?0「哀光願」
回廊は地下に潜り始める、それに伴い明度上昇、つまり白の彼女以外の光源からの欠片も感じられる様になって来た、内部に光夥しい空間が隠されていると言う事であろう、そんな明度で以って見せつけられるのが相応しい、大っぴらになるのが好ましい様な趣の広がりが有るとは到底期待できないが。地下、と言う事は私は地面の束縛を或る種回避出来た訳だ、やっとの事で地面の内部へ到達出来たと言う訳だ、この先にどんなに禍々しい広がりが有ろうとも、私はそれを心の底から受け止めなければならないな、変に感化されて、その広がりの圧倒的な存在感を従うべき強大な物等と錯覚し心を持って行かれてしまう事無く全力で憎み倒し侮蔑し切る為に心と言う地平を精一杯踏み締めなくてはならないな、と思った。だが、それだけでもいけない、一度憎しみのスイッチが入るとそれ以外の事を考えられなくなりがちだ、私が今成すべき事は確かにこの施設に端を発する忌むべき世界の破壊だがそれ以上に再生についても考えねばならない、そしてそれはこの施設の持つ暗色のエネルギー無しでは叶わない、或る程度はこの施設の穢れに狂信とまでは行かなくても共振位は出来ないと行けない、生命の礎は、善悪で構成されている訳ではない、そこには強弱が有るだけだからだ。もう少し言えば、何処に強弱のバランスを決定付けるエネルギーの要を置くか、だ、この世界の様に子供の世界だけしか見つめていない、子供にしかエネルギーを注いでいない世界は危険だ、大人を殺して子供が育つ世界なんて物は有り得ない、それはつまり子供の未来、大人を拒絶する、成長を拒絶する世界だからだ。この世界はこの膨大なエネルギーを成長拒絶に要を置いて行使してしまっている、ただ子供最優先で物事が動き過ぎているのだ、子供が強者過ぎて大人が弱者に成り果てていてそのまま世界が停滞してしまっているのだ。それは或る意味で正しい、子供が世界に於ける最大の保護対象というのは正しい、だが、この世界は保護の意味合いが間違っている、子供を大人と言う夢の無い存在へ導きたくない、幸せしか無い様な夢の世界から辛さの底無し沼に引き釣り込みたくない、と言う思想での保護は何も産まない、それは保護すべき対象を保護していると言うより謬った保護者としての自分の在り方立場を保護していると言う事で有ってそのレベルから何処にも発展の余地の無い思想だからだ。保護者がそもそも子供であり、大人に成りきれていないのだ、この施設は子供に纏わる観念でしか物事を見られていない人間の産物だ、子供と言う状態、子供と言う在り方子供と言う感覚子供と言う自由子供と言う神聖子供と言う天使を信仰し過ぎる大人の姿をした子供の異常崇拝者達の正殿なのだ。彼らの盲信を解き放ち、子供と大人の立ち位置を今現在の神と信者ではない対等な物に改善する事、それが私に望まれている事だと思われる。だが、入り込む前はそうも思わなかったがこの雰囲気から察するに恐らくは彼ら盲信者達はもうここには居ないのだろう、この子供至上の生命サイクルの中に溶け込んでしまってもはやここは信者の正殿としては終了しているのだろう。彼らの盲信の偶像、産物で有るここそのものをどうにかする事でしか改善への道は拓けまい。
そして明るさは満ち、禍々しさへの扉は開かれた。地面に閉じ込められた、哀しき生命の光。私はその光が願うところの物を即座に感じ取っていた、闇になってしまいたい、死んでしまいたい。私は心の中でそれらの光の主達の嘆きとしか言い様の無い願いに返答する、もうすぐ君らの体を焼き焦がすその炎の光は止まるよ、君らの体を焼き尽くす事で。心に踏ん張る覚悟を決めた私は、逆に自分が心の泥濘にどんどん埋まって行くのを感じた、この広がりに恐ろしいまでの拒絶心を覚えた。だが、幾許かは共振せねばならないのだ、親の偏愛が産んだこのおぞましい世界を見ても、まだその親の愛を信じてみなくてはならないのだ。私は今より、親の溺愛と言う泥濘の中でもがき始める。




