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そらのそこのくに せかいのおわり 〈Vol,03 / Chapter 04〉

 翌日のことである。

 この日もセントラルシティは相変わらずの雨模様で、どんよりとした雲のように、マルコの表情も冴えなかった。

 原因は彼の手元にある一冊の本だった。


 月刊ヌー特別増刊号・本当にいた! ビックリ珍種族大集合!


 月刊ヌーとは、世界の不思議スポット、科学や魔法学で解明できない神秘現象、まことしやかに囁かれる都市伝説などを特集するオカルト雑誌である。直撃インタビューと称されたコーナーには、トニー以外にも多くの希少種族が登場していた。いずれの人物もこの雑誌自体の胡散臭さを楽しむようなノリで、快く取材に応じているようにみえる。ただ、ざっくばらんに語られる彼らの話は苛烈を極めた。


 モンスターと間違われ、駆除されそうになった。

 身分証を提示しても、「聞いたこともない種族だ」と言われ連行される。

 足の本数が違うことを理由に入学を拒否された。

 病気の副作用でこういう外見になったと思われて、強制的に養護施設に入れられた。

 普通の人間と同じ生活ができないと決めつけられる。

 同じ市民階級なのに、なぜか格下扱いされる。

 こちらの話を聞いてもらえない。


 その他、ありとあらゆる差別と偏見の大洪水。今は幸せに生きている人々の『かつての体験談』という体裁でまとめられてはいるが、読んでいるだけで、目には見えないどす黒い何かに心身を蝕まれていくようである。

 そんな暗い話ばかりの中で、トニーの言葉は異色だった。


「ケルベロスについて? いや、特にアピールすることはないな。普通にメシを食って、働いて、クソして、寝る。多少変わった部分があっても、それ以外はごく普通の人間だ。何も特別なことはない。確かに俺は少数民族だし、それを理由に差別されたこともある。だが、それがどうした。俺は誰に何を言われようと、自分の生き方を曲げたことはない。グダグダと世の中を批判している暇があったら、自分を磨けばいい。実力さえあれば、必ず上へ行ける。事実、俺はそうして見せた。種族なんか関係ない。俺は俺だ」


 胸に突き刺さった。

 すべての言葉が、トニー・ウォンという人物そのものを表現しているようだった。

 これまでにトニーがどれほどの辛酸をなめてきたか、マルコには想像できない。それでも幾多の苦境を自身の力のみで切り抜け、ここまで伸し上がってきたことは分かる。

 自分と同じだと思った。それと同時に、まったく違うとも思った。

 家のために、兄の分まで努力せざるを得なかった自分。

 己自身で望み、何の迷いもなく努力し続けたトニー。

 同じ『努力』を重ねた身の上でありながら、トニーの生き様の、なんと鮮やかなことか。

 うらやましく思った。その真っすぐな生き方と、それを『格好良い』と思わせてしまう不思議な魅力を。それは自分には無いものだ。そしておそらく、それは努力では手にできない。


 生まれ持ったものが違う。


 いまさらながら、マルコはその事実に打ちのめされていた。

「あの……ロドニーさん」

「あ? なんだ?」

 ロドニーはいつも通り、お気に入りの出窓にもたれかかって漫画を読んでいた。紙面から目を離すことなく答えるロドニーに、マルコは思いつめたような声で尋ねる。

「ロドニーさんは、私のことをどう思いますか?」

 上の空で聞いていたロドニーは、質問の趣旨がわからず、きょとんとした表情で振り返る。

「え? どう……って? 何? 何の質問だ?」

「私は、その……魅力がないのでしょうか?」

「……は?」

「私は、私なりに努力しているつもりなのですが……お願いします! 正直に答えてください! 私とトニーさん、どちらが魅力的だと思いますか⁉」

 この言葉に驚愕したロドニーは、立ち上がろうとしたのか、椅子ごと振り向こうとしたのか、漫画を置こうとしたのか――いくつかの動作を同時に行おうとして失敗。ひどく混乱した様子で椅子から転げ落ちた。

「ちょ……ちょっと待てマルコ! 何の話だ⁉ 俺、彼氏は募集してないって言ってるよな⁉」

「えっ⁉ 彼氏⁉ ……あっ!」

 ロドニーに読心術の類は使えない。マルコが頭の中で何を考え、何を思い悩んでいるかなど、理解できようはずもない。

 マルコは自分の発言が『大好きな彼にさりげなくアタックしているのに相手にしてもらえず、直接聞くことにした女子』のようだと気付き、茹でダコのように赤くなった。

「い、いえ! 違います! そ、そそ、そういう意味ではなく!」

「じゃあ何⁉ 湿度高すぎて脳みそにカビ吹いたか⁉ ツボカビ症⁉」

「カエル族ではあるまいし! ツボカビに感染したりしませんよ! え、え~っと、ですね? 私がお尋ねしたかったことは……」

 マルコは必死に説明した。インタビュー記事について感じたこと、そこから考えたこと、気付いてしまったこと――それゆえの質問であったこと。

 慌てて早口になってしまった。決して上手い説明とは言えないだろう。だが、それでもロドニーは真剣に聞いて理解してくれた。

「ん~……そりゃ、比較対象が違いすぎるからなぁ……」

「違う……でしょうか?」

「違うだろ。貴族として生きてきたお前と、庶民の中でも特に下のほう扱いされてきたトニーとじゃ。比べようがねえよ」

「ですが……私は、こんな気持ちを感じたことはありません。彼に……トニー・ウォンという男に、負けたくないのです……」

「マルコ……お前……」

 ロドニーは心底驚いていた。

 論理的に話をしたがるマルコが、今は感情に支配されている。それもなんと、あのトニーをライバル視していると言うではないか。

(こりゃあ……ちょっと、予想外のコンビになりそうだな……)

 法と秩序、優しさと誠実さで臣民を守ろうとする王子様。

 武力を以って脅威を退けることで町の治安を守る黒犬。

 方法論は違っても、やろうとしていることは同じ。それぞれに魅力的で、人を惹きつけるカリスマ性もある。この二人が、このまま上手く『善きライバル』としての関係性を築いてくれたら――。

(普通に仲良しコンビになるより、ひょっとすると……一か八か、やってみるか……?)

 出来るだけ鉢合わせないように小細工をしていても、二人の関係が良くなるわけではない。現状のままでは何の進展もないのだ。だったらいっそ、もう一度真正面からぶつけてみるのもいいかもしれない。

(よし! こうなりゃダメ元だな!)

