。
「サイト、すまない。我は肉体を持たないのだ。堕ちた神と戦うには、誰かに体を借りねばならない。どうか助けてほしい。我は、そのためにお前を……本当に、申し訳なく思っている……」
誰もいないはずの部屋に、その声は虚しく響いた。
ベイカーは黙ったまま、首を横に振る。
神が人に助けを乞うなんて、これでは話があべこべだ。それならば、人はいったい、何に祈ればいいというのか。
ベイカーは目をひらく。
ゆっくりと開く瞼の先に、見たくもない世界が広がっているとしても。
「相手が神だろうが何だろうが、労働に対する対価は払ってもらうからな。近日中に請求書の送付先を明示するように。なお、分割払いは受け付けない」
それだけ言って歩き出す。
特務部隊長サイト・ベイカー。ベイカー男爵家の長男にして、国内屈指の剣術の達人。これまでに諸々の軍事作戦に参加し、数多の功績を上げた英雄的人物。
見た目だけならば少女のように可憐な彼は、自分がその身に何を宿しているのか、正確に理解しているわけではない。
大和の神、武御雷。
彼は軍神でありながら、実戦に赴いた記録をほとんど持たない風変わりな神である。武力をちらつかせた外交戦略を得意としており、正直なところ、本人の戦闘能力は未知数。かつては霊剣を所持していたが、それを人間に譲り渡して以降、これといった武器は所有していない。
戦闘経験がなく、武器を持たず、特技は外交。それでも『軍神』を名乗る者、タケミカヅチ。
自分の守護者がとんでもない食わせ物であることに、彼はまだ気付いていない。




