?1「憐脆舟」
彼女は、私にあの衝撃的な笑顔を見せてくれた後はまた白の彼女の中に溶け込んでしまった、つまり白の彼女の主導権、主人格はいまだ彼女が白の彼女に接触する前の物なのだろう、それが人の人格で在るのかどうかは別として。そして前と同じ無表情に戻った白の彼女は今度は今まで歩んできた道を戻って行っている。途中道端に死んでいる蝶や子供達を見た時、一瞬だけ人の表情が宿った様に見えたがその表情は白の彼女が元来持っていた物なのかそれとも人の彼女と接触した事で新たに得た物なのか、それを判断するには余りにも一瞬過ぎた。私は、もう一度、たった一度で良いからあの笑顔を見たい、それだけの為に行動する飢えた野獣の様に白の彼女を以前同様追尾していた。白の彼女の使命は、かなりのレベルで終結を見た筈だ。だとすると今の彼女は私の使命の為に動いていると考えるのが筋だろう、私の使命、それはこの終った天国には無い。なら、それは一体何処で成されるべき物なのだろうか。この天国領域を抜けても待っているのはまた同じ様に終っている死の森であり、そこで私が何かを成す、と言うのは考え難い。であればその死の森を更に進んだ所に在る場所が私の行き着くべき場所と言う事か。そこまで考えてはっと気付く、死の森を深く進んだ所に在る物、それは、私の天使としての始まりの場所、そう、天使製造工場ではないか。あそこの天使製造システムは、まだ機能しているのだろうか。天使予備軍生産牧場であった偽りの天国はもう崩壊したのだ、だからいずれは資源、そう命と言う名の資源が尽きて嫌でも停止するのだろうが、今はまだ五年分の命のストックが在る筈だ、私以降天使に成るかも知れない少年少女達の魂が弄ばれている筈だ。私は、それら現在進行形で天使化されている準天使達をどうにかすべくこうして白の彼女の先導の下天使生産工場へ向かっているのだろうか。いや、恐らくは違うか。生きたとしてどうせ三日がせいぜいの彼らはもう、私同様半分死んでいるような物だ、あの施設に収容された時点で逃れ得ぬ死を宣告されたのだ。なら、まだ死を宣告されていない命達の為に行動する、と言うのが尤もらしい在り方だが、そんな物が何処に在ると言うのだ、私は今居るこの世界には死の黒い光しか感じられない、白の彼女の輝きを除けば。もしや、白の彼女との結婚式場にでも向かっているのか、この生命感が歩いている様な彼女と私とで何か新しい生命を産む事、それが今現在目的とされている事なのだろうか。私はこうした考えの一粒一粒を前を往く彼女に言語の包装紙で包んで手渡したいとつくづく願うが、私にはもう発声機能が無い、基本的には一人で生きて、一人で死ぬ事が設定されている存在なので不要な物は根こそぎ奪われているらしい。だが、私はあの笑顔を見せてくれた彼女に対して沸き上がり絶えない信頼の泉を設けたのでそれ程問題は無い、彼女の行動に信頼を寄せない瞬間は片時も無い。私と彼女は、この愛と信頼の小船に乗っていればこの死の川を何処までも往けると思う、だが、どちらが欠けてもいけない、船の前に居る彼女が欠けても、船の後ろに居る私が欠けても、この脆い船はバランスを失い沈没してしまう。言葉無しでも、私と彼女にはお互いを必要としている諒解が成立しているのだ。言葉はせいぜい、船を飾り付ける程度の物でしか無い、どんなに言葉で飾り付けてみても、船は相変らず小さくて危なっかしい。だからあの言葉ではない口付けが有り、言葉ではない笑顔が有ったのだ。その愛の記憶は、後ろと前に居る私達を船の中心に近付けてくれる、船がより良いバランスを持つ事が出来るように。この動く事すら危い船の中心で、ちょっとした行動が即死に繋がりそうなこの世界の中心でいつか、私は彼女の事を堅く抱き締める事が出来るだろうか。