 そうと決めたら即行動。即断即決が売りのロドニーはぴょこんと立ち上がり、マルコの肩を叩きながらこう言った。

「ちょっと待ってろ! 未解決事件の山から、トニーと力比べできそうな案件探してくる!」

「え? あの、ロドニーさん⁉」

 疾風のごとくオフィスを出ていってしまった。一人ぽつんと残されたマルコは、難しい顔で呟く。

「……そんな山があるなら、漫画など読んでいる場合ではなかったのでは……?」

 独り言まで真面目なマルコであった。




 それからわずか三十分後、ロドニー、マルコ、トニーの三人はセントラルシティ郊外の住宅街にいた。

 閑静な住宅街――と、言いたいところなのだが。何やら様子がおかしい。

「人の気配がありませんね?」

「……野良猫の一匹もいないのか……?」

 馬車の中では終始無言を貫いていた二人だが、互いの存在など意識している場合でないと直感したらしい。異常を感じた二人は自然とロドニーの斜め後ろにつき、それぞれの死角をカバーする位置に立つ。

 ロドニーはその反応にニヤリと笑い、この町のことを説明した。

「ここは第百六十七号・宅地開発計画地。まだ名前も居住者もない町だ。見ての通り、造成もパイプラインの敷設も、公営住宅の建設も終わっている。でも、そこから先に進めない。もうこの状態のまま一年半も放置されてる。どういうわけだか、住宅の内装工事を始めようとすると作業員が集まらねえんだ」

「なぜです?」

「よくある祟りネタならゴヤの案件だろ?」

「それがな? 普通の祟りなら、たいてい怪我とか病気だろ? 違うんだよ。どういうワケだか、作業員が全員、ドンピシャなタイミングでもっと割のいいバイトを見つけちまうんだ」

「全員……ですか? 何十人もが同時に?」

「ここの事業者は誰だ? どうせ敵対勢力の妨害工作だろう?」

「事業者は国土開発庁と中央市住宅局。この場所は建国以来ず~っと女王陛下の直轄地。工事を妨害して得をする勢力は皆無。住宅地が完成すると損をする勢力も確認されていない。むしろ、この住宅街に中間所得層が移住してくれないと新しい事業展開ができねえって、どこの貴族も涙目になってるぜ?」

「と、すると……その貴族らの請願で、特務部隊の案件に?」

「ああ、そういうこった。けど、魔法省も王立大学も『何の異常もありません』って断言してるんだぜ? 俺たちみたいな剣振り回して銃ぶっ放すだけのマッチョ集団に、何の調査が出来るって?」

「……思いつく限り、何もできませんね……」

「だろ? だから未解決のまま、こんな感じで放置されてる。これからお前らにやってもらうのは、レポートの作成だ。今後この町をどうするか結論を出すために、それぞれの立場から意見を出してもらいたい。テキトーに一回りして、町の現状を把握してくれ。それから本部に帰って、報告書の体裁でレポート作成・提出。二人で話し合って一つの意見として出してくれてもかまわねえけど……」

「いえ、一人で考えます」

「こいつの意見なんかいらない。というか、内装くらい入居者にやらせてしまえ。DIYが得意な奴だけ住まわせれば問題ない」

「さすがトニー、斬新な意見だな……。でも、それじゃ、建築法違反になっちまうから無理だと思うぜ? 台所とか風呂場とか、火ぃ使うトコ素人がやると危ねえだろ?」

「そうですよ。それは消防法にも違反します。中央市と近郊都市では、地方都市より厳しい基準が設けられています。農村では家主が自由に増改築できるような箇所でも、このあたりでは行政の許可が必要になることがあるのですよ?」

 マルコに悪気はないのだが、法律の話になると、どうしても専門家が素人に教えてやるような口調になってしまう。トニーにとって、マルコはただでさえ好感を持てない相手。これは非常に面白くない。

「うるさい。言ってみただけだ」

 ぶっきらぼうに言い放ってそっぽを向く。その態度にマルコもムッとし、トニーから視線を逸らした。

(うわ~……なんだよお前ら、そのベタなライバル感。思春期かよ。マジ青春じゃん……)

 当人たちは真剣そのものでも、傍から見ているロドニーにはその程度の感想しかない。当事者らの心の葛藤は、わずか一メートルの距離でも感じられないものなのだ。

「えーっと……じゃあ、まあ、始めるか。今から夕方の……四時くらいでいいかな? 四時まで個別行動な。俺もその辺うろついてるから、なんか用があったら声かけてくれよ。あ、もちろん、不思議なことが起こる原因を見つけられたら、それが一番だからな。町中、隅から隅まで見て回ること。いいな?」

「了解です」

「行ってくる」

 答えると同時に、トニーの姿はゆらりと揺らいで消えた。黒犬に変じて駆け出して行ったことは確かだが、目で追えないほどの速さで駆けていくとは尋常ではない。

(いや、先に一周したほうが勝ちとか、そういうんじゃねえし……)

 わんこな後輩は、どの程度任務の趣旨を理解しているのだろうか。若干の不安を覚えたロドニーは、律儀に一礼してから出発するマルコの背を見送った。




 外見上は完璧に出来上がった住宅街。しかし言われてみれば、確かにどの家も中身は空っぽ。壁紙はおろか、キッチンセットも洗面台も浴槽も、何一つ設置されていない。

 トニーは数十軒の住宅を見て回って、なんとも言い難い表情になっていた。

 何かが足りない。

 住宅設備の問題ではなく、町が町として成立するのに必要な何かが抜け落ちているような気がするのだ。だが、それが何かと考えてみても、何一つ思い浮かばない。

(電気も水道もガスもあって……こっちは魔導融合炉からの魔力供給パイプか……。何だろう。何でも揃っているのに、何か物足りない……)

 人がいないだけで、こうも違和感を覚えるものだろうか。首をかしげながらも、トニーは建物をひとつひとつ見て回り、ついに造成地の端までやってきた。

 黒犬たちは三頭揃ってそれを見上げて、目を真ん丸にする。

「……なんだ、これ?」

 スパッと切り分けられたケーキのようだった。

 開発地の端にあったのは、直角の崖である。住宅地にするため、もともとここにあった丘を削り取って平地にしたのだろう。ひどく不自然な崖がそびえ、町を見下ろしている。剥き出しの地層は、まるで目を細めてこちらを睨む巨人の顔のようだった。

(……気持ち悪いな、ここ……)

 ケルベロスの鋭敏な感覚を総動員してみても、何も感じ取れない。それなのに、『気持ち悪い』という感情だけが後から後から沸き起こる。

(……何かがおかしい……? この場所だけか? とりあえず、ロドニーにも来てもらおうか……?)

 人狼の感覚でも『気持ち悪い』と感じるならば、この場所には、確実に何かがある。だが、引き返しかけたトニーの足は、それ以上先には進まない。

(……ロドニーを頼ったら、あいつに『その程度』と思われる……?)

