01「異なる視界」
歩き続ける事が出来ない、体が何か薄気味悪い粘着質の膜に囚われているかのようだ。私は施設を一人出る前から何かが可笑しいと思っていた(冬眠の様な日々の中で、自分の意志というのは時折目覚めた。作り変えられていく自分への定期的な適応試験だったのだろう)。歩き続ける為に酷使する感覚は特に視覚な訳だがこれがどうにも自分の役に立つ為にこうして目の前に開けているのでは無い気がするのだ。視界がこうして私に見る事を強要してエネルギーを活動力を奪い死へのカウントダウンの秒読みを早めているとしか思えない。私は、十五の時に幻想を何もかも捨てたと言ったがそれはその感情が余りにも痛烈な物であった為覚えている。はっきり言って人間浄化以前に経験した事柄の大半はもう私の脳から抜け落ちている。勿論、私がどんな風に世界を見、世界を聞き、世界を感じ喜んでいたか怒っていたか哀しんでいたか楽しんでいたかも分からない、五感の記憶が残っていないのだ。
可笑しい視界、これは、可笑しいと言うより人であった頃の常が抜け落ちている自分にとっては可笑しいという言い方自体可笑しい。異常、常とは異なる、ではない、常を忘れた自分にとっては、異なる、これでしか言い表せない。私はやはり天使として生まれ変わってしまって人ではないまま三日後にこの世を去らなくてはならないのだろうか。そしてやはり、その三日後にここではない何処かへ羽ばたいていくと言うのはこの視界に精神と肉体を全て疲弊させられての事で有るのだろうか。
例えば今私は森の中を歩いているのだが、木を一本見たとしても気が遠くなる程の情報量が頭に入ってくる。その木を構成する物質の一つ一つが存在を私に誇示して私の神経を爆発寸前まで膨張させる。今現在何処に特に重力が掛かっているか、とか風がどのように木に当たり飛散しているかとか水が木の何処を通って何処で終っているかとか太陽光を吸収しその吸収された光がどう生命の源へと変換されているかとか葉一枚一枚の光の反射具合とか木に生きる虫が今何処には何千匹居て何処には何千匹死んでいて木の養分になろうとしているかとか木の成長の極微な推移の一部始終とか(その成長が立てる無数の不協和音とか)今どの葉が光を得られずに死に絶えようとしているかとか死んだ時のおぞましい程の急激な活動停止方とか、そう言った木が見た瞬間から次の瞬間へと移って行く時の全ての情報が私の頭に何千本と何万本と勝手に枝を張り私の頭の限界を突き破ろうとする。そして脳内の枝が私の頭を突き破る寸前に私はどうしても眼球を潰そうとしてしまう、だが潰せない、私の体は全く傷付く事が無い、触る事は出来る、心臓の鼓動を感知したり眼球の表皮にそっと触れたりそういう事は出来る、だがしかしそれが一寸でも攻撃性を持った触り方になると私の肉体は、存在を揺らがせる。私が眼球へ指を槍にした時に私の顔がどんな風に歪んでいるのかは分からないし想像もしたくないのだが、とにかく、私の肉体は攻撃を許さない。今も一羽の鳥が私の心臓を刳り抜いて行った、恐らく私は他の生き物に存在すら感知されていないのだろう。それでも、全く傷付けられる事の無い私の体でも、三日後には確実に死ぬのだ。そして私を死に至らしめる存在は、紛れも無く自分自身の感覚なのだ、この映像の三日分は確実に致死量だ、三日間眼球を潰す事を許されずに生きねばならないとしたら、私の脳を遂には過剰情報の枝が天を目指して突破してしまうだろう。それまでに、一体何をしろというのか。死を目の前に自分の存在も役割も全く見えずにいる私は、思わず空を見上げた。それを見て私は目と口で泣いてしまった。そこには、洗剤の泡の様な気色悪い何千種類もの青が一面に広がっていた。




