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2010  作者: 篠崎彩人
1「審判の日」

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22「審判の日々」

 天国の外へ出た時、つまり空にあの死の視線を送り続ける眼球の園を擁く腐敗の森の入り口に立った時、私は有ろう事か思い切り首を上空に向けてしまった、まるで神の視線に釘付けにされた従順なる信者の様に。そして、私は生きている、そう、空の眼球は、死の視線を失っていた。それどころか今度は何故だかその視線が哀愁さえ帯びている、己が死の視線を持つまでに邪なる物に堕ちた愚を悔いるその哀愁なのか、それともその死の視線を無くした事で己の存在定義が著しく揺らいだ、その自我崩壊への哀愁なのか、それはその目達があまりに、物理的にも、その存在の不明瞭感から来る精神的なものとしても、遠すぎて判断するに至らなかった。私は、目の前に居る彼女へ愛の視線を送り続けながらその後を追う事を暫し止め、その場に立ち止まり上空の観察を始めてしまった、もう、その視線に変化は期待出来ないであろうからそうした所で得る物は何も無いと言うのに。彼女もその私の挙動に気付いたらしく、立ち止まり私から離れた場所で同じく空を見上げた。劇の終わり、そして観客は観客で無くなる、見るべき物が終ったからだ、私は今、この目達ももしかすると観客だったのかも知れないな、と思っている、この観客はしかし只の観客では無かった、古き天国の崩壊とそして新たなる天国への探求と言うタイトルの劇を見せられている私を見ていたのだ、彼らからすれば、私と言う現実世界にて映画さえ霞む様な圧倒的なスペクタクルを見せ付けられる無力なる観客一個人自体が面白おかしかったのだ、そして彼らは自分らの視線で以って劇に更なる面白さを加味する事が出来た、彼らの死の視線に怯える弱者を眺めて余剰なる背徳の悦びを味わう事が出来たのだ。だが、恐らく彼らは私が何の劇を見ようとしているか知らなかった、こんな異常に狂おしい胸に回復出来ない心の傷を幾重にも刻む程の弱き者達の命遊びが行われる劇中劇をきっと想像だにしていなかったのだ、彼らは私や私の前の木になってしまった否彼らが自ら進んで半殺し木へと文字通り植物人間化させた弱き翼の折れた天使達を視線で弄くりまわす事以外は何も見えていなかったのだ。そこまで考えて、思う、否、彼らは私の様な堕天使で遊ぶ事も楽しかったのだろうが、他にも何か存在する上で悦びを得られる事も有ったのではないだろうか。そう、あの偽りの天国、あれは彼らにとってもう一つの遊技場だったのではないか、あの嘘臭くも麗しい子供の楽園をあの異常に心落ち着ける美しい空と共に演出していたのは彼らだったのではないか。それを失った空虚感こそがあの瞳に湛えられた哀愁なのではないか。私はそう考えた時思わず後ろに駆け出していた。

 そして、また元楽園の有ったその領域まで戻り、空を見る。相変らず美しいが、そこにはそれと見て取れる悲しさが有った。それは、無機質な悲しさではない、自分の真下で有り得てはならない規模で悲しい事が有ったのにそれを微塵と悲しいと思えない非生物に感ずる悲しさではない、空自身が、体を軋ませて悲しみの旋律を、劇のエンドロールを垂れ流し続けていた、誰も観客の居なくなった劇場で。私は、その時地面に有った草を掴もうとしていた、だが、勿論私の体は通常の物理世界の何に触れる事も出来ない、その草には触れられない。それでも私の指は恰も草を掴んだかの様に満足げに草の根元を離れた、そして私の口元へやって来た。私は気付く、嗚呼、私は人間として存在していた頃、草笛が好きだったのだろうなと。私は、見えない草笛を吹いた。この人の審判の日々は、まだまだ長く果てない。むしろ人の生きる一日一日、全てが審判の日なのかも知れない。私が生きているこの瞬間もそんな在り来りな数多の審判の日、その一つのヴァリエーションに過ぎないのだろう。そして、審判の日、日々では無い、最後の審判を下されるその日が来るのを避ける、その期限不明な執行猶予としての日々が私の居る審判の日々、なのだろう。その最後の日を、私の見る事が出来る人生と言う劇のエンドマークとしたくは無い。私は見えない草笛で精一杯、人として生きる悦びを表現しようとした、だが、上手く行かない、何度やってもそれはとても悲しそうに聞こえた。しかし、それでもいい、人は幸せの為に色んな事を、何度も、何度も成功へ導こうとするがそれが上手く行かず悲しみという失敗に終る事は間々有るのだ。失敗したっていい、喜びを想う気持ち、それが心に燃え尽きず残っている事、それが一番喜ばしい事だ、人として存在する事の、唯一の光だ。私は、見えない草笛を空に放った。悲しい曲を流し続ける空に幸せの歌を教える為、草笛は見えない鳥となり、その歌を練習しながら何処までも高く飛んで行った。

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