 些細な違和感も現場リーダーに報告し、懸念事項として情報共有する。これは特務部隊の基本ルールである。もしもそれが魔法や呪詛によってもたらされた違和感であった場合、その効果や威力によっては、致命的な事象に直結するからだ。

 いつものトニーなら、何の迷いもなくロドニーの元に駆け戻った。しかし、脳裏によぎるマルコの顔が、そのいつも通りの行動を阻む。

(ロドニーを呼びに行っている間に、あいつが一人で、何か見つけていたら……?)

 そうなったら、自分は確実に『負けた』ことになる。

(……いやだ。あいつには負けたくない。俺一人で見つけるんだ……)

 黒犬たちは崖のほうへと向き直り、上へ登れそうなルートを探す。

 違和感の正体が何か、確かめに行かねばならない。

(……向こう側からなら、登れるか……?)

 三頭の黒犬は、造成地の外、崖の上の森へと踏み込んでいった。




 一方のマルコは、トニーのことなどまったく意識していなかった。

 こちらは法律の専門教育を受けた身。トニーとは若干異なる視点で街並みを観察する。

「住宅と道路の間には必ず幅五メートルの緑地が設けられている……と。なるほど。路地からの飛び出し事故を防止するには最適な設計ですね。……ん? ここは馬車の停車スペース? ふむ……これならば、路上駐車による交通トラブルも減らせて……いや、しかし。これでは数が足りない。乗合馬車と個人所有馬車が共通停車場を使うとなると、新たに条例を制定しなくては。現行法のままでは、中央駅前ロータリーの二の舞に……」

 どこまでも真面目な法学部卒の王子様は、この町に人が暮らすとしたらどのような条例が必要か、新規造成地特有の問題について考えていた。

 この町は貴族向けでも豪商向けでもない。すべての住宅は公営で、ごく普通の中間所得層、それも子育て家庭を想定した造りになっている。二階建ての住宅には秘密基地のような屋根裏部屋があり、子供たちが十分に遊べる庭も、自家用馬車を止めるためのガレージもある。

 マルコは想像してみる。もしも自分が、この町に家族と一緒に暮らすとしたらどうだろうかと。

(そうだな……たとえば、乳幼児が一人と、二人目を妊娠中の妻がいるとしたら……?)

 まず浮かんだのは病院だった。産院と、小児科や外科のある大きな病院。マルコは交差点の真ん中に立ち、ぐるりと見まわす。

「あ、あそこですね」

 通りの先に大きな白い建物が見えた。小走りに移動し、今度はそこで考える。

(妻が無事出産し……上の子を、そろそろ他の子供たちと交流させたいと考えたら……?)

 児童公園か、保育施設か。そういった場所で、子供だけでなく、親同士も交流したいと思うのが普通だろう。マルコは病院の前に設置されていた街路案内板を見る。

「病院の裏手に老人養護施設と児童公園、保育園……さすが、新たに造成された町ですね。世代間の交流がスムーズに行えるよう、よく考えられている……」

 案内板によると、児童公園の向こう側に競技場と各種スポーツ施設、その先に小学校と中学校がある。図書館や演芸ホールも同じ区画にまとめられているので、ここが町の中心部と考えて良さそうだ。

(学校や文化的活動はこのあたりで事足りるとして……買い物や娯楽は、どこで……?)

 町役場も商店街も銀行も、この案内図の範囲内にはない。道路の端に矢印が描かれ、『Cエリアへ』という素気ない文字が添えられている。

(ここがBエリアで、最初に見た住宅街がAエリアなのだから……商店やオフィスがあるのがCエリア……?)

 マルコは、何か引っかかった気がした。

 セントラルシティに近いほうからA、B、C。それは分かる。だが、並びが逆ではないかと思った。ここは小高い丘を切り崩した造成地。セントラル側からの一本道以外、この町に入る道はない。これではセントラルからCエリアの商店へ物資を運ぶ輸送車は、住宅街のど真ん中を突っ切っていくことになる。

 ゴーレムホース六頭立ての大型輸送車は、巻き上げる砂埃も騒音も桁外れである。とてもではないが、そんな馬車が一日に何便も通過するような通り沿いに住みたいとは思えない。ましてやここは『子育て家庭向け』の住宅街。まだ交通法など理解できない幼い子供たちが大勢暮らす予定なのに――。

(ここまでよく練った都市計画で、こんな初歩的なミスはありえない。何か、そうせざるを得ない事情があったのか……?)

 マルコは自分の目で見て確認するべく、Cエリアに向かった。




 ロドニーは、トニーとマルコとは別の意味で疑問を感じ始めていた。

 一通り住宅街を見て回って、病院や学校のあるBエリアで首をかしげて立ち止まる。

「……住宅地……だよな?」

 手元にある任務指示書を確認してみるが、何度読み返しても『住宅地』としか書かれていない。

 これは公共施設や大規模商業エリアも丸ごと新規造成する一大プロジェクトなのだ。『住宅地』と一言で表現されてはいるが、正確にはもっと大きな意味での『生活の場』を指している。

 Aエリアの家々は、確かにこの指示書通りの現状だった。ならば住宅ではなく、公共施設の内装はどうなっているのか。

 ロドニーは手近な建物に近づいてみる。

 どうやらここは学校らしい。建設自体は終わっているが、警備システムは作動していない。ロドニーは塀を飛び越え、敷地内に入った。

 そしてその瞬間、悲鳴を上げる。

「ギャッ! っんだよっ! これぇぇぇ~っ!」

 苔の生えた地面と思って着地したところは、藻の浮いたぬかるみだった。

 膝のあたりまでズボリと埋まり、すっかり填まり込んでしまった。転倒しなかっただけましである。妙な体勢のままで、踏ん張りも効かない。

「チッ……《気泡》発動!」

 ロドニーはしぶしぶ魔法を使う。これは風系魔法の中でも『特にメルヘンで女の子向け』といわれる呪文である。なぜかといえば、球状に形成した圧縮空気の中に自身が収まる様は、シャボン玉で宙を浮遊するファンシーグッズの図案そのものだからだ。

 筋骨隆々とした成人男性がシャボン玉でゆるくふわっと浮遊している絵面は、オオカミオトコの美的感覚では最低最悪。格好良くもないし、強そうでもない。人のいるところだったら絶対に使わなかったであろう。

 足元のぬかるみを押し退けるように空気の球が展開され、ロドニーは泥の中から脱出を果たす。

「クソ~、なんでこんなに水はけ悪いんだよ、ここ……」

 少し見回すと、校舎脇には似たような箇所がいくつも見受けられる。今は雨期とはいえ、中央の気候ではそれほどの降水量はない。排水に関して、何らかの設計ミスがあったのだろうか。

「ん~……仕方ねえなぁ……」

 ロドニーはシャボン玉のまま移動することにした。弱い魔法であっても、使い続けると地味に消耗する。だが、泥水で水没したブーツで歩くのも、それはそれで疲れる。どちらがましか考えた末の、苦渋の決断である。

