口に出すのはむずかしい
「一擲千金の効用」の登場人物が出ておりますが、単独作品として楽しめると思います。
話題のコンビニスイーツ「初恋ショコラbitter」のCMをやっているアイドルグループquattuorで王子と呼ばれている冬芽くんがミステリー作家・神谷宗佐のファンだそうで、ファッション雑誌の担当をしている同期が“今度、冬芽くんにインタビューする際に神谷先生の発売予定の新作をプレゼントしたい”と打診してきた。
「quattuorの冬芽?誰だ、それ」
「先生、quattuorは今大人気の4人組アイドルグループです。」
「あー・・・見たことあるようなないような・・・竹倉、俺に流行の話題を振るな」
その返答は予想していたものだったので私は同期からもらったquattuorの資料を先生にわたす。
「このワイン色の髪の男の子が冬芽くんで、ファンの間では王子と呼ばれています。で、これが今すごい話題になっているCMの映像です」
同期からもらったDVDを私は持参したパソコンにセットした。
冬芽くんが女性を後ろから抱きしめている。
「ふーん、俺よりケーキに夢中だなんて面白くないな」
女性の手元がアップになって映し出されるのは食べかけの「初恋ショコラbitter」。彼女は冬芽くんの言葉をスルーしてスプーンで一口すくおうとしたところを止められてしまう。
「言ったでしょう?面白くないって」
そう言うと、彼女の耳にキス。思わず固まる彼女の様子にちょっと笑って、今度は首筋から肩にキス。
そしてスプーンを持った手にキスしたあと、耳元に唇を寄せて・・・・
「ねえ、きみと甘さの先も知りたい」
ここで冬芽くんの声で『大人の初恋始めました-初恋ショコラbitter』とナレーションが入り、黒のケースにアザレアピンクのリボンの“初恋ショコラbitter”が映し出されてCMは終わる。
うーん、冬芽くんってセクシー・・・・部屋でこのCMをはじめて見た時なんて、思わず“きゃああ”と心のなかで叫んでしまったわよ。今でもCMが流れると手が止まってしまう。
CMを見た先生はしばらく黙っていたが、私のほうをみてにやりとした。
「竹倉も多少は面食いのようだな」
「私はそんなに面食いではありませんが、イケメンには少し興味があります。先生だって胸が大きいグラビアアイドルとか、つい見ちゃいません?」
「俺は自分にちょうどいいサイズが好きだけど・・・竹倉のサイズは俺にちょうどよさそうだな」
「先生、セクハラです。せっかくですから編集長に報告しておきます」
「俺が悪かった。で、この冬芽ってヤツが俺の作品の読者なわけか」
「ええ、デビュー作から全作読んでいるそうでファンの間では有名みたいですよ」
「俺がデビューしたのって、コイツが小さいときだろ?ずいぶんませたガキだなあ」
「さすがに読み始めたのは大きくなってからじゃないですか?中学生とか。そんなわけで先生、こちらの本にサインをお願いします」
「へいへい。冬芽様って名前もいれたほうがいいか?」
「そうですね、喜ぶと思います」
先生はうなずいてサインペンでさらさらと書き始めた。
数日後、私は先生の家にある物を持参して打ち合わせと片付けに訪れた。
「・・・・初恋ショコラbitterか」
私が持参したのは初恋ショコラbitter6個。先生はその数を見てちょっと驚いた。
「ええ。先生が甘党だと知った冬芽くんが届けてほしいって頼んだそうです。よっぽど神谷宗佐の最新作サイン本が嬉しかったんですね。本人は直接先生に渡したかったって残念がっていたそうです。先生、よかったですねえっ」
「悪いが竹倉、2個はもらうけど残りは持ち帰って竹倉と森川先輩で分けてくれないか?さすがに毎日は飽きる」
まあ、たしかに先生は一人暮らしだから甘党でも6個はきついか・・・・。
「わかりました、編集長に渡しておきます。じゃあ、とりあえずこれは冷蔵庫に入れますね。今日は打ち合わせの前に片付けしましょう、先生」
「なあ、竹倉」
床を片付け始めた私に、先生がのんびりした口調で話しかけてくる。
「なんでしょうか?」
「俺がCMみたいに、後ろから抱きしめて“ねえ、きみと甘さの先も知りたい”って言ったらどうする」
思わず顔を上げたとき、先生の端正な顔が近くにあってちょっと驚く。
「先生・・・近いです」
「当たり前だろ、近づいてるんだから。で、お前はどうする?」
先生の望む答えを私は知っている。でも先生は、私が口に出す言葉を知っている。
「一擲千金の効用」について
トムトム様主催「バカンスでザンス企画」参加作品です。
登場人物
竹倉 灯 30歳。 出版社に勤務する編集者。
神谷 宗佐 (かみや・そうすけ) 38歳バツイチ。灯が担当している作家。
森川編集長 39歳。灯の上司で、宗佐の前の担当者で学生時代の先輩。
宗佐は「森川先輩」と呼ぶ。