00「天使の心音」
力を奪われるような感覚が続いている。昨日までは知り得なかった感覚だ。
今日、私は成人した。だから後三日後には死ぬ。そう言う掟だ。成人して人の本当の自由を得られるんだと思っていた私は、十五の時にその幻想を捨てた。十五の時、成人後の三日間の為の強化人間プログラムに就かされた。其処でその三日後に何が待っているかを知ったからだ。『貴方は成人としての役目を立派に成し遂げた後、その肉体その精神を母なる大地に還します。その大地に還す体、魂貴方の全てはその時の為に出来る限り浄化されていなくてはなりません。因ってこの五年間、貴方には人間浄化プログラムを経験して貰います』。そしてその五年間で人間としての穢れをすっかり洗い落とし天使として生まれ変わったらしい私は、この三日間で世界への別れを告げて天国へと、或いは地獄へと羽ばたいて行かなくてはならない。今では、今までの私は生まれてさえ居なかったのではないか、とまで思う。つまりこの最終段階の三日間を経て後やっと、そこが天国の様に自分のくだらなさを理解させてくれる場所だったにせよ地獄の様に自分の無力さを理解させてくれる場所だったにせよそこに降り立ってやっと私はこの人間浄化という重い鋼の翼を下ろして人の足で大地を踏み締められるのではないか、人の心音で人からその存在を認知して貰えるのではないか、そんな風にさえ思うのだ。だが。私は自分の心臓の辺りに手を添える、そしてそこに確かに有る心臓音を手の皮膚感覚で感じ取る。駄目だ、こんな確かさの内に鳴っている心臓が偽りである筈が無い、そしてこんな正確無比なる物が一度でも停止したなら、それもまた確か過ぎる位確かな静寂、生の零地点なのだ、そこからはもう何処にも行けない、そこで生が止まってまた次の生に行ける、と言うような事は有りはしない、そこに有るのは死、生の停止と言う絶対零度のみ。
力を搾取され続けている様な冷たい感覚の中で、一向に衰えを見せず鳴り続ける心臓は、もはや少しでも長くこの世界での生を留めようと言う様な考えを捨てているようだ、最後の最後まで力強く鳴り続けていよう、終わりの見えた状態でその鳴りを弱めたからと言って手に入る物がある訳では無い、だから。最後まで最大限にまで鳴り続ける事で手にする事が出来るかも知れない何かに懸けよう、この生命を、そんな風に思って活動しているかの様な音だ。私には、そんな心臓の張り詰めはもはや苦しく胸を圧迫するだけだった。