 ふよふよと締まりのない動きで、シャボン玉は校舎に近づく。窓から中を見ると、教室の内装は完璧に仕上がっているようだった。

「……小学校か……?」

 内装どころか、机や椅子の搬入も終わっている。生徒と教師さえいれば、いつでも学校として機能させられるだろう。

 念のためほかの教室や体育館なども見て回ったが、特におかしなところも、作りかけのまま放置された箇所もない。小学校はもう完成している。

 ロドニーは見晴らしの良い屋上に着地し、改めて任務指示書を読み返す。『住宅は未完成』というこの記述に誤りは無かった。本当に、住宅だけが内装工事を始められないのだろう。

 家がなくては人が住めない。人がいないから、完成済みのBエリア、Cエリアも機能しない。だから丸ごと放置されている。

 その理屈は分かる。

 分かるのだが、しかし――。

「本当に……呪いや妨害工作の類でないなら、どうして作業員が集まらないんだ……?」

 ただの偶然としか言いようのない『割りのいいバイトの誘い』が数十人の内装工たちに同時に訪れ、それが幾度も続く。そしてそのせいで、肝心の公営住宅は仕上がらず、町自体が放置されて一年半。

 現場作業員らは誰も不幸になっていないのに、明らかに、何かに祟られている。実に奇妙な造成地である。

「……やっぱり、これって祟り……いや、普通の祟りって、誰かが何かを恨んで不幸にしたがるもんだよなぁ? まだ誰も不幸になってねえし……まあ、せいぜい住宅局の担当者がストレスでハゲた程度か……?」

 頭髪を失った本人には大変な不幸かもしれないが、まだまだ元気な毛根を持つ二十四歳には他人事である。

 任務指示書を仕舞うと、ロドニーはもう一度《気泡》を使った。上空から町全体を見渡すのに、この魔法は最も適していると気付いたのだ。

 グイグイと高度を上げていき、A、B、Cすべてのエリアと、その先の原生林までを見渡す。

「……ん?」

 高度三百メートル。ここまで上がってはじめて気づいた。

 切り崩された丘の向こう側にも、同じような町がある。こちら側ほどではないが、かなりの大規模事業のようである。大型ゴーレムや作業員が動き回っている様子が見て取れた。

「へぇ~。あっち側も同時並行でやってたんだ……」

 中央市の大部分は公官庁の本部庁舎と貴族の邸宅で占められている。さほど広くもない土地の九割が、事実上の開発不能エリアなのだ。中流層や下層労働者の人口増加、それに伴う極度の住宅不足と価格高騰は、中央市にとって最優先で対処すべき喫緊の課題となっている。

 中央市近辺では、造成中の新興住宅地の一つや二つ、珍しくもなんともない。この住宅地が取り立て話題にもされずに放置されているのも、数ある事業計画のうちの一つで、特に目立った事故も発生していないからだ。

 そう、新聞には連日、どこの現場で何人負傷したとか、ついに死亡者が出てしまったとか、不幸な事故のニュースがいくつも掲載されている。セントラルで『呪われた新興住宅地』と言えば、こことは正反対の、東の沼地に造成中のレイクシティを指す。あちらでは毎週のように重傷者が出ていて、呪いを恐れた作業員が次々辞めているらしい。おかげで事業計画は遅れに遅れ、当初の完成予定から三年が経過した今でも、まだ工事は続いていて――と、そこまで考えて、ロドニーはハッとした。

(……ちょっと待て? 事故が発生していない? ひとつも? この規模の現場で……いや、ありえねえだろ、それ……)

 ここまで大規模な宅地造成計画となると、熟練の職人だけでは人手が足りない。数十人、数百人単位で日雇いの労働者が現場に入る。

 簡単な研修だけで危険な現場に入るものだから、怪我人が出るのは当たり前。ときには命を落とす者もいる。

 ロドニーはこのとき、自分でも驚くような考えにとらわれた。


 呪われるどころか、守られているのではないか?


 慌てて頭を振る。何を馬鹿なことをと自嘲した。

 神か、悪魔か、未知の魔獣か。このあたりに、それらしい伝承は無かったはずだ。建国以前からただの森で、これといった事件も事故も聞いたことがない。そんな『ごく普通の森』だった場所で、いったい何に守られるというのか。

(……あれ? でも、普通の森で、事件も事故も……?)

 否定しようとすればするほど、何かのピースが組みあがっていく。

 ごく普通の森で、木こりや猟師が一人も事故に遭わずに数百年。そんなことはありえない。どれだけ注意していても、体調のすぐれない日も、急な天候の変化もある。山を知り尽くした登山家が雷に打たれることも、足を滑らせることもあるように、熟練の猟師や木こりでも、事故に見舞われることはあるのだ。

(……なら、やっぱり……あの森には何かいるのか……?)

 魔法省の調査官も、王立大学の教授陣も発見できなかった『何か』が、本当にいるのだとしたら――。

(……おい、ちょっと待てよ。それってかなり計算外……)

 ロドニーの額を冷や汗が伝う。

 わざと攻略不能ミッションをぶつけ、二人同時に黒星をつける。『引き分け』という結果と黒星に自信を無くしているところに、ベイカーとロドニーの二人がかりで教育的指導を入れる。ロドニーとしては、そういうつもりで二人をここに連れてきたのだ。

 自分の力に絶対の自信を持つトニーには、力技では解決できない事案もあるのだと理解させる。

 論理的に物事を進めれば必ず解決すると信じているマルコには、ときには理屈の通じない、理不尽極まりない事象もあるのだと体感させる。

 その上で、それぞれのレポートから互いの特性の違いを納得させ、『正しい形で競い合える関係』に修正しようとしていたのだ。

 だが、神でも悪魔でも怪物でも、何かがいるのなら話は別だ。


 ケルベロスの直感は、常人のそれをはるかに上回る。


 魔法や呪詛の専門家が見つけられなかったモノでも、ケルベロスならば嗅ぎ付ける。そして嗅ぎ付けたら、トニーの性格からして――。

「やべえ……あいつ、カミサマだろうと何だろうと……」

 そう呟いている最中に、森の中から火柱が上がった。ケルベロス族の固有魔法、《冥王の祝砲》である。

 それはまさに、神の悪戯のようなタイミングだった。

「あ……あははは……はは……」

 笑うしかないとはこのことかと、妙に腑に落ちた。だが、こんな状況でも頭の中まではフリーズしないのがロドニーの最大の長所である。手早く通信機を取り出し、ベイカーに連絡を入れる。

