酒木という男
酒木という男は、大変端麗な男であった。
変わったことといえば、
本来ならば右腕があるであろう場所にそれが生えていないことである。
駅からすぐ近くの繁華街を少し歩いた先の船乗りばから船で15分も行けば、瀬戸内海に浮かぶ島が姿をあらわす。
酒木はそこに居住していた。
◆◇◆◇
「菊間。僕はすこしカジ屋へ行ってくるので、留守番を頼む。」
「ああ。わかったよ。
・・・見つかるといいね。」
酒木はこの男、菊間を“飼って”いる。
「人間を飼う」というと、奇妙な文言になってしまうが、実際酒木は菊間に食べ物と臥所を与え
菊間はただそこに、七つ歳かさの酒木という男の私宅に“居るだけ”であった。
そのような奇妙なことになったあらましは後ほど言い分けするとして、この菊間という男の外見は、端麗とは少し隔たっている。
ぼさぼさとした頭に、冴えない眼鏡。召し物はほぼ一年中同じ着流しだ。
「やあ酒木
忙しいところすまない。今日は中国から新しいのが手に入ってね。ぜひ君に知らせようと思ったんだ。
ふゆ、あれを。」
「はい。こちらです」
「ほう、中国刀か。
素晴らしいね。」
酒木は唯一といえる腕、左腕でその刀を受け取り
隅から隅まで食い入るようにそれを見つめる。
三島佐内と三島ふゆという作務衣すがたの夫婦はこの島の鍛冶屋である。
鍛冶屋としての役目は十数年前に先代で終えてしまってはいるが、昔からの屋号でそう親しまれている。
さらにはこの二人の刃物オタクな気質が動機で、今では鍛冶屋であったこの建物で包丁や鍬といったものを取り揃え、販売している。
「どうだい。」
「うん。実に素晴らしいが、僕はこの形は初めて見たようだ。どうもあの時の、ひやっとしたものが感じられない。」
「そうか....
どうやら今日も君の役には立てなかったようだね」
「何を言うんだ。
こうして僕の気持ちを理解して、次から次へと刀を持ち出してくれる人なんて、そういないよ。
感謝しているんだ。」
「ははっ
そうか。では、次に期待していてくれ。」
酒木は七年前、二十一の時に唯ひとりの家族である父親を殺された。
目の前で。
茫然自失した酒木は一週間ほど寝込み、当時の記憶は鮮明とはいえない。
しかし父親の胸を貫いた刀だけは鮮明に焼き付いており、それを思い出すと全身の毛穴が開き、今にも凍りつきそうなほど恐ろしい念に駆り立てられるという。
「父を殺めた刀がわかったところで
その持ち主を思い出せるとは言い切れない、ましてや自分の気が済むかどうかさえ分からない。
にもかかわらず......面倒なことに巻き込んだな。」
「なに。
いまの君の唯一の手がかりなんだろう
その刀が見つかれば、きっと何か分かるときがくるさ。
それになにより、俺たち夫婦の刀好きをなめてもらっては困る。好きでなきゃ、ここまで協力しないよ」
「はははっ
そう言ってもらえれば救われるよ。
たまに自分が、どうしてこんなにあの刀に執着しているのか、訳が分からなくなるときがある。」
酒木は顔さえ笑顔だが
どこか諦めたような、申し訳なさそうな、悲しい声を出す。
「俺たちはいつまでだって付き合うさ。なあ、ふゆ。」
「ええ。私たちも、半分は趣味でやっていますもの。」