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残酷で美しきこの世界  作者: アルト
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  一歩一歩、慎重に確かめながら灯りのない洞窟を歩き続ける。足元が湿気で湿っているのか、油断すると足を滑らせそうだった。洞窟の中は熱がこもっていて、湿度が高い。じわじわと汗が滲み出してくる。だが汗の原因は湿度や熱気だけではない。


 耳を澄ませると前方から、かすかな音が聞こえてくる。同時に豚小屋を思わせる様な臭気と、むっとするような血の匂いが押し寄せてきた。全身が粟立つのを覚え、反対方向に走り出したい衝動に駆られる。ざわめく心をなんとか落ち着かせようと息を整え、その場で小さく蹲り息を潜める。徐々に大きくなる振動と呼応するように心臓が早鐘を打つ。


 来た。今まで見た中で一番大きい。

 数は三匹、いずれもその手には獲物が握られ、先頭にいる奴は松明を手にしている。道の中央を闊歩するその姿は人ではない。


 それは今まで見た事のある生き物の中で、最も醜い顔貌だった。鼻面は寸が詰まっており、だぶだぶに緩んだ皮膚が幾つもの皺を作り、その奥でビーズのような目が赤く光っている。下唇は大きく垂れ下がり、剥き出しになっている犬歯からは涎が絶え間なく流れ、見るに堪えない見た目をしていた。そいつら体長は二メートルを超え、胴や腕周りは自分の二、三倍はある。衣服と言って良いのか、腰辺りにボロい布切れを巻きつけ、片手には自分の身長ぐらいあるだろう棍棒や歯の潰れた剣が握られている。


 こんな奴らを相手にしていたら命がいくつあっても足りない。だが幸いにも奴らは視力が衰えているのか、暗闇の中に紛れていれば見つからない。ビーズのような目はどうやら飾りだったらしい。あとは物音さえ立てなければ勝手に通り過ぎるだろう。


「$€ガ%#@&ギ¥✴︎♪」


 だが突然、化物が囀るような甲高い声で鳴き始め身体が硬直した。


(バレた!?)


 最悪な状態に一瞬絶望したが、そうではなかった。奴らは俺の存在には気づいておらず、まるで歌うような調子で意味のわからない言葉を話し始めた。その口角からは白い泡と涎を撒き散らしていて、生理的嫌悪で吐きそうだった。


 その言葉を理解することは不可能だったが、機嫌が良いという事だけはわかった。そしてその理由もわかってしまった。

 薄暗い中、目を凝らして見た俺は絶句した。


「……そんなバカな」


 小さな声で呟かれた言葉は無意識に出たものだった。


 奴らの足元で何かが蠢いていた。よく見ると、それは、人間だった。


 人の頭など軽く握り潰せるような大きく分厚い手で、その人間の足を束ねて引きずっている。引きずられている人は糸が切れた人形のように動かない。だが生きている。生かされている。その人は女性だった。奴らの醜い声の中で、かすかに女性の声が、確かに聞こえた。


「殺して、殺して、殺して…」


 彼女は既に正気ではなかった。譫言のように殺して、と呟き続けている。俺はその場所に縫い付けられたかのようにその場から動けず、目が離せられなかった。そして、彼女と目が合った。


 瞬間。彼女が、狂ったように叫び始める。それは、まるで断末魔の絶叫だった。ひどく神経に障る、それは化物よりも恐ろしく感じた。


「……あ。あっ。あっ、ああああああああああああああ……!」


 言葉にならない叫び声。だが俺はその叫びの中にある意味を理解してしまう。‘‘助けて’’たったそれだけーーー


 だがその悲痛の叫びを聞いて尚、俺はそれを見捨てた。見捨てるしかなかった。物音一つ立てないよう慎重に、奴らのすぐ横を通り抜ける。


 地面には彼女の髪だろう、長い黒髪が血と共に点々と散らばっていた。後ろを振り返ると、彼女の頭部が、目に入った。彼女は今も叫び続けている。


 目を逸らしたかった。俺は、あえて、唇を噛み締め、その姿を見つめ続けた。言い逃れる術はない俺は彼女を見捨てた。その時、左胸に、ずきりとする疼痛を感じた。異様な寒気が背筋を駆け上がって、心臓が大きく脈打つ。


 それは、まさに青天の霹靂だった。予想もしていなかった痛みが襲い、地面に蹲り、左胸を押さえた。息が出来ない。俺は必死になって、自分に言い聞かせる。彼女はもう少しで死ぬ。今から助けても助からない。だから俺は悪くない、俺は悪くない、俺は悪くない...…!


 無意識に唇を噛み締めていた。口の中に、鉄のような血の味が広がる。自分の脳裏で、理屈を超えた思いが溢れ出す。


  これが本当に最善の選択なのか。自分が無事ならそれでいいのか。助けを求められて、何もしないのか。これが自分の望んだ結末なのか。

 違う!

 俺は、心の中で、絶叫した。


 何故そこにあったのか、幸か不幸か、俺は近くに剣が落ちているのを見つけた。それ剣は自分の身体より大きく、重く、持ち上げる事ができない。それでも俺は既に走り始めていた。剣を引きずる金属音が洞窟に響き渡り、奴らが振り返る。奴らと目が合った時、その距離は既に二メートルを切っていた。


「その人を離せ!」


俺は両手でしっかりと握りしめた剣を勢いそのままに奴らの膝辺りに向かって力一杯叩きつけた。

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