「隊長、トニーが造成地奥の森の中で何かと交戦中です」

「何か? なんだ? あんなところに野盗なんかいないだろう?」

「おそらく、そういうものではないと思います。俺も現場に向かいます」

「いや、待て。一緒に行動しているのではないのか? お前の現在地は?」

「Bエリアの上空三百メートルです」

「何がどうしてそんな高度に⁉」

「空飛んだほうが、全体像が見渡せると思いまして」

「馬鹿! すぐ降りろ! 今そのあたりに雷注意報が出ている! 感電死したいのか⁉」

「いえ、大丈夫です。ここは晴れてますから」

「え?」

「俺の周囲だけ、ぽっかり。なんか結界でも張ったみたいに……それに、その……この造成地、有史以来、一度も事件や事故がないんですよね? それって、異常じゃないですか? この規模の現場で」

「……何が言いたい……?」

「祟りの真逆の現象なんじゃないですか?」

「……祟りの逆……というと……ん? それはつまり、悪いものではなく……?」

「確かめてきます。あの森に、何かがいるのは間違いありません」

「あ! いや、ちょっと待てお前! 何の準備もなくそんなわけの分からないものと……」

 ロドニーは通信を叩き切る。

 早く行って制止せねば、わんこな後輩は、取り返しのつかないことを仕出かしてしまうかもしれない。

「《疾風》発ど……うへっ⁉」

 風の魔法でシャボン玉を押して高速移動をと思ったのだが、ロドニーが魔法を発動させるより先に、強烈な竜巻が発生した。

「な……なんだよ、これ……」

 竜巻の中心に閉じ込められた格好で、上下左右、どこにも移動できない。

 タイミングが良すぎる。何をどう考えても、自然現象ではありえなかった。

「お……おい! もしも何かいるなら、答えてくれ! お前は誰だ!」

 ロドニーは竜巻に向かってそう叫ぶ。正直、混乱状態で適当に叫んだようなもので、答えを期待していたわけではない。だが、それはきちんと答えてくれた。

「はじめまして。私はデカラビア。人狼族の若者、お前は誰?」

 耳ではなく、頭の中に声が響いている。相手の心に直接声を届ける魔法も存在するが、周囲に魔法特有の気配は感じない。竜巻の中心にいながら一切のノイズもなく鮮明に聞き取れるこの声は、まさに『天の声』とでも呼ぶべき神々しさを感じさせた。

 女の声のようだが、顔も声も美少女のような成人男性を知っていると、声だけで性別を判断するのは危険だと直感する。

「あー……俺はロドニー・ハドソン。王立騎士団特務部隊に所属している」

「ロドニー? 嘘だ。その名には、言霊が宿っていない」

「嘘じゃあねえよ。これは略名。仲間は全員ロドニーって呼んでるぜ」

「正式な名を」

「リオ・オラ・ダスクトリエフ・ネロ・エスカ・イエルタメリ・ハドソン」

「長いな」

「うちの親が古代の英雄とか先祖の名前とか、色々くっつけちまったんだよ」

「イエルタメリ。それだけが、お前の本当の名」

「あ? いや、確かにそうだけど……なんで分かるんだ? 大体みんな、最初の『リオ』が俺の名前だと思ってるぜ? 普通は最初に本人の名前つけるだろ?」

「いいや。順番などどうでもよいこと。言霊が宿った名が本物。あとは添え物にすぎない」

「そう……なのか? 自分じゃよくわかんねえけど?」

「名前は呪文。魔法と同じ。唱えてはじめて効力を発する」

「名前の効力? なんだそれ。そんなもん聞いたことねえぞ……? じゃあ、イエルタメリの効力ってなんだよ?」

「イエルタメリは、元は黄色いショウガという意味」

「え? そうなの? 俺の名前、ショウガなの⁉」

「そうだ。今から五千年ほど前に使われ始め、約七百年前にその意味が忘れられた。黄色いショウガは鬱の気を祓い、活力をもたらす。だから人の名に使われた。素敵な言霊だったのに、意味を失い、言葉だけが残った。とても残念だ」

「へー……そんなにいい名前なら、仲間にもイエルタメリって呼んでもらったほうがいいのか?」

「呼ぶ者が意味を知らなければ、何も起こらない」

「なんだよそれ、意味ねえじゃん!」

「そう、意味がない。呼ぶ者が、本当の意味を知らないままでは」

「……ん? ひょっとしてお前、アレか? なんでイキナリこんな話を始めるのかと思ってたんだけど……お前の名前も、そうだって言いてえのか?」

「呑み込みが早くて助かる。私はデカラビア。呼んでほしい。意味を教える」

「デカラビア……の、意味?」

「元の発音はデカ・アダミア。アダムから十倍に殖やされた者。アダムの模造品」

「は?」

「アダムの体細胞をもとに造られたDNA改変クローン体。イヴのプロトタイプ」

「えーと……ちょっと待て? 何の話だ? アダムって誰⁉」

「お前の知らない、地球の創世神話に登場する男だ。正確には、サルを知的生命体に進化させるために必要な要素を解明する過程で生み出された、『理想のヒト』の最終形態。まだ地球の人類はそこまで至っていないが、近づきつつはある」

「いやいやいや、地球の創世神話とか、急に壮大なこと言われても?」

「だろうな。地球とこの惑星とでは成り立ちが異なる。この場の説明で理解しろとは言わないが……そうだな。簡潔にまとめると、私はこの星のものではない。地球で不要になり、ここに捨てられた。かつては『地球の神的存在』だった」

「はぁ、地球の……いや、正直俺、地球文化はラーメン以外興味がねえからサッパリなんだけどよぉ……」

 心の内で「スープはこってり派だけどな?」と何のオチにもならないオヤジユーモアを付け足しながら、脳内を整理する。

 どうやらこの『デカラビア』と称する者には、自分に対する敵意は無いらしい。聞きたいことは山ほどあるが、ひとまず相手の要望通り、意味を思い浮かべながら名前を呼んでみることにした。

「そんじゃ、まあ……アダムの模造品のデカラビアさーん! ……って呼べばなんか起こるのか?」

「もう起きている」

「は?」

 一瞬の出来事に、ロドニーの理解は追い付かない。

 自分を取り巻いていた竜巻は、いつの間にか巨大な手になっている。その手に軍服の背をつままれ、ぶらんと宙吊りにされていた。

「ありがとう。お前の言霊の力で、片腕だけでも実体化できた。そしてすまないが、しばらく人質のふりをしてほしい」

「はぁ⁉ なんでだよ!」

 ロドニーは攻撃魔法を放とうとするが、一切の魔法が封じられていた。

 魔法がダメなら腕力で、と思ったが、どれだけ足掻いてみても、背中の真ん中をつまんでいる巨大な指を引きはがすことはできなかった。

「やめておけ。そんな無理な体勢で力むと、筋を傷める」

「てめえで捕まえといて妙な心配してんじゃねえっての! デカラビア! お前、やっぱりなんか悪いバケモンなのか⁉」

「今だけは、そういうことにしてくれまいか」

「なんだそりゃ!」

「トニー・ウォンがあの丘を攻撃するように仕向けたい。マルコという青年はすでに承諾してくれた」

「は? わけ分かんねーよ! なんでもいいから! ちゃんと説明しやがれ!」

「今から見せる。気を失うなよ」

「あぁっ⁉」

 喧嘩腰の不良の如く凄んでみるも、相手は神的存在。ひるんで手を放してくれるようなことはない。それどころか、脳内に侵入してきた。

 自分の体が何かに乗っ取られる、得体の知れない気色悪さ。けれどもロドニーに、それを防ぐ術はない。

「あ……や……め、ろ……うわあああああぁぁぁぁぁーっ!」

 頭の中に、ロドニーのものではない記憶が流れ込んできた。

 それは人のものではない。

 デカラビアという、実体のない『神』の見た世界だった。




 ある日、森に数人の男たちがやってきた。『環境調査』と書かれた腕章をつけて、あちこちの土や水を採取し、成分を調べている。

 数日して、今度は別の男たちがやってきた。森と、そのすぐそばの平地の測量を始めた。彼らの持ち物には『住宅局』と書かれていた。

 ここは宅地にされるのか。

 そう思ったデカラビアの『眼』は、セントラルシティの住宅街に向けられた。そこでは、とても狭い場所にひしめくように人が暮らしている。子供たちが自由に駆け回る場所さえない。

 ああ、これではいけない。

 デカラビアは測量技師たちの運勢を、ほんの少しだけ良くしてやった。邪魔な木や足場の悪い場所に引っ掛かることなく、測量作業は予定よりずっと早く終わった。

 それからも、土木作業員や大工、配管工らが続々やってきた。全員の運勢を少しずつ良くしてやったおかげで、誰も怪我や病気をせず、工事はスムーズに進んでいく。

 しかし、あるところで気づいた。

 丘を切り崩したせいで、地下水の流れが変わった。

 デカラビアは自然を司る神ではない。生き物の運勢を、ほんの少し上向かせるだけの能力。だからこれまで、気づくことができなかった。

 この丘は、もう崩壊寸前だった。

 ここを守護しているのがデカラビアでなかったら、ここはとうの昔に地下水に浸食されていた。今も、ぎりぎりのバランスで持ちこたえているだけ。このまま工事が進んで人が移住してしまったら、崩落に巻き込まれ、大勢の人間が死んでしまう。

 デカラビアは、大急ぎで運勢を操作した。

 この現場に来る予定の労働者に、『大変な幸運』を次々ともたらした。ある者はもっと稼げる仕事を見つけ、ある者は宝くじで大金を当て、ある者は富豪の家に養子に入り――ここで内装工事をする必要がない環境を与えた。

 おかげで工事は止まったが、崩落の危機はいまだ続いている。昨年の雨季はどうにか持ちこたえた。けれど、二度目の雨季はもう無理だ。丘の反対側も、別の宅地造成で大きく切り崩されてしまっている。

 この危機を誰かに伝えなくてはと、デカラビアは必死に呼びかけ続けた。けれども、丘の向こうの土木作業員らは魔法の素養が無いか、かなり低い者ばかり。思念体のデカラビアの呼びかけを、きちんと聞き取れる者がいなかった。

 時折現れる魔法省や王立大学の調査隊は、はじめから呪詛・祟り除けの護符で身を固めている。せっかく自分の声を聞き取ってくれそうな人々なのに、護符のせいで声が届かなかったのだ。

 もう間に合わない。せっかく造った町なのに、土砂に埋もれて壊れてしまう。人間たちの労働が、すべて無駄になってしまう。

 そう諦めかけたところに、ロドニーらが現れた。

 何の目的で来たのか? どんな人間たちなのか?

 しばらく様子を見ていて分かった。


 こちらから呼びかけていないのに、この人間は私の存在に気付いている。


 彼らなら協力してくれる。

 デカラビアはそう確信して、トニーに話しかけ、そして――。

「あぁ……なんてことを……うちのバカ犬が、とんだ失礼を……」

 ロドニーは両手で頭を抱え込んでしまった。

 デカラビアに語り掛けられたトニーは、声が聞こえた瞬間、ロドニーが見たあの火柱、《冥王の祝砲》を放っていたのだ。そして立て続けに《火炎弾》を連射。

「貴様が怪異の原因か! 殺す! ぶち殺ぉーすっ!」

 黒犬三頭がかりで、むやみやたらに魔法攻撃を乱射し始めた。

 話をするどころではない。今のトニーはマルコへの対抗意識で戦闘意欲満々。正体不明の化け物をこの手で仕留めれば、自分の『勝利』は確実だと信じ切っている。

 火柱を見て慌てて駆け寄ってきたマルコに、デカラビアは、今ロドニーに見せたのとまったく同じ記憶を見せた。マルコは一も二もなく、町と森の境界線上で結界を張る役を引き受けてくれたという。

「事情は分かってもらえたか?」

「とてもよく分かりましたでゴザイマス、ハイ……」

「イエルタメリ、お前には人質を演じてほしい。トニーは私の話を聞いてくれない。だから芝居で騙す。仲間が捕まっていれば、確実にあの丘を破壊してくれる」

「えっ? 破壊? いや、どうにかして崖崩れを食い止めるんじゃねえのかよ?」

「無理だ。先ほど見せたとおり、もはやそれができる状態にない。炎の魔法で丘の木を焼き、土を焼き、そこに含まれる水分を蒸発させつつ、丘そのものを解体したい。乾いた砂ならば、お前の魔法で町とは別の方角に吹き飛ばすことも容易だろう?」

「おう、そりゃあ、風で砂を吹き飛ばすくらい……いや、でもよ。丘って言っても、ちょっとした山くらいあるんだぜ? それを、俺たち二人だけで丸ごと更地にしろって? いくらなんでも……」

「私が力を与える。遠慮なく魔法を使え」

「え? マジで? そういうことってできるんだ?」

「造作もない。お前はまずこう言え。『この手を攻撃しても意味はない。本体はこの丘の中に埋まっている。それを破壊すれば倒せる』と」

「いや、あの、でもそれで何も出てこなかったらまずいんじゃ……」

「案ずるな。それらしい形状の岩の一つや二つ、どこにでも埋まっている」

「あ、なるほど!」

「適度に丘を切り崩したら、頃合いを見て、お前をトニーのところに放ってやる。適当な岩を『あれが本体だ』と言え。トニーに攻撃させ、『邪悪なバケモノ』を撃破したことにしてしまえば良い」

「うわー、なんてシナリオライターな神様……。やべぇ、俺の演技力が試されている……」

「自信がないなら、私が操る。先ほどのように中に入って…」

「やめてくれ! 気色悪い!」

「ならばがんばれ」

「がんばれって……」

 この投げやりな言い種、誰かに似ている。

 誰だったか思い出そうとしたが、それより早く『デカラビア劇場』が開幕してしまった。

「ケルベロス! 見るがいい! 貴様の仲間は私の手の中だ! おとなしく、我がしもべとなれ!」

 そう言いつつ、吊るし上げたロドニーをブンブン振り回す。

「あぎゃあああああぁぁぁぁぁーっ!」

 演技ではない。この悲鳴は本物である。

「どうだ、仲間をこれ以上苦しめたくなくば…」

「そこかぁーっ! 死ねぇーっ!」

 トニーは何の遠慮もなく《火炎弾》を放った。

「ぎゃ! アツッ! やめろ! 俺に当たってんぞバカ!」

「んっ⁉ なんだ、本物か」

「本物か、じゃねえよ! とりあえず撃って確かめんな!」

「ロドニーが捕まるとは思わなかった」

「うるせーっ! ちょっとドジ踏んだだけだ! つーかトニーっ! 聞け! この手を攻撃しても意味はねえ! 本体はこの丘の中に埋まってるぜ! それを破壊すれば倒せるはずだ!」

「おのれ、オオカミめ! 余計なことを!」

「ギャーッ! 振り回すんじゃねぇぇぇーっ! き、気持ち悪……」

「そうか! 分かった! ここをぶち壊せばいいんだな! 《冥府の狂宴》発動!」

 良くも悪くも素直なトニーは、ロドニーの言葉をあっさり信じてくれた。炎の大砲を発射する《冥王の祝砲》。それを数百発も連射する上位魔法、《冥府の狂宴》を使う。

 丘の上は、さながら花火大会だった。

 デカラビアはいかにもそれらしい言葉を発しながら、炎の大砲を避けるように動き回る。トニーはまんまと挑発され、丘をどんどん爆破していった。そこにいるのは、どんな重機やゴーレムよりも掘削能力の高いケルベロス。今、ロドニーにとってたいへん予想外な光景が繰り広げられている。

「トニー……土木工事もできるなんて、恐ろしい子……っ!」

 だが、炎の魔法には限界がある。焼かれて乾いた土を吹き飛ばしてやらねば、さらに深い場所まで炎の熱が届かない。

「さて、そろそろか……?」

 ロドニーにだけ聞こえる声で、デカラビアが呟いた。

(お、おう! 俺の出番だな! さあ、いつでもぶん投げろ! っつーかさっさと放してくれ! 酔った! 吐きそう! お願い放してこんな上空からダイナミックゲロ散布なんかしたくなぁ~いっ!)

 両手で口を押えてフリーフォールに備えるロドニーだが、デカラビアは、ひどく戸惑った様子で言った。

「なんだ? 何か、とてつもない力が近づいてくる……?」

 デカラビアのその声を聴き終えたあたりで、ロドニーの意識は飛んだ。ロドニーをつまみ上げたデカラビアの腕ごと、突然の落雷に見舞われたのだ。

 ロドニーの発した言霊によって作られた腕は、ロドニーのブラックアウトと同時に霧散する。

(馬鹿な! 雷雲は、イエルタメリの運勢を操作して遠ざけていたはず……!)

 だとすれば何者かの攻撃ということになるが、どこから放たれたものか分からない。

(私が、感知できないほどの存在……? なんだ? いったい、何が……)

 姿なき存在が、持てる能力を総動員してそれを探す。けれども何も感知できない。


 分かることはただ一つ。

 何者かが『神的存在』である自分を攻撃した。

 それは、人間には決してできないことのはずなのに――。


 今、ロドニーの体を支える物は何もない。意識のないロドニーは、重力のままに落下していく。

(嗚呼! 駄目だ! 死んでしまう! 間に合わない……っ!)

 デカラビアがそう思ったとき、不思議なことが起こった。

 落下が止まった。

 ロドニーの体は、地表から一メートルほどの高さでピタリと静止している。そしてその隣には――。

「オオ……カミ?」

 狼だった。

 純白の狼がロドニーに寄り添うように立ち、デカラビアを睨みつけている。

 そう、実体のない『神』を正確に視認しているのだ。つまりこの狼は、『ただの動物』ではない。

「……貴殿は、何者か?」

 デカラビアの問いに、それは笑った。

「何者? そうか。分からぬか。やはり、神にも始祖にもなり損ねた者は我を認識できぬのだな」

「認識とは? そこにある体は、貴殿の本体ではないのか?」

「体など持たぬ」

「なに?」

「よく見るがいい。其方が我を如何様に見ているかは知らぬが、これは肉体などではない」

 デカラビアは『眼』を凝らした。曲がりなりにも、自身も創造主の手による作。そこにあるものの本質を見抜くことなど造作もないことである。

 だが、見れば見るほど、デカラビアにはそれが分からなくなっていく。

 自分と同じく、創造主に近しい何かであることは理解できるのだが――。

「……貴殿は……貴殿の本体は『それ』なのか? そんなに小さな器に、なぜ……」

 デカラビアの『眼』には、オオカミの腹から延びる一本の糸が見えていた。その糸の先は、ロドニーの腹部につながっている。


 まるで臍の緒のような管状の糸。

 その中を、莫大な量の魔力が流れていく。

 力はロドニーから狼へ。

 それはさながら、無尽蔵に湧き出る泉のように。

 人の体が作り出せる魔力の量をはるかに凌駕した、恐ろしい『力』の奔流だった。


 デカラビアの問いに、狼は再び笑う。

「そうか。これの正体も知らずに利用するか。実に滑稽だ」

「……イエルタメリは、人ではないのか?」

「少なくとも、其方の知る『人間』とは異なる。其方はアダム……『理想のヒト』から造られた、イヴのプロトタイプであろう? それ以前の、『理想と異なる生物たち』の存在は知らぬはずだ」

「ならば、貴殿はアダムのプロトか……?」

「いいや。もっと古いものだ。まだヒトを造る計画すらなかった頃、我は造られ、役目に就いた。その役目は今なお続いている」

「役目とは? 貴殿は、こちらに捨てられた存在ではないのか?」

「捨てられてなどおらぬ。我は自在に行き来し、監視する者」

「監視……?」

「我はオオカミナオシという。創造主が造り給うたあらゆるものを監視する。不都合があれば修正し、不要となれば消す。それが我の役目」

「……それで、私の前に現れたか。しかし、今しばらくお待ちいただきたい。私は、この造りかけの街を守りたい。それまでは……」

「いいや。待てない」

「お願いする。まずは話を……」

「いや、違う。我が狙うは其方でない。奴だ」

「奴……?」

 オオカミの視線の先には、トニーが攻撃を続ける丘がある。デカラビアの『眼』には、それ以上のものは映らない。

「……? なにかいるのか?」

「やはり見えぬか。無理もない。あれは其方と違い、神として、創造主とともに世界を創った者。其方より創造主に近しい存在である」

「そのお方を、なにゆえに貴殿は狙われる?」

「堕ちたからだ」

「堕ちた?」

「そう、あれは堕ちた神の成れの果て。世界を創るため産み落とされた古の神々は、海を創り、空を創り、地を創り……それで役目が終了した。こちら側に送られ、隔絶されたことを恨み、堕ちた」

「なぜ恨む? 捨てられはしたが、この世界はあちらと同じか、それ以上に美しい。これは創造主の慈悲であろう?」

「その通り。これは慈悲だ。選ばれなかった者たちにも、せめて心穏やかな安住の地を。それを感じることができた者は、決して堕ちることはない」

「……この慈悲を感じとれぬほど、絶望した神があったというのか……?」

「ああ……あまりに深い嘆きであったため、この丘に封じていたのだがな……。デカラビア、其方は人の子を守れ。我は『これ』に入り、ケルベロスともに奴を討つ」

「承知した」

「急げ。ケルベロスの攻撃で、奴は目覚めかけて……」

 オオカミが言いかけている最中、それは始まった。

 小高い丘が、ぶるりと身震いする。

 地震ではない。まるで四つ足の獣が、体に付着した泥やゴミを払い除けるかのような突発的な振動。

 丘の上にいたトニーは、周囲の木や岩とともに宙高く放り上げられた。

「くっ……⁉」

 トニーは咄嗟に《羽化》を使う。

 短距離用飛行呪文の《羽化》であれば空中に留まることも可能だが、トニーはほんの一瞬で魔法を解除した。

 着地のために態勢を整えるだけで十分。攻撃以外で余計な魔力は消費しない。

 徹底した『攻撃第一主義』により、彼は敵の正体を確認するより早く攻撃を放っていた。

「汝、永劫の罪悪に焼かれ潰えよ! 《烙印》発動!」

 火炎系呪文《烙印》。着弾時のダメージはその他の呪文よりずっと小さい。しかし、これは効果が数時間持続する。体表に焼き付けられた呪陣は熱を発し続け、標的を『弱火でじっくり焼き続ける』のである。

 敵は数十メートル級の怪獣サイズ。戦闘が長期化すると予測したトニーの、咄嗟の判断だった。

 しかし、着地と同時に初手からしくじったことを痛感する。


 燃えていない。


 《烙印》が押されたのは巨大な甲羅。分厚い装甲の外側を加熱した程度では、内部にまで熱エネルギーは届かないだろう。

「なんだこいつ……亀……なのか?」

 甲羅は亀である。だが、何か違う。甲羅から突き出した四つ足は魚のような大きな鱗に覆われていて、尾に見えるものは鎌首をもたげた大蛇だった。

 死角に降りたつもりが、これでは蛇から丸見えだ。

 大口を開けて迫りくる大蛇。その口腔に、トニーは炎を叩き込む。

「《業火》!」

 強火力呪文を放ちつつ、大蛇の下を潜り抜ける。

 背面、後部の守りを固めている種族は腹と側部が弱い。これまでの経験上、それは絶対に外れたことが無い鉄則だったのだが――。

「うおっ⁉」

 腹下に潜り込んで放った《火炎弾》は、そのままの威力でこちらに跳ね返ってきた。《魔鏡》と同等の防御作用があるらしい。

 慌てて体の下から抜け出し、《羽化》で宙に逃れる。

 その一秒後、亀はドスンと地面に座り込み、頭と尾、手足をひっこめた。

 瞬間、立ち上る黒い霧。

「息を止めろ!」

 ロドニーの声に、トニーは袖口で口元を覆う。

「《気泡》!」

 トニーの周囲に出現する圧縮空気の膜。ふわふわと浮遊するシャボン玉に納まったトニーは、ロドニーの姿を探す。

「……? ロドニー?」

 何も見えない。

 辺りには黒い霧が立ち込め、視界はゼロ。かろうじて届く音声だけで状況を把握しようとするが、聞こえてくるのは魔弾《ティガ―ファング》の発砲音のみ。

 連射される魔弾。貫通力に特化した《ティガ―ファング》であれば、あの甲羅も破壊できるかもしれない。

(そうか……穴をあけてから、俺が《冥王の祝砲》をぶち込めば……)

 体内に炎の大砲を発射してやれば、どんな怪物も無事では済まない。自分はそのために温存された戦力。トニーはそう理解し、ロドニーからの合図を待った。

 しかし、なかなか進展がない。約五分間、絶え間なく発射される魔弾の音を聞きながら、トニーはあることに気付いた。

 ひとつ、異なる発砲音がした。

 《ティガ―ファング》より低く、重い音。これは魔弾デスロールの発砲音だ。

(まさか……あのクソ王子も撃ってやがるのか……?)

 ロドニーが突破口を開き、自分が大技で仕留める。これまで当然のようにやってきた役割分担。そこに一人、余計な奴が加わった。


 許せなかった。


 ロドニーの隣――その場所は、自分の場所なのに。お前なんかがいていい場所じゃないのに――そう思った瞬間、トニーは《羽化》を使っていた。

 圧縮空気の膜を破り、黒い霧の中へ。

 その霧を吸い込んだとき、自分の中の何かがささやいた。

(キミはもう、要らない子なんだよ)

 違う。

 ロドニーの隣にいるべきは、俺。

 俺のほうこそ、本当に必要とされているはず。

(なら、要らない子は、誰?)

 そんなの決まってる。

 あいつだ。

 あの、いけ好かない王子だ。

(それなら、消しちゃおうよ。ね?)

 消す?

 消すってなんだ?

 そんなこと、許されるわけが――。

(じゃあ、キミの居場所、取られちゃっていいの? あの子に?)

 良くない!

 いいわけがあるか!

 あんな奴に、ロドニーを――。

(それなら、やるしかないよ。だってあの子は、キミの大切な居場所を取ろうとしてるんだよ? そんな悪い子、要らないじゃない。ね? 素直になって?)

 でも、俺は――。

(ほらぁ、嘘はついちゃだめだよ~。うそつきは嫌われちゃうよ~? キミ、昨日も彼に言われたじゃなぁ~い……)

 心の中の何かは、ロドニーの姿で、ロドニーの声で、確かにこう言った。


「俺の目を見て、正直にお話してみようか? ん?」


 これは記憶。

 昨日ロドニーに言われたこと。

 この『何か』は、自分の記憶を勝手にのぞいて、引っ張り出しているだけ。


 しかしそれが分かっていても、トニーは抗うことができなかった。




 トニーの意識は、ここで途絶えた。


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